いよいよの本帰国 〜もざぴ日記110〜
いよいよ日本への本帰国です、、
飛行機の中で本帰国について泣きながら、感動的な文を書き終えてた、にもかかわらず
なぜか消えてしまいました。
頑張って思い出しながら書いて行こうと思いまーす笑
長かった2年間
日本に住んでいると、2年間なんてあっという間ですよね。
しかしモザンビークにいる身として、そんなことは全くありませんでした。
日本と比べて過酷な環境、
時間が無限にあるように見える、
など、、
そしてなによりも、「自由」なことに苦労しました。
やりたいことを考えながら進めるということは、日本人にとっては大変だと思います。
なぜなら「選択すること」に慣れていないから。
「当たり前のこと」に沿って、なんとなく道筋を決められて進めることができる日本と違って、かなり難しく辛かったです。
JICAの提示してきた要請が実はそんなに求められておらず、
自分でニーズや活路をを見つけ、
限られている物資の中で取り組んでいく、、、
これかなり想像していたより大変なものなのでした、、
やーよく頑張ったわ、自分(笑)
やめる方がさらに勇気がいるのでダラダラいた感、そしてどうせいるなら活動やるか、、、
てな感じだったわけなのですけど。
当日の朝
思いのほか、荷物の詰める作業が早く終わってしまったので、2時間ほど使って任地の同僚や仲の良かった隊員と最後の電話をして、
会話を楽しみました。
スマートフォンを持っていないような仲良い同僚とは、おそらく日本帰国後話せなくなってしまうため、この時間がお話しできる最後のタイミングと思われます。
にもかかわらず、肝心のガラケー同僚や仲良い友人と電話ができませんでした。
悲しいな、
けどきっとそういう運命だったのでしょう。
この仲良い同僚、ぼくと仲が良すぎたため、
「新しいボランティアが来ても、私はショウスケだけの友達だから、ほかの日本人とは友達にならない!」
と言ってました。
や、それら嬉しいけどよwwww
そこは仲良くしてやってよ笑
新しいボランティアに渡すための引継書にも業務の内容だけでなく、下記の人間関係についても勝手に加えて書きました。
いろんな同僚と仲良くてボランティアの人間関係を広げてくれそうな人、
面倒見が良いので、生活のことを聞けば良い人
など、、
この項目に彼女の名前書いてしまったのに。
けど、こういう情報が実際ボランティアする上で1番必要だと思う。
生活慣れるまでは友達いないことと
語学ができない苦しみが本当に本当にやばいですからね。
そのおかげで一時帰国時は
スレンダーで帰ることができました。
今は良いのか悪いのかものすごくデブ、、、
なんとかしなくては!!
帰国前のバタバタ
3月に帰った隊員は性格的にはしっかりしているのに、ギリギリまで荷物の重量調整でバタバタしていたようなので、
後輩隊員たちに言われました。
「もう荷造り終わったんですか?本当に大丈夫?」
そんなこと言われたら心配になるやんwwww
多分何も忘れていないと思います。今のところ
とりあえず荷物に納められなかった大型リュックと、ポルトガル語試験の結果は次の隊次に持って来てもらいます笑
同期隊員との別れ
さて、いよいよ空港です。
隊員総会が終わり、旅行やらなんやらで首都に残っていた隊員たちがお見送りをしてくれました。
首都隊員の人たちも結構来てくれました。
普段そういうのには行かないような隊員も来てくれていました。
意外と愛されてたのかな。
チェックイン手続きを終えて、みんなの元へ戻って、お別れタイムをしました。
すると1人、柱の後ろに隠れている後輩隊員が。
泣いていましたwwww
彼女を筆頭に何人かの後輩たちもなぜか泣いてくれてました。なぜかとか失礼か
雰囲気的なものなのか、本当に寂しくて泣いてるのか。
そんなに涙って簡単に出たっけwwww
そんな湿っぽいお見送り初めてだし困っちゃう。、、笑
さて、同期隊員の中に、任期を延長する隊員がいました。
彼は同期隊員の中では歳下で、いつも進んで雑用をやってくれようとする末っ子のような感じです。
もともと湿っぽかった空港でのお別れタイム。
後輩ちゃんたちに、挨拶やらハグをした後に彼の元へ。
最初はなんともなかったのですが、
急に物陰に隠れて何事かな、と思っていたら。
まさかの男泣き。
ものすごい勢いで泣いています笑
彼からすると、
誰よりも帰りたかった日本が羨ましかった思い、
苦労を共にした同期隊員たちが帰国することへの喪失感や寂しさ、
が急に溢れてきたのでしょう。
確かにモザンビーク2年生活するの本当に大変でした!
元々、隊次としては仲の良い方と言われていなかった、僕らの同期。
しかしそんな彼の男泣きによって、
同期隊員も耐えきれず次々と涙。
ぼくだけはなんとか耐えました。
いや、辛かった。そしてあれはずるいwwww
同期ってなんだかいいなと思わせる、
まさかの感動的なモザンビーク最後の思い出となりました。
3ヶ月後、会おうね。
1回目のこの記事を飛行機で書いていた時にいろんな情景が蘇ってきて、ぼくも1人ながら泣いていました。時差
愛を届けられた①
モザンビーク隊員の中では、帰国前の隊員に向けて、後輩隊員が2年間の思い出をまとめたムービーを送る習慣があります。
僕らへの気持ちの強さからなのか、
他にやる人がいなかったので、しぶしぶだったのかは不明ですが、
彼がぼくらへの動画も作ってくれました。
以前の別の先輩の動画で、クオリティ低いなんてディスってごめんよ笑
今回もたしかに動画自体の質としては、まずまずかもしれないけど(何様)
気持ちの十分伝わるステキな動画でした。
ずっと孤独で、あまり友達がいないと思って生きてきた今までの人生。
動画の中の仲良い隊員が言ってくれた描きコメントが何よりも心に残っています。
「のっぴーは自分が思っているよりも、みんなに愛されている」
そんな風に感じた瞬間はないし、
みんなに迷惑をかけぱなしの性格ですが、
本コメントを信じてこれからも頑張っていこうと思います。
愛を届けられた②
ほかの隊員たちとアイドル風にハイタッチして、ハグをして別れたのでまるでファンたちのように笑、縦に一列になっていました。
ところが、この同期の彼だけは一般の人が入れるギリギリのところまで来てくれて、必死に両手で手を振ってくれています。
可愛いやつだな
涙が止まりませんでした。
(ほかの同期だけ)
ちなみにこんな感動的な別れでも泣かなかった僕は、帰国後初めて食べた中トロで泣きかけました🐟えへへ
ドーハのりつぎ
なんと、先進国アイテムの代名詞、スターバックスがありました。
そりゃ利用するよ、本当はマックが食べたかったけど。
抹茶フラペチーノがとても美味しかったです。
日本の味、最強だわ。
日本人の皆さん、もっとみんな自分の母国に自信をもって!!
機内
あれだけ泣いていた同期隊員たち。
だがしかし、飛行機に搭乗した瞬間に
こんな映画がある〜
ドラマも観れるんだあ!!
とはしゃいでいました。
切り替え早すぎ。
そして、潤いマスクを同期隊員が持っていたので、配ってくれたのですが、
使用方法が分からず悪戦苦闘する始末、、、
先進国製品使い方わかんない!笑笑
荷物には要注意
余談ですが、ぼくは傘を日本へ持って帰ろうとしたのですが、手荷物として持ち込もうとしました。
しかしながら傘の大きさがあることや、
凶器となり得るという理由から預け荷物に預けるように言われました。
空港管理官との交渉のやりとりや、
一度チェックインカウンターに戻ってやりとりしたり、
ビニールを一度戻って巻きに行ったりとめんどくかったです。
すごい時間かかって、最後のお買い物タイムやカフェタイム、現地人とのお電話タイムがあまりできませんでした。
これから帰国を控えている方は注意してください笑
帰国後第一弾飯
事前に調べておいた、宿泊ホテル近くの海鮮居酒屋へ行きました。
なんでも美味しいし、神だった!
けど個人的にはお米の立っている感じ、1つ1つの甘みだったり、
肝心の海鮮よりもお米が印象的でした!
日本のコメうますぎ。
こうやって日本のなんでも新鮮で美味しく楽しく感じる現象のことを、
ゴールデンタイム
と呼ぶらしいです。
そのあと日本との違和感や任国のゆるさを懐かし思ったり、帰りたいと思う鬱期がやってくるそうです。
違和感はすでに感じているのでかなり恐ろしい。絶対社会不適合になってるもん。
はーやばい。
では、あて あ ぷろっしま!!