ノピとモザ

2017年7月から2019年7月までモザンビークにて、青年海外協力隊 PCインストラクターとして活動していました。当時の思うことや記録など備忘録代わりに気ままに書いてました。 日本へ帰国しましたが、改めて思うことやカルチャーショックについても書いていきます。フィギュアスケート好きです⛸

もざぴ日記24 〜恐怖の体力強化合宿 IBO PART1〜

 お久しぶりです。

日本は先日大変な大雪だったそうですね。
こちらは季節は打って変わって夏なのですが、モザンビーク北部はハリケーンがやって来ているので、あまり快晴ではありません。

 

ちょうど一年前

話は急激に変わりますが、先日大雪だった1/23のちょうど一年前、2017年1/23はわたしが青年海外協力隊としてモザンビークへ行くことを公表した日でした。

Facebookで多くの人への公開をしたのですが、ありがたいことに行く前に会いたいというお言葉をいただき、関西や関東圏の友人たちと多くのことを話させていただきました。

きっとモザンビークに来る、というきっかけがなかったら話さなかったようなことも話しました。

 

それだけでこちらに来たことに意味があったかもしれません。

 


またありがたいことに、今まであまり友人の愛に受けたことがない人生でしたが、26年分の愛を一気に感じることができた機会でもありました。(友人は今までかなり少なかったので)

こんなに自分は愛してもらえていたのかと、初めて感じられた機会でした。
そんな方々のためにも必ず健康で、より素晴らしい人間となって帰ってきたいと思います。

 

 

 

モザンビーク秘境の観光地 イボ島

さて、今回はモザンビーク北部にある、リゾート地イボ島に行ってきました。
このイボ島はモザンビークの中でも発展が遅れている、と言われているカーボ・デルガド州にあり、首都のあるマプトから大きく離れているため、非常に綺麗な海と南部より温暖な南国風の雰囲気が特徴です。

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さて、このイボ島へは青年海外協力隊員のメンバー総勢9名で向かいました。
内、わたしを含めた3名はまだ半年以下の来て間もない隊員ですが、他のメンバーは一年以上活動しているポルトガル語も堪能で、たくましい先輩方です。

 

わたしの住んでいるリシンガからは同じ北部とは言えども、中継地点カーボ・デルガド州の州都ペンバまでは飛行機だと途中一泊ありので飛行機乗車時間合計4時間で行くか、乾季時なら車で10時間の道のりの、2パターンしかありません。

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近いように見えるんですけどね、、、、

 

飛行機で行く場合はペンバまで2万円程かかりますが、車の場合はわる人数にもよりますが、半額ほどでいけます。

 

そんなわけで協力隊のほんの僅かばかりの生活費しかいただいていない私たちには問答無用で陸路選択、となったわけです。

これが悪夢の始まりでした、、、、、、

 

 

 

1/18(1日目) 陸路移動 リシンガ~ペンバ

目的地 ペンバまでは乾季で10時間かかる場所なので、ゆとりをもって朝は5時半出発。
想定だと夕方前に着くかなという感じ。

 

ペンバまでの車はリシンガにあるレンタカー屋さん(ドライバー付き)に先輩がお願いしてくれていました!

 


ところがどっこい。
30分どころか、1時間、2時間。待ってもきませんではないですか。
朝早いので朝ごはんは抜いて出発しようと考えていたのですが、ずっと連絡がこないのでとりあえず1人で朝から親子丼を食べました。
(朝ガッツリ食べたい人)

 

8:30(3時間経過)になってもこないので、先輩隊員の家にリシンガから出る人5人全員集合して、トランプをして待つこととなりました。


....

.......

............。

 

気づいてみれば10:00

なのにまだ来ない。
先輩隊員は10分おきにキレの電話を会社に入れてるのに、最終的には着信拒否される始末。
けどなぜかメッセージで逐一車の様子について連絡は来る。

 

「あと10分で行く。」
いや、それ1時間前にも聞きましたから。

 

 

 

結局出発できたのは11:00。

 

 

 

その時は先輩隊員がとても怒っていたので、逆に僕自身はイライラも怒りもせずにのんびり待つことができたのですが、この記事を今書きながら、やっぱりおかしいよな。
ってイライラしてきました笑

 

先輩隊員達もこんなに遅れる事象は初めてのようです。まさかの5時間半遅れ。


一度9時ごろに家の前まで来たのですが、用意して来た車がなぜか運転手含めて5人乗りの乗用車。
いやいや、我々だけで5人いるっつーの。

 

まじでバカだなと思った瞬間でしたが、
10分で取り替えて来ると言って、なかなか帰って来ずにこのザマです。みなさま気をつけましょう。

 


さて悪運はこんなでは終わりません。
なぜなら恐怖の体力強化合宿ですからね。

 

 

雨季なので、乾季の時に普通あるはずの道が早速ありません。川で水没しています。

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「え、これ無理でしょう、、、、」

 

という第一関門。

先輩隊員が裸足になって自ら入ってくれて深さを調べてくれました。

 

結果、そこそこ深い、水の流れの勢いもある。

 

 

もうこれは運に任せるしかない。

 

 

 

という結論になり、勢いをつけて車が水はドボン。や、まじで船かよこの乗り物。

って並みに水に沈みました。

 

途中やばい音したり、後部座席に浸水もあったようですがなんとか切り抜けられました。

 

 

その先にも道が水没している場所多発。

少なくとも10箇所はあったなあ、て感じです。

そんな水没の場所につくたびに先ほどの先輩隊員(女性)がドライバーに調べてこい、と言われて深さを調べにいかされます。

 

 

いやいや、お前が行けよ💢

 

 

という感じで、このモザンビーク人ドライバーにはイライラしっぱなしでした。

このドライバー。

遅刻して来た&道が悪いくせに彼は自分の都合のために度々車を止めるのです。

 

大体自分が食べるようなクッキーを買ったり、飲み物を買ったりなのですが、その回数がやたらと多い。一気に1箇所で買えばええやん。

というか、日本式でいうなら元から買っておけよ💢💢💢

 

 

ガソリンも散々待たせたのに、元から入れてなくて、出発してから入れる始末。

まあこれは計画性ない、モザンビークあるあるなのでもう今更とやかく言っても仕方ありません。

 

話は戻りまして、

道が水没するたびに先輩隊員が身を張って、深さを確かめに行くのですが、わざわざ先輩が深さを測って右側の方が浅いから、

「右側を進んだ方が良い!」

 

とアドバイスをドライバーにするのですが、結局ドライバーは無視。

謎に自分の勘を信じて突き進みます。

 

 

ここもムカつくポイント。

 

だが幸いにしてこのドライバーはかなりのベテランらしく、50歳。

30年は運転しているようで、なかなかの運転テクニックを見せてくれました。この人の性格やスタンスにはかなりムカつきましたが、ぶちぎれないですんだのは、彼の運転技術が割とちゃんとしていたからです。

 

多分この人はいい奴なんです。

いい奴エピソードをこの後に書きます。それもムカついたのですが。

 

 

話は戻りまして、水没だけなら妥協と運に任せて進めばまだなんとか進めました。
けど最初にあの川を渡ってしまった以上、水量が増えてもう渡れなくなっている可能性もあり、

 

進むも地獄戻るも地獄。

 

なわけです。
もうこうなれば進むしかない。あの川を渡れたのだから、大体なんでも渡れるだろうって感じです。

 

 

だがしかし、ここで大きな第二関門。

道が切れています。

 

雨のため道に大穴が空いてしまって、人だけなら乗り越えられても、とても車は乗り越えられそうにありません。

いや、もうこれ無理じゃん。けどだいぶペンバ側まで来ちゃったし最悪だよ、、、

 

 

とか、考えていたらドライバーとその辺の村人が協力して、そこら辺の木を集めただけの超簡易的橋を作ってました。

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いやいや、こんなんで。

絶対渡れるわけないでしょう。とかおもってたら。とりあえずドライバーから説明。

人間は降りて、先に渡ってから車を渡らせる。とのこと。

 

 

今思い返してもこの旅1番の緊張感でした。

 

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そして、、、

Conseguimos!!!!!

 

 

奇跡の通れちゃいました。

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本当に感動。やつの運転テクニックすごいなと感動していました。

さて、暗くなる前にこの何もない村ゾーンを突破して、アスファルトの道までに行きたい!と思っていたら。

 

 

ここでまた悪夢が発生。

 

私たちの後ろにいた車がうまく渡ることができずに穴にはまってしまったのです。

 

こちらとしては放っておいて欲しいのですが

(電波も何もないところで暗くなると、自分たちの安全も危うくなる)

 

そこはモザンビーク人の謎の正義感登場。

とことん付き合ってあげちゃうのです。

これがドライバーにムカついたポイントその2。

 

 

聞くところによるとモザンビーク人のコミュニティは小さいみたいなので、すぐにこゆとき手伝わなかったりするとその噂が伝わって、村八分みたいなことになるとか。

 

 

ペンバでは一緒に夕食をとろう、と約束していた隊員もいるのに、隊員にも我々隊員の面倒を見てくれる調整員にも連絡が取れない。

 

どんどん日が暮れて真っ暗になって行く。。

けど出発する気配はなし。

 

 

2時間ほど奮闘したのち。

 

ようやく運転手が後ろの車を助けることを諦めてくれました(ほっ)

でももう辺りは真っ暗。

 

水没した道を避けるのにヘッドライトだけだと本当に心配です。その後大きな池を乗り越えるために、全員で窓から身を乗り出して、池に落ちないようにみんなで体重を傾けたり、

池が深すぎてヘッドライトまで水没して辺り真っ暗になったりとやばいシーンはありましたが、無事にペンバへたどり着くことができました。

 

 

オンロードへ出た時の安心感。

オンロードに出れたのは22:00とかですかね。

 

東京から8時間大阪まで車は疲れるう、とか思ってましたけど、もはや余裕に思えてきます。

 

 

車揺れないやん。

絶対いつかは着くやん。

道あるじゃん。

 

 

って言う。とにかくえらい目にあいました。

そしてようやくペンバについたのが午前2時。

もうどこでもいいからということで、高いホテルに入って、みんなで雑魚寝をしました。

(これまたいろいろあって人数通りのベッドがなかったのです)

 

けど、ペンバについた時のあの整備された綺麗な景観を見たときはなかなかの感動でした。

ペンバとても綺麗で整備された町です。あの感動はもしかしてこの旅で1番だったかも。

 

 

1/19(2日目) 陸路移動+船 ペンバ~イボ島

1日目の記述がかなーり長くなってしまいましたが。なんとこれから毎日さまざなことがありすぎて、全然終わりません。笑

 

ペンバには、任地リシンガにはないショップライト(大型ショッピンセンター)があります。

イボ島へ行くに向けて、ここで簡単にお酒などの買い出しをします。

 

南アに行ってからイボ島へ行くメンバーもいたので、ペンバ空港に全員集合です。

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ちなみに他のメンバーによると、この時点でリシンガから陸路メンバーは疲労感めちゃくちゃ出ていたそう。

 

そらそうや、そもそも全然ねれてない。

15:00にペンバ空港を出発し、予定だと18:00に海沿いに到着、そこから船で渡ってイボ島へ向かいます。潮の関係で満潮じゃないと渡ることができないため、18:00に海へつくことは必須です。

 

ペンバ空港から実はセスナの小型機が出ているのですが、これまた予算の関係で陸路で。

 

みんなでわいわい修学旅行のような感じでしゅっぱーつ!

 

 

ってしたかったですが、リシンガ組は疲労感と睡眠不足で結構爆睡。

途中国立保護区間があったので、ゾウとかいるかなーってみんな探してましたが、モザンビークは内戦時にかなりの数の動物を殺してしまったので、見れませんでした。

 

 

さてさて、三時間でつくはずだったこの陸路。

近道の橋が流されたとかで遠回りしていくしかありません。

 

これまたひどいオフロードを結論6時間。

いやいや、予定狂いすぎだろ。リシンガからの道のように道が切れたりはしてませんでしたが。

 

そしてここで追い討ちのように。

悪質警官に捕まりました。

 

 

モザンビークでは非常に多いことなのですが、警官と空港職員は給与が低いため、職権濫用をして、お金をせびって来ます。

 

警官に不審者ということで止められることは、彼らの業務上致し方ないことなので拒否ができないのですが、

今回は全員車から降りろということで、カラシニコフ銃を持った警官隊に連行されて建物に監禁されます。

 

警官に関わるトラブルで初めて怖いって思いました。

 

そこでドキュメント(身分証明書)を出せとのこと。

まあここまでは普通なのですが、明らかに我々からお金を巻き上げようと捕まえたので、何かしらの穴を見つけたい警官たち。

 

実際、我々を捕まえた酒臭い親父警官が下記報告を上長にしているのを聞いてしまいました。

 

「やりましたよ、上司。私が怪しげな外国人(=カモだと思ってる)を捕まえました!喜」

 

 

 

けど、証明書も全員携帯し、何も悪いことはしていない。

おまけにポルトガル語べらべらの先輩たちがいてくれたおかげで、向こうが要求していることもすんなり受け入れ、対応することができました。

 

先輩たちすごいっ!!

こういう時は全面的な服従が必要です。

少しでも反抗しようものなら、難癖つけられて解放が遅くなるし、反抗によって新たな罪になってしまうこともあるからです。

 

それでも今回の人たちは特に悪質で、理由もないのに粗探しと時間のばしのために7〜8回は身分証明書を同じ顔写真のところを一人一人確認していました。

だいぶこれはイライラしましたね。

 

 

帰りの時もそうでしたが、カーボ・デルガド州は警官に捕まる頻度高すぎ。

日本的感覚でいうと、最初にチェックした警官が他の検問している警官に情報共有しろや、とか思いますがそこはモザンビーク

 

全くないので、毎回チェックを受けます。

止められる回数がたった6時間の間に5〜6回とかなり多かったし、毎回車を止めて全員証明書を出さなきゃなので本当にイライラします。

 

 

さて、そんなこんなで21:00頃に島の対岸側に来たわけですが、、、、。

 

モザンビーク人:「今は引き潮だから0:00まで待つ必要がある」

 

 

え、なんだってー!!!!

またこれ昨日と同じパターンやん。怒怒怒

そして絶望。

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 ずっと狭い車内で揺られて6時間だったので、みんな新鮮な空気と手足を伸ばせる自由を味わいたい、とのことでみんな外に出て待っていました。

 

おかし食べて、楽しい会話をして。

 

待望の0:00を迎えました。

 

ようやく出発か!?となりましたが、

 

 

「0:00は1番の干潮の時間だからあともう少し待って暮れ」

 

いやいやいやいやいやいやいや。

はなしちがくね

これ朝まで渡れないやん💢💢

 

 

 

ということで、まだまだ待つこととなりました。

途中雨季なのでゲリラのような雨が降ったりしたので僕はずっと狭い車内でゲームをしながら待っていました。

暇つぶしグッズ神。

 

 

他のメンバーは車の中で寝たり、外で謎のアフリカしりとりをしたりなどして過ごしていました。

いや、これ車内で目をつぶっていたメンバー120%ねれないでしょ。狭いし、暑いし、かなり蚊がいるし、、、。

 

そんな中モザンビーク人の運転手たちは爆睡していたので、さすがと思いました。

自分もこれくらいの図太さを身につけないとな。

 

そして、待つこと6時間。

午前3時。

 

 

「よし、海を渡れるぞー!」

 

 

真っ暗な海を渡ることは転覆時にまず助からないので暗い中船で渡るのはとても嫌でしたが、これ以上車内にいるのも嫌なので、イボ島へ向かうこととなりました。

 

 

そして、船で渡ろうとした際にまたゲリラ。

 

僕はヘッドライトと登山用雨具を持参、ということであまり被害はありませんでしたが、女性隊員の中には雨具なしでノースリーブできていた方もいたので、おそらく相当な寒さをしいられることになったと思います。

雨で濡れるだけじゃなくて、かなり風もありましたので。

 

流石にいたたまれなくなり、雨具のおかげで濡れていなかったので、風にさらされる船の間は雨具をその先輩隊員に貸して、船を渡りました。

 

 

途中夜光虫が光ってなかなか綺麗だったのですが(曇っていたので星は見えない)

みんなもうそんな余裕はないようで、あまり夜光虫は見ていませんでした。

 

 

永遠に感じた、この船。

 

1時間ほどしてようやく無事にイボ島へ上陸。

ホテルの人もおそらく寝ていたのですが、なんとか鍵を開けてもらい、シャワーを浴びて。

ようやく就寝。4:30。

 

なかなか笑えるでしょう。

イボ島が始まる前なのに信じられないほどの疲労感です。

これから話は本番なのですが、あまりにも長くなりすぎたので、その先は次回。

 

 

楽しいイボ島での思い出と、楽しい楽しい帰り道での話が待っています。

もざぴ日記22 〜クルーガー国立公園にいってみた〜

みなさん、ぼあ たるでぃ🇵🇹

 

年末年始のモザンビーク島に引き続き、先日は任国外旅行を利用して、アフリカの中でも最大級といわれる、クルーガー国立公園に行ってきました〜!

 

なんと!!
南アの同期隊員によると。
私たち2人が全世界の同期隊員の中で南アフリカ🇿🇦に初突入らしいです!!
なぜかというと、、、、
まず、JICAといえども、海外にバンバン旅行行き放題ではありません。

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■任国外旅行とは

本旅行は任国外旅行と呼ばれ、モザンビークからは以下の国へ旅行することができます。

 

(2018年1月現在)

南アフリカ(※1)、ケニア(※2)、タンザニアマラウイマダガスカルジンバブエザンビア

 

※1 南アフリカは治安の問題からか、ケープタウンとクルーガー国立公園にしか行くことができません。

※2 JICAの書面上では、ケニア渡航可能ですが、現在治安面が悪化しており、渡航禁止となっています。

 

 

このように、自由に海外旅行できることができるわけではなく、JICAによって行くことのできる国が制限されています。

また、赴任後三ヶ月経たないと任国外旅行をすることもできません。

 

ちなみにマダガスカルとクルーガー国立公園はモザンビーク隊員しか行くことができないとか。

 10月ごろから12月ごろまで、大統領選挙で治安悪化が懸念されていたため、ケープタウンへの渡航が禁止されていました。

つまり、モザンビーク隊員がクルーガー国立公園へ行くか、ケープタウンへの渡航解禁の1月以降にならないと渡航ができなかったわけです。

 

1番ウェーイ!

なんでも1番は良いですね^_^

 

マダガスカル隊員はモザンビークへ来ることができないらしいのに謎現象です。噂によるとモザンビークからマダガスカルへ行くためには、日本からかかる渡航費用とほぼ同じくらいするみたいなので、わざわざ今行かなくても良いのかなという気もしますが、、、

 

 

ちなみにナミビアは近いのにモザンビークからは行くことができませんが、ナミビア隊員はモザンビークへ来ることができます。

 

このようにお互いに謎な制限があるのですが、お互いの許可されている国で、恋人隊員同士や、友人の隊員同士であったりすることもできます。

 

タンザニアはアフリカの中部にあり、アフリカの派遣国からは許可されていることが多いです。

そのため観光名所のザンジバルがあるので、集合する人たちが多いです。

 

 

また、ガーナやマダガスカルなどは旧宗主国に任国外旅行として行くことができます。

残念ながら、モザンビーク旧宗主国ポルトガル🇵🇹へは行くことができませんが、ガーナの旧宗主国イギリス🇬🇧や、マダガスカル旧宗主国フランス🇫🇷で日本の友人と会ったり、

本場で語学留学したり、先進国でゆっくりと羽を伸ばして休息したりもできます。

 

 

友人のいるサモア(大洋州)では、なんとニュージーランド🇳🇿やハワイ🌺に行けるとかなんとか。

もはやワーホリじゃん、とか突っ込みたくなりますが、島国は我々にはない、なかなかの苦労があるらしいです。

国内旅行あんまりできないですしね。

 

 ■任国外旅行をするには

さて、長くなりましたが、任国外旅行は1年の間に20日間あります。

繰越はなく、旅行にいる際には所属先上司の許可を取る必要があります。

 

私の職場は休暇に大変理解のある職場なのですが、同期隊員はいちいち休暇の理由を聞かれたら、文句を言われたりと。

なかなか大変な職場もあるようです。

 

 

しかし私個人の意見ですが、国内旅行や任国外旅行は自分自身をリフレッシュするとともに、語学学習や活動へのモチベーションを再度注入する大切な期間だと思うのです。

 

私自身持久力がない方なので、語学の勉強や活動を一時的に頑張ってみても、だらけてしまったりもしてしまうのですが、

今回の旅行があったのでそれまでに語学レベルを上げよう、とか

活動をここまでやっておきたいな、など目標となりました。

 

戻ってきてからも、頑張っている後輩隊員にとてつもなく劣等感を感じながらも頑張ろう、と思えてきている今現在です、、、、

(後輩隊員が人じゃないレベルに優秀な方たちなので、辛いです、、、笑)

 

 ■クルーガー国立公園って?

ここで、今回旅行したクルーガー国立公園について簡単に説明します。

 

クルーガー国立公園とは、南アフリカで最大規模の一大動物自然公園。南北約360km、東西約65kmと細長い土地ゆえ、変化に富んだ地形、植生が見られ、多種多様の動物が生息する世界的にも有名な公園の一つと言われている。その数は、哺乳類147種、鳥類507種、爬虫類114種、両生類34種、魚類49種、樹木336種にも及ぶ。国立公園に隣接していくつかの私営保護区があるが、その境界は柵などで区切られておらず、水や草を求めて動物達が自由に行き来している。クルーガー国立公園と隣接する私営保護区ではゲームドライブの楽しみ方が異なるため、目的に応じて選ぶことができる。

 

https://www.dososhin.com/know/park/00026_kruger/ より

 

 

■クルーガー国立公園への行き方

モザンビークの首都マプトから車で大体3時間ほど。
なので割りと東京から埼玉にいくような感覚でいくことができます。


南アは治安面で世界一悪名高いので全く油断することはできませんので、モザンビークからのツアーを申し込むか、調整員とともに車で行くしかありません。

 

南アまでの道のりはモザンビークの首都マプトとマプト州の州都であるマトラというモザンビークの中でも大きな街を通った、整った綺麗な道を通って行きます。

 

普段住んでいるリシンガと比較すると、マプトはもちろん、マトラも大きいなあと感じます。

マトラからは荒野が続くのですが、南アとの国境に来た時にいきなり変化します。

 

ずっと道の両側は茶色の荒野が続いていたモザンビーク側からいきなり、青々と緑が生い茂る畑へと変化します。

なんやねん、この格差。

 

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ちょうど右側の茶色のところがモザンビーク

左側の緑のところが南アフリカ

 

 

ちなみに初めての陸路での国境超えでした。

意外と大したことはなくて、国境の前で車を降ろされて、パスポートチェックを受けます。

だけど雰囲気は高速道路の料金所みたいな感じ。そこを徒歩で通る感じ。

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最初にモザンビーク側のパスポートチェックを受けて、少し外を歩いて南ア側のパスポートチェックへ行くのですが、ここの建物でもはや格差。

モザンビーク側は変な木の小屋みたいな感じだったのに対し、南ア側はふつうに動物園の入り口みたいな感じで、コンクリートの建物でガラスがはまったカウンターがずらっと並んでいます。

 

 

南ア側パスポートチェックでは、パスポートとは別に荷物のチェックを受けるのですが、まあ英語が話せない。

 

しかもイギリス英語風の英語を話すので余計にわからない。なんとかわかったとしても、1番の課題は話すこと。

まあ英語が出て来ません。

 

ポルトガル語しか出て来ません。

ポルトガル語も大して話せないのに。

 

職員:「なんで南アに行くんだ?」

私   :「さいとしーんぐ(観光)」

職員:「どこへいくんだ」

私    :(どこでもよくね)

         「クルーガーパーク!」

職員:「なんの動物が好きなんだ」

 

別になんでもよくね。

英語が出てこなさすぎて、適当に出て来た ジーブラ(シマウマ) と答えたら。

 

職員:「なんでジーブラが好きなんだ」

 

マジでどうでもいい。

しかもウエストポーチには何入ってるのかと聞かれ、お金。と答えたら

お金ちょーだい嵐。

 

あなたたちモザンビーク人よりだいぶお金あるでしょう。

とりあえず早速英語わからない南ア洗礼を少し受けました。笑

 

オンリーとか、マネーとかの簡単な単語すらポルトガル語になってしまうので、本当につらみ。

 

 

国境を乗り越えたら、もうクルーガー国立公園まではすぐ!!

あっという間につきます。

 

道の脇を車から見るだけで、フルーツ畑とか綺麗だしなんか癒される。。。

 

途中いくつか街も通りましたが、おそらく南アの中のとても田舎な地域なので、栄えてない方にもかかわらず。

日本でいうアウトレットモールみたいに綺麗にお店がいくつも連なっていて、大型スーパーや服屋さん、雑貨屋さんなどもなんでもありそうな感じでした。

 

モザンビークでは数えるほどしかないケンタッキーフライドチキンもあったり。🍗

あー、もうここに住みたい!!

 

■クルーガー国立公園のホテル

私たちが宿泊したホテルは目の前に動物を見ることができる、素晴らしいロケーションのホテルでした。

ほかのホテルがどうなっているかは分かりませんが、まず言えることはモザンビークのホテルとは比べものになりません。笑

 

ホテルはクルーガー国立公園の中にも、すぐ出たところの外にもあります。

ちょびっと出ただけのところのホテルでも、結構値段が安くなったりするので、自由にホテルを選べるみなさんはそんなところも選ぶといいかもしれません。

 

キャンプができる施設もあります⛺️

 

クルーガー初日はホテルでゆったりしました。

南アの同期とも合流し、南アのビールやチキンを食べながらお互いの近況を話しました。

 

本当にホテルからの眺めが絶景で、外を見ながらぼんやりと南ア製の赤ワインを飲むのはなんとも素晴らしい体験でした🍷

このためにアフリカへ来たんだーと言っても良いくらい。(良くないか)

 

■クルーガー国立公園へいざ!

4:45にツアーの車がお迎えに来るという事で、まだ真っ暗闇の中起床。

動物たちは暑い日中を避けて、涼しい朝や夕方に活動することが多いためです。

 

朝ごはんはツアー会社が用意してくれて、サンドウィッチやフルーツなどがありました。

けれど、車の中で朝ごはんを食べることはできません。。。

 

それら車の中で食べると、動物たちが臭いで引き寄せられて、危険なことになるかもしれないからです。と、いうわけで、朝8時をすぎるとお腹がぐーぐーしてくるのですが、我慢しなくてはなりません。

 

けど何よりも辛いのは、、、、

 

 

 

 

眠気。

 

 

 

 

10時ごろを過ぎると日もだいぶのぼってきて、気温も上がります。

おまけに程よい車の振動。

知らないうちに爆睡していました。

 

モザンビーク同期と南ア同期の3人で行ったのですが、彼ら曰く、ひたすらずっと私は寝ていたそう。

 

だけど、係りの人が来たぞーーーー!

というと、むくっと起きて2、3枚写真を撮って、また寝る。

 

そんな繰り返しをしてました。

我ながら動物が出た時に起きる力はすごい。笑

ツアー代無駄なのか無駄じゃないかはなんとも言えませんが、午前中はほぼ爆睡で過ごしました笑

 

お昼休憩で1番モザンビーク側入り口から遠いところにある、休憩所へ行きました。

 

■クルーガー国立公園の食事とお土産

まず、1つ言いたいのは、料理がまずい。

これは私の主観かも知れませんが、はじめてこれがイギリス🇬🇧か、、、

と感じました。

 

なんか見た目はゴテゴテに塩胡椒かけたり、ドレッシング?みたいなのかかるのですが、味が喧嘩しているのです。

食べれないほどではないですが、食べることが好きな私にとっては結構苦痛でした。

 

1番美味しいのがファストフードってどういうこと。

日本の様な味の深みがないので、表面的なしょっぱい、からい、で終了します。

というか味付け自体はどれも無駄に濃い。

 

けど味に深みはない。

みなさんも是非試してください笑

やっぱりそう考えるとモザンビークの料理はおいしい。笑

 

 

お土産に関してはさすが南ア。

欲しくなる様な可愛いものがそこそこあります。まずそもそもの選択肢がとても多い。

お土産やさんはお土産であふれています。

 

そんなの普通じゃん、と思うそこのあなた。

モザンビークにはほぼお土産やさんはありません。首都マプトに2、3件あるくらいです。

しかも大していらない様な、伝統布カプラナで作った人形だの、変なキーホルダーとか。

 

 

クルーガー国立公園のお土産は美味しいチョコレートやかわいいエプロン、可愛いポーチや、良さげなキーホルダーやマグネットなどたくさんあります!!

 

僕はちなみにサイの柄のエプロンを買いました。🦏

サイが可愛いというより、色の配色が可愛い。日本にはないかんじ。

 

けどエプロンだから料理の時に使って、汚れるの嫌だなあ。我ながら満足。

 

まあ、当たり前ですがお値段はそれなりにします。けど日本の観光地よりは少し安いのかな。

エプロンは2,000円くらい。

友人が買ったTシャツも2,500円くらい。

 

モザンビークから考えれば高いですが、これも思い出と思えば安い安い!

先輩隊員によると、イギリスから輸入しているチョコレートが激ウマらしいです。

名前はすみません、忘れました。笑

 

 

■午後のクルーガー

午後は暑いので、あまり動物がいません。

それでも木陰で休んでいる動物や、川で涼んでいる動物を見つけたりで、結構な数の動物は見れました。

 

 

BIG5と呼ばれる動物たちは下記ですが、その中の4種類と出会うことができました。

 

⚫︎BIG5の動物

ライオン🦁、サイ🦏、ヒョウ🐆、ゾウ🐘、バッファロー🐃です。

このうち、🦁、🦏、🐘、🐃には出会うことができました!!

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なかでも🐆はクルーガー国立公園の中にも100頭ほどしかいない、スーパー珍しい動物の様でしたので、次に期待かなーと思っています。

 

初代ポケモンで言うとサファリパークでのラッキーな感じですね。ラッキーは1%の確率でしか出会えないし、捕まえるのもクソ難しい。。。

(私は一度もラッキーをゲットしたことはありません)

 

 

■クルーガー国立公園に行ってみて

そうです。

私個人の感想はもう一度行きたい!

と思えるほど、とても良かったです。

 

ただ何が良かったって、雄大な景色が見えるホテルで赤ワインを飲みながら、動物たちを眺めてぼーっとすること。

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バーベキューできたのもとてもよかったです。

次回行く際は、もう少し日程にゆとりを持って、中日をホテルでゆっくりする日にしたいなと感じました。

 

せっかくくつろげる場なのに、朝は早くて忙しいので、夜はゆっくりお酒飲んで喋ったりできないし、なんだかもったいない!

 

また次回は調整員と来ることで、南アの他の都市で買い物したいなと感じました!

クルーガー近くにある都市は大きくてすごいらしい!!

おまけにマクドナルドあるらしい。

行きたいなあ、マクドナルド。

 

絶対行くことはできませんが、南アの首都プレトリアや最大の都市ヨハネスブルクにはアフリカで唯一のスターバックスもあるそう。

 

なんでも日本人にとっては、アフリカに行くのは金銭的にも時間的にもハードルが高いので、のタンブラーってかなりプレミアがあるそう。

 

たくさん買い込んで日本で売りたいなあ。笑

プレトリア行きたい!

プレトリアヨハネスブルクは殺されるで悪名高いからなかなか行けないけど、、、、

 

 

と、言うわけで南ア クルーガー国立公園のお話はここまでー!

クルーガーの質問や、記載してほしいことあれば、どしどし募集しまーす!!

 

では、あて あ ぷろっしまー!

 

 

もざぴ日記20 〜唯一の世界遺産、モザンビーク島に行ってみた〜

明けましておめでとうございます🎍⛩
昨年2月から始まった本ブログですが、一部のコアなファンがついてくださっているようで、今後もできるだけ頻繁に更新をしていきたいと思います。

さて、12/26から職場はもう年末モードとなり、訓練所で仲よかったメンバーで旅行へ行って来ました✈️

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■スケジュール
12/26 1日目
任地リシンガから陸路でクアンバへ
道が未舗装でなかなか大変。8時間。
マラウイ隊員と合流。

12/27 2日目
クアンバから陸路でナンプラへ
ナミビア隊員、タクシーボッタクられるが、私の到着が遅れてしまって、お助けできず。
ナミビア隊員と合流。

12/28 3日目
4人でナンプラからモザンビーク島へ
モザンビーク島で、モザンビーク島隊員と食事。夜は嵐になる。

12/29-30 4日目、5日目
4人で無人島ツアー🌴
天候悪化で、無人島リゾート堪能のはずが、難破船で漂流サバイバル旅となりました。

12/31 6日目
モザンビーク島観光。
博物館、要塞、たくさんのレストランなどをめぐる。
夜はたくさんの爆竹とともに年越し。

1/1 7日目
モザンビーク島からナンプラへ
レストランなど観光スポットはほとんどやっておらず。

1/2 8日目
ナンプラからマプトへ
コスタ デ ソル観光と伝統布カプラナ製品爆買い。プロテイン購入。

1/3 9日目
マプトで下町観光。
マプト中央駅、マプト中央市場、マプトショッピングセンター

1/4 10日目
マラウイ隊員、ナミビア隊員帰国。


そうです、今回モザンビーク唯一の世界遺産モザンビーク島に行って来ました!

おすすめスポットとともに、実施したアクティビティをメインに本記事ではお伝えしていきます。

 

 

■行き方について
モザンビーク島には空港はありません。
そのため、最寄りの都市であるモザンビーク第2の都市ナンプラで降りて、タクシーか乗合バスで移動する必要があります。

 

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赤い印 ➡︎ 任地 リシンガ
星印 ➡︎ 世界遺産 モザンビーク
青印 ➡︎ 首都 マプト


日本からだと、下記のようなパターンでいくことが考えられます。
①成田-香港-ヨハネスブルク(南ア)-ナンプラ
②成田-ドバイ-ヨハネスブルク-ナンプラ
③成田-アディスアベバ(エチオピア)-ヨハネスブルク-ナンプラ

ナンプラからは乗合バスに乗ると4〜5時間ほど、タクシーだと2時間半〜3時間ほどです。

今回はタクシーで行きましたが、約6,500円(4,000メティカイス)ほどかかりました。
乗合バスだと1人500くらいだと思います。

 

 

モザンビーク島の紹介
島はあまり大きくなく、長さ3km、幅200 - 500mです。ほとんどの史跡は島の北端に集中していて、葦で作られた住居で暮らす島民たちのほとんどは、島の南端の住居地域に住んでいます。

島は都市化が進んでおり、キリスト教以外に、モスクやヒンドゥー教寺院なども建てられています。1960年には、本土と島を結ぶ長さ3kmにわたる橋が架けられました。

しかし、この橋!
片側の車線分しか通る道がありませんw
計画性ないな、とか思いますがそのおかげでモザンビーク島の治安が良いそうです。
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それは、悪いことをして大陸側に逃げたとしても、片側車線しかないから逃げるのに時間がかかるため。 良いのか悪いのか。。。


■簡単なモザンビーク島の歴史
16世紀にサン・セバスティアン要塞が建造され、次いで建てられたポルトガルの植民都市モザンビーク島は、ポルトガル領東アフリカの首都となりました。同時に、この島はキリスト教の重要な伝道拠点にもなりました。

1586年末に天正遣欧少年使節一行が日本への帰途天候待ちのため滞在したこともあります。1607年と1608年にはオランダの侵攻にも耐え、インド航路におけるポルトガルの重要な拠点としての地位を保持し続け、黒人奴隷、香辛料、金などの交易が行われていました。

スエズ運河の開通によって、島は衰退に向かった。1898年には首都はモザンビーク本土のロウレンソ・マルケス(現マプト)に移転され、首都ではなくなりました。
(一部wiki参照)

そのため、ポルトガル情緒がかなり残っており、ポルトガル風の町並みや要塞、レストランなどたくさん楽しむことができます。

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おすすめの観光スポットは次のブログに書くとして、ここではどんな日々を過ごしたのかを書いて行きます!

 


▪️アクティビティ
アクティビティに関して、マリンアクティビティや無人島旅行、要塞見学、博物館見学など、多岐にわたって楽しむことができます。

まずはこれ!おすすめアクティビティ
なんと言っても、マリンアクティビティがおすすめです。

桟橋から飛び込み!

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上記にも記述のように、モザンビーク島は住民が北部が観光地、南部が住宅地となっています。
ぱっと見海はとても綺麗なのですが、よく見ると生活用水やトイレを海にだだ流しなので、汚かったりすることもあります。

ですが、博物館近くにある、桟橋はそのような生活用水が流れ込んでおらず、インド洋の透き通ったブルー、真っ白な砂浜を眺めることができます。

かなり高さがあるのですが、桟橋から海へ飛び込むことができます。
私は気候と時間の関係で今回チャレンジできませんでしたが、次回来た時に是非桟橋から飛び込んでみたいと思います。

たくさんのモザンビーク人が飛び込んでいて、とても気持ち良さそうでした。
またこの周りは観光地が密集しているので、桟橋入口付近にはお土産やさんも充実しています。

 


⚫︎無人島旅行
コアな旅が好きな方には是非これ!
値段は一泊で1人7,000円(4,000メティカイス)ほどと安くはありませんが、普段なかなか無人島でサバイバル生活、なんてすることはないと思います。

テントや食事、水やビールなど必要なものは全てスタッフが用意してくれるので、面倒なことは一切ありません。

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ここモザンビーク島では、周りが日本と異なるインド洋の透き通ったブルー。
そんな絶景を眺めながら、焚き火を炊き、美味しい料理を作ってもらい、満天の星空の下テントで寝る、、、、。
なんだか素敵ですよね。そんな体験ができます。


街中を歩いていると至る所で、「今日ボート乗っていかないかい??」と聞いて来ます。
(わりと鬱陶しい)

モザンビーク島から3つほど?無人島に行くことができるのですが、1番メジャーなのがゴア島という、モザンビーク島から40分ほどでいける島です。


私たちもこのゴア島へ一泊二日の旅行をして来ました。
ちなみにこの無人島旅、日帰りも可能なようです。

 


⚫︎無人島旅行に参加してみた
今回旅行へ来ていたメンバー4人で無人島旅行参加してみました。

ちなみにコンディションはわりとわる目。
モザンビーク島に来る前のナンプラで、universo という、ビジネスホテルに宿泊したのですが、ここがなんと。

日本のアパホテルのような感じで、部屋はそこまで広くないながらも、清潔なシーツやエアコン、浴室も付いており、蚊帳はありません!!!

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おまけに朝食バイキングも付いている。
普段途上国生活をしている身としてはこの日本だと普通なこんな環境が、めちゃくちゃ、身に沁みました。
本当に最高でした。

 


そんなわけで調子に乗ってしまったわけです。
1人で久々のお風呂に浸かり、そのままエアコンのついた部屋で裸で寝るという、贅沢なことをしてしまったのです。

慣れないことはするべきではないですね。
見事に風邪をひきました。喉が痛く、鼻水が止まらない。、、

他のメンバーもuniversoで慣れないエアコンを使ったため、部屋が乾燥し風邪をひいてしまったようです。

元気だったのはナミビアわんぱく隊員1人のみ。(彼のみ別のバックパッカーホテルに宿泊)


モザンビークへついた当日が朝からわりとどんよりな曇り空で、夕方から激しいスコールで夜までやまなかったので、なんとなく嫌な感じはしていたのですが、
この無人島旅行へ出かけた日もなんとなくどんよりな曇り空でした。


無人島旅行へ行く場合の集合場所は上記にも記載した、桟橋となります。
そこからボートに乗って無人島を目指します。

いくら天気が悪くてもさすがインド洋。
日本海とは違って黒く荒れ狂う海ではなく、波は意外と穏やかで海も透き通り、海底を見ることができました。
わりと遠浅の海なので、海底がよく見えました。


⚫︎いざ島に上陸!
いざ島へ上陸!!という段階になりましたが、そこに来て天候がやや悪化。

波が高くなり、岩に船を乗り付けたのですが、運動神経が悪いためか1人だけうまく岩に乗れず、手のひらを大きく岩で切ってしまい、海にドボン。

お約束ですね。
昼食ができるまでの間、綺麗なビーチで遊んで来なよ!ということでビーチへ行って来ました。

しかし、4人中3人が体調不良。
ということでわんぱく隊員と私が軽く泳いだだけで、他のメンバーは泳ぐことはありませんでした笑
ビーチで爆睡していましたね。笑

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ちなみにシュノーケリング用のマスクも、スタッフが持って来ているので、ゴーグルなどなくても楽しむことができます。
しかし、シュノーケリングマスクを受け取ることを忘れて遊びに出てしまったので、綺麗な海を見ながら泳ぐこともできず、、、

できれば浮き輪のレンタルもしてくれると楽しいのになあ、なんて思いながら遊んでいました。

わんぱく隊員は自分でゴーグルを持って来ていましたが、早速海の藻屑としてしまったようです。


着いてすぐ、昼食を頼んでいたので、スタッフの方々がトマトカレーを作ってくれました。
担当してくれたのはツアリズムを地元の大学で勉強している男子学生四人組。
非常に気の良い人たちで、我々日本人にも興味を持ち、たくさん話しかけてくれました。

昼食ができるまでの間、ビーチへ行ってそのあとは唯一の無人島内での建物である、灯台に登って来ました。
この灯台
意外と高くて、階段登るのは大変でしたが、近くにある無人島やインド洋の透き通った海、モザンビーク島、モザンビーク本土を見渡すことができてとても綺麗でおすすめです。

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昼食はトマトカレーとココナッツミルクで炊いたご飯、モザンビーク島で取れた魚でした。
このトマトカレー。私の下にはめちゃくちゃ合い、そのあと様々なおしゃれレストランに行きましたがここのカレーが1番大好きでした。笑
魚は白身魚で非常に弾力があり、もちもちしていて美味しかったです。
ただ鱗を取っていなかったので、食べる時少し大変でしたが、、、、笑

問題はこの後からです。

昼食後、泳いで疲れたので、灯台内にスタッフがござを敷いてくれ、その上で夕方くらいまで簡単な仮眠を取っていたのですが、起きたらもう夕暮れ間近。

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せっかく無人島に来たのに、寝ててもったいなかったなあとか思いながら、砂浜でキャンプファイヤーしながら、海をぼーっと眺め、おしゃべりをして夕食を待っていたのですが、、、、、、、

 

ここで急激に天候が悪化。

雨が突然強くなり、風も出て来ました。
とりあえず灯台の中へ避難をし、テントの中に入れていた荷物もほとんど灯台の中へ避難させ、夕食をとりながら早く止むことを祈って待っていました。

夕食も雨が結構降っていたので、なぜかビールなど出してもらえず、また昼食時に何食べたい?と聞かれてシマ(トウモロコシの粉を練った伝統食)が食べたいと行ったのにもかかわらず、希望がなぜか無視され、
ロブスターの丸焼きと、フルーツ盛り合わせだけでて来ました。笑


いやいやビールもないんかい。

しかもこのスタッフたち、水足りなくなったら困ると思って、自分たちでもミネラルウォーターを買っておいたのですが、そのミネラルウォーターも船の上などでゴクゴク飲んでしまって、結構飲み水も少なくなってしまったんです。

なんで自分のもののように、ゴグコグ飲めるんや、、、


夕食を終えた頃からさらに風が強くなり、雷もゴロゴロ⚡️
これはもしかしたら明日帰れないんではないか、という恐怖と食べ物・水がいよいよ足りるかなという不安に苛ませられながら、
みんなでトランプをして遊んでいました🃏


7並べや、いちごさんをしながら島に上陸して以来1番盛り上がりながら、翌日も

「もうこれは無理だ」

ということで帰れなくなる恐怖に怯えながら、固い床の間に着きました。

蚊もいるし、アリもいるし。
ネズミまで目撃したし、いまにもおばけでそうだし。
ほんと不気味だし、4人で寝るようなところではないところに寝てたので、窮屈でした。

 

もちろん無人島なので、当然トイレやシャワーなどの施設があるわけでもなく、この嵐の中わざわざ草むらまでオシッコをするために傘をさして行かなくてはなりません。
おまけにもちろん真っ暗。


おしっこするのも一苦労です。

おまけに夜が更けるにつれて、嵐がひどくなり、雨や風がどんどん灯台内に入ってくる始末。
とても寒くて頭まで雨具をすっぽり被ってなんとか夜を乗り切りましたが、何度もなんどもおきました。

一睡もできないと思っていたので、意外と眠ることができたのですが。
相変わらずわんぱく隊員だけ、すやすやぐーぐー熟睡して来ました。(うらやましい)

 

ちなみにこのわんぱく隊員も夜中寒くなったのか、横を向いて膝を曲げて私が寝ていたらその後ろにぴったりくっついて、夜寝ていたのが面白かったです笑
彼も寒かったんですね。

 

ようやく長かった夜が明けて、朝になりました。
(汝は人狼なりや?)

 

 


朝5時におきても予想通りの大荒れ。

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今日も帰れないんではないかという不安を抱えながら、再度トランプ🃏

 


これが予想以上に盛り上がり。

 

スタッフ:「今波治ってるし、今のうちに帰るぞ」

私:「今トランプで盛り上がってるから、後にして!」

スタッフ:「いやいや、今帰らないとまた荒れることになるぞ」

 

まったく。
このイエローモンキー何言ってんだよ、って感じですね笑


というわけで、朝食を船の上で食べることになり、急遽帰ることとなりました。

 

帰りの船員のお助け要員として、本土からなぜか水が怖く、泳げないらしい謎の1人だけ救助ベスト着けた役立たずの人を連れてきましたが、
無事に帰れることとなりました。

一安心。


ですが、この泳げないらしい船員。

なぜかこの人が船をビーチに引き寄せたり、水が苦手らしいのになぜかそんな水にどっぷり浸かる役割をさせられて。

波がどんどん来るからいつまでも船を引き寄せられないし。なんでこいつにやらせてるんや。

おまけにこの人モザンビーク人の中でもかなり真面目な人と見えて、船の上で「なんで泳げないのに、1人だけライフジャケット着て、来たんだよー」
とかいじったら、少しいじける始末。

まじである意味ツボでした。

 

また波がまだまだかなり高かったので、携帯だけは救おう、ということでジップロック二重にして、さらにスーパーの袋で包むという三重構成にして、海峡横断に臨みました。


結果、何事もなく無事につけて、本当に何よりも良かったです笑
ぜひ、仲間との絆を深めたい方々にはオススメのツアーです!!!笑

 

年始ということで、早速おきてしまったエピソードを今回のブログでご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。


全然話違いますが、私自身の2018年の目標としては、過去に興味ない&時間がなくてできなかった一般常識や趣味の勉強、自己研鑽に励むということを目標に掲げることとしました。

私自身営業をやっており、普通の人が知っているような、ゲームのドラクエや漫画のスラムダンク、ドラマのオレンジデイズなど。

一般常識を知らず苦労したことがたくさんありました。
今後、いろんな方々と会話の幅を広げられるように、教養の増大に励んでいきたいと考えています。


もしみなさんの中で、この勉強をしたほうがいい、このドラマ、漫画を見たほうが良いなど。
オススメありましたら、ぜひ教えて頂きたいと思います。

協力隊には時間は死ぬほどたっぷりあります。
この時間を有意義に過ごしたと言えるような、素晴らしい1年に今年もしていきたいと思います。

今年も何卒、よろしくお願いします。

青年海外協力隊の一年って!? 行くまでの半年、来てから半年の心の動きを大公開

みなさんola~~

いや、お前の心のあたり動きなんて、知らねえよ。とか思わずに。

2017年振り返りのために、ちょっと書いてみました。笑

 

いよいよ年末に差し迫り、同じ職場の先輩が本日活動ラストとなりました。
彼は26日に今いる任地を離れて首都へ、そして1月に日本へ帰るそうです。

僕も日本に帰りたいなあ。


別に大した理由はないのですが。
とりあえずのところ、日本食食べたい、とかはないですが。


友達に会いたいだの、日本できれいな服を着たいだの、寒いのを体験してコートを着たいだの
たぶんこのブログを読んでいる皆さんからすると、そんな理由で!?
っていう要素で日本に帰りたいなあ、なんておもいます笑

 

 

さて、いよいよ年末が迫ってきたということで、ここで一年の振り返り。

 

今年は初めてづくしの1年となりました。
晦日ということもあり、ここで超私事入って来ますが、青年海外協力隊に合格して、退職をすることになった今年の1月からどんな心境だったのか振り返りたいと思います。

本当は合格した8月から振り返りたかったのですが、膨大な量になってしまうので、また別の回にしたいと思います🤓

 

この新鮮な体験の連続で少しでも成長できていればよいのですが、、、

 

 


1月
ほぼ年内に仕事の引継ぎを終えて、ほとんど年始のあいさつ回りにくっついていったり、
ほかの営業の事務処理を手伝ったりしていました。


もうすでに自分の営業としてのお客さんは引き継いでしまった後だったので、やることがありません・・・。


ということで、勝手に新規をやっていたのですが、まさか上司たちも捕まえてくるとは思っていなかったお客さんを捕まえたりしていました(笑)

 

 

また1月下旬にようやく、協力隊へ来ることの一般公開をしました。
といっても、一般公開前にはほぼ全然周りにはいってませんでした。

 

いよいよ告白の時・・・
本当に仲いい人ほど言うのがつらかったことを覚えています。

 


「なんで早くいってくれなかったの」

 


多くの人に責められたのを覚えています。

 

けど、自分の中で抱え込んでいた期間(8月の合格~1月)の苦しみと比較すれば、
責められのはたいしたことではありません。笑

 

スノーボード旅行や温泉旅行など、かなり旅行もしました!思い出作り。
一緒に行った人たちは思い出作りとは知らせずに突き合わせてしまったのですが(笑)

 

 

 

2月
本格的に社内での業務もやることがなくなり、週に2~3回ほど出社する。


どこの名誉会長だよ、みたいな出勤の仕方をしていました。(すみません)


2月に入ると毎日飲み会やお別れ会をしていただき、ありがたいことに毎晩予定がありました。

 

 

体力お化けといわれる私ですが、さすがにこのころは体力と酒のキャパが追い付かなくなり、
お酒を控えめにしたりしていて100%楽しめなかったのが残念です(本音w)

 

そして、個人的にずっと簿記を勉強していたので、2月下旬は簿記の勉強のために、ということで一週間まるまる休ませてもらったり、だいぶ会社にはわがままを聞いてもらいました。

 


そして、、、書面上では3月末での退職だったのですが、3月からJICAの研修が始まるということで、2月末で実質通勤は最後ということになりました。

 

ここで人生初めての体験。「退職」です。

 


退職日最終日はデスクの片づけや人事部への書類手続きの対応、
税金の対応やPCの返却、あいさつまわりなどやること盛沢山でめちゃくちゃ忙しい日でした。


意外と最終日にならないとやれないことって多いんです。効率悪いってのは絶対あるけど。


しかも2月最終日だったこともあって、最後に自分が担当していたお客さんの事務処理などが残っていました。こればっかりは注文書もらってからじゃないとできないですしね、、、


退職するにもかかわらず、新規で発注していただいた高級マンションの某お客様。


本当にありがとうございます。
担当窓口の方がかわいらしい方だったから、もっと担当していたかった・・・

 

 


3月
いよいよ新生活の始まりです。初めての体験。「JICA研修」


まずは、技術補完研修といって、2週間ほど9時から17時まで、提携している社員教育などをしている施設がある、両国へ通っていました。


私はPCインストラクターで派遣されたので、
PCやインターネットについての基礎知識、PCの分解から、プレゼンの練習まで
最終的にはPCの授業を意識した模擬授業まで行いました。

くわしくはこちら

久しぶりの新入社員研修のように、知らないメンバーと研修。
仕事をしているときは新入社員研修をしていた時は楽だなーなんて思っていましたが、
いざ同じことをやってみるとこれはこれで大変でした。

と、いっても、新入社員研修の時はあるいみふわふわ、少しへらへらで受けていた部分もありましたが、
今回は任国へ行った際に全部その知識を生かさなければなりません。
そういった意味で真剣さや重要さは新入社員研修とは比較になりませんでした。


今考えるとたった2週間ほどの短い期間だったのですが、
中身が濃すぎたので毎日8時間ほどしか勉強していませんが、
毎日がとても長く、今考えると後述する派遣前訓練の70日より長かった感じがします(それは言い過ぎ?w)
3月はまだ東京にいたので、最後の追い込みで、合うべき人にあったり、
結婚式に参加したり、任国派遣に向けての買出し第一段をしたりしていました。


そして、三月後半は・・・
卒者旅行というなめた名の旅行・・・
こちらも以前に記事を書いていますが、技術補完研修後、2週間ほどかけて、
関西を巡って会いたい人にあってきました。
神戸、奈良、大阪、京都・・・いつもながら会ってくださった方ありがとうございました。

この関西の友達のうちの一人。
卒業旅行で知り合った人だから、からみとしてはかなーり薄いはずなのに、
そこらへんの大学の友達よりよっぽど仲いいって思ってます笑
年に2回くらい会いに行ってたし。なんか出会いって不思議ですね。

 

 

4月
4月はいよいよ、福島で派遣前訓練スタートです!
ドキドキしながらバスに乗り込んだら、イケメンだしなんかできそうなひとがいる、、、!
うわ、まぶしい。とか思ってたらその人とも同い年で最終的には仲良くなれたので良かったです笑

4月は福島はまだまだ冬。
訓練所に入ったばかりの時は雪がたくさんありました。
どきどきの自己紹介は恋ダンスインパクト爆弾投下しようとしたのに、
音楽がうまく流れないミスがあって、くそみたいな自己紹介で終わったのが結構くやしい笑
あと4月の思い出といえば、ぼくは何事も習得に時間がかかるタイプで
ポルトガル語が神的にできなかったのを思い出します。

習ったことをクラスメイトは要領よくすぐに授業で話したりして
生かしていきますが、僕は全く。
毎日2時間以上勉強しているのに、毎週の小テストでも全く結果が出ずに、
毎週半べそ状態という非常に苦しい一か月でした。

あと意外とこう見えて、コミュ障な性格なので、
生活班や語学が同じ以外の友達もなかなかできず、毎日わりとつらかったです笑

 

 

5月
中間テストも終えて、5月上旬にずっとたのしみにしていた、某福島のテーマパークに東京から友達が7人遊びに来てくれるイベントがありました。


テストの結果が悪くて外出禁止になる恐怖におびえていましたが、、、


何とかクリア。

 


無事に友達と会うことができました。
福島県内から向かっているのに、3時間以上かかったような。


かたや東京から来た、彼らのほうが早く着くっておかしい。笑
東京はすごいですね。

 

 

訓練所生活では、いよいよ楽しみにしていた、所外活動(訓練所の外でボランティア活動)
や野外訓練(キャンプのような野外での訓練)、座禅訓練などがあり、訓練もようやく楽しく過ごせるようになってきました。


最終週には二本松訓練所からも近い名山、安達太良山に上ってきました。
この山は温泉も登山道いくつかにあって、本当によかったなあ。

 

 

 

6月
いよいよ、訓練も終わりに近づき、語学の先生とクラスメイトで訓練所の外へ出かける遠足のようなイベントもありました。


ポルトガル語にずっと自信のなかった僕ですが、この遠足中ずっとポルトガル語を使用しなければなりません。

 

しかし、意外と何とかなるもので、わかる単語を適当につなげながらしゃべっていたらなんだかんだ会話できているのがとてもうれしく、
また出かけた先の施設がとても楽しかったのを覚えています。


東京からわざわざ出かける価値?があるかは疑問ですが、いつも訓練所に閉じ込められているので、自然たくさんのおいしいものが食べれるところに出かけられただけでもとてもリフレッシュになり、楽しかったです。


期末試験は非常にボロボロで、終わった瞬間

 

「あーもう落ちたわ、さいあく。死にたい」

 


な感じで騒ぎまくっていたのを今でも覚えています笑

 

緊張しすぎて、昼食にカレーが出たけど味全然覚えてない。
(プレッシャーによわめ)

 

期末試験後は無事に生活班全員合格できた、ということで、みんなで近くの温泉街の岳温泉に泊まりで出かけたりたくさん思い出を作ることができました。

 

 

訓練中は朝から晩まで予定が詰め込まれており、全くスキがないので忙しい&語学大変、というのが先行していましたが、

終わってみると70日間もあったのに、ぼーっと思考するタイミングがなかったので、
あっという間に終わってしまった夢のようでした。

 

そして6月下旬は最後の特別に会いたい人たちに限定して、
最後の追い込みの会をしていました。笑

 


7月
いよいよ・・・モザンビークへ出発です。
1月に青年海外協力隊モザンビークへいきます、といってから
「え?まだ日本にいるの!?」と、半分いくいく詐欺のような状態となっていましたが、
ようやく来ることができました。

 

モザンビークの最初の印象は、意外とちゃんとしてる。笑

 

 

そうです、アフリカといえども首都は意外とどこもシティーなのです。
まだアフリカはモザンビークの首都マプトとエジプトのカイロしか知りませんが、
ほかの国も発展しており、アフリカ感は感じられないそうです。

 

しかし、治安はアジアとは比較にならない悪さ。
何よりも人種が全く違うので目立ちます。


きっとそんな理由から強盗やスリなどに狙われるのでしょう。
私は今までアジアへの旅行が多かったので、こんなにも人種が違うことで、
差別?なのか、違いを受けることがとても印象的でした。


外国人が歩くだけで、ほぼ100%襲われるという恐ろしい道なんかもありますしね。

 

予想はしていましたが、現地人がしゃべっているポルトガル語は意味不明。
最初の一か月は首都で午前はポルトガル語の授業、午後は専門のチューターがついて、
マプト市内を巡って、現地の文化や一般常識を学ぶ授業がありました。

 

午前中の授業はクラスメイトと比較して、全然聞き取れないし、
午後の授業は広い市内をぐるぐるするので体力的にもきつい。


おまけにホームステイなので、いえでもポルトガル語、しかも食事がいまいち合わない。

 


ということでなかなか苦しい一か月を過ごしました。

今の状態で首都に行くと娯楽がたくさんあり、楽しい場所なのですが、
当時はつらいしかなく、はやく任地へいって一人暮らしをしたいなと考えていました。

 

 

 

8月
いよいよ任地へ配属です。
8月上旬に一か月間授業で学んだことをポルトガル語で発表する機会があるのですが、
訓練所で発表した時よりもスムーズに話せるようになっている気がして、少しうれしかったです。


ですが、配属先で何をさせられるか、ましてや自分の知識や経験に自信がないので
とても行く前は不安でした。おまけに任地はとても寒くて、何もないよ、超田舎だよ、
モザンビーク人10人が10人そのように言う。

しかし実際に来てみると、確かに何もないですが涼しくて、人々も温厚でのんびりしていて、首都より好きになれました。


物価が高いのだけ許せない。笑

 

 

 

9月

協力隊員は3か月ごとに支給の生活費があるのですが、さっそく底をつきました。


ということで非常に非常に毎日が長く感じました。
また任地は標高1,300メートル。

 

空気が薄いからか、毎日配属先へいってただ座っているだけなのにへろへろの毎日でした。

 


そして最後の一週間はとうとう日本円で60円ほどしかなくなってしまい、
毎日5円で買えるパンとスープで暮らすという
中世の貧乏ヨーロッパ人みたいな生活をしていました。

 

この国、国の補助が出る関係でパンだけ安いんです。
あとは日本と同等か、むしろ高い。

 

 

 

10月~12月
10月の半分は首都と観光地イニャンバネへ旅行に行ってたこともありますが、この三か月は非常にあっという間でした。


特に最近の12月。ぼけっとしてたらあっという間に一週間おわります笑

そんなかんじであっという間に2年も終わるんだろうなあ、とか軽く絶望にかられますが、
ポルトガル語。どうすれば上達するんでしょうね。
全然語学力上がってる感じがしません。

20歳の時に中国へ4か月ほど留学していたことがあるのですが、

 

その時はまるまる1か月がまるで何を言っているかわからない、
2か月後から徐々に何を言ってるかわかるようになる
そして4か月のころには日常生活には困らない語学力がありました。

 

 

やはり、毎日授業があって、中国語のシャワーだった、
毎日誰かと中国語で会話するようにしていた、わからない単語はその場ですぐに調べるなど
今にはない、若さと素直さがあったからでしょうか。笑

 

今はせっかくモザンビーク人に話しかけられても、意識しないうちにで、右から左に流してしまって聞いているようで
聴いていないことがあったり、わからないことがあっても、
まあいいや、というよくない癖がついてしまったりしました。

 

しかし、毎日何もないながらも、ポルトガル語アルプスの少女ハイジにはまったり、
日本の昔のドラマの続平成夫婦茶碗をみて、涙活するなど、
余暇を充実させられてきて?おり、暇すぎて死ぬってことはなくなってきました。

 

他の人より活動を充実させられないぶん、語学を頑張ることにしました。

語学という基本ができれば、きっと今は活動の方向が見えなくてもきっと開けてる来るはず、、、ということを信じて。

 

他の人が活動で忙しくて勉強できない時間を勉強して、目にものを見せてやる。🤓

 

 

家にいればお金もかからないですからね。

 

今後は勉強とは別に。

少年時代にあまり漫画やドラマを見なかった人間なので、帰国後一般常識いついていけるように一般の人が見てきた、
ドラゴンボールスラムダンク、ワンピースやナルトなんかを読んでみようかなって思っています。

 

帰国後に一般常識ついていけるようにしないと。

 

こんなこと暇な時にしかできないですからね。
人生の中での自分磨きタイムの二年間って思っています。

 

今年1番の収穫は何よりも。

素敵な新しい出会いと、今まで気づけなかった身近な深い愛です。

とてもそんな人たちに支えられた、濃厚な一年にできたことに感謝です。

 

周りの皆さんありがとうございます😊

元同期の皆さん、ナミビアのあなたもね🇳🇦

 

 

というわけで2018年はより実りのある、自己磨きの一年にしたいと思います。

みなさんからこんなことを勉強しておけばいいよ、などアドバイスありましたらどしどし募集しています!

 

 

それでは、日本は残り6時間を切りましたが、みなさま良いお年をお過ごしください^_^

 

ぼん ふぃん どぅ あの!

では、また来年〜!!!

もざぴ日記19 〜モザンビークはいつでも戦闘〜

ふぇりーずなたーる🎅

クリスマスでしたね!


街並みもきらきら輝きだし、カップルたちも輝き始めていたところでしょうか。

周りにいた友人がみんな恋人を作ってしまったのでうれしいような寂しいようなそんな気持ちで複雑です笑


きっと恋人と一緒に過ごすクリスマスは素敵なことでしょう(棒読み)

 

 

さて、以前の記事も書きましたが、私の住んでいる地域はイスラム教徒が大半を占めているため、クリスマスを祝っている雰囲気は全然感じられません。


しかし、ごく一部にキリスト教徒がいるため、
キリスト教徒のお店(首都近郊出身者やポルトガル人など)にはクリスマスの装いとなっています。


なぜか、キリスト教徒のほうがイスラム教徒よりも所得が高いんですよね・・・
なぜでしょう。。

 

 

と、いうわけで、ごく弱タウン、リシンガですが。

ほんの少しですがそういったごく一部の富裕層向けにクリスマスグッズがリシンガで一番大きいスーパーに並びます。
いうて、規模は小さいですが。 

 

そこでクリスマスグッズを少しですが購入し、我が家をデコレーションしてみました。

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ちなみに一人暮らしなので、誰かに見せる予定もパーティーする予定もありません。

 


これをリア充とみるか、寂しいとみるかはあなた次第ですが、
私はそこそこ満たされています。笑

 

 


さて、本日は先日我が家から水が盗まれた話をしたいと思います。


まず前提条件として、住んでいる田舎では停電が多発します。特に雨期に入ってきて、以前よりもかなり頻度は増えました。


以前が月に1~2回ほどだったのが、最近週に1回以上はある感じです。
乾季の時も計画停電(月に一度、日曜の朝~17:00まで)はありましたが、最近は夜間も停電して、夜は真っ暗になってしまってシャワーが浴びれなかったりします。


さて、ここで一番問題となるのが、水です。
まず基本として水道は2日に1回しか出ません。

 


そのため、水の出る日にばけつなどに水をためて置き、出ない日にはバケツからくんで使用します。そのため、途上国では(?)とにかくモザンビークではバケツは必須用品です。

我が家にもたらい含めて4つあります。
めんどくさいでしょう。


ですが、恵まれていることに我が家には水のタンクと電気ポンプがあり、たぶん100リットルくらい?ためることができるので、
水が使えない日も、何事もないように水道から水が出て使うことができます。
(そのおかげで電気の光熱費もほかの人より高いのですが・・・)

 

電気が使えない日は我が家はもちろん電気ポンプで水を汲んでいるので、水が使用できなくなります。
(裏庭にある水タンク直接つながている蛇口だけ出る)


そしてほかの家でも電気が切れている家は水道局からの水を送るポンプが動かなくなるのか、
同じく水が出なくなることが多いです。

 

 

ということでなのか、、、、!

 

先日、我が家に水のタンクがあるために隣人が水を盗みに来たのです。

 

まさに現行犯。

 

こんな白昼堂々壁を乗り越えて来ますか、という度胸には拍手喝さいしたいところ。

それどころではありません。怒り心頭💢


現行犯ということで、いつもは直接交渉しに行くのは怖くてビビっていましたが、
思い切ってぶちぎれてみました(笑)

 

 

 

その時の会話を再現。

 

私 :(なんか水がジョロジョロ出てる音がする、、、もしや。)

急いで庭を見ると人影が。

 

私:「何してるんだよ、これうちの水ですよ!?」

 

隣人:「しょうがないじゃん、今日停電だもん。」

 

この開き直り方にイラっとする。

 

私:「水料金に毎月高額払ってんだぞ、ふざけんなこらあ。」

(フザケンナコラア、は単語知らないから心の中)

 

隣人:「シャワー浴びたいし、仕方ないやん」

 

 

なんなんでしょう。このやりとり。

困った時は助けられる周りの人が助けることが普通の文化なのか、もはや自分の水と思っているのか、、、、

 

私:「ふざけんな。水とるの禁止。使いたいなら金払え!!!」

 

こういったやりとりをしていたところ、隣人の別の家族が登場しました。

おそらく今までやりとりしていた隣人(ばーさん)の娘の人。

 

隣人2:「ごめんなさい、いくら払えばいいの?」

 

 

こう素直に言われてしまうと。なんかこっちがすみませんとなってしまう日本人。。

 

 

私:(とりあえず普段の水道料金を請求しよう)

「300メティカイス(500円)はらって!」

 

隣人:「毎日とってるわけじゃないから、200(350円)!」

 

謎の値下げ交渉会。

 

まあけどお金がもらえるだけで満足なので、このお金で落ち着きました。

 

 

まったく。

日本人では、停電にシャワー浴びれない、、、

だったら不快でいやだけど、我慢して明日浴びよう、とか普通ですよね。

 

というわけで日々にちょこっとした小競り合いでした。モザンビークカルチャーショックを味わう1日となりました。

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もざぴ日記18 ~お手伝いさんを雇ってみた~

Olá ~~
もうすぐクリスマスというのに、モザンビークは雨期に突入して、
毎日どっとスコールのような雨が降ります。
日本のように一日中ふるわけではないので、天候でテンションが変動しやすい私にとっては今のところ日本ほどは影響がないです。

(いい歳なのにそれもどうなのか)

 


さて、今日はお手伝いさんの話をしたいと思います。
割と今日は短めなので、いつも長い話でうっとうしく思ってた人は安心してください(笑)

 

お手伝いさんをお願いするメリット

先日簡単にブログにも書いた通り、先月からお手伝いさんをお願いしています。

メリット・デメリットはありますが、これもモザンビークへ来たし、一つ試してみることかな、と思いお願いしてみました。

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〈解消されること〉

・洗濯機がなく、手洗いなので激しく体力を浪費する ←これが一番メイン
・一人暮らしが初めてで、すべての家事が慣れない
・掃除機他家電がなく、ほうき履きとモップ掛けも大変
・乾季のころは砂の量が異常

モザンビークの一般的なこと知っている
ポルトガル語を話す練習


結局は怠惰のためお願いすることにしました⚡


賛否両論あると思いますが、地元経済に貢献できてるし、活動に集中できるのであれば、とりあえずのところよいのかな、と思っています。

 

洗濯・掃除をしなきゃいけない・・・けど疲れて動けないっていう精神的圧迫がなくなったので、今はとても気持ちが楽です。

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※人の家のフルーツを勝手に食べまくってるシーン

 

気になる月々の給料は週に2回来てもらって、月に1,000円ほど払っています。

こちらの公務員の一般給料でも平均月給が5,000円?とか前に聞いたので、
週に2回、しかも一回2時間ほどで終わるということを考えるとまあ悪くない金額なのかなって思います。

 

私は毎月とてつもなく金欠で困窮しているので、月々1,000円でもなかなか痛いですが、、、、

(僻地すぎて、リシンガの物価が高すぎる。)


外食の回数を週に1回以下にすることでなんとか頑張っています。。。楽しみはこれでほぼなくなりましたが。

 

お手伝いさんをお願いするデメリット

さて、お手伝いさんを途上国で一番心配するべきことといえば、盗難です。
大体お手伝いさんをお願いするのは活動に行っている時間帯が多いので、
家のかぎをお手伝いさんに預けて、家に誰もいない状態のところを掃除してもらう人が多いです。

 

しかし、当然のことながら私たち日本人と現地モザンビーク人のお手伝いさんの間には大きな経済格差があるわけで。


先輩隊員でお手伝いさんをお願いしている人でも、お金を含む金目の物(携帯電話や腕時計など)を盗まれたという人はいるようです。


知り合いの先輩隊員も携帯と腕時計を盗まれて、「とったでしょ?」と問い詰めたら
返してくれた、なんてこともあるみたいです。

まだそれはいい人だったんだなアという感じです。

 

 

一番質が悪いのは外部の強盗と組んでいるときです。

 

これは割と首都などで多い犯行なのですが、
特にモザンビークでは、首都だと治安が悪いので、お手伝いさんと合わせてガードマンを雇うことなどが多いです。

 

そして最悪パターンは、ガードマンとお手伝いさんがグルになって、強盗と金目の物を根こそぎとっていくのです。

 


ガードマンやお手伝いさんであれば、住人の大体のタイムスケジュールや、旅行で不在にするタイミングなどを容易に知ることができます。

 

更に鍵もあずかっている場合が多く、家の内部構造も熟知していることが多いです。

 

 

そう、不在の時に外部の強盗と一緒になって、根こそぎ盗んでいく・・・
そんなこともあるようです。おそろしいですね。

 

ということで、特に家政婦さんを雇うときは
働きたい人はいくらでもその辺にいるのですが(むしろ私を家政婦として働かせてくれって見ず知らずの人に道で言われたりする)


信用のある人か、そのつてなどでお願いすることが必須となります。

 

僕の場合はたまたま近くに日本人の先輩隊員が住んでおり、その人がもうすぐで帰国するので、その先輩の家で働いている家政婦さんにお願いすることにしました。


先輩曰く、そのお手伝いさんは働き者でとてもきれいにするし、ものをとられたことはなく、おつかいを頼んでもぼったくるという私の職場の同僚のような卑劣なことはしないようです。笑

 


しかし・・・
先輩が帰国した後も大家がその家に帰ってくるとのことで、お手伝いさんをずっと我が家につきっきりというわけにはいかないようです。

 

そのため我が家を週2回(火・金)にしてもらい、もともとの先輩宅を週4(月・水・木・土)にしてもらっていたのですが、
最近雨期が始まり、大雨で出勤できないからなのか、来て欲しいお手伝いさんじゃない人が最近やってきます。

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もちろんその代わりに来る人は、全く知らない人ではなくて、いつもそのお手伝いさんのサブみたいな感じで働いている人なのですが。


まあこの人は一人だと働きがいまいちなのです。

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※この勝手にフルーツ食べてるやつがサブ。

 

メインの人と一緒にいるときはちょっとサボったりしてると「おまえちゃんとやれ」ってことでやらされてるのを何回か見たことあるのですが、
彼女一人で来ると、なんだか掃き掃除も雑だし、皿洗いはなんとなくぬるぬるするし、
トイレ磨きとバスタブ磨きはやってくれないし、、、といろいろ漏れが出てくるわけです。

 

 

そういうわけで、いつも8時にお手伝いさんが来るのですが、
サブの人が1人で来たら、9時までの1時間だけいつもおしゃべりがてら、ちゃんと働いているか見張っていますwww

 

けど、ダメだしとか注文をあまりにもしすぎるとすぐに忘れちゃうので、毎回3つずつと決めて忍耐強く教えています笑

 

洗濯物の干し方とか、ほうきのはきかたとか・・・
小うるさい姑かという。笑


なんでぬれたバスタオルの上にTシャツを重ねて干したりするのかマジで謎だwww
本人曰く、いつかは乾く・・・そら乾くでしょうよ。いつかは。

 


けど、このお手伝いさんおそらくモザンビーク人としてはちゃんとしている人だと思うのです。


ちゃんと言ったことはふてくされずに素直に聞くし(職場の同僚はプライドが高いからかすぐふてくされる)


今のところサボったりした日などもありません。お願いしている内容を一部サボることはよくあるけど。

 

と、いうわけで一つずつ気になるところを少しずつ教えて、うまくでいたらほめる、という。なんともいえない、

なんだか上司になったような親になったような。けどほめるってむずかしいですよね。


日本人からするとちょっとこっぱずかしい。けど、これも自分の教える力になるだろうし、
彼女が将来外国人の下で働くうえでもきっと、こういう気づかいって大事だと思うんです。


こういう気づかいから、より良い主人のところで働けて、将来的にお金を稼げるようになればいいなあなんて妄想と、小言をいう自分への慰めにしています。

現に今回のお手伝いさんも先輩の評判が良いってことで、お願いしたわけだし。

 

 

うるせえ日本人、って思われてないといいな♡

 

 

そういえば、お手伝いさんはいつもメインお手伝いさんの子供(赤ちゃんが二人いる)
をメインお手伝いさんとサブお手伝いさんで一人ずつ分けて、
家事をしながら子守をしているのですが、
今日はパンをよだれ垂らしながら食べたりちぎってたりしてて、
9時に今日家出るときは掃き掃除終わった後だったのに余計に汚れていたな。。。
これから帰宅しますが、ちゃんときれいになっていることを望みます。笑

 

子供は可愛いから良いんですけどね。

よだれまみれな床は、、、、。

では、あて あ ぷろっしま〜!

もざぴ日記17 ~モザンビーク田舎のナイトクラブに潜入してみた~

Olá!もうすぐでクリスマスですね。

ポルトガル語でメリークリスマスを ふぇりーず なたーる! といいます! Feliz natal!

 

こちらモザンビークは、まったく寒くないし、街中のデコレーションは皆無だし、クリスマスツリー飾っている家ほぼありません。(私の家の近くに一軒のみあった)

個人的にはコートとか、冬の装いが好きなので(デブ隠せるし)

コートが恋しいなあ、とおもう最近です。

 

先日、モザンビークのナイトクラブに潜入してきました。
ちなみにモザンビーク発展途上国といえども、ナイトクラブは存在します。

 

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ポルトガル語で ディスコテーカ といいます。

 

 

暮らしている街 二アサ州リシンガ

暮らしている場所といいますと、モザンビークの二アサ州リシンガ市です。
いくら州都とはいえ、モザンビーク内の州都で最弱です。

 

公共交通機関なし、外人が行けるような酒のあるおしゃレストランは3つだけ。
大規模なスーパーはなし、どこにでもある中華レストランはない。
肉は自分で骨と肉を分解して、皮と毛を自分ではいで、臭みをとるために塩水につけなきゃいけない(加工肉がない) 野蛮か


など弱小ポイントはいくらでもあります。

 

ただし州都なので、無駄に銀行とかはあります(便利だけど)
ほかの州都は港沿いやほかの大都市に近かったりするんですけど、
リシンガだけなぜか山の上にあって、他の都市にアクセスするのも、
電車で2日がかりだったりします。(一番近い同期隊員の都市まで)


日本でいうと、沖縄の那覇に首都があって、
リシンガは北海道の網走市根室市適な感じかなって思ってます。
外れてる感はまさにそんな感じです。(網走と根室の方すみません)
けどそんな場所なのにちゃんとクラブがあることにちょっと感動を覚えました(笑)

 

 

モザンビーク田舎のナイトクラブ

そもそもなんで今回クラブ行くことになったかといいますと、、、
職場の同僚とある大雨の日、家に帰れなくなって職場でおしゃべりをしていました。
こんな会話から行くこととなりました。


同僚:「おまえ、日本製のいいゴムは持ってきたのか?(急)」
私 :「もちろん」
同僚:「モザンビークに来て使用したのか」

(もちろん使用する機会も人もいない・・・)
私 :「・・・・・。」
同僚:「そのゴム使わないともったいないだろう」
私 :(もったいない、という意味がわからない)

同僚:「今度の土曜日、クラブのイベントがあるけどいかない?かわいい女の子いっぱいいるぞ♡」
私 :「(特に何も考えず)いくいくー!」

 

という謎の流れで今回のクラブに行くことが決定しました。
( ,,`・ω・´)ンンン? なんだかなあ 

私自身ナイトクラブは好きなわけではなく、(ダンスやロック音楽が苦手)
今回の記事として紹介するため、好奇心、同僚との交流という3つの目的のために行きました。

 

行く直前まで詳細が不明

しかーし。そこはモザンビーク人。
誘ってきたはいいけど、その後詳細な連絡がありません。

前日の会話もこんな感じ。

 

同僚:「明日ディスコテーカね!チャオ!あてあまにゃー(また明日)」
私 :「いやいやいや!明日何時にどこ??」←店の場所も知らない
同僚:「・・・・」
同僚:「お前の電話番号教えろ」

 

というわけで、電話番号だけ交換して終了。
マジ適当だなーとか思いつつ、私も適当なので、まあなんとかなるか、てきな
軽いノリでいました。

 

迎えが来ない

当日。

午前中は健康のためのランニングをしたり(そのためにわざわざランニングウォッチ購入)
家事をしたり、先輩にカレーを食べさせてもらったりと、

わりかし充実した半日を過ごし。

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ちょっと疲れたので、夕方過ぎ(17:30くらい)までお昼寝していました。

後から考えるとこれからの長い一日に備えるためにこの昼寝本当に良かったなあと。

 

 

リシンガというモザンビークいちの地方都市に住んでいるわけで、
21時過ぎると歩いている人ほとんどいません。

だから19時とかに行って、22時とかに終わるだろうと甘い考えでいました。
まあそもそも論、クラブのくせに22時とかで終わるわけないですよねwww

 


来るのかな、来ないのかな。とか思いながら、時間の約束は破りまくりのモザンビーク人ですが、ばっくれたりするなどの、ドタキャンはほぼありません。


そういうところは日本人よりまし・・・?

けど、唯一家のことをお世話してくれる事務の同僚が約束破りまくるから、
あいつだけは許せない。ほんとクソ。

 


ドタキャンはほぼないので、ちゃんと髪型を整えて、
服もそれなりのものを着て、準備を整えていました。

 

 

19時

20時・・・

21時・・・・・・

 

 

 

同僚からは何の音沙汰もありません。


元々、クラブが大好きでめっちゃ行きたい!というわけではなく、興味だけで行こうとしていたので、まあ来ないなら来ないでいいか、ということで(受け身スタイル)


連絡もせずに、21時過ぎた時点でもう来ないものと思い、あきらめていました。

 

酒のむ気でいたし、もう家で飲んでしまえ!と思って
ナミビアにいる同期隊員と電話しながら二人で赤ワインを飲んでました。

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お酒は好きだけど、めったに家で一人では飲まないのです。
やっぱ酒は好きな人と飲むから楽しい。

 

 


半分以上一人であけた、22:30頃・・・

 

同僚:「ぼあのいちー!」

 

 

家の外から声が聞こえるような・・・

一瞬動きを止める・・・・おびえ

(ひい、本当に来た・・・)

 

いやいや、ぼあのいちじゃねえよ、何時だと思ってんだよ、とか思いましたが

やっぱり一般的なクラブの時間を考えたら普通の時間ですよね。はい
慌てて支度を整えて出発。

 

いざ、ナイトクラブへ

クラブは家の本当そばにあり、車で5分です。


最初はバーで飲んでから行くとのことだったので、トタン屋根のとても開放的なテラス(笑)のバーで飲みました。

 

 

ワインを一人で半分以上開けてしまったし、ここは標高1,300メートル。
おまけにリシンガはイスラム教徒が多いので、お酒を売っている場所も非常に限られており、普段はほぼ全くお酒を飲みません。

 

そんなわけでなんかお酒回ってきてやばそうな気がしたので、

ちょっとセーブ気味に飲みました。ビールもったいない。

 


バーでは同僚の友達なのか、ただノリが良すぎてその場で友達になった人なのか知りませんが、謎の若者集団にあいさつして、おしゃべり。


けど昔の留学時代みたいに積極的に言葉を聞きとろうとしないで、気づいたら会話からぬけてぼーっとしてる。
よくないですよね。。。


なんか社会人時代で(?)、言葉を右から左に流す技を身に着けてしまったらしく、
自分でも知らない間に会話から脱落。

 

きづいたらぼけっとしてる。
僕は公園でぼけっとしてる、ぼけ老人か


12時過ぎになって、ようやくクラブへ移動しようってなりました。
だいぶバーにいたなあ。

 

クラブの見た目はそこそこいい感じで頑張っていて、サーチライト?で怪しくムーディーに照らしていたり、布とかでいい感じにデコレーションしてあったりしました。
入場料は400メティカイスでした。(約700円)

 

いつも野菜を買いに行くマーケットのすぐ隣にあるのですが、これがいつも通ってる昼間の道とは見違えるほどムーディーになっていて本当にびっくり。
人間やればできるんだなあ。

 

リシンガにはクラブの施設?が3つほどあるらしいのですが、
どこも常設クラブではないらしく、この日はリシンガいや二アサ州全体から人集まってきたんじゃないかくらい車と若者たちがいました。こんなに二アサに人いたんや。。

 

イラリハット

バーで飲んでいたビールを持ってクラブ入場しようとしたところ
警備の人に持ち込み禁止ととめられました。

まあ、当然ですよね。クラブの中でお酒を買うことは常識っちゃ常識。
けど、ちゃんと取り締まっていること感動しました。意外とちゃんとしてる!w


けど、同僚はなぞの警備員の抗議。
いやいやクラブってそういうものやろう。と思っていたら・・・


同僚「よし、服の下にしまいこめ!」

 

いやいや、警備の人目の前に、それやってもばれるでしょう笑
しかもあきらかもっこりしてるし。

もちろんのこと警備員に入場断られたので、ビールを飲み干してから入場することにしました。(当然)


ところが、同僚が目を付けたらしい女の子2人組がチケット売り場のところで
そわそわ?していました。

嫌な予感がするなとか思いながら同僚が話しかけていました。

 

 

予想的中。

 

 

チケット代がなくて入れないらしいのです。
いやいやいやそこまでしてクラブにくんなよ、と声を大にして言いたいですが、

そこからがいらっとポイントです。
予想してたけど。

 

同僚「よし、おまえ(私のこと)100メチ(200円)だせ」

 


いやいやいやいやいやいや。まじでおかしい。


おまえが目をつけてるんだからてめえが払えよとか思い、ちょっと不満そうにちょっと払うのをしぶってましたが、聞き取れなかったけどなんかいろいろ小言をいわれ。

 

仕方なく出しました。


あーあ、こういうのがよくないなあ。
金額どうこうではなく、なんかこういう日本人は金持ってるスタンスが腹立つ。

 

まあお迎えからバーの中でもいろいろ気を使って話しかけてくれたり、
職場でも、なかなかしゃべる機会がすくなくポルトガル語が上達しない僕に積極的に話しかけてくれる人だし・・・・・・・・・・・・(必死に正当化するw)


そもそもその前のバーでビール全おごりだったので、なんか反論しにくかったのです。

結構JICAボランティアで現地人におごってあげるのとか多いらしい。

じゃないと飲む機会あんまりなさそうだもんな。

 

いくら同僚にバーでビールおごってもらったといっても、
絶対あのおんぼろ掘っ建て小屋バーの値段、クソやすいだろ、とか思うけど

正当化した理由で何とか自分を丸め込めました。

 

ナイトクラブの中の様子

中に入ると意外と普通の雰囲気のクラブ。
クロークとかはありません。

 

天井に卵パックが張り付けてデコレーションしてあったり、クラブというよりはただの大きい部屋っていうのを除けば
ちゃんと小さいけどラッパー用?DJ用?のステージはあったし、ミラーボールやバーカウンターなんかもありました。

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服装もやっぱり今まで行ったことあるクラブとかに比べると、
みんな普段着感でした。もちろんパリピ系の服の人もいましたけど。
こんなのリシンガ人どこで買ってるんや。。。

 

雰囲気もすごいみんなで「もりあがってるか!?」「うえぇーーーい!」
みたいな感じではなく、踊りたい人は中央の舞台のそばで体を動かし、
部屋のわきや後方の入り口近くではしっぽりおしゃべりしながら立ち飲みしてるみたいな感じでした。
メイン立ち飲み?

 

すこーしだけ白人のおじさんおばさんたちもいて、踊っていました。
たのしいのかねえ、あの年で。あの人たち。(失礼)
リシンガによくいる金持ち層であるインド人たちはあんまり見かけませんでした。

 

意外とモザンビーク人の盛り上がりも2時3時とかになってくると落ち着いてきて、

まあなんとなく音楽に合わせて踊ってるけど、
白熱熱狂って感じではありませんでした。。。さすがに疲れたのかな、、、

(それかもともと白熱踊り狂う感じではない?)

 

 

とか思ってみてたら3時頃に、VIPみたく頭から布を被ったなんか謎の二人組が

SPみたいな人たちとステージのほうへ。


なんと首都から有名人がはるばる網走リシンガまで来たようです。

金かけてるなあ。


それからの熱狂は復活。

 

 

興奮しすぎて、一般のモザンビーク人がステージに3人ほど登って、有名人に抱き着くという
日本だと追放されそうな事態が起きてましたwww

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さすがに警備員に引き離されてたけど。
スターのモザンビーク人も嫌そうな顔してましたね。

 

そのあと、一般の人たちなのか、クラブの人たちなのかよくわかりませんが、
舞台下の中央部分で4~5人くらいがお得意の卑猥な動きをするダンスをしだして、

それもまわり含めてすごい盛り上がってました。

 

やはり、エロは世界を救う

 

私自身は全然踊りに興味ないので(笑)

(だるいなあ、何時に終わるのかなあ)
なんてそんなことばかり考えていました。


4時過ぎになって、「5時に終わる」とは言われてたけど、
本当に5時で終わるかも謎だし、なんか部屋のなかめっちゃあついし
あつくて一時間も待つのが耐えられなくなって、(なんかきれそうになってきた)

一人で先に帰ることにしました。(自己中)

 

同僚が心配してタクシーで家まで送ってくれる、と送迎してくれたのですが、
いやいやタクシーで5分の距離だぞえ
まじでいらないww

 

しかも同僚はクラブに戻るから戻る分含めた往復のタクシー料金請求されたし。

今月は今週末にマラウイ湖のコテージいったり、年末モザンビーク世界遺産の島に行ったり、マジで死ぬほど金欠なのに!!!!!

 

キーーーーーーーーーーー


そういえば早くも年末ですね。
まだ今年一年振り返るのは早い気もしますが、振り返るのを忘れそうなので、
次回あたりのブログで振り返ってみたいと思います。

 

小ネタ 男同士で手をつなぐ!?

そういえば、小ネタですが、モザンビーク人は男同士でも手をつなぎます。

日本じゃなかなか考えられないですよね。

よく見るのは、老人と介護する?若い男の人同士ですが、若い男の人同士でもそこそこいます。

 

上海にいた時に女性同士ならそういうのは見たことあったのですが、男性同士の手つなぎを最初に見た時に、びっくりしすぎて凝視してしまいました笑

けど、日本の時自分とこの人友達かな~とか思うことは多々あったので、親友とかの証に手をつなぐってのはありなのかなーとか思ったりしました。

実際に肩くんだりとかスキンシップとってたら、精神的にも友人関係が親密になるって感じもしますし。

 

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けどこの写真の二人は結構ガッツリつないでいるような・・・(^_-)-☆

 

では、あて あ ぷろっしま~