最後の日 〜もざぴ日記101〜
いよいよ任地で過ごす最後の日がやって来ました~
いつもどうしても出発前はめちゃくちゃ慌ただしくバタバタするのに、今回は奇跡的にそこまでバタバタせず、ゆっくりとお別れの時間を楽しんだりすることができました。
本日はそんな最終日の任地での様子を記載していきたいと思います〜
任地滞在最終日
さて、最終日。やることは盛りだくさん。
最近は早寝早起きのため、自然と5時頃に目が覚めてしまいます(笑)
おじいちゃん
パッキング
朝はまず疲れるまで少しパッキング作業です。
家具の引き取り手とかも何人かいたので、家で待機しながら。
9:00にお隣さんのシスター見習いの女の子たちから帰る前にもう一回おしゃべりしたいと、ありがたいお言葉を頂いていたので、
時間は短いですが、30分ほどおしゃべりタイムです。
訪問者がいたので、その子供と遊んだりもしてました。
2人だとかなりスムーズ
家の掃除もしなくてはいけませんが、
それはお手伝いさんに来てもらって、自分は他のやるべきことをやります。
彼に窓枠とかまでも掃除してもらったので、家の中はピッカピカです。
そう言う僕は最後にお願いしていた伝統布カプラナたちの引き取り作業です。
ちゃんと本日が最後の日だと事前に伝えていたこともあったため、ちゃんと完璧に仕立て屋さん側も縫い終えて待っていてくれました。
11月にした一時帰国の時はそうはいきませんできた。
ずっと完成せず、
出発日の朝もバタバタ取りに行ったはいいけど、
出来上がって無くてめちゃぶちぎれる、
と言うことをしていたのですが、
不思議なことに全く今回はそんなこともなく、非常にスムーズに行きました。
まだできていなくて、待つところもありましたが、そこの仕立て屋さんの子供たちと遊ぶのは好きだし、
30分くらいしか待たなかったので、これは奇跡的です。
ほぼ1時間で4件のカプラナ引き取り作業を終えることができました。
午後は諸々の家具引き取り手を家で待ちながら、パッキングの続きです。
綺麗なまでに家にある家具類は全て綺麗さっぱりなくなりました。
出来るだけもう1人のボランティアの家に引き取ってもらわないようにしました。
迷惑かかるし。
彼の家は十分ものがあるし、
出来るだけモザンビーク人へあげるか売るかして、一部の家具を除いてやりきりました笑笑
我ながらすごいわ
家が広く見えます
最終日のお別れ会
夜は同僚2人を招いて、
【登場人物】
グラッサ先生 ポルトガル語の先生
アメリア グラッサ先生の友達
ルシア 同世代の仲良し同僚
ティナ 一番よくしてくれたおばちゃん同僚
翌日のこともあるので、あまり遅くならないように17:00開始と決めていました。
お別れ会が始まらない
17:00にアメリアから電話。
「まだ準備できていないので来ないでくれ」
ティナさんはかなり遠くに住んでおり、
子供もいるので早めに家に帰らなくてはなりません。
17:00に現地集合にしていたにもかかわらず、気合いを入れて(?)15:30についてしまったようで、彼女から連絡来ました。
「もう着いたけど、どこにいる?」
僕もいろいろなやることや、整頓作業残っているから暇じゃないんだけど、、、
とは思いましたが、お迎えに行きました。
クソ寒い気候の中1時間半も放置する気にもなれずに、ほぼ家具を取り払った我が家でおしゃべりと片付けを一緒に手伝ってやってもらうことにしました。
考え方新しいでしょう
パソコンの言語変更に要注意
家の片付けと同時進行で、
持って来ていたパソコンをルシア売って欲しい、と言われていたので、
そのパソコンの初期化作業を実施します。
初期化作業自体はすぐに特に問題もなく行えたのですが、問題は言語表記の変更です。
日本で買って来たパソコンのため、
もちろんのことパソコンは日本語。
それを彼らが理解できるようにポルトガル語へ変更してあげなければいけません。
お別れ会もなかなか始まらなさそうだったので、結局2時間ほどパソコンと格闘しましたが、言語変更を完全にすることはできませんでした。
え、なんでなんだろう。
そこ日本語で固定する意味ある?笑笑
結局言語変更できなかったため、ルシアへ謝罪です。
「謝ることがある、ポルトガル語の変更できなかったからお金返すよ」
といったところまさかの回答。
ルシア:「問題ないよ、私の旦那が挑戦してみるから、とりあえずパソコンよこしてよ。
無理そうなら明日の朝パソコンを持ってくる。
え!
日本語読めないのにどうやるの笑
まあ、けどこちらも片付けで手一杯だったし、やってもらった方が神的にありがたいわけです。
無理でできなかったら仕方ない、、、
そして結果なんとポルトガル語への変更は無理だったけど、英語変更ができた?らしいです。
まあそれなら良かった笑
と、言うわけでずっと前に買ったため、動きの遅かった、
そしてかなりの重量があり、日本へ運ぶ荷物の重量を圧迫するであろう、
いわゆるお荷物のパソコンといい形でお別れできたのでした。
と、いうわけで肝心のお別れ会の様子は次の記事に記載します〜
あてろご!