国際見本市に行ってみた ~もざぴ日記44〜
ありんでぃら うでぃ~~
最近は現地語特集です。これは「こんにちは」って意味です。
関係ないですが、最近甘いものを欲するようになりました。ケーキと言う名の変な揚げパンしかないので、我慢してそれ食べてますが、美味しいクリームがついたケーキが食べたい!!!
(あるにはあるけどクソ高い)
そういえば、甘いもの食べると性欲おちるそうですね。笑
国際見本市に行ってみた
先日マダガスカルから帰った時に首都マプトで国際見本市が開かれていたので行ってみました。
知らなかったんですけど、毎年8月らへんにやっているらしいです。
場所はマプトの市街地から少し離れた場所で、隊員が行くには、シャパ(公共のきたねえ、客すし詰めのハイエース改造車)を乗り換えていかなきゃいけないし、
バス停からも結構歩くのでとっても行きにくいばしょです。
僕は幸運にもマプトで働いている企業の方に誘われて、ロケ車のようなちゃんとした(なぞに迎え合わせの席)の車で行ったのでめちゃくちゃ快適に行けました。
おまけに今マプトは道路をとてもきれいにしているので、ガタガタすることもなくめちゃくちゃ快適でした。
快適すぎて帰りは爆睡。歩きすぎて疲れたからですが。
見本市の内容
さて、肝心の見本市の中身ですが、
万博のようにいろんな国がブースを出して、商品だかよくわからないものを展示してました。その辺は日本の国際展示場でやってるような感じと同じ感じなのかな。
ただ、出店している国に偏りがありすぎて笑いました。
なぞに南アのブースがかなりあって、ポルトガルブースもそこそこ広かったです。
やはり南部アフリカは南アの植民地影響力が強いですね。
ポルトガルがかつての宗主国だから気合を入れてって事なのでしょう。
同じポルトガル語ですしね。
そういえばブラジルのブースはあったかな・・・
あとはモザンビーク各地域の物産展てきなものもありました。
僕が住んでいる二アサ州のブースがほかの州のブース以上にやる気がないし、展示するものもなかった?とかで全然人がいませんでした。
お店のひともやる気なかったですし。w
なぞにへんなイモとか展示してありました。
どこか忘れたけど他の州のブース
謎のモザンビーク=リゾート推しブース
やばいでしょ、この人形。
もはやブースで1番地味?なニアサ州ブース
ブースだけあって人も商品も何もない謎の空っぽブースもあったので、それに比べればマシなのかな。ニアサ。。。
ここにはJICAボランティアが所属している配属先も出店をしていました。彼らは環境衛生隊員で、ゴミ処理場やゴミに関する衛生関係を担当している市役所の部署のところで店番をやらされていました。
なんか前日は「準備」という名で駆り出されたようなのですが、机とか椅子を搬入する業者がずっと来るはずだったのに来なく、丸一日を全く何もしないでボケーと過ごしたらしいです。
彼らに言わせるとボランティアに来て以来一番不毛な一日だったそう。笑
結局業者は真夜中?にやってきた設営していたらしく、本格的な準備は当日の朝に慌ててやったらしいです。さすがモザンビーク。笑
お昼はバイキングで少しお高めの感じだったのですが、モザンビーク料理があまり好きではない僕にとってわりかし不満でした。w
会場の中心部分にはステージがあり、ちょいちょい催し物とかしていたようですが、それはちゃんとみていないので、わかりません。
この日は関係者の周りの人しか入れないプレオープン?的な日だったので、
チケットブースにもあまり人がおらず、なんかモザンビーク人の有名人なのかモデルなのかわかりませんが10頭身くらいの意味不明のめちゃくちゃ素晴らしい体形をした女子などもいました。
そういえば言いそびれましたが、チケットブースはあるにはあるものの。
外からおそらく子供が侵入できちゃうような環境なんです。笑
モザンビーク島200周年のお祭りの時もそうでしたが、おなかをすかせた子供たちが(服装モボロボロだし、きたないからすぐわかる)余った食べ物やスリ?をするためにうろついていました。
たしかに富裕層や外国人ばかり終結するようなこんなイベント彼らにとって、またとない食事のおこぼれやスリをするチャンスですよね。
わりと気を抜きまくっていましたが、目の色が違う彼らをみて、気が引き締まった次第です。笑
おまけですが、
日本もブースを出しており、企業の方が作っている製品や大使館の人が日本のおもちゃや折り紙を展示していました。
JICAもそのなかにブースがあり、先輩隊員が現地の人と作った巾着やせっけんもありました~
そのブースの周りに日本人以外の人はいなかったように思えたけど・・・・笑
描きたいことをはちゃめちゃに書く、いつも以上に乱文ですみません。
ではでは。
あて あ ぷろっしまー
選挙に熱心なモザンビーク ~もざぴ日記43~
あでぃもいしぇー おうでぃ!
リシンガの現地語で「おはよう」って意味です。
ポルトガル語ではありません。笑
新たなリシンガの名物
最近、リシンガは春になってジャカランダが咲き誇っていて、とてもきれいです。
普段から気候に関してアフリカらしくない涼しい気候で好きなのですが、今の時期は1年の中で一番すごいしやすいし、ジャカランダというアフリカでいう桜ポジションのようなきれいな花が咲き誇っているので、ただ歩いているだけでとても気持ちがいいです。
ジャカランダはアフリカの中でも涼しい場所でしか咲かないようで、
南アフリカやオーストラリアで有名なのかな。南アフリカの首都プレトリアはジャカランダの紫の花が道に沿って街路樹として咲き誇っていて、とても見ごたえがらしいです。いきたいなー
花が有名なので、春の今の時期がプレトリアが観光にうってつけの時期なのでしょう。
JICA関係者は治安が悪いため行くことはできませんが。
モザンビークの首都マプトや近郊の都市ナンプラにはほぼ咲いていません。
と、いうわけでジャカランダが咲き誇っているのはリシンガの誇っていい自慢ポイントということになりますね。
先日空港まで片道徒歩2時間かけて花見兼散歩をしてきました。かなり疲れました。
全国一斉市長選挙
さて、本題です。
モザンビークでは10月10日に全国で一斉に市長選挙が行われます。
その関係で、日本では考えられないほど政治活動で街がすごく盛り上がって?います。
普段は田舎で人の数も少ないし、平和なリシンガなのですが、
街中に人は多いし、なんか治安が悪くて嫌な感じです。
雰囲気は大学サークル勧誘
街中のいたるところに、政党のポスターが異常に張られ。
(たとえてみるなら、大学の4月ごろに張り出されるサークルの勧誘ビラのように)
かなーりはられまくっています。
おまけに選挙カーならぬ、普通のトラックの荷台に政党の支持者が大量に乗って、政党の旗をもってなんかお祭り騒ぎのように騒いでいます。
選挙で仕事もそっちのけ
会議やら旅行があったので、先週リシンガに戻ってきたのですが、
戻ってきて以来、同僚はほとんど職場にいません。
数少ない同僚も午後になるとなぜか毎日やってる会議に行ってしまって、ほぼ皆無になります。
いつも仕事のやる気のないモザンビーク人ですが、先週からまったくだめです。
ぼくも一度潜入してきました(危険)
潜入しようとしてしたわけじゃなく、同僚に会議があるから行くぞ、ってなかば無理やり連れてこられただけなのですが・・・
リシンガは会議をできるような大きな会議場のような場所はないので、
街の中心地にある、バスケットコート会場を謎の政治決起集会の会議場にして毎日毎日会議しています。
そんな毎日毎日何を会議してるんだよ・・・ってかんじですが。
だから活動にきても、最近孤独な感じです。
このまえ花見の時にプラプラ散歩していたら、なぞに政党の人でもない普通のただの支持者がぼくのことを勧誘してきました。
投票権ないっつの。笑
けど、日本では国の重要なポイントの選挙だとしても投票率は50%を少し超えるのみ。
熱狂さがまるで違います。
元から割と政治には興味ある?ほうなので、日本では同じ世代にしては珍しく?ちゃんと選挙に行ってると思うのですが、
盛り上がり方が違います。
街中で敵対している政党を見たら、襲い掛かるなんてこともよくあります。
実際、先日車に乗っているときに前の車が知識層に人気のある政党の車だったのですが、もう一つの貧困層に支持されている政党が襲い掛かってたり、石をぶつけようとしている現場に遭遇しました。怖い
治安が悪くなってきた、リシンガ
そういえば、最近アメリカのボランティア団体であるピースコーの人が強盗に襲われたらしいです。
家の場所は我が家の裏のほう。笑
めっちゃちかいやんけ!!!
ピースコーはJICAのように鉄格子がついている安全性が高い家ではないらしいのですが、周りの家と含めて集団強盗にあったらしいのです。
その時住人のピースコーの女性と友人の男性と女性が一人ずついたらしいのですが、なんか刀のようなもので切り付けられて、重症ではないもののケガを負ったようです。
今そのピースコーの人たちは首都マプトの病院にいるんだとか。
恐ろしすぎる。
しかも彼女、強盗にやられたのは二回目らしくて。家を変えたにもかかわらずやられたらしいです。帰国しちゃうのかな。
僕だったらトラウマすぎて帰ることになりそうです。。
安全一番。
もともと最近モザンビーク全土がちょっとやばい感じです。
首都マプトでも強盗が入ってきて日本人が足を銃で撃たれて、頭を鈍器で殴られてテレビやお金を取られたみたいですし。
リシンガも夜は刀での殺人事件がちょいちょい起こっているので、気を付けてはいたのですが、まさか強盗とは。
将来の夢の妄想を膨らます毎日
突然ですが、政治家ってどんな気持ちで働かれてるんでしょうね。
なぞに最近「民王」っていうドラマの主演菅田将暉さんの演技力に感動して、俳優と同じくらい政治家という職業もかっこよさそうだし、やりがいがありそうだなと常識はずれな妄想をしているぼくでした。
俳優とか政治家ってどうやったらなれるんですか笑
めっちゃなりたい!ってわけではないけど、普通に会社員として働くより毎日楽しそう。誰かの役に立ちたいな~~~なんて
民王見たことない方はぜひ見てください~笑
では、今回はあっさりですが、このへんで。
あて、あ ぷろっしま~
モザンビーク島200周年記念イベントに行ってみた ~もざぴ日記42〜
ぼんじーあ
最近、マダガスカルのことダラダラ書いてましたが、ぶっちゃけマダガスカル旅行は結構前の出来事でそれからも色々ありました。
◆先輩隊員お別れ会
最近は先輩隊員が帰国されるってことで、モザンビーク唯一の世界遺産であるモザンビーク島の対岸にあるショーカスって言うめちゃくちゃ綺麗な白い砂浜とエメラルドシーが見えるコテージに泊まってパーティーなんかもしました。
3ヶ月に一度訪れるこの別れ。
そろそろ身近な先輩たちが帰ってしまうようになってきたので、さびしいですね。
協力隊員は近くに隊員がいる場合はみんなで集まって2年間の活動をみんなで労いつつの旅行を兼ねたお別れ会をすることが多いです。
まあ、ショーカスも超良かったんですけど、やってる内容は海に入って、砂浜で遊んで、コテージでお別れムービーを流して、みんなではしゃぐ、、、
ってだけなので特に書くことはありません。
ショーカスの海の写真だけ載せておきます。
きれいでしょーーーう。
◆モザンビーク島へ行って来た
さて、今回記載するのはこのショーカスから海を渡って存在する、モザンビーク島についてです。
この島については以前も記載しましたが、モザンビーク唯一の世界遺産で、モザンビークという国名もここから取られました。
かつてポルトガルがモザンビークを支配し始めた頃はモザンビーク島が首都であったため、当時の築300年の建物などもあり、綺麗に改装されている建物と、もう荒れ果てて崩れかけている建物も存在します。
けどモザンビーク島を首都にするあたりが海洋帝国、と言われたポルトガルらしいなあと思ったりします。
スペインやイギリス、フランスなどは植民地として国土を広げることを目的としていたので、首都は気候が良かったり、立地を良いところに大抵設定していますが、
このモザンビーク島って本当狭いんです。
長さは5キロ、幅は500メートルしかありません。
ヨーイドン、ですぐに対岸に着いちゃう。
ポルトガルは東洋貿易のための航路補給基地としての植民地拡大をしていたので、1つの都市や小さな国が植民地、というパターンが多いです。
ブラジルだけトルデシリャス条約のおかげでやけにでかいけど。
話がとてもずれました。
モザンビーク島は狭い国土にかつて首都だったので古い建物が密集しており非常に歴史的に趣のある島でいとをかしです。
1回目きたときは、泳ぐ用としている海だけはゴミを捨てないようにしてるから、まだまあまあ綺麗だけど、500メートル離れたすぐ対岸は海にトイレしたりゴミを捨てたりしていて、とても臭かったり(綺麗は綺麗なのですが)、建物も世界遺産のくせにボロボロで廃墟同然のものが多くて、
なんだよなんか期待して損した、とか思っていたのですが、
今回来てみてこの趣ある良さがようやくわかりました。ここに来て少しハマりつつあるという。
◆モザンビーク島200周年記念
さて、今回モザンビーク島へ来たのはモザンビーク島の日というものがあり、今回は200周年イベントという記念すべきタイミングだったからです。
と、行っても結果論なんかいつものモザンビーク島の日と変わらなかったようですが、、
200周年イベントに合わせた伝統布カプラナも販売されていました。
・前夜祭
モザンビークの日の前日から前夜祭ってことで、お店など出てて、盛り上がってました。
個人的には前夜祭の方が品があって、おしゃれな感じだし、いろんな食べ物売ってて楽しかったです。
前夜祭ではボランティアたちと一緒に浴衣を着て、日本食を売るブースを出して、味噌汁、肉じゃが、おにぎりを販売したり、
ソーラン節をおどったり、ギターと太鼓のようなこちらの楽器を使って演奏会をしてました!
食事を売るブースはあんまりお手伝いできなかったですが、ソーラン節をグダグダながらもモザンビーク人の子供たちと思ったり、浴衣着て食べ物を食べ歩きしたりしてとても楽しかったです!
前日からなんか大統領とかえらい官僚系の人もたくさん来てて、護衛の車も凄かったです。
・モザンビーク島の日
で、迎えました。モザンビーク島の日当日。
モザンビーク島って普段は島民も温厚だし、夜一人で出歩くことができるくらい治安が良い場所として有名なんです。
けど、この日はお祭りってこともあり、たくさんの外部の人間なんかも来てるし、バイクはやけに多いし、治安が悪くてなんかやな感じでした。
モザンビーク島の日ってことで設置されたステージもなんか謎の素人のど自慢大会的な感じで、イマイチ盛り上がりに欠けるし、ちょっと下手くそだしで微妙でした。笑
たぶん夜中とかに盛り上がるんでしょうけど、9時前には撤退。
ただ普段とは違うお土産やさんや、200周年に向けて設置された海の家のようなテントの食べ物屋さんなどたくさんあって、そう言うのは散歩してて楽しかったです〜
一緒に行った日本人のボランティアはカツアゲされてたらしいけど。怖
ちなみに僕は200周年記念カプラナを使ったサンダルを買いました。
なかなかしっかりしてる感じだし、柄の感じも可愛くて良い感じです。
◆モザンビーク島の建物
モザンビーク隊員の家に泊まらせてもらったんですが、モザンビーク島で初めての宿泊宿として建てられた建物で、
何度も綺麗にしてるからあまり古さは感じませんが300年も経ってるそうです。
すごいですよね。日本で築300年とかあるのかな。
電気や水道のない時代に建てられ、後から文明の工事をしてるため、
生活効率の良い感じではないかもしれないですが、趣があってとても良いです。
昔の建物を崩しちゃいけない、とか新しい建物を建てるのは規制がある、とかで
なんかごみごみと入り組んだような建物の作りをしていますが、これも世界遺産の宿命なんでしょうね。
もうひとりの隊員の家にも泊まりましたが、そちらも天井は高いし、オシャレコテージって感じで凄かったです。
今はちゃんとした宿泊専用とした何十人も泊まれる宿たくさんありますしね。。こういった昔に作られた宿は今は家として貸したりしてるようです。
けど海外版地球の歩き方であるガイドブックのロンリープラネットとかにのってるみたいで、外人のお客さんもたまに訪ねてくるとか。
写真も勝手に外側取られてるみたいです。
家の前にパンツとか気軽に干せないなー。笑笑
ではそんな感じで。
あて あ ぷろっしま〜
動物と自然の宝庫 マダガスカルへ行ってきた②
ぼあ たーるでぃ!
今日はマダガスカル旅行の魅力、、、
ってよりはエピソードについて書きたいと思います〜
どうでもいいんですけど、マダガスカル旅行が過酷すぎたからなのか、体に負担をかなり与えていたようでダメージが大きいです笑
体調は2週間経っても良くならないし、切れ毛が激しくていろんなところが、、、、な感じになってます笑 つら
協力隊に来る人は栄養バランスが悪くなるからなのか知りませんが、抜け毛や切れ毛などの髪の毛のトラブルを抱えるようになる人が多いみたいです。周りでも良く聞きます。
シャワー浴びた後に排水溝見るとマジでおぞましい、、、、笑
◆予期せぬエチオピア観光
今回モザンビークからマダガスカルへ行くために、エチオピア航空を利用しました。
と、いうことはご想像の通り、エチオピア経由です。
超飛行機の移動無駄じゃないですか?www
モザンビークからマダガスカルは隣国でとても近いにもかかわらず、行く方法は南アフリカのヨハネスブルグを経由して行くか、エチオピアを経由して行く方法の主に2パターンです。
ヨハネスブルグの空港の方がお土産とか空港として充実してるし、飛行機の乗る時間が少ないから南ア経由が良かったのですが、
なんとエチオピア経由だと2万円以上安いのです。
と、いうわけで今回はエチオピア経由で行きました。それでも8万円もしたんですけど、、、
(ちなみにモザンビークから日本に帰る場合も格安エチオピア航空を使えば8万円で行けます。なんやねんそこ値段同じかよ。っていう)
午後にモザンビークを出発したので、エチオピアには夜20:00頃に着きました。
ですが、エチオピア航空さん。
またしてもサプライズがありました。
なんと、エチオピア航空同士の接続で空港泊の場合は、ホテルを手配してくれるのです。
なんだこの神プレイ。
と、いうわけでJICAルールによってモザンビーク隊員はエチオピアに行くことはできないのですが、この神エチオピア航空プレイによって、首都アディスアベバの街並みを見ることができました。
本当はこっそりホテルを抜け出して、街観光しようかと思ってたのですが、
思いのほか移動って疲れますね。
ホテルに着いたら用意されていた夕食を食べてバタンキューでした。
けど、ホテルのレベルはまあまあ良い四つ星だったし、お湯シャワー出るのでとても快適でした!
空港泊にならなくて本当に良かった!
翌日謎に早朝4:30ごろにモーニングコールで起こされましたが。
いやいや早すぎやろ怒
結局2時間くらい朝ごはん食べたりする時間あったし。
これが嫌だったので帰りにアディスアベバ泊のときは電話の線を抜いておきました。笑
そしたらドアを鬼ノックがきてそれはそれで怖かったけど。(しかも別に時間ギリギリではない)
そんなわけで、エチオピア航空オススメです!アディスアベバの空港がしょぼいことだけがちょっと残念ですが、中国の援助で空港拡大工事をしているようだったので、今後は良くなるのかな。
お店とかがめちゃプレハブだったのは驚きました。
エチオピア航空はボーイングの新しい飛行機保有量が日本の全日空、JALについで第3位だったり、ハブ空港であるアディスアベバ空港を拡大したり、操縦士のトレーニング用機材に投資したりなど世界でも今勢いのある航空会社のようです。
確かにコスパ良すぎる、、、。けどほぼ黒字にしてるみたいだからすごいですよね。
反対に南ア航空は厳しいみたいですよ。
エチオピア経済にとっても、エチオピア航空からの外貨獲得が大きな割合を占めているようで、
「エチオピアって発展してるなー」
という印象が強かったですが、(高速道路あるし、電車あるし、モノレールもあるらしい)ボランティアに聞くところによると、
外国の菓子や食べ物が全く入ってこないみたいで、生活するのは厳しいようです。
◆マダガスカル旅行
・恐怖の幕開け おしっこ編
さて、本題です。
前回の記事でも書きましたが、主に首都アンタナナリボと北部の町のディエゴという街に行ってました〜
滞在期間は10日間でしたが、内3日はまるまる陸路移動(ディエゴから首都まで)で消えてしまったので、観光できたのは実質7日間です。
まずようやく空港に着いたー!
と思ったら早速事故がありました。
どんな事故かと言いますと。
僕は飛行機で無料提供のビールを呑んだくれるのをすごく楽しみにして、やってしまいます。
ビールをたくさん飲む、ということはトイレが近くなるわけです。
もうすぐで着陸する!
ってなったから、空港のきれいなトイレで、マダガスカルの発展具合を図るためにも(いつも空港のホテルでその国のレベルを計っている)
行こうー!と思っていました。
いざ着いて。
トイレに猛烈に行きたかったので、もはや一緒に来たメンバーを置いて先にすたすたと歩きました。
最初に西アフリカで大流行したエボラ熱の検査、次にビザの発給、そしてパスポートチェックです。
ここでブチギレたいポイントはこの間トイレが全くありません。
マジで漏らすかと思った。
てか、子供とかこの長い間トイレなくて絶対漏らす奴いるだろとかマジでキレそうになって、一人でオシッコ堪えてるので汗だくで脇汗もシミくっきりになって結構大変だったんです。
しかもマダガスカル人、マジで超のんびりしてるから仕事が遅いこと遅いこと。
ビザ発給窓口で並ぶ前に、僕らもビザを取る必要があるかどうかを確認しました。
ぼくたち青年海外協力隊は外交官とかが使用する公用パスポートなので、ビザが必要ない場合が多いんです。
だから一回係の人に聞いて「ビザ取る必要ない」って言われたにもかかわらず、
結論必要だったので無駄に行ったり来たりしたし。
・恐怖はまだ終わらない ゴキブリ編
着いた日、翌日に首都アンタナナリボを観光して、北部の町ディエゴへやってきました。
飛行機で午後について、少し休息し、第二次世界大戦時の日本兵のお墓の記念碑やブラブラ町散策してアイスを食べたりなんかしてました。
夕食時。
地球の歩き方になってるフランス料理屋さんへ行こうってなりました。
結論この日は空いてなかったので、隣のすこーし怪しい感じのおばちゃんが経営してるフランス料理屋さんへ行ったのですが事件はここで勃発しました。
トイレへ行くと複数のゴキブリさん。
全員手を洗いたかったので四匹のゴキブリのことは知っていました。
僕も普段ならゴキブリはなんとも思わないのですが、なぜかこの日はだめだったんです。
ちなみに世界最大のゴキブリはマダガスカルゴキブリといって、マダガスカルにいます。笑
多分そいつではありませんでしたが。
ゴキブリいるのわかったので、お店の人に退治してもらうことにしました。
僕が見たのは三匹だったので、三匹殺すようにお願いしました。
まさかの箒をつかってゴキブリを殴り始めました。やることが斬新。飛び散るやん。
これ、先日我が家でゴキブリが出た時もお手伝いさんは我が家の箒で同じことしてました。
飛び散るからやめてほしい。www
話が逸れましたが、「ゴキブリを全部殺した」と、店員が言うので安心して用を足しに行きました。
安心してじょぼじょぼおしっこをしていたところ。トイレの後ろからがさごそ。
一匹登場してきましたね。
「ああ、いるなー」
くらいに思っておしっこの続きをしてました。
突然、、、
猛烈な勢いでこっちにきたと思ったら、足の上を僕の体めがけて登ってくるではありませんか。
「うぎゃーーーーーーーーーー」
猛烈に悲鳴叫びました。
後から聞くと女子が強姦に襲われてるような、めちゃくちゃ甲高い凄まじい悲鳴だったようですが、それだけパニックでした。
まさか足から伝って登ってくるとわ。
オシッコちょっと撒き散らしてしまいましたよね。笑
戻って見たら店員全員大爆笑。
確かに奴らからすればまじ何が起きたんだよって感じですよね。
その前にゴキブリ処理してもらったし、ゴキブリに怯えてたことは知ってるはずだから、多分ゴキブリでたから騒いでんだな、このイエローモンキーって
騒いでる理由わかってたと思いますが。
こっちの人に言わせれば、ゴキブリなんて日常茶飯事だからなんでそんなことで騒ぐんだよ、しかも男が
って感じだと思います。
モザンビークでゴキブリには慣れてたはずなのに、どうしたことだったんでしょう。
思い出しただけでまた心臓ばくばくしてきました。
と、いうわけで。
では、また次回〜
動物と自然の宝庫 マダガスカルへ行ってきた①
こんにちは〜
2週間ほど前までマダガスカルへ任国外旅行と言うことで旅行してきましたので、そのことについて書こうと思います〜!
今回は全体の総評とざっくりした話です!
マダガスカル行く前も1週間吐き気と下痢が止まらなくて家に閉じこもり状態、戻ってきてからも鼻水と咳頭痛が止まらずになかなか活動にも力が入れられず、落ち込んでる今日この頃ですが、記録として残すためにも書いて行きたいと思います〜!
マダガスカルとは
マダガスカルはモザンビークからモザンビーク海峡を挟んだ対岸側にある、世界で4番目に大きな島です。日本の1.6倍の面積があります。
旧フランス植民地で、現在でもフランス語と現地語であるマダガスカル語が共通語として使われています。
脱線しますが、みなさんモザンビークやマラウイなんて聞いたことのなかった国だと思いますが、マダガスカルってなんとなく知ってません??
ぼくも南部アフリカでまたまた知っていた国はマダガスカルと南アフリカだけでした。
南アフリカはアフリカ随一の裕福な国ですし、産業も豊富、ワールドカップもやったくらいなので有名なのはわかりますが、
対して目立たないはずのマダガスカル。
なぜ有名なんでしょう。ふしぎ
きっとマダガスカルという映画のおかげなのかな。ぼくはこの映画知りませんでしたけど。
小さい頃またしまじろうのビデオで、マダガスカルにしか生息しないサル、ワヲキツネザルとか横っ飛びで木と木の間を移動するサルが生息してるという情報を知りました。
小さい頃ながら、いつか行って見たいなあ、と思ってましたが、まさか現実のことになるとは、、、、
とは言っても実際は長年夢に描いてたような感じじゃなかったんですが。毒
話は戻って、マダガスカルはアフリカでも珍しく、その昔アジアから移ってきた人々で、顔つきも東南アジアの人たちに似ていたり、食事もアジアぽいチャーハンのようなものや、やきそば、おかゆのようなものを食べます。
フランスの影響から、フランス料理(特にパン)が普及しており、地方へ行ってもなかなか美味しいクロワッサンやパオデショコラ(チョコを挟んだクロワッサン)を食べることができます。
こんな食事を食べてました〜
モザンビークでは美味しくないクロワッサン🥐、しかも首都でしか食べることができないので、これは本当に偉大ですごいなーと思いました!
旅行者にとっては二重苦のマダガスカル
ことば
マダガスカルの人たちはアフリカでも珍しく、マダガスカル語が一応どこに行っても通じます。(アフリカ諸国は欧米列強が区切った国境で独立しているため、民族がバラバラで現地語が異なることが多い)
そんなことで独立直後はマダガスカル語だけを共通語にしてなんとかやっていこうと頑張ってたみたいですが、やはり法律を作ったり日常で使う言葉にはない言葉を国としてまとめて行く中では必要なようで。
うまく成り立たなかったためフランス語も共通語として制定したみたいですが、モザンビークと異なり超知識人じゃないとフランス語は話せないみたいです。
モザンビークは普通の人でも日常会話くらいのポルトガル語は話せる人が多いので、これは驚くとともにかなーり苦労しました。
なんせ、フランス語もぼんじゅーる、めるしー、あと簡単な数字や簡単なやりとりしか話せないですが、マダガスカル語なんて挨拶すら謎。
英語はまあ通じないですし、ほんと大変です!
ちなみにモザンビークも首都マプト、北部の中心地ナンプラら住んでいるリシンガでは全く違う現地語を話すのでポルトガル語が必須となります。
こうつう
おまけに交通の便も不便で、マダガスカルは島といえどとても大きいので主要な地方にいくために首都アンタナナリボからは飛行機が出ています。
が、国営企業の独占路線なので、めちゃくちゃ高い。
僕は北部の海が綺麗な都市へ行きましたが、そこまでは飛行機だと片道2時間、34,000円くらいかかります。
陸路移動だとだいぶ安く抑えられますが3日かかりました。しかも道がボコボコなのでかなーり移動が大変です。
ずっと陸路だと時間がかかりすぎます。
とはいえ、ずっと点と点を結ぶ飛行機だと観光地しか知らない、味気ないマダガスカル旅行となってしまいます。
陸路移動では現地の人たちが生活しているところを通っていくので、本当のマダガスカルの姿を見ながら旅行することができます。
地球の歩き方にも書いてますが、ここは間をとって、基本は飛行機移動、一部陸路にするのがオススメかなーと思います。
個人的にはその辺のマーケットとか安めの食堂とか、現地民の人の生活の様子は、顔つきが違うだけでモザンビーク人とやってることほぼ一緒だったので対して感動もなかったのですが笑
あ、けどモザンビークにはあんまりいない、牛車で移動する人とか水田とか、いましたわ!
アジアぽい感じ。
やけに牛がとにかくいました。道路うんこまみれ。ヨーロッパの馬車のように、牛にオムツさせないとダメですね。🙅♂️
マダガスカル旅行
さて、今回行った場所ですが、
首都アンタナナリボ、北部のディエゴスアレスの二箇所を拠点に、マダガスカル独特の奇岩のツィンギーや、ワヲキツネザルはじめカメレオンなどの珍しい動物がいる小さなサファリ、世界一小さなカメレオンがいる森や、エメラルドシーと言われるとても美しいビーチがある場所などに行ってきました!
モザンビークと比較してとてもとても物価が安い!外食が安い!そしてお土産がカラフルで可愛い!
首都に観光地もありますが、マダガスカルぽいバオバブやツィンギーや動物たちがいないので、比較的軽めにスルーしてしまう人が多いみたいですが、
首都には首都の楽しさがたくさんあるのでオススメです。
マダガスカルの文化
ちょっとおまけ程度に書きますが、マダガスカルにはとても独特の文化があって、先祖をかなり敬う文化があります。
生前にはお金がなくてボロボロの服を着ていたとしても、亡くなった後は生前につけることのなかったような綺麗な布に包んで、そのまま土葬します。
で、何がすごいかって。
この遺体たちを定期的に墓から先祖全員掘り起こす文化があります。
これは民族によって違うようで、3年に一度行なう民族もあれば、お金がなくて10年に一度しかやらない民族もあるようですが、必ずマダガスカル人が生前に行わなくてはならないイベントのようです。
亡くなった遺体を掘り起こしてどうするのかというと、遺体をつつんでる布をまた綺麗な布でくるみなおすのです。
これで歴代の先祖たちと対面、という意味があるそうですが、僕らが旅行してる際も遺体を布に包んで運んでいる光景を見ました。
土葬なので、中途半端に取り出すと、まあきっと腐ってるんでしょうね。これは僕個人の見解ですが、半年ほど前までマダガスカルではペスト(黒死病)が流行していました。
ヨーロッパで12世紀の中世とかに流行って、人口が4分の1とかになっちゃったっていう、あれです。
このペスト菌を媒介するのがネズミなのですが、この腐った遺体からネズミが湧いて、媒介して、、、って流行しちゃったんじゃないかなーって思いました。
マダガスカルは島なので、地理的に近いにもかかわらず、いろんな点でアフリカ大陸とは異なります。
アフリカで流行ってる文化や病気などはあまり影響しない代わりに、一度島の中で病気が流行ると大変なことになると、同期隊員の人が言っていました。
とはいえ。
これも素敵なマダガスカルの文化なので、もし布に包んだ怪しい物体をマダガスカル訪問時に見かけたら、これがあの文化かなーと思い出して見てください笑笑
言った場所についての内容詳しくは次回のブログで書こうと思います〜
では、あてあ ぷろっしま〜
自主哲学カフェ③ おもふこと
ごぶさたしてます~
実はここ一週間体調不良でした。
と、いうのも、七月は猛烈に寒かったリシンガも8月に入って急に暖かくなり、夜はまだまだ寒いのに、昼間はすさまじいアフリカの日差しということで、体が弱っていたところに、大量に作っておいた鍋を冷蔵庫にも入れず放置しておいて食べたこと
などもろもろが原因でしょうが。
この一週間ひたすら吐いて下痢をして、つらいようなつらくないような
何とも言えない一週間でした。
あんまり体力面でつらさはなかったものの。
最近活動を一生懸命やろうとPCの授業を企画したり、
遠くはるばるリシンガに遊びに来てくれるモザンビーク隊員の人を案内したりなど
やりたいことは盛沢山だったので、結局体調不良によってできずに終了したのはとても残念で、すこしがっくりきています。
全然どうでもいいと思いますけど、ここ一週間の症状は
腸内環境に悪玉菌?がたくさんいる状態だったんだと思います。
ひたすらゲップとおならがでてくるんでてきて、めっちゃ臭かったですw
それでおなかが張ってしまうこと、一人暮らしなので食欲もないのに自分で栄養のなるものを何か作らないといけないこと、が割と大変でした。
おならめっちゃでてくるから、おならしたいんですけど。
ウンチが緩すぎてパンツ4枚&ズボン2枚、ソファカバー1枚汚しましたwwwきたねえ
外出できない連日だったのですが、おまけに携帯電話のプリペイドも切れてしまって、「死んでる説」まで浮上して、少しご迷惑をおかけしました。
けどおかげで?2キロ痩せられたし、とりあえずはよかったのかな。
来週から過酷旅が予想されているマダガスカル旅なので、ここで耐えきれる体をつくりたいです、、、、イボ島再来はいやや・・・
さてー、今日は大したことないのですが、
ちょっとおもったことをサクッと書こうと思います。
最近の後輩隊員さんたちはすばらしいブログの記事を書いてるので、
すごいなーとおもいつつ、それによって書く気がかなり失せている感もありますが、
くだらなくてもどんどんかいてみようとおもいます!
外人にとっては当たり前?① 将来について
先日、住んでいるリシンガ市内にあるヨーグルト屋さんのオーナーの家へ遊びに行ってきました。
このヨーグルト屋さんのオーナー。
オランダ人とコロンビア人の夫婦なのですが、すごくおしゃれでよさげなところに住んでいます。
家に遊びに行った時も、リシンガで過ごしているとは思えないほどの
欧米の食事をごちそうしてくれたり、乗馬させてもらったりしました。
まあ、そのあたりは後輩隊員さんのブログを読んでもらえればよいんですけど、、、
問題はここからです。
午後になって急にゲームをしようってなりました。
TVはないので、なぞなカードゲームです。
この日すでに体調不良で、すでに午後ということもあってわりと死にそうな状態だったので、英語でひたすら話されてゲームの説明を聞くのは勘弁してよって感じだったのですが、その合間に問われました。
「帰国後、なにするの?」
おい、唐突すぎるだろ。
そもそも論、まずそんなに将来のこと考えられてないし、
第二に初対面の見ず知らずのあなたにあんまり話したくないし(後輩隊員さんもいたし)
第三にそんなこと説明できる英語力持ち合わせてないし・・・・
で、パニックでした。
けど、考えてみたら欧米人てこういうの好きな気もする。
意識高い系学生みたいな。
一応自分も大学生の時は意識高い系大学生だった気もしなくはないんだけど
すでに今は冷めすぎていて、どんなかんじだったか思い出せません。
オーナーの彼自身も牛を管理する場所や乳しぼりをする場所、ヨーグルトを作るところを見せてくれながら、
「ここは昔は〇〇だったけど、いまはこう。将来的には△△したいんだ!」
と、あつく、具体的に将来の夢を語っていました。
別に将来どうしたい、とかねえよ
素敵ですね、すごいなあっておもいます。
けど、日本人だから何も考えてないみたいに思われるのも嫌だったし、
後輩隊員さんにもそう思われそうで嫌だったので、
率直に今考えているベースの あさーい将来像をお話ししました。
やっぱポルトガルいきたいよなあ。何したいとかないけど。
なんか謎に最近化粧品関係に興味あります。
別に化粧したくなったとかではないけど、読書ですこし興味湧き出てきました。
ポルトガル支店で化粧品メーカー
完全なる妄想からの憧れ。
外人にとっては当たり前?② 名前について
これはオーナーの家へ向かうときの車の中で繰り広げられました。
「なまえなんていうの?」
「もざの のぴたろう」
「どういういみだ?」
★注:もちろん正式な名前をこたえました。
名前の意味・・・・・・・・・・・
日本でふつうきかれなくないですか。
僕の名前は母がなんか時間をかけてめちゃくちゃ悩んで決めたらしい、
ということはかなり昔に聞いたことがあって、その流れで意味も聞いたことがありました。けどわすれた。
本名ご存知の方だったら、よくわかると思いますが、
僕の名前かなりめずらしいんです。
とくに漢字の配列?
いままで最初からちゃんと読めた人に出会ったことがありません。
ただ、本人の雰囲気とは別に、名前自体はさわやかでいけめん風なかんじなので(笑)
気に入っています。
けど、意味はちゃんと分かっていませんでした。
結論意味は、広い心をもってスケールの大きい人間になってほしい
高い理想をもって大きく羽ばたいて活躍できる人間になってほしい
・・・・。
長い。
そしてこれを英語でもポルトガル語でも意味の説明むりだ・・・(笑)
まあ、名前通りのことを今実現できているかどうかは謎ですが、
改めて自分の名前をネットで調べてみると思いもよらないほど良い結果でした。
今こんなことも調べられるんですね。
名字だけなんか駄目だったけど。そしたら我が先祖みんなだめってことやんw
画数から将来と性格を占うものがあったのですが、
性格の部分ではおもしろいほど自分とあてはまっていました。
https://enamae.net/m/もざの__のぴ太郎#result
たかが名前なのに、それで左右されてしまう性格。すごいですね。
ぼくのばあい自分で見えている性格より他人からの性格のほうが
ちゃんと分析できていそうな気もするので、自己判断ではなんともいえませんが。
自分の名前は基本「吉」と「大吉」しかないのですげーとかおもっていたら、
友人の名前は「大吉」だらけでビビりました。
たしかに奴はもっているひとだとおもいます。
けど、これから海外に行く人&現在海外にいる人は。
将来の話、名前の話くらいはできていおいたほうが話のタネになるのでよいかもしれません。
っていう浅い内容でした~
体調不良だった、一週間ひたすら「花より男子」シリーズのドラマを見ていました。
とてもいいドラマですね。
こんな壮大な大恋愛、だれがしてんだよとかおもいますが、
こんな恋愛できたら幸せですよね~。
後輩隊員さんから
「のっぴ、恋愛してないでしょ。てかする気ないでしょ」
といわれて、割とショック?というか。
そう見えているんだな~そんなつもりはないのに。とおもっていたところだったので。
がんばりたいとおもいます。。。
(なにをだよ)
では、あて あ ぷろっしま~~~
意外な身近な癒しの場所 ~もざぴ日記41〜
こんにちは~~
リシンガは毎日ここ二週間本当に寒いです。
気温的には最低気温10度前後なんですけど、風は強いし、太陽はあまり当たらないで、体感的にとっても寒いんです。アフリカなのに。
しかもこれもアフリカだからかわかりませんが、暖房器具はあまり売ってないし、なかなかリシンガではいい家に住まわせてもらってるんですけど、
隙間風がすごくて、カーテンもゆらゆらしてるんですwww
毎日洗面器にお湯を張って足湯をしてるのに、すぐ冷めるし、あんまりあったりません・・・笑
けど、6月下旬から寒くてつらい日が続いてますが、熱くてつらいよりはまし。
日本の38度とかよりずっと過ごしやすいし、いい場所だなって思ってます。笑
お礼と最近
先日宣言のための記事を書いて、何人からかコメントをもらいました。
ありがとうございます。
おかげさまで、ネガティブだった気持ちはあの日から一切なくなって、不思議とやるしかないというポジティブな気持ちから、毎日を充実させて忙しく過ごしています。
趣味や引き出しを増やすために、リラックスタイムに今まで全然してこなかった漫画を読んだり、ドラマを見たり。
最近だと、風の谷のナウシカの漫画を読んだり、木更津キャッツアイや逃げるは恥だが役に立つのドラマを見たりしてます!
もちろん勉強や料理なんかもしてますよ。笑
恋ダンスにハマってたくせに、実はドラマ(特に恋愛ドラマ)が苦手で全然見たことなかったんですねーwww
けど、ドラマって大事ですね。
恋愛のイロハを教えてくれますね笑笑
なんか結婚したら、両家顔合わせとかあるのとかフツーに知りませんでした。笑
まあ考えてみればわかることだけど。
自分は「お嬢さんをください!」なんていう機会あるのかな〜
前なら確実にないとか思ってましたが。(逃げ恥の星野源てきな発想)
今はなんだか妄想ばかり膨らみます。笑
ひまな時間たくさんあるくせに、なんでこんなに忙しんだよ、とか若干思いますけどwww
さていよいよ今日の本題です。
今まで土日は家に引きこもっていることが多かったのですが、すごくアクティブな新隊員さんが来たこともきっかけになって、最近は土日に何かしらのイベントがあって外に出ていることが多いです。
残り一年をきった、ということもあって、もう一日家に引きこもるのは基本的にやめようと思っている今日この頃です。笑
リシンガでピクニック
昨日はずっとリベンジしたかったリシンガ近くにある湖とその奥にある丘に登って、ピクニックをしてきたので、そのことについて書きたいと思います。
もはや先日記事で書いたかどうかもあんまり覚えてないんですが(笑)
リシンガの町からバイクで30分ほど、徒歩だと1時間半ほどの距離にリシンガの水源となる湖があります。
この湖、リシンガにあるからかもしれませんが、周りは森に囲まれてるし、近くにはヨーグルト屋さんの牧場もあって、モザンビークやアフリカにいるってことを忘れさせてくれるのんびりとしたゆったりとした風景です。
気候も涼しいし、北海道や北欧(いったことないけど)をほうふつとさせてくれるような風景です。個人的に湖マニアなことにドイツの湖+城を見た時に感じてしまったから、こんなに感動したのかもしれないんですけど。
今回、ピクニックすることになったそもそものきっかけは。
先週の平日に新隊員さんからのラインがはじまり。
「湖の奥にある丘にピクニックできる場所あるの知ってる?」
どうやらピースコー(アメリカのボランティア)にきいたようで、そこから話が弾んで新隊員さんとともに丘にのぼって、自分たちで手作りの弁当の準備まですることにしました~笑
やっぱやる時はガッツリやることで楽しさも倍増ですからね。
意外と遠い
湖までは果てしなくバイクで30分くらいということは、以前に来た時にわかっていたので、いざ実際に歩いてみるとまあとおい。
しかも歩いてると涼しい気候とはいえ身体熱くなるし、リシンガは舗装されている部分がかなり少ないので、歩きにくい道が多い。
幸いにも、男二人だったこともあり、湖まではすいすいと進んでたどりつくことができました。問題はそこから。
湖の後の森と山を抜けていくのですが、どう行くかもわからないし手探り状態。
しかも途中で木がめっちゃなぎ倒されてて、道ふさがれてて通れなっており、手分けして道を探すことにしました。
なんでこんなことになってるねん
少しの間お互いの声が聞こえなくなるほど離れてしまって遭難する危機で少しひやひや。
どっちかが崖から落ちちゃったりしてもわからなくなっちゃうわけですし。笑
まあけどそんなこんなで、目指していた丘の教会までたどり着くことができました。
お待ちかねのお昼!!!
とても男2人がやってることとは思えませんwww
けど、空気は綺麗だし、景色は絶景だし、なかなかサイコーです。
お互いが持ってきた、ホットサンドウィッチとポテトサラダ、とりのてりやきを食べて、少しだけのんびりして。
本当にここは景色が絶景です!!
リシンガの町を一望できるし、モザンビークにいることを忘れさせるような森や畑、風を感じながら眺めることができました。
だがしかし、忘れてはいけない。
到着した時点ですでに13:40頃。
ここにたどり着くまでの3時間ほどかかってるわけです。
通ってきた道は人通りの少ない、道や森、湖沿い。
これ暗くなってきちゃうとかなーりまずいわけです。
いま冬だし。日没は17:00と少し早めに計算しておくとなると、
!!!!!
やばい。ようやく頂上にたどり着いたのに、全然ゆっくりしている時間ありません。w
まあ正確に言うと日が沈むのは18時なので大丈夫っちゃ大丈夫なんですけど、
最近ニアサ近くの州で強盗に殺される事件も起きてるわけで、
あんまり暗くなってから外にいるリスクは避けたいわけです。
意外と疲れる過酷な帰り道
名残惜しいのは多々ありましたが、暗くなる前にってことで、14:30頃に降り始めました。
結構な山登りを行きでしてきたし、頂上であまり休めなかったこともあって、二人とも足ががちがちになっていました。
しかも今度は足に負担のかかるくだり坂。
丘ゾーンを乗り越えて、森ゾーンをぬけて、湖を超えたあたりでもうスピードを出して歩けない状態に。
ここまで来ると気合ですね。
モザンビークに来てから、胸を張って頑張って成果を出せたことはあまりできていない状況でしたが、この丘へのピクニックは頑張ったことにカウントしてもいいんじゃないか、と思えるほど大変でした(笑)
けど本当に絶景できれいだし、普段の喧騒やストレスを忘れてただ一心不乱に体を動かすことができたし、僕としては楽しかったかな。
半年に一回?くらい行きたい感じです。(頻度微妙とか言わないで)
ただ遭難とか、クマとか山賊とか出たら嫌なのでひとりじゃいけないですけど。
是非リシンガに来た際は一緒にピクニックをしましょう♪
では、あて あ ぷろっしま~