ノピとモザ

2017年7月から2019年7月までモザンビークにて、青年海外協力隊 PCインストラクターとして活動していました。当時の思うことや記録など備忘録代わりに気ままに書いてました。 日本へ帰国しましたが、改めて思うことやカルチャーショックについても書いていきます。フィギュアスケート好きです⛸

最後の日② 〜もざぴ日記102〜

前回の記事の引き続きです〜

最終日の過ごし方日中バージョンが下記記事で、今回は最終日の夜、お別れ会について記載します。

最後の日 〜もざぴ日記101〜 - ノピとモザ

 

【登場人物】

グラッサ先生 ポルトガル語の先生

アメリア グラッサ先生の友達

ルシア 同世代の仲良し同僚

ティナ 一番よくしてくれたおばちゃん同僚

ヴァシュコ お手伝いさん

 

 

あまり遅くなれない

時系列は戻ります。

パソコンを直して、結局19:00頃までアメリアからの何も音沙汰がありませんでした。

いつフェスタ始まるんだよ!

まちぼうけです。

 

ティナさん「あんまり遅くなるのはやだ!

もう勝手に家に向かおう」

 

と、いうことで、勝手に家へ向かうことにしました。

 


途中、行きつけのバーで、

飲み仲間に見つかってしまい、一杯だけ飲もうと言うしつこいお誘い。

かなり何度も断ったにもかかわらず。全く聞く耳を持ちません。

 

 

 

面倒なのでもう1人のボランティアと1つの瓶を半分ずつ飲むことにしましたが、

それを見たティナさんはおこ。

 

ティナ:「早くしないと!ルシア(もう1人の同僚)はもう待ってるんだから」

 


そんなこんなでほぼ一気飲みをして、急いで出かけます。

 

 

 

ついてみると同僚ルシアが彼女の妹とぼけっと家の中で座って待っています笑

すごい滑稽な姿だったので、家主アメリアの手伝いをしないのかと聞いたら、

手伝うことを尋ねたところ断られたとのこと。

 


いますよね、そう言うプライドの謎に高い人。キッチンに入れたくない人。

僕ももともと多分そう言う感じの人で、準備手伝ってもらいたくなかったんですけど。

 

けど、いま時間2時間も押してるんだから、手伝ってもらえよ!!

 

 

 

ティナさんはもう遅いからついてみんなに挨拶して、もう帰る!

と言うことになりました。

悲しいけど最後のお別れです。

多分一生会うことはないのでしょう。

 

初日の全く話せない頃から話しかけて気にかけてくれたティナさん。

彼女と抱き合った時に初めて目頭がかなり熱くなりました。

けどモザンビークで泣くこと(特に男は)

は良しとされないので、なんとか堪えます。

 

よく耐えきった。ふう

と、いうことで気を取り直してフェスタに戻ります。

 

f:id:noppiano:20190617145713j:image

ティナさんは帰ったので、フェスタに来たがっていたお手伝いさんを呼ぶことにします。

 

もともとお別れ会にお手伝いさんのヴァシュコを呼ぼうと考えていたのですが、家主アメリアから直前になって一言ありました。

 

「家が狭いからあまり大人数ではできない、減らして!」

 

ということで、お別れ会をやることは彼には言っていたけど、招待せずにいました。

 

夕方電話。

「今日お別れ会なんでしょ?」

 

 

人数多いからってお断りしました。

電話では普通な感じだったけど、後から他の人に聞くと怒ってたみたいです。

 

補充要員でしたけど、あとからよんだら、忙しいって断られました笑笑

結局もう一度え、なんでこないの?まってるよ

とグイグイ目に誘ったら来てくれましたけどwwww

拗ねていた件

 

 

結局ちゃんとフェスタに来てくれました。

めかしこんでいましたwwww

 

僕のあげた服を全身にきて、僕のあげた極暖を中に着込み、

あげた白い靴とソックスで、

完全にぼくの姿で笑いましたwwww

f:id:noppiano:20190617150121j:image

まあこういうフェスタに着るような服持ってないか、、、

パンツまで彼が欲しいっていうからあげたんですけど、パンツも合わせてたら笑う。

 

 

月曜から夜ふかしでパンツは一年で取り替えた方がいいって言ってたから、ぼくのうんこ菌がついているしやめたほうがいいと思うんだけど、、、

 

彼らが元から持ってるやつの方がいろんな変な菌がもっとついているのかな笑

 

 

そして多分フェスタに行く、ということが初めてだったのでしょう。

最初はフェスタに呼ばれたってことでウキウキで来たと思いますが、ヴァシュコとしてはぼくのことと、もう1人のボランティアのことしか知らないわけで、知り合いもおらず無言で1人でご飯を食べています。

 

そうだよ、フェスタとはコミュニティ違う人もいるし、疲れるものなのだよ笑

 

 

けど、多分彼にとっては初めて、

おしゃれな家でそこそこ素敵なホームパーティで実質飲み放題食べ放題は貴重な体験になったことと思います。

 

 

お手伝いさんという立場

ぼくらからするとお手伝いさんといえど、人は人。

つまり仕事を終えてしまえば、普通にただのアミーゴだと思っているし、それ以上でもそれ以下でもありません。だからフェスタにも誘ったわけです。

 

 

彼が到着した時にヴァシュコのことを紹介しました。

 

 

 

一気にメンバーの顔色が変わりました。

 

 

ぼくには言われませんでしたが、もう1人のボランティアにはグラッサ先生やアメリア、ルシアから言われたらしいです。

 

「お手伝いさんと友情育めるのか?よくフェスタによんだね」

 

 

ポルトガルに植民地支配された歴史を持つモザンビークでは、主人と召使い、という明確な立場の違いがあり、

お互いに仕事以外だとしても相容れない文化があるのでしょう。

 

お手伝いさん、という立場の人間を読んだことをそこまで過剰に反応されることは、

僕としてはカルチャーショックだし、かなり驚きました。

 

グラッサ先生もアメリアもルシアももちろんかなりいい人たちなのですけど。

 

 

 

f:id:noppiano:20190617151952j:image

 

最初はぎこちなく始まったフェスタでしたけど、最後は大爆笑の楽しい感じで終えることができました。たのしかったです。

 

モザンビーク人との会話が楽しくなった

ポルトガル語の先生の授業をうけるようになって、それまで苦痛だったモザンビーク人との会話が楽しい、と思えるようになりました。

 

一年以上、モザンビーク人と話すことは苦痛で嫌だったんですけど、授業をやるようになり、

モザンビーク人の考えていることや

ポルトガル語がわかるようになって、

会話が楽しいと思えるようになりました。

 

いっときは苦痛すぎて毎日ゲロ吐いていたけど、そこから我ながらの復活劇。よかったです。

 

 

いつもフェスタの時は、着飾っておしゃれな格好で来る先生が、

この日は手を抜いたのかポロシャツとジーンズの格好で笑いました。

 

なんで?去年の元いたボランティアのフェスタの時はおしゃれしてたじゃん!!!

 

って会話している時が、最大のボルテージの爆笑でしたwwww

プリンセスまたいなフリフリのスカートで、めちゃ高いハイヒール履いた姿👠見たかったよー

って言ったら死ぬほど爆笑でした。

 

最後お別れのハグの時、

ポルトガル語の先生とは普通のハグをしました。

一番末っ子のやつはパーティー中寝てしまっていたので、帰るため起こされて不機嫌なところをハグしたのでお別れ感はありませんでした。

 

普段あんまり話さなかったお兄ちゃんの方が最後寂しいと思ってくれたのか、意外と固く抱きしめてくれたのはなんだか嬉しかったです。

全然絡まなかったけど、なんかいいやつだったな、サミー。

 

 

最後の日、バタバタしたけど結局楽しかったです。

そしてフェスタは22:30に終わり、

もう1人のボランティアに誘われ朝まで飲むことに、、、

何もない我が家で(笑)

 

片付け終わってないのに。wwww

けどすっごく楽しかったです!