ノピとモザ

2017年7月から2019年7月までモザンビークにて、青年海外協力隊 PCインストラクターとして活動していました。当時の思うことや記録など備忘録代わりに気ままに書いてました。 日本へ帰国しましたが、改めて思うことやカルチャーショックについても書いていきます。フィギュアスケート好きです⛸

青年海外協力隊の一年って!? 行くまでの半年、来てから半年の心の動きを大公開

みなさんola~~

いや、お前の心のあたり動きなんて、知らねえよ。とか思わずに。

2017年振り返りのために、ちょっと書いてみました。笑

 

いよいよ年末に差し迫り、同じ職場の先輩が本日活動ラストとなりました。
彼は26日に今いる任地を離れて首都へ、そして1月に日本へ帰るそうです。

僕も日本に帰りたいなあ。


別に大した理由はないのですが。
とりあえずのところ、日本食食べたい、とかはないですが。


友達に会いたいだの、日本できれいな服を着たいだの、寒いのを体験してコートを着たいだの
たぶんこのブログを読んでいる皆さんからすると、そんな理由で!?
っていう要素で日本に帰りたいなあ、なんておもいます笑

 

 

さて、いよいよ年末が迫ってきたということで、ここで一年の振り返り。

 

今年は初めてづくしの1年となりました。
晦日ということもあり、ここで超私事入って来ますが、青年海外協力隊に合格して、退職をすることになった今年の1月からどんな心境だったのか振り返りたいと思います。

本当は合格した8月から振り返りたかったのですが、膨大な量になってしまうので、また別の回にしたいと思います🤓

 

この新鮮な体験の連続で少しでも成長できていればよいのですが、、、

 

 


1月
ほぼ年内に仕事の引継ぎを終えて、ほとんど年始のあいさつ回りにくっついていったり、
ほかの営業の事務処理を手伝ったりしていました。


もうすでに自分の営業としてのお客さんは引き継いでしまった後だったので、やることがありません・・・。


ということで、勝手に新規をやっていたのですが、まさか上司たちも捕まえてくるとは思っていなかったお客さんを捕まえたりしていました(笑)

 

 

また1月下旬にようやく、協力隊へ来ることの一般公開をしました。
といっても、一般公開前にはほぼ全然周りにはいってませんでした。

 

いよいよ告白の時・・・
本当に仲いい人ほど言うのがつらかったことを覚えています。

 


「なんで早くいってくれなかったの」

 


多くの人に責められたのを覚えています。

 

けど、自分の中で抱え込んでいた期間(8月の合格~1月)の苦しみと比較すれば、
責められのはたいしたことではありません。笑

 

スノーボード旅行や温泉旅行など、かなり旅行もしました!思い出作り。
一緒に行った人たちは思い出作りとは知らせずに突き合わせてしまったのですが(笑)

 

 

 

2月
本格的に社内での業務もやることがなくなり、週に2~3回ほど出社する。


どこの名誉会長だよ、みたいな出勤の仕方をしていました。(すみません)


2月に入ると毎日飲み会やお別れ会をしていただき、ありがたいことに毎晩予定がありました。

 

 

体力お化けといわれる私ですが、さすがにこのころは体力と酒のキャパが追い付かなくなり、
お酒を控えめにしたりしていて100%楽しめなかったのが残念です(本音w)

 

そして、個人的にずっと簿記を勉強していたので、2月下旬は簿記の勉強のために、ということで一週間まるまる休ませてもらったり、だいぶ会社にはわがままを聞いてもらいました。

 


そして、、、書面上では3月末での退職だったのですが、3月からJICAの研修が始まるということで、2月末で実質通勤は最後ということになりました。

 

ここで人生初めての体験。「退職」です。

 


退職日最終日はデスクの片づけや人事部への書類手続きの対応、
税金の対応やPCの返却、あいさつまわりなどやること盛沢山でめちゃくちゃ忙しい日でした。


意外と最終日にならないとやれないことって多いんです。効率悪いってのは絶対あるけど。


しかも2月最終日だったこともあって、最後に自分が担当していたお客さんの事務処理などが残っていました。こればっかりは注文書もらってからじゃないとできないですしね、、、


退職するにもかかわらず、新規で発注していただいた高級マンションの某お客様。


本当にありがとうございます。
担当窓口の方がかわいらしい方だったから、もっと担当していたかった・・・

 

 


3月
いよいよ新生活の始まりです。初めての体験。「JICA研修」


まずは、技術補完研修といって、2週間ほど9時から17時まで、提携している社員教育などをしている施設がある、両国へ通っていました。


私はPCインストラクターで派遣されたので、
PCやインターネットについての基礎知識、PCの分解から、プレゼンの練習まで
最終的にはPCの授業を意識した模擬授業まで行いました。

くわしくはこちら

久しぶりの新入社員研修のように、知らないメンバーと研修。
仕事をしているときは新入社員研修をしていた時は楽だなーなんて思っていましたが、
いざ同じことをやってみるとこれはこれで大変でした。

と、いっても、新入社員研修の時はあるいみふわふわ、少しへらへらで受けていた部分もありましたが、
今回は任国へ行った際に全部その知識を生かさなければなりません。
そういった意味で真剣さや重要さは新入社員研修とは比較になりませんでした。


今考えるとたった2週間ほどの短い期間だったのですが、
中身が濃すぎたので毎日8時間ほどしか勉強していませんが、
毎日がとても長く、今考えると後述する派遣前訓練の70日より長かった感じがします(それは言い過ぎ?w)
3月はまだ東京にいたので、最後の追い込みで、合うべき人にあったり、
結婚式に参加したり、任国派遣に向けての買出し第一段をしたりしていました。


そして、三月後半は・・・
卒者旅行というなめた名の旅行・・・
こちらも以前に記事を書いていますが、技術補完研修後、2週間ほどかけて、
関西を巡って会いたい人にあってきました。
神戸、奈良、大阪、京都・・・いつもながら会ってくださった方ありがとうございました。

この関西の友達のうちの一人。
卒業旅行で知り合った人だから、からみとしてはかなーり薄いはずなのに、
そこらへんの大学の友達よりよっぽど仲いいって思ってます笑
年に2回くらい会いに行ってたし。なんか出会いって不思議ですね。

 

 

4月
4月はいよいよ、福島で派遣前訓練スタートです!
ドキドキしながらバスに乗り込んだら、イケメンだしなんかできそうなひとがいる、、、!
うわ、まぶしい。とか思ってたらその人とも同い年で最終的には仲良くなれたので良かったです笑

4月は福島はまだまだ冬。
訓練所に入ったばかりの時は雪がたくさんありました。
どきどきの自己紹介は恋ダンスインパクト爆弾投下しようとしたのに、
音楽がうまく流れないミスがあって、くそみたいな自己紹介で終わったのが結構くやしい笑
あと4月の思い出といえば、ぼくは何事も習得に時間がかかるタイプで
ポルトガル語が神的にできなかったのを思い出します。

習ったことをクラスメイトは要領よくすぐに授業で話したりして
生かしていきますが、僕は全く。
毎日2時間以上勉強しているのに、毎週の小テストでも全く結果が出ずに、
毎週半べそ状態という非常に苦しい一か月でした。

あと意外とこう見えて、コミュ障な性格なので、
生活班や語学が同じ以外の友達もなかなかできず、毎日わりとつらかったです笑

 

 

5月
中間テストも終えて、5月上旬にずっとたのしみにしていた、某福島のテーマパークに東京から友達が7人遊びに来てくれるイベントがありました。


テストの結果が悪くて外出禁止になる恐怖におびえていましたが、、、


何とかクリア。

 


無事に友達と会うことができました。
福島県内から向かっているのに、3時間以上かかったような。


かたや東京から来た、彼らのほうが早く着くっておかしい。笑
東京はすごいですね。

 

 

訓練所生活では、いよいよ楽しみにしていた、所外活動(訓練所の外でボランティア活動)
や野外訓練(キャンプのような野外での訓練)、座禅訓練などがあり、訓練もようやく楽しく過ごせるようになってきました。


最終週には二本松訓練所からも近い名山、安達太良山に上ってきました。
この山は温泉も登山道いくつかにあって、本当によかったなあ。

 

 

 

6月
いよいよ、訓練も終わりに近づき、語学の先生とクラスメイトで訓練所の外へ出かける遠足のようなイベントもありました。


ポルトガル語にずっと自信のなかった僕ですが、この遠足中ずっとポルトガル語を使用しなければなりません。

 

しかし、意外と何とかなるもので、わかる単語を適当につなげながらしゃべっていたらなんだかんだ会話できているのがとてもうれしく、
また出かけた先の施設がとても楽しかったのを覚えています。


東京からわざわざ出かける価値?があるかは疑問ですが、いつも訓練所に閉じ込められているので、自然たくさんのおいしいものが食べれるところに出かけられただけでもとてもリフレッシュになり、楽しかったです。


期末試験は非常にボロボロで、終わった瞬間

 

「あーもう落ちたわ、さいあく。死にたい」

 


な感じで騒ぎまくっていたのを今でも覚えています笑

 

緊張しすぎて、昼食にカレーが出たけど味全然覚えてない。
(プレッシャーによわめ)

 

期末試験後は無事に生活班全員合格できた、ということで、みんなで近くの温泉街の岳温泉に泊まりで出かけたりたくさん思い出を作ることができました。

 

 

訓練中は朝から晩まで予定が詰め込まれており、全くスキがないので忙しい&語学大変、というのが先行していましたが、

終わってみると70日間もあったのに、ぼーっと思考するタイミングがなかったので、
あっという間に終わってしまった夢のようでした。

 

そして6月下旬は最後の特別に会いたい人たちに限定して、
最後の追い込みの会をしていました。笑

 


7月
いよいよ・・・モザンビークへ出発です。
1月に青年海外協力隊モザンビークへいきます、といってから
「え?まだ日本にいるの!?」と、半分いくいく詐欺のような状態となっていましたが、
ようやく来ることができました。

 

モザンビークの最初の印象は、意外とちゃんとしてる。笑

 

 

そうです、アフリカといえども首都は意外とどこもシティーなのです。
まだアフリカはモザンビークの首都マプトとエジプトのカイロしか知りませんが、
ほかの国も発展しており、アフリカ感は感じられないそうです。

 

しかし、治安はアジアとは比較にならない悪さ。
何よりも人種が全く違うので目立ちます。


きっとそんな理由から強盗やスリなどに狙われるのでしょう。
私は今までアジアへの旅行が多かったので、こんなにも人種が違うことで、
差別?なのか、違いを受けることがとても印象的でした。


外国人が歩くだけで、ほぼ100%襲われるという恐ろしい道なんかもありますしね。

 

予想はしていましたが、現地人がしゃべっているポルトガル語は意味不明。
最初の一か月は首都で午前はポルトガル語の授業、午後は専門のチューターがついて、
マプト市内を巡って、現地の文化や一般常識を学ぶ授業がありました。

 

午前中の授業はクラスメイトと比較して、全然聞き取れないし、
午後の授業は広い市内をぐるぐるするので体力的にもきつい。


おまけにホームステイなので、いえでもポルトガル語、しかも食事がいまいち合わない。

 


ということでなかなか苦しい一か月を過ごしました。

今の状態で首都に行くと娯楽がたくさんあり、楽しい場所なのですが、
当時はつらいしかなく、はやく任地へいって一人暮らしをしたいなと考えていました。

 

 

 

8月
いよいよ任地へ配属です。
8月上旬に一か月間授業で学んだことをポルトガル語で発表する機会があるのですが、
訓練所で発表した時よりもスムーズに話せるようになっている気がして、少しうれしかったです。


ですが、配属先で何をさせられるか、ましてや自分の知識や経験に自信がないので
とても行く前は不安でした。おまけに任地はとても寒くて、何もないよ、超田舎だよ、
モザンビーク人10人が10人そのように言う。

しかし実際に来てみると、確かに何もないですが涼しくて、人々も温厚でのんびりしていて、首都より好きになれました。


物価が高いのだけ許せない。笑

 

 

 

9月

協力隊員は3か月ごとに支給の生活費があるのですが、さっそく底をつきました。


ということで非常に非常に毎日が長く感じました。
また任地は標高1,300メートル。

 

空気が薄いからか、毎日配属先へいってただ座っているだけなのにへろへろの毎日でした。

 


そして最後の一週間はとうとう日本円で60円ほどしかなくなってしまい、
毎日5円で買えるパンとスープで暮らすという
中世の貧乏ヨーロッパ人みたいな生活をしていました。

 

この国、国の補助が出る関係でパンだけ安いんです。
あとは日本と同等か、むしろ高い。

 

 

 

10月~12月
10月の半分は首都と観光地イニャンバネへ旅行に行ってたこともありますが、この三か月は非常にあっという間でした。


特に最近の12月。ぼけっとしてたらあっという間に一週間おわります笑

そんなかんじであっという間に2年も終わるんだろうなあ、とか軽く絶望にかられますが、
ポルトガル語。どうすれば上達するんでしょうね。
全然語学力上がってる感じがしません。

20歳の時に中国へ4か月ほど留学していたことがあるのですが、

 

その時はまるまる1か月がまるで何を言っているかわからない、
2か月後から徐々に何を言ってるかわかるようになる
そして4か月のころには日常生活には困らない語学力がありました。

 

 

やはり、毎日授業があって、中国語のシャワーだった、
毎日誰かと中国語で会話するようにしていた、わからない単語はその場ですぐに調べるなど
今にはない、若さと素直さがあったからでしょうか。笑

 

今はせっかくモザンビーク人に話しかけられても、意識しないうちにで、右から左に流してしまって聞いているようで
聴いていないことがあったり、わからないことがあっても、
まあいいや、というよくない癖がついてしまったりしました。

 

しかし、毎日何もないながらも、ポルトガル語アルプスの少女ハイジにはまったり、
日本の昔のドラマの続平成夫婦茶碗をみて、涙活するなど、
余暇を充実させられてきて?おり、暇すぎて死ぬってことはなくなってきました。

 

他の人より活動を充実させられないぶん、語学を頑張ることにしました。

語学という基本ができれば、きっと今は活動の方向が見えなくてもきっと開けてる来るはず、、、ということを信じて。

 

他の人が活動で忙しくて勉強できない時間を勉強して、目にものを見せてやる。🤓

 

 

家にいればお金もかからないですからね。

 

今後は勉強とは別に。

少年時代にあまり漫画やドラマを見なかった人間なので、帰国後一般常識いついていけるように一般の人が見てきた、
ドラゴンボールスラムダンク、ワンピースやナルトなんかを読んでみようかなって思っています。

 

帰国後に一般常識ついていけるようにしないと。

 

こんなこと暇な時にしかできないですからね。
人生の中での自分磨きタイムの二年間って思っています。

 

今年1番の収穫は何よりも。

素敵な新しい出会いと、今まで気づけなかった身近な深い愛です。

とてもそんな人たちに支えられた、濃厚な一年にできたことに感謝です。

 

周りの皆さんありがとうございます😊

元同期の皆さん、ナミビアのあなたもね🇳🇦

 

 

というわけで2018年はより実りのある、自己磨きの一年にしたいと思います。

みなさんからこんなことを勉強しておけばいいよ、などアドバイスありましたらどしどし募集しています!

 

 

それでは、日本は残り6時間を切りましたが、みなさま良いお年をお過ごしください^_^

 

ぼん ふぃん どぅ あの!

では、また来年〜!!!