ノピとモザ

2017年7月から2019年7月までモザンビークにて、青年海外協力隊 PCインストラクターとして活動していました。当時の思うことや記録など備忘録代わりに気ままに書いてました。 日本へ帰国しましたが、改めて思うことやカルチャーショックについても書いていきます。フィギュアスケート好きです⛸

モザンビークのゴルフ場 〜もざぴ日記106〜

ぼあ のいち!

本日はモザンビーク赴任前から念願だった、

モザンビークに唯一あるゴルフ場へ行ってきました!

 

ゴルフ好きの親友から、モザンビークのゴルフ場は必ず行って来い、と言われていたので、それが達成できて、満足。

あとは帰国を待つのみです笑

 

そんな驚きなゴルフ場の実態について迫りたいと思います〜

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ゴルフ場は首都の中心にある
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題名通り、モザンビークのゴルフ場は、首都の中心地にあります。

モザンビーク最大のイオンモールのようなショッピングモール(バイーアモール)の裏側にあります。

 

中心地からは車で20分ほどで、

東京駅を中心地と考えるのであれば、

飯田橋あたりにゴルフ場がある感じになります。

現実的に考えると豊洲やお台場あたり?

(実際にあるかもですけど)

 

 

とにかくかなり立地が良いところにあります。

 

土地の狭い日本に住んでいる我々には想像し難いですが、ここモザンビークはたくさん土地がまだまだたくさんあります。

 

ポルトガル植民地時代に建造され、

今よりも土地がたくさんあったため、こんな良い場所にゴルフ場が作られました。

ポルトガル人、ゴルフするんですねえ。笑

 

本場のイギリス植民地であったウガンダ南アフリカに行けば、さらに整えられた本格的なゴルフ場があるみたいです。

 

入場料と仕組み

入場料
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入り口で支払いを行います。

入場料は800メティカイス、約1,500円です。

そのほかキャディーとボール拾いの人へのチップが必要です。

 

ちなみに水を補給したり、購入したりする場所がほぼ皆無なので、必ず水(暑い日ならポカリスウェット)持参することを強くお勧めします笑笑

 

モザンビークゴルフの仕組み

ゴルフ場についてからの普通の流れに関していうと、

 

クラブハウスのようなところで、受付があり、キーをもらい、

ロッカーで着替えて、カートを待って、、、

とかありますが、

 

当然、そんな施設はありません。笑

 

 

 

入り口にある、しょぼい駅の売店みたいな掘っ建て小屋にあるおばちゃんに800メティカイス払ったら、もういきなり目の前はコースが始まります。

 

そしてロッカーもカートもありません。

 

 

カートはなくてもキャディーはいる

何より驚いたのがカートはないのに、キャディーはいること。

 

まあ当たり前といえば当たり前ですよね。

 

 

お金さえ払えば人を動かせるのと異なり、

カートは初期投資も必要だし、メンテナンスも必要。

そんなものは買えるはずはないので、

ひたすらコースを歩いて移動していくしかありません。

 

それがめちゃくちゃ疲れました、、、、

家帰ってから爆睡しました笑

 

 

キャディーとボール拾い

担当のキャディーさんとボール拾いの人がついてくれます。

ぼくらは3人で回ったので、

ボール拾いの人は池とか入った場合は協力して探し当てていました。

 

日本なら諦めるような変な茂みや森の中、汚いドブの中に入っても泥だらけになって探し当ててくる彼らの根性と、ボールを目でしっかりと追える動体視力の良さはさすがだなと感じました。

 

 

僕の担当のキャディーさんはベテランのおじさんキャディーさん。

名前聞いたけど忘れました。

彼は小さい頃からこの仕事をしているらしく、キャディー歴はおそらく40年以上のベテラン。

 

土日しかほぼお客さんはやって来ないので、

平日は畑の仕事をしているそうです。

 

 

僕があまりにもちゃんと打てないのを見かねて、ベテランの経験で色々打ち方を教えてくれました。

その通りに打ったら確かにすごく遠くまで飛んだので、

「お前は飲み込みが早い、素質がある、もう上達した」

的なこと言われました。

 

褒められて伸びる子だから、重要。笑

 

 

コースについて
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まず衝撃の事実があります。

フルコースのゴルフ場にもかかわらず、18ホールありません。

15ホールしかありません。

 

3ホールはかつてあったものの、

地元住民によって勝手に畑にされてしまったりするようで、今はもはやゴルフ場ではないのです。笑

管理しておけよwwww

 

 

そのため、同じコースを二度回る必要があります。

しかしめんどくさいので一回回った時に2つ球を打ちます。

これがカウントを忘れてしまってややこしいし大変だった、、、、

 

腕前もあれなんですけど、

このコースの謎の気にしなきゃいけないルールのせいで、全然打つことに集中できませんでした笑

 

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そして当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、コースは荒れたままで全く整えられていません。

 

一応天然芝?なのでしょうが、

かなりハゲているし、グリーンに関してはボロボロなので、穴や謎の段差がたくさんあります。

 

正直かなりパターはやりにくいです。笑

 


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おまけにこのゴルフ場は地元住民の中で拠点をつなぐかなり重要な場所?のようです。

 

事前に人やヤギが横切ることは聞いていましたが、想像以上の人がコースを横切ります笑

小学校の登校時間並みの人が常時ゴルフ場の道を歩いています。

 

これ1年に一回くらいゴルフ場のボール頭とかに当たって死んでるやつとか重症になるやついるだろうという。

 

そしてゴルフ場のすぐ脇には住宅街(といってもトタンで作ったようなホームレスの家のような感じ)が広がっています。

 

僕の場合下手なので何度もそちらの方向に飛ばしてしまいましたが、もちろんOBであり、

かなり迷惑をかけるわけです。

住宅街の変な方向に飛ばしすぎて、すぐ境界向こうにいた若者たちに馬鹿にされたのが恥ずかしかった、、、笑

 

 

 

 

とにかく日本の常識では考えられないような雰囲気です。



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ゴルフ場は地元住民の憩い?の場なので、

ゴミもかなり散乱しています。

 

普通ゴルフ場ならあるはずの池がありません。

あるのはかなり淀んだ川と、完全にゴミ置場の延長でできたかなり濁った、絶対にボールを入れたくないような沼?です。

 

ゴルフ場の池と調和した雰囲気の景色が好きなんだけどなあ。

 

 

結果、18ホール回り終えた後にキャディーさんとボール拾いの人へチップとして2,000円程渡しました。

 

ずっと行動を共にするし、ある程度フォームや打ち方もわかっているので、なかなか良いアドバイスもしてくれ、結構仲良くなりました。

もっと通いたかったなあ。

 

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そして、クラブハウスもないので、ぶっ続けでプレイするしかありません。

9ホール終わって、ランチを食べながらビール、、、というのはもちろんありません。

 

しょぼいクラブハウスで勝手にビールを飲むことはできるので、18ボール回った後に飲みました。

かなり歩いたし、走ったし、炎天下であせもかいたし、ビールがうまかった!!

 

 

 

カードがないので、次のグループをまたしている時の打った後のかなりのダッシュは答えました。かなり疲れました。

 

ゴルフ場のあと、ゆっくりと中華を食べにいったにもかかわらず、帰宅したのはまさかの14:30、

プレイを終えたのはまさかの12:00前です。

高速プレイ、鬼疲れますし、鬼早く終わります笑笑

 

 

是非ある意味面白いゴルフ場。

モザンビークへお越しの際は足を運んでみてください笑

 

 

あて あまにゃー!

 

やばい虫 〜もざぴ日記105〜

連日の飲み会や首都マプトの美味しいものを食べられる生活のせいでかなり順調にぶくぶく太っているのぴです。

 

首都美味しいものありすぎるよ、、、

なんと寿司の食べ放題まであります、、、

今日行っちゃおうかな。けど高いしな。迷い中。日本じゃちゃっかり寿司のイチゴのお寿司とか、エビフライ寿司とかあんまり逆に食べられないですもんね。

 

ちなみに明日首都マプトは全域停電らしいです。ぼくは明日いよいよ?出国前から友人に言われていた、モザンビークで唯一のゴルフ場に行ってくるので関係ないです笑

 

このゴルフ場、一応昔はふつうに18コースあったらしいですが、災害や、地元民の生活圏拡大によって占拠されてしまい、

今は15コースしかないそうです笑笑

 

ふつうに地元民闊歩しているらしいし、どんな場所なのか楽しみです!!!

 

 

住血吸虫病

以前にも記事に書いたと思いますが、

もちろんアフリカに住んでいるとさまざまな寄生虫や病気のリスクがあります。

 

致死率ほぼ100%の狂犬病や、

モザンビーク死亡率No.1のマラリアなど。

 

もちろんこれらの病気もかなりやばいのですが、個人的にずっと恐れていた病気?

というか寄生虫がいます。

 

 

それが住血吸虫です。

日本に住んでいると、

なにそれ??という寄生虫なのですが、

かつて日本内もいました。

 

 

日本が世界で唯一撲滅に成功した国らしいです。

 

住血吸虫とは、、、

住血吸虫症(じゅうけつきゅうちゅうしょう、Schistosomiasis)とは、住血吸虫科に属する寄生虫に感染することにより引き起こされる病気の総称である。致死率こそ高くないものの、長期にわたり内臓を痛める慢性疾患であり、社会的経済的影響が大きい。淡水産の巻貝が中間宿主となっており、皮膚を汚染された水に浸すことで感染する。 WHOによれば、世界77ヶ国で2億人以上が感染しているとされる。[1]

住血吸虫症 - Wikipedia

 

つまり、汚染されている淡水の河川、

モザンビークにおいてはすべての河川が対象であり、特にぼくの住んでいたリシンガの近くにあるニアサ湖(マラウイ湖)は感染のリスクが高いと言われています。

 

 

皮膚から入り込んだやばい虫は、

精巣や卵巣に卵をめちゃくちゃ億単位の卵を産むそうで、それが原因で激痛や血尿、ぼうこう癌、精巣がんのリスクがあります。

 

ぼうこう癌、精巣がんは普通の人の90倍のリスクもあるそうです。

また子供も作れなくなるそうです。

 

 

恐ろしくないですか、、、、?

恐怖でしかない。笑

 

 

住血吸虫症の検査をしてみた

モザンビークの隊員は、

他のアフリカ隊員がするかはわかりませんが、帰国前に住血吸虫症の検査をする人が多いです。

 

なぜモザンビークで検査をするのか、、、?

それは、もはや日本では治療できる場所がない

からです。

 

 

日本にとっては遠い過去の病気なのです。

もちろん薬も売っていません。

帰国後、JICAによって健康診断がありますが、

その健康診断では対応できないため、住血吸虫症の検査のみモザンビークでみんな実施していくわけです。

 

 

リシンガ隊員の感染率

ちなみにリシンガ隊員はぼくを含めて過去に5人いました。

過去4人の先輩の感染率は50%。

つまり、2人が陽性、2人が陰性でした。

 

リシンガに住んでいると、他に出かけられるところがないため、羽を伸ばすために必ず2年に何度かはニアサ湖に行くのです。

 

景色は綺麗だし、いいところなのです。

けど感染しちゃうところです。

 

なぜなら日帰りでぼけっと見るだけなら問題ないですが、リシンガから片道で3時間ほどかかるし、できれば宿泊したいですよね。

 

宿泊施設は大体湖のほとりに立っており、

シャワーは食事に湖の水を使用しているため、感染のリスクがあるわけです。

 

あとは個人的な皮膚の強さ?というか、生命力の強さで感染の有無が分かれているような気がします。

 

 

コテージに着く前にボートに乗る必要があるのですが、海で船に乗るとき同様、自分で入水してチャプチャプ船まで進む必要があり、

ぼくはこの一瞬での感染をかなり警戒していました。

 

いつも長靴履いて感染を防いでいましたが、

半年ほど前に湖の方が深すぎて、長靴内に水が浸入し、

おわった、、、、、

 

と思ったのを覚えています。

 

検査結果

肝心の検査結果です、、、、

 

 

結果は

 

 

 

どどど

 

 

 

どどどどど

 

 

(なぞのじらし)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果は、陰性でした。

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陽性の場合は、当たり前ですが、

薬を飲む必要があります。

 

 

外国製なので、日本では考えられないようなバカでかい錠剤です。

この錠剤の量は体重によって異なります。

つまり自分の体重を伝えて薬剤師に計算してもらう必要があります、、、

 

同じく隊員の2人と薬を買いに行ったのですが、ぼくが一番購入する錠剤の数が多かったので、なんか笑われました。怒

(つまり一番体重が重い)

 

そこ、デリケートな部分や!!!!

 

 

 

 

ぼくは陰性だったのですが、

こちらの検査結果に信用できなさすぎて(?)

薬を服用しました。

 

 

検査代が約3,000円程で、薬はなぜかめちゃくちゃ安くて300円程なのですが、

検査した意味笑 バシッ(効果音)

 

 

そう、この薬はなぜかめちゃくちゃ安いんです。だからみんな飲めればいいのに、とか思うんですけど、それ以上のお金で1日暮らさなければなら行けない人たちが多いので、

例えばリシンガの人にしたら200mtなんて、割と大金です。

 

日本人からしたら300円ほどの価値ですが、

首都マプトでさえ多分感覚的に1,000〜1,500円程。

任地リシンガであれば2,000円〜3,000円くらいの感覚になるため、これくらいのお金であってもあげたらクソ喜びます笑笑

 

 

つまり、そんな理由であまり一般的ではないため、感染者がかなり多いんです。

 

 

薬の服用と副作用

本日服用しました。

基本的にきつい薬であればあるほど、

アルコールの摂取はその日厳禁なのですが、毎日飲み会の今日この頃、、、

 

今日は飲まないだろうな、と思って服用したにもかかわらず、普通に結構飲む羽目になりました笑笑

 

 

あーあ、体ボロボロだよ、、、、笑

 

朝服用しようと思っていましたが、

忘れていたため昼に服用しました。

 

 

そのあとお出かけをしたのですが、

1時間後くらいに猛烈な眠気と頭がぼーっとする感覚。

 

まるでお酒を4〜5杯飲んだような感覚です。(これはぼく基準)

シラフなのに酔っ払ったように頭がフラフラくらくらしていたため、お昼寝をしました。

 

お昼寝をしたらだいぶ良くなりましたが、

仕事や活動をするにはかなり支障が出るような症状が出ました。

 

これが副作用かは謎ですが、

他の2人もかなり眠気がする、ということでお昼寝をしていたのでした。

 

 

またしても長くなりすぎました。

今日はこのへんでー!

 

表敬訪問 〜もざぴ日記104〜

昨日は表敬訪問の一日となりました。

表敬訪問の昨日について振り返ります。

 

表敬訪問

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青年海外協力隊は、日本からの赴任時と帰国前にモザンビークの外務省、在モザンビーク日本国大使館、所属の省庁(僕の場合は農業省)へ挨拶へ行く公式行事があります。

 

たった3つの関係機関に挨拶へ行くだけなのですが、着慣れていないスーツを2年ぶりに着て、

2年ぶりのプレッシャーのかかる偉い人と話すのはなんだかとっても疲れました。

昨日の行事を通しておもったのは、社会復帰がかなり難しいのかなと実感したことでした笑

 

たった昨日1日なのに、この圧迫された環境と時間の予定が詰まっている感じをかなり息苦しく感じてしまったわけです、

徐々に慣らして行く必要がありますね。

 

モザンビーク外務省
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最初はモザンビークの外務省です。

9:30スタートで、その直前にドミトリーはお迎えに来るものと思って、7時頃に起床してのんびりしていたら8:20頃にJICA事務所から電話。

 

時間を間違えて、9:00スタートだったので、8:40に迎えに行きます!!!

 

 

 

テッテレー

 

 

 

あと20分ドタバタで準備をします。

けどこれがモザンビークだよな、って思います。

JICA事務所もすっかりモザンビーク化して、地域に根を張って活動しています笑

 

 

外務省は予約が9時からでしたが、

案の定担当の方がいません。

実は赴任時に来た時もまさかの当日ドタキャンをされました。

 

日本人であればありえないことだったので、国のトップの官僚ともある人が、、、と赴任当初驚きを隠せなかったことを覚えています。

 

 

が、今は2年経過して、「あーやっぱりな」と気軽な感じで思えるようになり、

待合室のソファーで1時間以上待ちました、

 

 

 

そして結論。

結果担当の偉い人は外出先?から帰ってこなかったため、その部下の方と面談をしました。

 

面談内容は、任地、活動先、活動内容、2年間で困難だったこと、などが問われました。

とても2年前には無理だったこんな会話が、ある程度できるようになったことは、それだけでもモザンビークへ来た甲斐があったなあ、と感じています。

 

 

 

モザンビーク農業省
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こちらも待たされましたが、20分ほどでしょうか。こちらは事前に活動内容のプレゼンをポルトガル語ですることを指示されており、

そのプレゼンの方が心配で、割と気が気ではなかったのですが、

 

会議室で偉い人を待っていた時、同席していたモザンビーク人のおじちゃんがすごくいい人で、その会話のおかげでかなり緊張がほぐれました。

 

やっぱり日本人といるより数倍こちらの方が楽かもしれない。日本人はすべてのことにおいて一生懸命、ちゃんと色々やりすぎ、

もっと適当に肩の力を抜いてやればいいのに。

 

 

肝心の偉い方がやってきました。

この偉い方がさらにさっきのおじちゃんよりいい人で、そこらへんの飲み屋のおっちゃんと変わらないようなすごくいい感じの人でした。

 

とてもオーバーリアクションだし、反応見ているだけでも面白いです。やはり頭がいいためか、少し早口で難しい単語を使う点は大変でしたけど、、、

 

彼もいい人で安心はしましたが、プレゼンを終えていくつか質問をもらった時は、やはり緊張しました。

 

顔がちゃんと仕事モードとなっていたし、

早口で難しい単語を使うため、よく分からなかったからです。

JICA事務所のモザンビーク人スタッフや、同期隊員に助けてもらいました笑

 

 

けど最後別れ際に、この偉いお方がみんなに握手を求めてきました。(モザンビークでは普通)

ぼくに、「お前のポルトガル語はすごく上手だった」と言ってもらえたのはかなり嬉しかったです。

あんまり自己肯定をするのが苦手なタイプなので、こう言った褒めことばによって、

「勉強しててよかった」という気持ちが持てたり、自信を得ることができるような気がします。

 

日本国大使館

最後に日本国大使館へ訪問してきました。

当たり前ですがこちらは一歩屋内へはいると完全に日本。

 

書かれている文字も全て日本語でなんか絶望しました笑笑

 

 

そして日本人のため当たり前と言ったら当たり前ですが、通された部屋にはすでに次官とお付きの方。

冷えた水まで人数分用意されていました。

 

大使が急な用事が入ってしまい、我々と面談できないとのことで、次官が出席くださいました。

日本では当然のことなのですが、ぼくにはなぜか恐怖に感じました。

完璧すぎて怖い、、、

 

モザンビークに触発されて見事に社会不適合者となりそうなのでこれからトレーニングしていきます笑

 

 

次官からも2年間での活動や印象深いことを聞かれたのですが、一番印象的だったの中国の大使と話したというエピソード。

 

中国も日本と同じように青年海外協力隊のような地元に根を張って活動するような構想があるそうです。

 

しかし中国側の1番の懸念は治安面とのこと。

 

そこで日本側どんな安全対策をやっているのか、と書かれたそうです、

安全対策として、不妊時のオリエンテーションと、年に2回首都で実施されると安全対策会議のみです。

 

という上記の事実を伝えると中国大使は爆笑だったそうです。笑

 

 

なにが言いたいのかというと、

それだけモザンビークでの、アフリカでの日本人への印象がかなり良い、ということ。

 

我々は中国人と似ているため、

中国語の真似をしてからかわれたりすることが多々ありますが、日本人だと知ると不思議とバカにしてきません。

 

日本人はアフリカのために一緒に協力してくれている、勤勉、車の質がいい、

などとてもいい印象を持っている人が多いです。

 

 

韓国も協力隊のようなボランティアを派遣しようとしていますが、モザンビーク政府がなかなか認可してくれないようです。

 

この点からも日本への信頼感の厚さを見て取ることができます。

というわけで、日本はやっぱりすごい国なんです。幸福度が低い、とか言われていますが、もっと胸を張って堂々と暮らしていくべき、だと思います、

 

日本にずっと暮らしているとなかなか感じにくいことなんですけどね、、、

 

 

そのために我々は無事に2年間過ごすことができたのかもしれません。

なんだかんだ言ってきたこのブログでしたが、モザンビークには本当感謝です。

 

 

 

おまけの話ですが、エッフェルさんが作ったで有名なマプト中央駅の中にあるレストランへ行ってきました。

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いい雰囲気なのに、何よりもなぜかそこらへんのレストランよりもかなり割安で量が多くてまあまあ美味しかったですー!

 

気になる方ぜひ!

 

 

では、あて あまにゃー!

 

マプトのベッドダウン マトラ 〜もざぴ日記103〜

絶賛首都生活を満喫しています〜

日曜日にマプトについて、その日はそそくさと寝て休息、

月曜日からは一泊二日で、首都マプトのベッドダウンとも、別荘地帯とも呼ばれるとなりのマトラ市に出かけてきました。

 

今現在、カプラナ裏地のスーツをつくっているので、試着に来る依頼があったので、試着をしてからマトラへスタートです。

このスーツ、とてもいい感じだったので、出来上がった後に皆さんに紹介したいと思います〜

 

マトラ市とは

位置的にはこのようにマプト市と隣接しています。

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マプト市内からだと車で30分ほどなので、東京でいう新宿が中心地だとすると、吉祥寺や調布あたりの存在でしょうか。

 

モザンビークの首都がマプト市ですが、

マプト州の州都はここマトラとなります。

 

マトラにはもちろんマプトのような庶民的な住宅街もありますが、マプトのお金持ちが別荘を持っているパターンも多く、かなりの大きな家とモザンビークとは思えないほどの閑静な住宅街があったりするのも特徴です。

スーパーマーケットがまるでディズニーランドのような広々として芝生や木、街灯などお洒落な雰囲気なんです。

 

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こちらが先ほど述べた先進国風のスーパーマーケットです。ヤシの木も生えてるし、建物の感じも超いい感じ風、、、

なにも用がなくてもぶらぶら散歩したくなるような雰囲気です。

 

 

現在モザンビークの中で一番勢いがあると言ってもいいほど、人口も街も発展しており、今やモザンビーク第二の街となりつつあります。

 

憩いの場

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なんと、憩いとか考えなさそうなモザンビークにもかかわらず(?)広々として雰囲気良さげな公園まであります。

公園内には映画館やドーナツ屋さん、さまざまな銀行やお店も入っており、なんら先進国と変わらない光景が広がっています。

 

幼稚園児たちがお散歩したりもしていました。

 

任地訪問
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仲良し隊員の家にお邪魔しました。

一応これは隊員の家なのですが、かなり立派です。日本でもこのレベルを見つけるのはなかなか大変なのでは、という家です。

 

マプト州だとかなり治安が悪く、治安面を優先させる必要があるため、必然的にこういった素晴らしい家になってしまうそうです。

それにしても羨ましい、、、笑

 

隊員活動見学
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完全に自分の活動は終わったので、趣味としての隊員の活動を見学させてもらいました。

 

この隊員は障害者施設の補佐、というミッションで活動をしており、

もともと日本の障害者施設で働いていた経験を生かしてモザンビークで活動しています。

 

 

どうしても発展途上国においては、健常者への支援に注視してしまうため、障害者への支援や存在価値を見逃されがちなような気がします。

 

過去に留学していた中国でも、

障害者に対する支援がないためか、道端や電車の中でまで物乞いや金銭をせびる人が多かったです。

 

 

しかし、モザンビークの障害者支援としての素晴らしい側面をただのぞいただけなのかもしれませんが、この施設はモザンビークの国という母体から考えると素晴らしい視察と感じました。

 

施設にいる方々は82人だそうです。

年齢は2歳〜50歳ほどまでさまざま。

小さい子に限っては健常者もいます。

 

ここに連れて来られる理由としては病院や、警察で、病気のためや家族がいないために引き取り手がない人をこの施設が引き取って行くそうです。

 

もちろん施設にいる人々はなにもお金を払いません、無料です。税金で賄われています。

 

毎日のスケジュールはこんな感じのようです。

8:00頃 朝ごはん

10:00頃まで 自由時間

10:00頃 おやつタイム

〜12:00頃 入浴タイム、部屋に分かれて遊ぶ時間

12:00頃 昼食

 

昼食後 昼寝タイム

おやつ、、、

 

 

昼食後は帰ってしまったので、午後はわかりませんがざっくりこんな感じです。

 

 

 

建物も遊具も食事も、モザンビーク秘境のニアサで2年間暮らしていたからなのかもしれませんが、そこそこ立派です。

 

 

まず建物はコンクリートでしっかりしており、職員や掃除担当のスタッフが常に掃除をしているので、めちゃくちゃ不衛生、ということはないです。

 

職員は仕事をしているかはおいておいて、

各部屋ごとに2人以上は常駐しているため、何かが起きてもすぐに対応できるようになっています。

 

部屋の中にいる人数も、多くても20人ほど、とかなので(障害レベルによって人数はまちまち)

かなりモザンビークの割にはサポートがしっかりしていた印象でした。

 

 

 


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また、食事面。

こちらもかなりしっかりしています。

三食しっかりと提供されるだけでなく、おやつ(という名の10時頃に食べる謎の食事タイム)時間まであります。

 

しっかりと主食のパンやコメ、シマ、プラスでおかずとして鶏肉やらなんやら提供されているようなので、

何も知らない私なんかがいうのは間違っているとは思いますが、

この施設にいる方々はまだ幸せな方だなと感じました。

 

飢えることはありません。

友達がいて、会話したり遊んだりする仲間がいます。

なる環境があります。

 

これだけでも道端で厳しい環境の人々を見た経験がある身としては、いい環境だなと感じていました。


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この部屋は小学生にも満たないようなちびっこの子供たちの部屋です。

他の部屋は年代や障害べつに分かれていたりするんですけど、テーブルの前に座っておもちゃで遊んだりする時間でも、毎日同じことに繰り返しのため、あんまり楽しそうにはしていませんでした。

 

 

そのためボランティアが下記で実施している塗り絵や、自主的に実施している散歩は障害者の方々からするときっと嬉しいんだろうな、と感じたし、実際とても楽しそうで嬉しそうでした。

下記少し紹介します。

 

塗り絵
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日本で想像する塗り絵とは多少異なります。

いらないノートのページを切り取って、

そのページをひたすら色鉛筆で全て塗りつぶします。

 


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そのあと1ページずつ違う色で塗られた紙たちを一つ一つつなげていきます。

最終的に各部品ごとに色の違う可愛らしい飾りができるわけです。

インスタ映えです。

 

実際おやつ後の自由時間、施設にあるおもちゃに飽きた方々がボランティアへ「塗り絵やりたいよー」とねだっていました。

必要とされてるな、こいつ


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やはりこういう仕事で素晴らしいと思うのは、優しさを全力で他人に注ぐ仕事だということ。

 

愛のたりない僕には仕事でなくても、優しさを人になんて注げません笑

こういった仕事なので、当たり前なのかもしれませんが、障害者の方々に寄り添って、

彼らがされたら嬉しいことを手伝ったり、

何かをしたいけど、うまく1人ではできないことをサポートしたりと、

普段から優しいやつだという実感はありましたが、その優しさが滲み出ているような素晴らしい活動でした。

 

ただのアルコール中毒者ではなかったです笑

 

 

おやつ、お昼ご飯タイムの時に、彼の同僚たちとご飯を食べさせてもらいました。

モザンビーク人は下ネタが大好きなので、安定の得意分野の話に持って行ったら、安定の大盛り上がり。

スタッフの方々にもかなり気に入っていただけ、

「次はいつ来るの?」

「帰国前にまあ一度きなさい」

 

などありがたいお言葉をいただきました。

 

 

お昼で活動見学を終えて、公共交通機関で帰ろうとしましたが、所属長がたまたまマプト市へ車で行くから一緒に乗っていけ、

と提案してくれました。

 

あり難く乗車させてもらったのですが、

彼の実家にも連れていかれ、謎に彼の家族にも挨拶をしました笑笑

 

すいてもらうことは本当に嬉しいですけど、

やっぱりアミーゴ社会、、、すごいな

 

と感じました。

 

 

では、あて あまにゃー!

また会える日まで 〜もざぴ日記102〜

いよいよ迎えました〜

出発の日。

今回はただお別れして飛行機乗って、首都に着いたら疲れて寝ただけなので、そんなに書く内容はないと思いますが記載します〜

 

朝まで飲んで

結局朝5時ごろまで飲んでました。

だいたい片付いたとは思っていましたが、それでも最後に使う小物系をしまいこみます。

 

とりあえず眠かったし1時間半だけ寝ます。

 

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そして8:30。

タクシーを頼んでいた時間です。

リシンガは寒い事で有名なのですが、

この日は特に寒く、風もビュビューに吹いているし、曇り空。

 

最後の最後にリシンガの洗礼を受けた気がします。ダウン着ていたのに、外でた感想。

「くそさむっ」

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無事に片付けも完了し、

2年間お世話になった家やベッドとお別れです。寝不足のためかあんまり寂しい気持ちや離れる実感は全くないんですけど。

 

お隣さんが、出発するときは絶対声かけてよ!!

といっていたので、最後のあいさつです。

シスターたち本当に優しくて、体調悪くてなにも作れずに食べれなかった時もスープを持ってきてくれたり、

食事に招待してくれたら、本当にすごく良くしてくれました。

さようなら。
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最後に仕立て屋さんに頼んでいたものがあったので、それを取りにいきます。

と、いうより彼らは仕立て屋さんというより、すごく家族ぐるみで仲良くしてもらっていたので、あいさつしにきた、という意味合いの方が強かった気もしますが。
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最後の自分のいらないものを詰め込んで、小物系や靴などをさいごにどかーんとあげました。

おとといほどにシスターたちが作ってくれてたケーキも食べる時間と胃の容量がなかったので、

子供達にあげたら喜んで食べていました。

 

あげてよかった〜〜

 

最後に布の端切れをいくつか渡して、

なんかいいものを作ってよ!

という謎のリクエストにもすごく丈夫でかわいいボストンバッグを作ってくれました。

 

最後のプレゼントということで、たった2日だったにもかかわらず、彼も頑張ってくれたのでしょう。

 

こちらも最後の奮発ということで、彼の希望の値段の2倍ほど支払いました。

 

彼らが一番もう二度と会えない可能性が高いのかなって思います。FacebookやラインのようなSNSをやる端末も持っていません。

 

子供達といつも同じ子供のレベルで遊んでいたこともあり、彼らと別れる時につい目頭が熱くなりましたので、そそくさと切り上げて、

出発しました笑

 

本当にありがとう。


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空港に着いてみると、なんと同僚が待っていてくれました。

少し遅めに着いたので、待たせてしまっていたのが申し訳ない、、、

けど本当にびっくりした!

 

「ショースケ!本当に寂しいわ、あなたがいない穴は塞がない!だからせめてもの気持ちで来たのよ」

 

泣いてまうがな

 

 

つくのも遅れましたが、飛行機も遅れたので、最後におしゃべりはたくさんできました。

1時間遅れとか逆にマジで神的に程よかった。

 

初めてですけど、空港で食事をしました。

モザンビーク朝ごはん定番のスープ。

そしておしゃべりしながら待ったあの2時間ほど。

 

すごく喉の奥が熱くて、充実した時間でした。こんな自分のためにわざわざ来てくれてありがとうございました。


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本当のお別れの時。

特に左のおばちゃんは、特になにをきっかけにそう思ってくれたのか謎ですけど、すごい可愛がってくれていました。

 

「ショースケ、本当に行ってしまうのね。悲しい。私泣きたくないわ、」

と言いながら半分泣いてくれました。

 

ぼくもつられて泣きそうになってしまったので、そのおばちゃんとのお別れの会話やハグは軽めに終えました。

すごい最後に普通のハグとは違うぎゅっとしてくれたのを覚えています。

 

また会える日まで、Até um dia


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先輩隊員たちで、現地の同僚が見送りしてもらって、、、というのは見た事なかったので、それを自分がしてもらって、愛してもらっていたのだな、

と愛を実感しました。


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さて、大都会マプトです。

飛行機の中で静かに1人で涙をぽろぽろしていた頃に、離陸のため荷物を座席の下に入れてください、

と客室乗務員が言ってきたのですけど、

泣くので忙しくて、顔を背けながら対応しました。

 

向こうも大の男がなんか泣いててびびった事でしょうwwww

疲れすぎてマプトに着いたのは16:00頃でしたが、シャワーを浴びて、夕食をそそくさと食べてささっと寝ることにしました。

 

もう疲れたからここまで。

最後の日② 〜もざぴ日記102〜

前回の記事の引き続きです〜

最終日の過ごし方日中バージョンが下記記事で、今回は最終日の夜、お別れ会について記載します。

最後の日 〜もざぴ日記101〜 - ノピとモザ

 

【登場人物】

グラッサ先生 ポルトガル語の先生

アメリア グラッサ先生の友達

ルシア 同世代の仲良し同僚

ティナ 一番よくしてくれたおばちゃん同僚

ヴァシュコ お手伝いさん

 

 

あまり遅くなれない

時系列は戻ります。

パソコンを直して、結局19:00頃までアメリアからの何も音沙汰がありませんでした。

いつフェスタ始まるんだよ!

まちぼうけです。

 

ティナさん「あんまり遅くなるのはやだ!

もう勝手に家に向かおう」

 

と、いうことで、勝手に家へ向かうことにしました。

 


途中、行きつけのバーで、

飲み仲間に見つかってしまい、一杯だけ飲もうと言うしつこいお誘い。

かなり何度も断ったにもかかわらず。全く聞く耳を持ちません。

 

 

 

面倒なのでもう1人のボランティアと1つの瓶を半分ずつ飲むことにしましたが、

それを見たティナさんはおこ。

 

ティナ:「早くしないと!ルシア(もう1人の同僚)はもう待ってるんだから」

 


そんなこんなでほぼ一気飲みをして、急いで出かけます。

 

 

 

ついてみると同僚ルシアが彼女の妹とぼけっと家の中で座って待っています笑

すごい滑稽な姿だったので、家主アメリアの手伝いをしないのかと聞いたら、

手伝うことを尋ねたところ断られたとのこと。

 


いますよね、そう言うプライドの謎に高い人。キッチンに入れたくない人。

僕ももともと多分そう言う感じの人で、準備手伝ってもらいたくなかったんですけど。

 

けど、いま時間2時間も押してるんだから、手伝ってもらえよ!!

 

 

 

ティナさんはもう遅いからついてみんなに挨拶して、もう帰る!

と言うことになりました。

悲しいけど最後のお別れです。

多分一生会うことはないのでしょう。

 

初日の全く話せない頃から話しかけて気にかけてくれたティナさん。

彼女と抱き合った時に初めて目頭がかなり熱くなりました。

けどモザンビークで泣くこと(特に男は)

は良しとされないので、なんとか堪えます。

 

よく耐えきった。ふう

と、いうことで気を取り直してフェスタに戻ります。

 

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ティナさんは帰ったので、フェスタに来たがっていたお手伝いさんを呼ぶことにします。

 

もともとお別れ会にお手伝いさんのヴァシュコを呼ぼうと考えていたのですが、家主アメリアから直前になって一言ありました。

 

「家が狭いからあまり大人数ではできない、減らして!」

 

ということで、お別れ会をやることは彼には言っていたけど、招待せずにいました。

 

夕方電話。

「今日お別れ会なんでしょ?」

 

 

人数多いからってお断りしました。

電話では普通な感じだったけど、後から他の人に聞くと怒ってたみたいです。

 

補充要員でしたけど、あとからよんだら、忙しいって断られました笑笑

結局もう一度え、なんでこないの?まってるよ

とグイグイ目に誘ったら来てくれましたけどwwww

拗ねていた件

 

 

結局ちゃんとフェスタに来てくれました。

めかしこんでいましたwwww

 

僕のあげた服を全身にきて、僕のあげた極暖を中に着込み、

あげた白い靴とソックスで、

完全にぼくの姿で笑いましたwwww

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まあこういうフェスタに着るような服持ってないか、、、

パンツまで彼が欲しいっていうからあげたんですけど、パンツも合わせてたら笑う。

 

 

月曜から夜ふかしでパンツは一年で取り替えた方がいいって言ってたから、ぼくのうんこ菌がついているしやめたほうがいいと思うんだけど、、、

 

彼らが元から持ってるやつの方がいろんな変な菌がもっとついているのかな笑

 

 

そして多分フェスタに行く、ということが初めてだったのでしょう。

最初はフェスタに呼ばれたってことでウキウキで来たと思いますが、ヴァシュコとしてはぼくのことと、もう1人のボランティアのことしか知らないわけで、知り合いもおらず無言で1人でご飯を食べています。

 

そうだよ、フェスタとはコミュニティ違う人もいるし、疲れるものなのだよ笑

 

 

けど、多分彼にとっては初めて、

おしゃれな家でそこそこ素敵なホームパーティで実質飲み放題食べ放題は貴重な体験になったことと思います。

 

 

お手伝いさんという立場

ぼくらからするとお手伝いさんといえど、人は人。

つまり仕事を終えてしまえば、普通にただのアミーゴだと思っているし、それ以上でもそれ以下でもありません。だからフェスタにも誘ったわけです。

 

 

彼が到着した時にヴァシュコのことを紹介しました。

 

 

 

一気にメンバーの顔色が変わりました。

 

 

ぼくには言われませんでしたが、もう1人のボランティアにはグラッサ先生やアメリア、ルシアから言われたらしいです。

 

「お手伝いさんと友情育めるのか?よくフェスタによんだね」

 

 

ポルトガルに植民地支配された歴史を持つモザンビークでは、主人と召使い、という明確な立場の違いがあり、

お互いに仕事以外だとしても相容れない文化があるのでしょう。

 

お手伝いさん、という立場の人間を読んだことをそこまで過剰に反応されることは、

僕としてはカルチャーショックだし、かなり驚きました。

 

グラッサ先生もアメリアもルシアももちろんかなりいい人たちなのですけど。

 

 

 

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最初はぎこちなく始まったフェスタでしたけど、最後は大爆笑の楽しい感じで終えることができました。たのしかったです。

 

モザンビーク人との会話が楽しくなった

ポルトガル語の先生の授業をうけるようになって、それまで苦痛だったモザンビーク人との会話が楽しい、と思えるようになりました。

 

一年以上、モザンビーク人と話すことは苦痛で嫌だったんですけど、授業をやるようになり、

モザンビーク人の考えていることや

ポルトガル語がわかるようになって、

会話が楽しいと思えるようになりました。

 

いっときは苦痛すぎて毎日ゲロ吐いていたけど、そこから我ながらの復活劇。よかったです。

 

 

いつもフェスタの時は、着飾っておしゃれな格好で来る先生が、

この日は手を抜いたのかポロシャツとジーンズの格好で笑いました。

 

なんで?去年の元いたボランティアのフェスタの時はおしゃれしてたじゃん!!!

 

って会話している時が、最大のボルテージの爆笑でしたwwww

プリンセスまたいなフリフリのスカートで、めちゃ高いハイヒール履いた姿👠見たかったよー

って言ったら死ぬほど爆笑でした。

 

最後お別れのハグの時、

ポルトガル語の先生とは普通のハグをしました。

一番末っ子のやつはパーティー中寝てしまっていたので、帰るため起こされて不機嫌なところをハグしたのでお別れ感はありませんでした。

 

普段あんまり話さなかったお兄ちゃんの方が最後寂しいと思ってくれたのか、意外と固く抱きしめてくれたのはなんだか嬉しかったです。

全然絡まなかったけど、なんかいいやつだったな、サミー。

 

 

最後の日、バタバタしたけど結局楽しかったです。

そしてフェスタは22:30に終わり、

もう1人のボランティアに誘われ朝まで飲むことに、、、

何もない我が家で(笑)

 

片付け終わってないのに。wwww

けどすっごく楽しかったです!

 

最後の日 〜もざぴ日記101〜

いよいよ任地で過ごす最後の日がやって来ました~

 

いつもどうしても出発前はめちゃくちゃ慌ただしくバタバタするのに、今回は奇跡的にそこまでバタバタせず、ゆっくりとお別れの時間を楽しんだりすることができました。

 

本日はそんな最終日の任地での様子を記載していきたいと思います〜

 

 

任地滞在最終日


さて、最終日。やることは盛りだくさん。

最近は早寝早起きのため、自然と5時頃に目が覚めてしまいます(笑)

おじいちゃん

 

パッキング

朝はまず疲れるまで少しパッキング作業です。

家具の引き取り手とかも何人かいたので、家で待機しながら。

 


9:00にお隣さんのシスター見習いの女の子たちから帰る前にもう一回おしゃべりしたいと、ありがたいお言葉を頂いていたので、

時間は短いですが、30分ほどおしゃべりタイムです。

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訪問者がいたので、その子供と遊んだりもしてました。

 

2人だとかなりスムーズ

家の掃除もしなくてはいけませんが、

それはお手伝いさんに来てもらって、自分は他のやるべきことをやります。

彼に窓枠とかまでも掃除してもらったので、家の中はピッカピカです。

 

 

 

そう言う僕は最後にお願いしていた伝統布カプラナたちの引き取り作業です。

 

ちゃんと本日が最後の日だと事前に伝えていたこともあったため、ちゃんと完璧に仕立て屋さん側も縫い終えて待っていてくれました。

 


11月にした一時帰国の時はそうはいきませんできた。

 

ずっと完成せず、

出発日の朝もバタバタ取りに行ったはいいけど、

出来上がって無くてめちゃぶちぎれる、

 

と言うことをしていたのですが、

不思議なことに全く今回はそんなこともなく、非常にスムーズに行きました。

 


まだできていなくて、待つところもありましたが、そこの仕立て屋さんの子供たちと遊ぶのは好きだし、

30分くらいしか待たなかったので、これは奇跡的です。

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ほぼ1時間で4件のカプラナ引き取り作業を終えることができました。

 

 

 

午後は諸々の家具引き取り手を家で待ちながら、パッキングの続きです。

綺麗なまでに家にある家具類は全て綺麗さっぱりなくなりました。

 

出来るだけもう1人のボランティアの家に引き取ってもらわないようにしました。

迷惑かかるし。

 

彼の家は十分ものがあるし、

出来るだけモザンビーク人へあげるか売るかして、一部の家具を除いてやりきりました笑笑

 

我ながらすごいわ

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家が広く見えます

 

 

最終日のお別れ会

夜は同僚2人を招いて、

ポルトガル語の先生と彼女の友人家でお別れ会パーティーです。

 

【登場人物】

グラッサ先生 ポルトガル語の先生

アメリア グラッサ先生の友達

ルシア 同世代の仲良し同僚

ティナ 一番よくしてくれたおばちゃん同僚

 

 


翌日のこともあるので、あまり遅くならないように17:00開始と決めていました。

 

お別れ会が始まらない

17:00にアメリアから電話。

 

「まだ準備できていないので来ないでくれ」

 

 

 

ティナさんはかなり遠くに住んでおり、

子供もいるので早めに家に帰らなくてはなりません。

 

17:00に現地集合にしていたにもかかわらず、気合いを入れて(?)15:30についてしまったようで、彼女から連絡来ました。

 

「もう着いたけど、どこにいる?」

 


僕もいろいろなやることや、整頓作業残っているから暇じゃないんだけど、、、

 


とは思いましたが、お迎えに行きました。

 

クソ寒い気候の中1時間半も放置する気にもなれずに、ほぼ家具を取り払った我が家でおしゃべりと片付けを一緒に手伝ってやってもらうことにしました。

 

 

考え方新しいでしょう

 

 

 

パソコンの言語変更に要注意

家の片付けと同時進行で、

持って来ていたパソコンをルシア売って欲しい、と言われていたので、

そのパソコンの初期化作業を実施します。

 


初期化作業自体はすぐに特に問題もなく行えたのですが、問題は言語表記の変更です。

 


日本で買って来たパソコンのため、

もちろんのことパソコンは日本語。

それを彼らが理解できるようにポルトガル語へ変更してあげなければいけません。

 


お別れ会もなかなか始まらなさそうだったので、結局2時間ほどパソコンと格闘しましたが、言語変更を完全にすることはできませんでした。

 

 

え、なんでなんだろう。

そこ日本語で固定する意味ある?笑笑

 

 


結局言語変更できなかったため、ルシアへ謝罪です。

「謝ることがある、ポルトガル語の変更できなかったからお金返すよ」

 


といったところまさかの回答。

 


ルシア:「問題ないよ、私の旦那が挑戦してみるから、とりあえずパソコンよこしてよ。

無理そうなら明日の朝パソコンを持ってくる。

 

 

 

え!

日本語読めないのにどうやるの笑

 

 

まあ、けどこちらも片付けで手一杯だったし、やってもらった方が神的にありがたいわけです。

 


無理でできなかったら仕方ない、、、

 

 

 

そして結果なんとポルトガル語への変更は無理だったけど、英語変更ができた?らしいです。

まあそれなら良かった笑

 

と、言うわけでずっと前に買ったため、動きの遅かった、

そしてかなりの重量があり、日本へ運ぶ荷物の重量を圧迫するであろう、

いわゆるお荷物のパソコンといい形でお別れできたのでした。

 

 

と、いうわけで肝心のお別れ会の様子は次の記事に記載します〜

 

あてろご!