耳が聞こえなくなりました ~もざぴ日記34~
おひさしぶりです~
我が任地リシンガは恐怖の冬へと近づいてまいりました。
リシンガは標高1,300メートルにあるようなので、アフリカなのに非常に気温が下がるのです。
一番寒いといわれる7月には5度とかになるとか・・・・
えぱー(モザン人がよくいう嘆き)
日本みたいにちゃんと防寒がなってる家ならいいですけど、
すきまかぜびゅーびゅーですからね。先輩隊員は湯たんぽを使ってるそうです。
先輩が帰るときにもらおーっと。
※全然関係ないけど首都マプトにあるアダルト商品のショップ。
主にポルトガル人が買うらしい🇵🇹
耳が聞こえない
突然ですが、耳が聞こえなくなったことはありますか?
実はぼくはなぜーか高校の時からよくなるんです。
そして今回も1月くらいから聞こえにくくなりました。
放置してたら2月くらいに普通に聞こえるようになって、3月に入ってからは左耳は完全に聞こえない・・・という事象に。
リシンガは二アサ州の州都なので病院はあります。
ですが先輩隊員(看護師)いわく、病院に行ったら余計に変な病気うつされる・・・
というほど不衛生らしいのです。
誰がいつ使ったかわからない変な機材で耳ほじくられるのも嫌ですしね。
2か月くらい放置してました。
耳が聞こえない不便さと良いこと(言い訳?)
耳が聞こえないのは誰でも不便・・・・ということは想像に易いことだとは思うのですが、母国語の日本語でさえ聞き取ることが難しかったので。
まあ、ポルトガル語はますます話したくなくなるわけです。
何言ってるか、サーッパリ分からない。
自分が語学力なくて理解できていないのか、そもそも音を拾えていないのかもわからない。
全然聞こえないから聞き返すと「またか」みたいになる。
まあけど自分が外国人に聞き返されまくったら同じようになる気がするししょうがないんですけど。
ただでさえめんどくさくてモザンビーク人と交流したくないのに、さらに交流したくなくなった2か月でした(笑)
ですが、良いこともあります。
耳が聞こえないので、モザンビーク人の謎のうるさい奇声とか雑音を聞かなくてよくなります。
耳が治ったあとに家帰って寝てたら、壁がめちゃくちゃ薄いから隣の家族のうるさいのなんのって。
病院へ行けない
お待ちかね。耳の原因についてです。
耳が聞こえにくいってだけで首都に上京させてもらうのは恥ずかしかったので、2か月ほどずっと我慢していたわけですが、
隊員総会というモザンビーク隊員ほぼ全員が集まる会議の準備のために首都へ上がる用事があったので、一緒に病院へ行かせてもらうことになりました。
予定では4月19日の便。
しかし、悪評高いモザンビーク航空。
初めて不幸に巻き込まれましたwww
そんなこんなで病院にたどり着くのも今回はそこそこ苦労しました(笑)
詳しくはこちらの記事を。
ようやくの思いで行こうとするも結局この日のフライトはキャンセル。
任地へ帰る予定は日曜日だったので、金曜日夕方に代替の予約をしました。
ですが、こちらも遅延と謎に意味不明の場所へ急に経由したので、マプトに着いたのは19時・・・・。間に合いません。
結局帰る日をいったん木曜日までずらして(だいぶずらした感)
月曜日に診察を受けることとなりました。ようやくです。
耳の原因
結局原因は耳糞の詰まりすぎでしたwwwwwww
しかも綿棒でいつも耳かきをしているのですが、
綿棒の綿の部分が固まって耳かきのせいで奥に詰まって、再受診が必要という
原因はダサいのに、まだまだマプトへ滞在する羽目となりました。
しかも耳の中の異物を柔らかくするために、
薬を3日間入れなければならない・・・・
月曜日受診したから、火曜日・水曜日・木曜日・・・・。
また飛行機の変更です。
JICAお金ないって言ってるのに、意味不明なところでお金使わせてしまってすみません・・・(キャンセルだとお金かからないのかな?)
結局金曜日に受診して、土曜日に帰ることとなりました。
2回目の受診
くすりで異物を柔らかくしていたおかげか、すぐに洗浄が終わりました。
まさかの10円玉くらいの大きさの異物が両耳から出てきましたwwwwwまじできもい。
面白すぎて写真撮りたかったけど、さすがに取れません。残念
そして見違えるほどの聴力の回復。
びっくりするほどなんでも聞こえます。
治って今日で5日目ですが、めちゃくちゃモザンビーク人としゃべりましたw
まあ聞き取れる聞き取れる。
病院に2回も健康管理員さんも付き添ってくれて、
活動の悩みとか協力隊終わった後の進路とかについても貴重なお話が聞けました。
こんな機会でもないとなかなか話せない・・・地方隊員のつらいところ。
健康管理員さんに看護師になれば?けど今どきは医者のほうがいいな・・・とかいわれたけど、理数系マジで無理だし、自分の脈をはかるのも気持ち悪くなるような繊細な子なのに・・・・
とか思いながら、万が一にも医者になった姿の自分を妄想してにやにやしていました。
活動についてもすごい勉強になることが聞けました。
今の活動がいかに糞 実を結ばなくても。
とりあえず活動に行って人間のコミュニティが必要のようです。
日本以上にコミュニティ社会であるアフリカ社会。
健康管理員さんの話を聞いたら嘘のように何もやることのなかった職場からトントン進んで、最終的にテレビに出て、NGOの手伝いをするようになったとか。
すごいなあ。
全然関係ないけどむかつく話
明後日25日はDia de Campo つまり畑の日です。
それで僕の配属先は国立農業研究所なので、重大イベントなのです。
なんと首都マプトや第二の都市ベイラなどから人が来るとか。
畑の視察するとか。
そんな重大イベントなので、なんか誰もいない・・・
とおもったらみんな総出でさっきまで会議してました。僕だけ仲間外れ・・・
まあ会議はだるいからそれはよいんですけど。
青年海外協力隊では基本一緒に仕事をするカウンターパートと呼ばれる同僚がいます。
ぼくには最近文句言ったおかげでようやくカウンターパートをつけてもらったのですが、先ほどこの畑の日について会話をしました。
私 「畑の日何するの?」
CP 「広報のための写真をとるよ」
私 (勇気を振り絞って)
「何か手伝えることない?」
CP 「・・・。〇〇(他の同僚)にきいて」
いらっとしたー。笑
だだでさえやることないから、やることない?って聞いてるのに、
そうなりますかー。
べつにあなたの写真撮る仕事を分担させてもらえるだけでよかったんですけど。
意外とシャイボーイなので、これ以上は言えませんでした。ちゃんちゃん
いてもいなくても変わらないのがボランティアとよく言われます。
必要となるようにうまーく活動することが必要なのですが、
そうなることは遠い未来のようです、とほほ