ノピとモザ

2017年7月からモザンビークにて、青年海外協力隊 PCインストラクターとして赴任します。思いついたままに備忘録のような形でつらつら気ままに書きます。

自己紹介 ver.2 〜協力隊に応募するまでの人生〜

実は下記の記事、ブログを初めたばかりの時にすでに書き終えていました。

けど公開するのをずっと迷って下書き保存をしていました。笑

前回の記事といい感じでつながりそうなので、ここで公開しようと思います。

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協力隊についての流れを詳しく知りたい方は「なんとなく憧れがあった協力隊」からご覧ください。

 

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初めてのブログ

初めてブログを書くのでどうすればよいのやら・・・
とりあえず、「ブログ 初めて 記事」でググる。。。(現代っ子風)

 


あんまり参考にならず。笑

コツあれば教えてください!

 

さてさてこのたびブログを始めたわけですが・・・なぜかといいますと。

2013年に入社を果たして、4年間コツコツ・・・(というかめっちゃ楽しんで)仕事を続けてきましたが。

JICAの青年海外協力隊への合格が決まったからです!

 

というわけで、4月から新生活が始まるのですが、こんな刺激的な生活をみなさんに共有しないわけにはいかない!(本当はアフリカの過疎地で寂しいから)というわけで始めてみました♪

ここでここ一年の歩みを振り返りたいと思います。

 

社会人四年目

4月

5月8日がJICA春募集の締め切りだけど、会社同期と離れるの嫌だし、
特に理由もなしにとりあえず説明会に聞きに行く。
踏ん切りつかないけど、とりあえずエントリーシートと共に提出が必要な、健康診断が2週間が期間かかるので、自腹で受診。


5月

5月7日までがっつりドイツ旅行行って、5月8日になって。
「やばい、今日までじゃん、とりあえず健康診断たかったし、運命に身を任せるか」
とのことでエントリーシート?出しました。(なめてる)

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7月

まさかの一次審査合格連絡。
がちで焦っておびえる。。。(同期と離れたくない・・・)
とりあえず会社休んで、二次面接へ。

圧迫面接とか言われてておびえてたけど、弱圧迫くらい?笑
人物面接は温厚、技術面接がちょっと圧迫。両方とも全然できなかったし、おわったーとかおもってたけど。

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8月

北海道旅行に行ってるときに合格発表・・・
結果は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 


モザンビークでPCインストラクター!!!

 

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まあ、PCインストラクターって自分で希望出してたんだけど、
改めて要望見たらなんかむりだなーとか笑
この世で10番目くらいに機械苦手・・・・・・・

 

モザンビークがどうこうってより、やっぱり会社辞めなきゃいけないかもってのが一番何気ショックで。
どうすればよいのかわからずとても悩みました笑

 

9月

合格してるにもかかわらず、秋募集の説明会に3回ほど足を延ばして話を聞きに行きました笑 本当に自分に合ってるのか自信なくて。。。


そこで実際に行った人と話とかして、「悩むのはみんな一緒なんだなー」とか思いました。協力隊目指してる人ともう帰国した人3人で話してるときに、協力隊目指してる人から

 

「行きたくても行けない人もいるんですから、絶対辞退なんてしないでくださいね」

 

といわれました。

その一言を聞いて、踏ん切りつかないまでも前に進もうかと。

 

同時期に大好きな同期内でもちょっとした変化があったり。
自分の中での気持ちの変化だけだったかもしれないけど。それも踏ん切りにつながりました。。。

 

悩みぬいて悩んだ挙句に、人事と上司に打ち明けました。

合格発表が出てから、僕のように告白するのは、良かったのか悪かったのかはわかりません。しかし、そのあとの上司たちの対応を見て。

 

この時期は正解orむしろもっと後でもよかったとも思いました。

 

いつ打ち明けるにしても、そのあとの「もういなくなる人間」としての冷遇と噂話はどうしても広まるものなので覚悟が必要かもしれません。うちの会社だけかな。


とにかく上司と人事への告白、そして様々な交渉がまた大変だった。。。笑

上司へ伝えたところ。

内心応援してもらえるものと思っていたのに、上司が多分ショックだったらしく。
わりとそれから塩対応になりすぎてだいぶなえました笑

 

10月

もうやめる前提の人に仕事を割り振られてもらえるわけもなく、実質干されるてきポジションになりました。笑


そんなこんなもあって、9月くらいから酒癖が相当悪くなったようで
記憶をなくすまで飲むようになるわ、けんか腰になるわ、
周りにはご迷惑をおかけしました。。。

同期一人だけにこんな変化を見破られて、早々とやめる旨を話すこととなりましたが・・・・・゚・(つД`)・゚・

 

辞める立場にもかかわらず。四年働いてて初めて課の予算合宿に参加しました!

結局はこれが最初で最後の元会社の旅行となってしまいましたが。伊豆に行かせてもらい、美味しいものたくさん食べれて楽しかったです!

最後に良き思い出!

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11月

周りには隠しながら個人的に思い出作りの毎日笑
グアムにもいきました~~~(おかげでびっくりするくらい金欠)

 

12月

仲いい人に順次言っていこうと思ってましたが、どうしても先に会社辞めることを話しておきたかった人5人にだけ話すことにしました。
一人は結局話せなかったけど。

 

1月

解禁月。
ということで、順次話していくことにしようと思いましたが。
好きな人ほどなかなか話すのが大変ですよw
で、結局自分の中でXデーと決めていた、1/23に大好きな同期に発表しましたが・・・・

 

なんで言ってくれなかったの、と文句言われたり、質問責めにあったり。笑

いつも会議室で同期入社のメンバーとお昼食べていましたが、23日にお昼いったら、
すごい質問攻めで疲れました。笑 

 

一緒に食べていたメンバーも顔ひきつっててふつうの会話しようとしても楽しくなさそうな人が2~3人ほどいたので、ここ1週間ほどお昼を一緒に食べるために会議室にいけていません。。。
明日から会議室ランチ復活しようかな。でももう一人後輩に告白してあげたほうがいい人がいるんだよなあ。

 

ちなみに年内から自分のお客さんは すべて引き継いで、年内からそんなにやることがありませんでしたが、年明けてからは本格的に仕事でやることがなくなりました。笑

と、いうわけでひたすらほかの営業の事務を手助けしたり、自分で新規の客を捕まえてきて過ごしたりしていましたが、なかなか暇でした。笑

 

2月

2月は週に2~3回ほどしか出社もしなくなったので、ほぼあいさつ回りや事務処理でおわりました。事務処理って本当に意外と面倒でめちゃくちゃ大変です。笑

会社の事務処理も役所での手続きも。

これからやめるつもりの方は覚悟しておいて下さい。

 

なんとか一部やることが残ってしまいましたが、仲のいい後輩に委託して、2月末に多くの応援を頂いて退職することができました。

交渉も結構長引いて大変だったのに、最後は快く送っていただいた会社の方々。

本当にありがとうございます。

 

 

というわけでもやもやしながら、楽しい会社生活の思い出作りをしている毎日です。
これからも、簿記の勉強・JICAの事前学習・写真整理・退職手続き・EXCELの勉強。。。
しなきゃいけないことたくさんだし、なんだかいろいろと大変だな。。。

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これからも頑張ります。
もし気が向いたら、一次試験・二次試験とかのことも振り返ってみようかな~とか思います。
とりあえずはここまでで。。

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びっくりしました。笑

ある程度修正をしたのですが、まあ文章のひどいこと。

今見ると非常に稚拙な文章だと思います。

しかし、本当に心のままの思ったことをつづっていたので、稚拙な分ですが、あえて公開することとしました。

以下、上記に書きそびれた情報を捕捉します。

 

なんとなく憧れがあった協力隊(社会人四年目)

なんとなく頭の片隅で考えていた、協力隊。
社会人2年目の時にも説明会を聞きに行き、そこで大学の先輩とばったり出くわしたり、OBの方から「3年は働いてから来た方が活動に活かせるし、その後の進路を考えたときにも絶対に良い」という助言がなんとなく頭の中に引っかかっていました。


とりあえずまた説明会へ行ってみることにしました。特にピンと来たわけでもなんでもなかったですが、応募にあたっては健康診断の結果が必要、とのこと。

健康診断は2週間以上の時間がかかるので、受けるつもりであれば早く受診してください!
という職員の言葉で「協力隊、受けるかわかんないけど、とりあえず健康診断だけ受けておこう」と、意味不明の思考に至りました。

当然、健康診断は実費。

しかも協力隊の健康診断って、通常より詳しく検査しなければならないこともありとても高額なんです。
僕の時は12,000円程かかりました。

※今は最初の応募用紙提出の際には健康診断書は必要ないはずです。詳しくはJICAの応募要項をご覧ください。

 


実施してくれる病院も見つけてくれるのも一苦労で、ようやく見つけた病院でとりあえず高額な健康診断費を払って。
これは選考を受けなければいけなくなりました。笑


社会人3年目の心境の記事にも記載しましたが、ここに来て会社の環境は僕にとってはとても心地よくなりました。同期含めた会社の人間関係は良好、仕事面もとりあえずのところ回っており、全てが順調なのにこの生活を投げ出すことにかなり悩みました。


けど最終的には、運命に任せよう、と思いました。
そもそも協力隊は健康面での査定が厳しく、行きたいと思ってても一回の応募ではなかなか受からない人もいる、と聞いていたからでした。

とりあえず途上国へ行って生活をしてみたかったぼくは、職種はずっとITで働いて来たことを生かしたい、ということで何も考えずにPCインストラクター。
その中で良さげな場所をピックアップして、応募しました。

 

春募集と秋募集

僕は春募集で受けたので、締め切りは5月の上旬でした。

青年海外協力隊の選考は春選考と秋選考の年2回あります。
協力隊の選考で春募集と秋募集どちらが受かりやすいのかな、とか当初は考えていましたが、結論ほぼ一緒だと思います。

 

春募集は通常だと。
8月に合格が出て、すぐに(10月から)訓練所が始まる3次隊、
1月から訓練所が始まる4次隊、
4月から訓練所が始まる1次隊の募集がメインとなります。

 

秋募集は受けていないので詳しくはわかりませんが、
2月ごろに合格が出て、すぐに(4月から)訓練所が始まる1次隊、
7月から訓練所が始まる2次、
10月から訓練所が始まる3次隊の募集がメインとなります。


モザンビーク隊を見ていると、1次隊と3次隊の人数が多く、
2次隊と4次隊は人数が少ないように感じるので、特に春に受けるから、秋に受けるからといって合格率に違いはないように感ます。

むしろ最近は昔より倍率が下がっているようなので、選考を受けるにはお勧めです笑

 

かの蓮舫さんが「2番じゃダメなんですか?」発言より以前に

協力隊の手当てや待遇について以前より減らした影響からなのか、倍率は下がっているようです。

 

出発隊次について

隊次の違いについてですが、個人的には訓練所の生活と出発時期を考えると1次隊はおすすめです!笑

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雪の訓練所・桜の訓練所・初夏の訓練所を味わえます!冬、春、夏の時期が楽しめる!


訓練所内には自室と語学教室以外にもフリースペースなどがあるのですが、
そういった施設でのびのびするにも1次隊の気候がぴったりです。

 

2次隊はすごいあついそうで、訓練所の部屋に冷房がないから大変、と聞きました笑
夏祭りが岳温泉で開催されるのでそれがうらやましい。

 

3次隊は1次隊と共に、訓練所の時期としてはちょうどよいそうですが、
カメムシが大量発生するそうです。 めっちゃどうでもいい。www

 

4次隊は基本ずっと雪の毎日で、他の隊次は必須の朝のランニングを外でほぼ行えないそうです。
代わりに体育館で毎日走るみたいですが、走るのが嫌いな人は4次隊がいいかもしれません。
個人的には景色を同じところで走るのは全然楽しくないので、ちょっと嫌だなーとか思います。
雪の降る二本松訓練所はとても幻想的な景色となるそうで、それも非常に美しいそうです。

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応募用紙を書くにあたって

話は壊滅的にずれましたが、応募用紙を書くにあたり、
自分の中で具体的にどういうことをしたいか、ということをしっかりとイメージを膨らませておくことそして活動で必要となりそうな資格や体験を十分にしておくことが、
応募用紙にも記載しやすくなりますし、アピールもしやすくなります。

 


一つ注意点は青年海外協力隊の要請は「自分のやりたいことをやる」
よりは「自分のできることをやる」のほうが合格はしやすいと思います。

 

 

自分がやりたいことを純粋に追い求めると、志望動機や今までの自分の経験に結び付けにくくなります。もちろんやりたいことと、やれることがマッチングしていればばっちりです!けど、できる能力がないのに、来てしまうとこちらに来てから苦労をすることになるかもしれません。。。

 

 


現地に来てしまえば、自分で切り開いて自分のやりたい活動をすることも可能です。
それにはただ要請をこなす以上に、相当な労力を必要としますが。。。


ちなみに僕は英語が壊滅的にできなかったので、中米や東南アジアなど、英語を使用しないところにピックアップして応募しました。
アフリカもこの機会じゃないと行かなそうだし、面白そうってことで興味本位で希望の中にはいれました。

 

もちろんモザンビークではなく、とりあえずビクトリアフォールズ見たいな、という安易な考えでザンビアに出しました。(ここは英語圏だけど。)

 

僕の場合応募用紙について、急いでバーっと応募用紙を記載した割には、意外と自分ができることで、やりたいことが明確に頭の中にイメージ出来ていたことがよかったのだと思っています。
応募用紙に記載したことと、要請は全く違ったのですが。

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※写真は想像していた、活動イメージ。


後から見返してみると応募用紙はなかなか恥ずかしいしょうもない内容だったのですが、なんとか一次選考通過。
次は面接ということで、7月某日に市ヶ谷の面接会場へ来てくださいということで案内が来ていました。

 

親や身の回りの人への相談について

この頃になるとJICAから何度か自宅に手紙が届くようになり、親には協力隊受けることを話していませんでしたので、僕の行動やJICAからの手紙を怪しむようになりました。


ぼくの親は途上国、特にアフリカへ行くのは相当嫌だったようで、子供の時から協力隊や現地で活動する企業の人がテレビで映るたびに、「こういうところへ行かないでね」と言っていました。
ちなみに僕が中国留学を決意した時も嫌だったそうです。笑

JICAから一次試験合格通知や手紙が届くたびに親から「なにこれ?」と言われながらも、

なんとかごまかしながら結果を自分の部屋で恐る恐る見たりしていました。


親はこの時からJICAについて独自に調べ始め、おそらく青年海外協力隊に応募していることを薄々で感じ取り、協力隊についても調べていたので、合格して意思を伝えた時は思ったほどの反対はなかったです。

 

協力隊の選考を受けるにあたり、
親や会社に話した方がいいか、という疑問についてはぼく自身はわかりません。

 

人によっては親子の縁を切ると言われて、不仲になってしまった人や、大揉めする人もいるそうです。特に女性が多いのかな?

 

「アフリカに行かせるために、今まで育てて来たつもりはない!」

 

まあ、わからなくはないですけどね。我が子が見ず知らずの日本よりは危険なところへ行くわけですから。

 

JICAとしては合格後に周りの理解を持ってもらうためにも、理想は選考受ける前からか、遅くとも一次選考通過後には家族と所属先の上司に伝えておくことを推奨、としていますが、個人的には職場の雰囲気に合わせて考えるべきだと思います。

公務員のように協力隊のために休暇を取ることができるのであれば、手続きや話し合いに時間がかかるとおもうので、早めに伝えたほうがいいのかもしれません。

 

反対に僕の会社のような民間企業の場合は「退職するかもしれない」となった人員へは投資をしなかったり、仕事を割り振らないようにしたりするといった対応があると思います。
これは冷たい、冷たくない、とかではなく、公務員以上に、独立採算性である民間企業はどうしようもないことだと思うのです。

 

なかなか理性で分かっていながらも、感情としては納得いかないものがありましたが。

そのため、ぼく自身のアドバイスとしては
信頼できそうな上司がいたらアドバイスするのはいいかもしれないが、まだ選考中であれば慎重に考えるべき。
だと思います。

 

僕の場合は一次選考が通った時点で、社会人2年目のところで登場した外部から来た助っ人の先輩に相談をしました。後から聞くと、彼は冗談だと思っていたそうで、全然本気でとらえていなかったそうです笑

 

上記にも書きましたが、二次選考が通ってしまったときには本当におびえました。

驚きを通り越して「怯え」です。

PCインストラクターは1人を除いて全員受かっていたので、需要に対して供給が追い付いていないのだと思います。(実際そのような現実らしく、JICA側もPCインストラクターに力を入れて広報しています)

 

さて、合格をしてからが大変です。

2017年の振り返りでも少しふれましたが、ひたすら神経が磨り減るほど悩みつくしました(笑)最初の選考を受ける前からそういうことは考えておけよ、と思いますが、僕の性格は考えるよりもまず先に動く、人間なのです。

 

 

ちなみにこの判断は今でも正しいのかはわかりません。笑

そのあとの動きは上記の月ごとの動きを参考にしてもらえばわかりますが、合格後に家族と職場、友人たちに伝え、1月2月は思い出作りの飲み会や旅行のラッシュで3月から技術補完研修を迎えました。

 

技術補完研修については下記。

http://noppiano.hatenablog.com/entry/2017/03/23/134807 

 

同期入社の友人と別れること、でとてもとても悩みつくしましたが、最終的には合格したのは運命なので素直に運命に従おうと思いました。

 

チャンスは自分でつかむものだけど、準備ができた時ではなく、いつでも準備をしておいてチャンスが来た時につかむことが大切だと思ったからです。

 

今まで小学校~大学、就職までなんとなく多くの日本人が歩むルートを、特に考えもせずに進んできた僕にとっては初めて自分で選択をした、一世一代の大きな決断でした。

 

この結果が今はまだよかったと思えるかはわかりません。

きっとよかったのでしょう。

そして心から良かった、と言えるようにしていくのも自分次第だと思います。

 

現在は活動も語学力もうまくいってないですが、なんとか自分なりのカラーを出して言って、充実した活動を過ごせるようにしていきたいです。

 

 

つたない文章となりますが、良くも悪くも協力隊の本来の姿を記載していこうと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。

記載してほしいテーマがあれば募集します!

自己紹介 ver.1 〜協力隊に応募するまでの人生〜

1年ブログを続けてから思い出しました。

自己紹介してない、、、!笑

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※全然関係ないけど、卒業旅行のトルコ。

 

というわけでどういう経緯でブログを始めようと思ったかと、僕の自己紹介をしたいと思います。

 

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協力隊に応募するまでの具体的な心境の変化や、具体的な手続きについては次回の記事に記載します。

 

※本記事は公開して2週間ほど経過したら、1番最初の記事へすり替える予定です。

 

自己紹介

ブログ名の通り。

2017年1次隊として、モザンビークにPCインストラクターとして赴任しましたのっぴです。

任地は首都から1番離れている、コミュニティ開発隊員と一緒に暮らしているかなりの僻地です。

 

モザンビークは南部東アフリカに位置する、旧ポルトガル植民地。そのため公用語ポルトガル語です。

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 ※右下のマダガスカル島のむかえがモザンビーク。隣には南アフリカ🇿🇦、スワジランド🇸🇿、ジンバブエ🇿🇼、ザンビア🇿🇲、マラウイ🇲🇼、タンザニア🇹🇿があります。

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 ※首都マプトが地図の1番下。

任地は上の方に青い丸。リシンガ。

タンザニアマラウイの国境に近いです。🇹🇿🇲🇼

そのため、伝統布はタンザニア製のもたくさん手に入ります!

 

 

普通PC隊員って学校とかで教えたりするから、電気や設備が揃ってる首都とか都会なことが多いんだけどな、、、

それを見越して応募したのにおかしい。

 

活動内容

国立農業研究所で所員のITスキル向上と、ITインフラ(インターネット使えるようにしたり、共通のサーバからみんながデータを取り出したりできるように)を整えるのが活動の要請です。

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協力隊応募 希望国について

ちなみに任地の志望は応募の時に出すことができます。僕の第一志望は中米のリゾートの国。

もはや名前も覚えてませんが。

 

ずっとやりたかった子供への教育ということ。

言葉が世界で3番目に使用されている言語のスペイン語であること。

写真がめちゃきれいだったこと。

 

の三本柱で希望しました。笑

理由不純。

もちろん応募用紙に、2と3番目の理由は記載してませんよ笑

 

格通知にモザンビークってあって、「なんだこの国、知らねえ」とか思いましたが。

公用語だけでなく、日常使用言語もポルトガル語とあり、まあ似てるしアフリカ面白そうだからいいか、という簡単な気持ちで決めました。笑

 

アフリカは公用語と実際に使用する日常使用言語が違うことが多いのです。

 

 

応募をしようと思ったきっかけ

青年海外協力隊に応募をしようとしたきっかけは、ずっと海外で働けることに憧れていて、このまま先が見える人生に不安とこのままでいいのか。という焦りを感じたからです。

また、毎日通勤電車に揺られ毎日同じことを繰り返す日々を過ごしていて、今は今で充実しているし楽しいけど。(社会人時代はなかなか楽しい日々でした)

このまま過ごして死ぬときに、やりたいことをやったと思って死ねるか、やりたいことをやれているのか。と問いかけた時に。

 

それはNOでした。

 

今がやりたいことをやれているか別として。笑

 

ほかにも身近な大学の先輩が協力隊でペルーへ行っていたので、その先輩の影響もありました。

ずっと海外で働くことに憧れがあったので、ワーキングホリデーか青年海外協力隊かで最後の最後まで悩みました。

 

決め手となったのは、

 

①協力隊派遣までの研修内容が充実していること

青年海外協力隊知名度が高く、ワーキングホリデーよりは帰国後の人生に繋げやすそう

③ミッションがあるので、具体的にやりたいことが定まっていなくてもミッションに向けて頑張れる(ワーホリは自分で目標を見つけて努力し続けないと、遊んで一年が終わってしまうという噂)

④経済的な補助がある

⑤子供の教育に携わったみたい

 

 

 

・・・・・・・・。

 

このように、純粋に途上国へ貢献したい!という気持ちだけではない恥ずかしい理由ですが、こういった理由で応募をすることにしました。

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※二本松訓練所

 

協力隊応募するまでの社会人人生

ここからは完全なる個人の歴史になるので、興味のない方は次の記事はお進みください。笑

 

元々三年働いてやめよう、と思って新卒で大学卒業後、某IT企業の営業として就職しました。(元会社の方々、僕の姿を見ていてわかっていたと思いますが、改めてすみません)

担当は業種にとらわれない、ネットワーク関連機器の営業部でした。

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社会人一年目 

1年目の時は僕の破天荒な性格と、ITという自分でも苦手分野ということで、なかなかモチベーションを見出せず、毎日上司に怒られるし、なかなか自分なりには大変だった思い出です笑

今となってはいい思い出だし、あの時上司が愛を持って可愛がってくれたから、少なくとも自分の想像以上の四年という期間働けたのだと思います。

 

しかもぱっと見明るく、社交性豊か?と思われがちなこの性格なのですが、実はかなり人見知りと物事に慣れるのに人の2倍はかかる性格、ということも相まって、

1年目は職場の人間関係も構築することができずに、今だからいうと「みんな敵」くらいに思っていました笑 唯一当時は全然仲良くなかったけど、1期上の先輩だけが頼りでした。ほぼしゃべってなかったけど。笑 なんかいるだけで安心するてきな。

社会人時代通して、今でも僕には持っていないものを持っているあこがれの先輩です。

 

※最後はめちゃくちゃ居心地の良い空間でしたよ!

 

 

ただそんな不安定な時もなんとかやめずに済んだのは、人生初というと今までの友人に失礼ですが、

これまでにないほどの心を許せる、一緒にいるだけでめちゃくちゃ楽しい、エネルギッシュな同期入社の人たちと出会えたからです。

 

 

最終的に仕事を辞めるときも、お金がなくなるや、所属がなくなる、キャリアが傷つく

とかの理由よりも彼らと離れることがものすごく。1番辛かったのを覚えています。

 

大学時代よりも自由に遊べる時間が少ないからなのか、遊べるお金が増えたからなのか、周りがエネルギッシュだからなのか。

おそらく全てですが、大学時代よりもはちゃっけた、エネルギッシュな刺激的な余暇を過ごし、「こんな世界があったなんて、、!」と思えるほど本当に土日は毎週楽しかったです。

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社会人二年目

2年目になり、1年下の後輩が入社してきました。自由な性格に見える私ですが、彼のことは相当気になっていて、

事前の研修でも「彼は優秀」という評判を聞いていたので、彼が配属されるときに緊張で?、嫌すぎて?なのかはわかりませんが、吐きそうな気持ちでした。笑

 

こういう勘は当たるもので、配属が決まったときになんとなく彼が来る予感がしていたのですが、やっぱり。という感じでした。

 

 

配属されてからも噂通り彼はとても優秀で、僕が教えることもないくらいテキパキとこなしており、最初の頃は劣等感でとても悩んでいました、実は。

少し経ってから「彼が正統派に行けばいい、僕は独特のこのキャラで売っていこう」と、

正統派コースは諦め(元々そのコースにはなっていなかったように思いますが)、独自の自分のルートを切り開くことにしました。

 

またこの頃運命的な出会いもしました。

2年目になり、同じ課の7月ごろにネットワークの知識に社内一詳しい上司が異動になって人員が足りなくなったこともあり、助っ人ということで、他社でエンジニア兼作業員として働いていた方が同じ課に来てくれました。

その方は将来の社長候補だということで、エンジニアだけど、営業も実戦で学ぶという意味合いもあったようです。

2年上先輩にしわ寄せがあってめちゃくちゃ大変そうだったので助っ人の方が来てくれてホッとしたのを覚えています。

 

助っ人の方はぼくより約10歳年上の方で、実を言うとそれくらいの年代の方が1番苦手でした。笑 ジェネレーションギャップはあるし、けどまだおじさんと言うわけでもないし笑

 

けどその人は持ち前の柔らかさとユーモアさで、助っ人としてぼくと同行することも多かったのですぐに打ち解けることができました。

 

そして彼に言われたことが僕にとっては、会社人生に関わる(?)運命的な出会いでした。

 

ある日、いつものように同行してもらい、終わった後でその日の商談の復習とまとめ、今後の動きについて確認・相談をしていました。

 

ですが私は2年目になっても苦手なITとなかなか会社に溶け込めないモチベーションも相まって、全然知識を習得できておらず、パッパラパーな状態でした。

 

話をしていて、その状態を悟った彼から、

 

「のっぴさん!(年上なのにずっとさん付けされていた)今こそ勉強するときですよ。20代の間は勉強するときです。ぼくの時は専門学校とPCスクールに通って勉強してましたよ」

 

普段のぼくだったらうざい、と思ってたかもしれません。他の人に言われてもそう思ったかもしれません。

 

けど当時の私にはその言葉がすんなりと受け止めることができました。やはり一年半たつのに全くIT知識が増えてないと言う現実、苦手なことに背け続けてた人生だけど、

 

「人生の中で今1番今の瞬間が若い、今勉強しないと今後は絶対やらない」

 

と言う気持ちがあったことを覚えています。

 

そしてその知識がその後の営業活動にも、最終的には協力隊の合格に結びつきました。

 

 

早速通っていたオススメの学校を教えてもらい、その場で授業見学の予約をしました。

性格的にその場でやらないと、「またいいやー」みたいな感じでうやむやにしてしまうのが目に見えたので。

 

そんなこんなでぼくの会社員としての生活と、生徒としてネットワークを学ぶ学生としての二重生活が始まりました。

 

入校するにあたり、入学金と授業料を一括で払わなければならず、目の飛び出るような金額でしたが、何かのためにとコツコツと貯めておいたお金をすべてはたきました。

お金なさすぎて校長の方とだいぶ値段交渉して、入学金免除とかにしてもらったのですが( ^ω^ )笑

 

僕が通っていたのはエンジニアが取るような資格で、エンジニアとしては底辺の資格なのですが、ぼくにとってはかなり大変で、一年以上取得に時間がかかり、学校に通っていました。

 

昼間はサラリーマンとして働いた後なので、特に外回りが多かった日なんかは夜の学校で眠くてよく爆睡してました。笑

本当にもったいない。

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ところが時系列は戻り、2年目の10月。

下期に入って、ずっと一年半いなかったOJTもようやくつき(一期上の先輩のOJTだったのに、ぼくがやばすぎて引き抜かれた)、

これから体制整って頑張れる!相談できる!と思った暁に。

 

自分にとっては父親のように、1年目の時は毎日怒られていた上司が大阪へ異動となりました。

ぼくにとっては愛を注いでくれたのでとても大きな存在だった人でした。フロア中に響き渡る声でめちゃくちゃ怒鳴られたりしたことも何度かありましたが。(あんまり怒鳴るタイプでもないのに)

 

いなくなってからはモチベーションが下がり、生まれて初めての転職活動もしました。

転職活動で山梨にも行きました。笑

 

けど最終的に、最終選考まで進んだときに面接官に「ウチじゃなくていいですよね?」と、言われたこと、

そして同期入社した人たちの大好きな顔が、浮かんできて涙が止まらなくなったこと、

が原因で転職活動はやめました。

 

これは神の思し召しだったのかなって思います。あの時やめていれば今以上に中途半端だったし、同期とも関係性を深められていたなかったし、なによりも協力隊に来ていなかった、

と思います。

 

協力隊に来ていることが正解だったかどうかはいまだにわからないんですけど。笑

 

 

社会人三年目

OJTだった上司が昇進して課長になり、責任感の重さから序盤はかなりキツく感じるようになり、それまでやることはやるけど自由な性格なこの上司が大好きだったのに、少し辛く感じる期間がありました。

 

ゴールデンウイーク前にやるべきことを忘れて、ミャンマーに10日も行ってしまったから悪いんですけど。

この時の火消しをしてもらってからキツくなりました笑

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ただこの上司も基本的に愛があって、だいぶ僕にはいろんな会社員としての新たな経験を体験させてもらい、この上司のおかげで人間的に成長できたと思います。

それまでずっと嫌だった営業の調整の仕事、飲み会の場、お姉さんのいるお店、、、

 

色々ありますが、同時に仲のいい同期も成長して来て、違う場所で違ったように成長しているので、彼らのやり方を飲みの場などで教えてもらい、上司と相談連携して、実践しながらうまくいって成功を実感できるのはとても楽しかったです。

 

仕事面でもプライベートでも3年目が1番楽しかったかな。1年目の9月くらいもすごく楽しかったけど。

 

プライベートでは、自分のイメージでは3年で仕事を辞めるというスケジュールだったので、

本当に辞めるかは別にして、「同期と過ごす時間を大切にしよう」と意識していた一年でした。

 

それまで同期旅行は大体一年に2回でしたが、この年はバーベキューを5月から11月まで連続7回。(5月の回のみ、ミャンマーで不参加)

旅行は尾瀬旅行、富士山登山、神奈川への川遊び、猿島旅行、那須旅行、上海旅行、カナダ旅行など。かなりの場所へ行きました。

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富士山では人生初の死の危機を感じて、より友情が深められたと思っています。笑

 なんか旅行抜けてるかな。。。

 

その中で同期のいい面はすでに見て来て、さらに確認することができた反面、嫌な面も直面することになりました。

 

 

旅行中なのにそういった場面に遭遇し、気持ちを整えるのが難しかった時もありましたが、最終的にこの三年目のこのとても濃厚で常に一緒にいた期間があったからこそ、その後さらに素晴らしい関係性につながったのではないかと考えています。

 

彼らはエネルギッシュで一緒にいて楽しい反面、個々の主張が激しいのでめちゃくちゃ疲れるのです笑 一年目の時とかは結構疲れていたのを覚えています。 今ではそれが面白く感じられるようになったけど。

 

今まで小学校卒業、高校卒業、大学卒業、の節目節目で友人関係はほぼ断ち切られてた人生だったので、友人はあまり多い方ではありませんでした。

しかし、彼らのおかげで始めて自分から繋ぎ止めたい、一生付き合って行きたいと思える友人ができました。

 

また、勉強面でも夏頃に無事目標としていたネットワークの試験に合格して、次の勉強のモチベーションが欲しくなりました。

 

兼ねてから考えていたのはずっと好きなフィギュアスケートを思い切って習ってみる or

社内の出世のためにも必要資格である簿記を取得する

 

のどちらかでした。

仲のいい、信頼している一期上の先輩に「資格は早めに取っておいた方がいい」と言われていたので、これまた簿記は嫌いな分野で、避けて来たところでしたが、

若いうちじゃないと吸収できなくなると思い、学校へ通うことにしました。

 

ちなみにネットワークの学校と違い、学ぶ人も多いし、特別な機器を使用しない、ということもあり学費はずっと安かったです。

 

目標通り、昇格要件の簿記三級は取得できました。

助っ人の先輩曰く、少なくとも二級はないと仕事で活躍させることはできない、という助言があったこと、勉強しているうちに簿記が面白い、と感じられ二級も取得することにしました。

 

 

この二級簿記の勉強は、なかなか苦労し、結局四年目の仕事を辞める直前まで続きました。

 

そんなこんなで仕事も楽しく、プライベートも充実して精神的も成長して自分をコントロールできるようになった濃厚な一年となりました。

 

 

と。思い出話を長々と綴って、失礼しました。

この後、具体的にどんな道筋をたどって来たのか、、!記載します。

拙い文章ではありますが、今後とも皆さんどうぞよろしくお願い致します。

 

 

もざぴ日記26 〜人生初の逆ナンパ〜

モザンビーク生活もいよいよ8ヶ月目に突入しました。いや、もうそんなかよって僕は感じます。

けど同時に長かったな。新しいことをするって全てが新鮮で時間を長く感じます。

 

日本にいる人たちの方はきっとこの7ヶ月は短く感じられていることだと思います。

皆さんは7ヶ月前のことを思い出してみてどう感じますか。最近?結構前?

 

 

 時の進み方

と。こう思うようになったのもきっかけがありました。

先日、僕らより半年後に来た後輩隊員の、2017-3の方達が首都マプトに到着しました。

 

僕は首都マプトから1番地理的に離れている隊員なので、歓迎会には参加できませんでしたが、1/16に彼らはやって来て、そこから1ヶ月首都で研修をし、

現在は研修の終盤で実施する、任地訪問調査という研修の真っ最中です。

 

僕自身はこの研修には体調不良で体験できませんでしたが、通常であれば1ヶ月の研修の3週目くらいに、実際に赴任する任地へ行き、

活動先や住む予定の家、また周りの環境(警察署や病院、スーパーなど)を確認してくる機会があります。

 

 

三次隊が任地訪問調査を現在しているところと聞き。

危機を感じました。

ダジャレではありません。

 

 

「もう半年後にくる後輩隊員たちが任地訪問調査なのか」

 

協力隊に来るまでは焦らしプレイ

青年海外協力隊の場合、任国にくるまでに合格通知が来て、ドキドキワクワクの焦らしながらの日本の生活を過ごします。僕の場合は8月から2月まで。6ヶ月間。

 

その後、、、

技術補完研修(僕は2週間ほど)、

派遣前訓練(70日)、

準備期間の2週間ほど

 

を挟んでからようやく任国へ来ます。

 

 

まず冒頭にも言いましたが、首都滞在期間は長かったなという印象でした。

全てが新しいことだらけです。

 

任国に赴任してからも。モザンビークどころかアフリカ自体もそんなに来たことがなかったので、目まぐるしく新しいことだらけ。

 

つまり毎日過ぎ去るのが異常に長かったです。

しかも当時はまだ1日の過ごし方のリズムも決まっていない。

ホームステイの毎日で慣れないポルトガル語で、慣れない文化に浸らなきゃいけない、ということもあって、忙しい日本から来た私たちは暇な時間を持て余すのも下手だし。ほんとに、ほーんとに長かったです。

 

 

それが恐ろしいことに。

今ではあっという間に1日が過ぎるんですね。日本の時と比べるとほぼ何もしてないに等しい毎日なのですが、一瞬で終わります。

 

長い、長いと感じていた首都研修の感覚に直すと今の一日の過ぎ方が首都滞在中の4時間分くらいに相当するとして。

気持ち的には、まだ赴任してから三ヶ月くらいかなという感じです。

 

協力隊の仕組みとして、三ヶ月おきに新しい隊次の人たちがどんどんやってきます。

つまり、もう2隊次分の後輩隊員がいます。2隊次分後輩隊員がいるということにショックを隠しきれません。

 

そして。もう4分の1が終わってしまった。

しかしまだ一年半もあると思うと少しウンザリもする。笑

 

今しかない、このたくさん考えることができる時間を使って、今後の自分についてさらに考えて、より充実させられる人生にしたいです。

 

 将来自分は何をしたいのか。

うーん、やっぱり。スケートの解説者かな。⛸

 

しょっき だ くるぅーら

話はガラリと変わります。

すこーし 「しょっき だ くるとぅーら!」

ということで、カルチャーショックというかびっくりした小話があったので記載します。

 

本日活動していて、お昼休みに近所のガソリンスタンドへランチを食べに行きました。

その時のエピソードを記載します。

 

ここのガソリンスタンドはポルトガル人が経営しており、なんとなくよさげな雰囲気のお店で、食べるところもガラス張りだし、

売っている食べ物もピザやウインナーを挟んだ美味しいお惣菜パンなどが売っています。

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活動先の近くにはここと現地人が行くようなシマ(アフリカ各地で食されている、トウモロコシの粉から作った主食。モチとマッシュポテトを足して二で割ったようなそうじゃないような。無味。)屋さんしかありません。

あまり食事の選択肢がないのです。

 

 

またまた話がずれてしまってすみません。

今日はこのおしゃれガソリンスタンドで、奮発してポルトガル風ステーキを頼みました。

ポルトガル風って言っても、ステーキの上に目玉焼きが乗ってるだけですが。🍳

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肉の上にさらにタンパク質の卵を乗せることで栄養価を増していたとか。

 

じゃ日本にあるステーキは大体ポルトガルスタイルじゃん、とか思うのですが、どうなんでしょう。けどコンビネーションは抜群です。

 

 

小言ですが、肉が前より少なくなった気がします。しかもうすいし。

うすいのは元からですが、小さくなったのはランチ代奮発して日本円にして500円も払っているのだから許せない!

 

シマ屋さんが一食60円とかで食べられるのでほぼ10倍です。

 

 

こんな豪勢なランチ久しぶりだなーと思いながら、いつものランチの10倍の金額を噛み締めながら幸せを感じていました。

 

現在肉食男子肉食系女子

ここから本題。

 

と、そこへ2人のモザンビカーナ(モザンビークの女の人)が。

隣の席へ着席。

そして。

 

 

 

 

ガン見。

 

 

:(;゙゚'ω゚'):

 

 

 

あ!何事とか思いましたが、きっとこのステーキが美味しそうだから、同じものを頼みたいのかなーとかそんな風に考えて1人で黙々とランチタイムを楽しんで食べていました。

 

 

とそこに。

 

モザンビカーナ:「ポルトガル語話せる?」

以下モ女。

 

急なことなので対応できず。

 

私:「うん、話せるよ」

モ女:「どこに住んでるの?結婚してる?誰と住んでるの?」

 

(あ、随分質問ぜめだな、、いつものモザンビークあるあるパターンきたよ。。何がしたいんや)

 

ここでモザンビークあるある

よく結婚してるの?って聞いてきます。

そうなんです。モザンビーク人は大体20代前半とかで結婚して子供も作ってしまうのです。

 

ここでモザンビークあるある②

結婚してないよ、というと。

子供はいるの?って聞いてきます。

日本人的な感覚では結婚してないんだから子供なんているわけねえだろ💢

って感じですが。こちらでは片親でも子供あるパターンがありますからね。

 

ここでモザンビークあるある③

「じゃあ恋人はいるの?」

まあこれは普通の流れです。

日本では見ず知らずの人に初対面では聞きませんがね、、、。

問題は「いないよ」、と答えたその後。

 

「じゃあモザンビークでの恋人はいるの?」

 

なんでだよ!

恋人いねえってんだろ💢

ちなみにこれ。日本に恋人がいるって答えても同じ流れです。

 

今回も同じくだりをやりました。

毎回これをめんどくさいと思うか、思わないかはあなた次第。

ちなみに女性は男性の10倍くらい聞かれます。それは盛ったかな。。

 

Fazer amor

話は戻り。

私:「街(リシンガ)に住んでるよ。結婚はしてないし、1人で住んでるよ」

 

モ女:!!!!!

モ女:「1人で住んでるの!?名前は??私と子供作ろうよ!」

 

 

 

私:「......。」

 

 

 

話早くね笑

てか逆にここまで来ると尊敬する。

 

快楽のためってよりも本当に僕との遺伝子を残したくて。いや、肌の白い子共が欲しくて言ってるんですね。

 

なんかこの感覚、日本とは異なりますよね。

20代だとどうしても子供のためってよりは、好きだからとか、快楽のためだったりすると思うのですが。

 

彼女は、というかモザンビーク人でそのように求婚して来る人たちは日本人とは違った感覚で求婚してきます。

 

その後年を聞かれ(何故かすごくびっくりされた。老けてるのかな、自分)、

彼女の年を聞き(ちなみに24歳)、

連絡先を教えろというので、連絡先を交換しました。

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この凄まじい肉食。

日本男子として見習うべきですね🇯🇵

日本だとなかなか女子1人がレストランで、食事をしててたまたま隣の席に座れるってことは多くはないと思うのですが。

 

日本の女子達よ。

1人でレストランに行ってください、、、、笑

 

 

まあそれは置いておき。

日本だと隣の知らない人に話しかけるっていう事も、それなりの何か事情がないとほぼありませんよね。こんな風に自分の気になった人へ、自分の欲望をまっすぐに伝えられる彼女達は本当にすごいことだと思います。

 

やはりより良い人を見つけるため、捕まえるためには彼女のように積極的なアプローチを取ることも時には必要だと思います。

 

自分もこのように行動しよう、というわけではありませんが、こんな積極性を持って、今後の活動や自分の人生を切り開いていけたら楽しい人生を送っていける気がします。

 

積極的な行動と繋がるかはわかりませんが、昨日は同僚が隣の席で大人のビデオを鑑賞していました。

欲望に素直ってすごいですね。

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そんなこんなで。積極性を忘れずに行動しよう、と感じた1日でした。めちゃくちゃどうでもいいですが、最近協力隊後の進路を考えており「ポルトガル ブラジル 働く」で調べていたら、こんな記事を見つけました。

 

 

www.porgoru.com

 

上記の1番目に書いてある、

ブラジル日本交流協会(ANBI)という協会。

上記のブログにある分をそのまま引用する形となりますが、下記のような支援をしている団体のようです。

 

*******************

ブラジル日本交流協会(Associação Nipo-Brasileira de Intercâmbio)は毎年日本からブラジルに数名の研修生を送り込んでいます。研修生はブラジルの現地の企業で実際に1年間ポルトガル語を使って働き、将来的に両国の架け橋となれる人材を育成していくのが目的です。

移住や就職とはまた違った研修制度で、年間100万円ほどの費用がかかりますが、これをきっかけにブラジルで人脈やコネを作り、その後ブラジルに永住する人も少なくないです。多くの交流協会生は大学を休学して来るのが一般的ですが、中には社会人もいるようです。どちらかというと20代の若者向けのプログラムといった感じです。

*******************

 

こんなことを実施している団体があるのですね。僕ももう少し若かったら帰国後チャレンジしてみるのいいかな、と思いましたが。

とりあえず思ったのは久々にワクワクする感覚。そして楽しそう。

 

けど、もう良い歳になるのでもう少し身を固められる進路が良いですね。。。んー、そんな理由よくないかな。

 

やはりスケート靴メーカーのリスボン支店かな。いい就職先を募集しています。

希望はスケート関連の仕事、勤務地は日本かポルトガルかブラジル。

駐在か出張ベースで。一年の半分くらいは海外にいたいですね。贅沢か。

 

では、また!あて あ ぷろっしま〜!

もざぴ日記25 〜恐怖の体力強化合宿 IBO PART2〜

前回の引き続きの記事です。
17日からモザンビーク内でも随一の美しさを誇るビーチがある、カーボ・デルガド州のイボ島へ行ってきました。

旅行の着くまで工程ですでに。
すさまじい体験の連続だったので、記事を分けています。
もしよければ前回の記事からご覧ください。

noppiano.hatenablog.com



では、本編のイボ島編とまだまだ続く苦悩の陸路移動(帰宅編)をどうぞ!!


 

 

 

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1/20(3日目) イボ島

ホテルに泊まる=朝食を楽しみにする
というのが僕の方程式です。

連日のなかなか過酷な旅で疲れて、かなりの睡眠不足ではあったのですが、同じ部屋の先輩隊員の目覚ましに起こされたこともあり、8:00頃には朝食を食べに行きました。
見事に北部はハリケーンが到来している、とのことで客は私たち9人だけ。

しかし、、、この朝食の時からなんか体調がおかしくなっていました。

そのあとイボ島を自由散策、という時間でしたが、なんとなく調子が悪くなりそうだったので大事をとって、寝ていることにしました。
昼食を終えて、みんなが戻ってきたときに看護師の先輩隊員に熱を測ろうといわれ、熱を測ったところ、38.2度。


マラリアの可能性もあったため、先輩隊員が持って来てくれていたマラリア検査キットで確認、、、

結果はねがていーぼ。
つまり陰性。

完全に昨日までの過酷な旅ととどめに海を渡った時の暴風雨とついてから浴びた水シャワーが原因でしょう。
てか絶対水シャワー。あれ余計に体調悪くした。


てか、リゾート地に来て、結構お高いホテルに泊まったにもかかわらず、水シャワーしか出ないとかびっくりしますよね。
せっかくめちゃくちゃつらい思いをしてようやくイボ島についたにもかかわらず、まさかの熱で寝込む。わけです。
寒気は止まらないし、頭は痛いし。

けど、こんなに喧騒から遠い場所でゆっくり寝られるのもリゾートの醍醐味ということでひたすらゆっくりしました。
2度昼寝して死ぬほど汗をかいたら、夜には37度台まで熱が下がりました。

とりあえずよかった。
一般的にみたらなかなかどんまい事項。



1/21(4日目) イボ島

ようやく熱も下がり、なんとかみんなと一緒に行動できそうだったので、本日は無人島に行く予定で明日には帰宅するので少し無理して同行することに。


昨日のおしゃれディナー食べたかったなあ。

無人島に行く、とのことだったので、油断していましたが、
まさかの着くまでの道中にイルカと泳ぐプランと、沈没船シュノーケリングプランが含まれていました。


きいてなーーーい、、

病み上がりなので、海に入る勇気は出ず。
体調悪くなったら明日からの怒涛の陸路での帰宅がさらにやばくなる。。。
イルカは信じられないくらいの至近距離まで近づき、ただ眺めるだけだと思っていたら。



まさかの
「よし、とびこめえ!」

いやいや。急すぎる。
悪夢のイニャンバネでのオーシャンサファリを思い出す。
モザンビーク観光地である、イニャンバネでも船酔いで大変な思いをしました。
詳しくは下記。

noppiano.hatenablog.com




僕は泳ぐのは遠慮しましたが、とりあえずみんな次々と海を飛び込む。

しかし、結構な沖合で結構な波。
一人運動神経抜群で体力がめちゃくちゃある先輩隊員(女性)はイルカと泳ぐことができましたが(あそこまで到達できたのは驚き)
ほかのメンバーは普通に海に投げ出された、要救助の人見たくなっていましたwww

みんな救命胴衣はつけないで海に飛び込んでしまったので、大変なことに。
一人だけ泳ぎに自信のない女性隊員が救命胴衣を持って海に繰り出しましたが、ほかは結構みんな溺れている状態。


半分おぼれてしまっていた男性隊員が救命胴衣のもつ女性隊員に必死にしがみついている姿は猛烈に笑えましたwwww

そのあと申し訳ないと思ったのか、女性隊員から離れていきましたが、そのあとも半分沈んでいる状態ww めちゃ苦しそうでした。爆笑
写真撮ればよかった。。

彼は水中カメラを持っていたのですが、とてもじゃないけど写真を撮っている状態ではない。それにしても必死になっているときの顔はかなり笑えます(鬼)
この日一番の面白い事項だったような気がします。



結局3人ほど男性隊員がほぼおぼれており、2人がすぐに船へ避難してきて、
1人に救命胴衣を渡して救助する?というなかなかシュールな感じになりました。
しかもおぼれていたメンバーはイルカも大して見ることができなかったようで、近くに来たイルカとおぼれている隊員たちを見学できた船の上に残っていた私は正解でした。笑(性格わるい)

ですが、人のことを面白がっていたつけが回ってきました。
イルカウォッチングを終え、沈没船に向かっている際に波がとても荒くなってきました。もともと船酔いしやすい性質のくせに、酔い止めを飲んでこなかったためなかなか気持ち悪かったです。


いざ、沈没船についてみて、船の上に残るのも船酔いするので地獄、
と思ったので思い切って海へ飛び込んでシュノーケリングに参加してみることにしました。(もちろん体力を減らさないために救命胴衣は持ちました笑)

しかし、海が透明すぎるのもありシュノーケリングしているのも、波に揺られ気持ち悪くなり。
シュノーケリングを終えて船の近くまで戻った際に、ゲロを吐いてしまいました。🤮
吐いているのをばれないように、こっそり吐くつもりで一瞬海に潜って吐いたのですが、
何しろ吐くときの声?がうるさいほうなので(笑)漏れていたようで。


あとでさっきおぼれかかっていた隊員に
「のっぴげろ吐いてたよね?」
といわれました。


ばりばりみられてる――ー笑

しかしほかの人も2~3人ほど沖でこっそりゲロ吐いたりしている人達がいたようなので、みんなだいぶ気持ち悪かったようです。
なんでモザンビークの海はイニャンバネといい、こんなに荒いところが多いのか。

移動えぐい二日を経て、昨日は熱をだし、今日はゲロを吐く。
我ながらこの旅について、なかなか笑えてきました。

ゲロの沈没船ツアーを終えて、無人島へ行きました。
たどり着いた無人島は海が満ちてしまうと水没してしまう本当の無人島(?)でした笑


勝手に普通のただ人が住んでいない島だと思い込んでいたので、真っ白な砂浜しかない島にたどり着いたときは本当にびっくりしました。


しかし、船酔いでまだ気持ち悪いのと、体調も万全ではないので、
ホテルで借りた毛布にくるまりながら少しゆっくりしていました。
スタッフが簡易的日よけを立ててくれましたが、これなかったら全く何も日よけがなくてえげつないことになっていました、、、。

島にたどり着いて間もなく、その辺でイカを釣ったモザンビーク人が出張(?)で島へイカを売りに来ました。みんな生のイカを内蔵をとって、海の水で洗って
「おいしい、おいしい」
と食べていましたが、僕はそういう野蛮なことは昔からとても苦手です(笑)

僕は昔からその辺になっている木の実とかも食べることに大変な抵抗があり、
友人たちがバクバク食べているのをただ眺めているだけの子供でした。
そんな子供時代だったので、見ず知らずのモザンビーク人が持ってきた謎のイカを食べることに大変な抵抗がありました。笑 しかもイカを置いていた船も汚かったし。

そんなことでモザンビーク暮らしができるのでしょうか。僕も謎です。

結局足一本もらうだけにしました。
確かに新鮮で甘みがあっておいしかったのですが、吸盤が舌にくっついて気持ち悪い。

またこの島はウニが取れる、とのことで
生うにをたべようーーー!ってことになりました。
その辺にいるウニを先輩隊員がとってきたところ、日本のウニとは違い、針の先に変なとげがあるようで、手を負傷していました。

気を取り直して、ウニをとってきて割ってみたところ。。。


ウニの下の部分に肛門のような謎の穴があり、
ナイフで真っ二つに割ったところ。




ブシャー―――――――――――――ー


なぞのウニ汁が大量に出てきました。
なかなかきもかった。笑

しかも中身をのぞいてみたところ、日本のウニとは違い、オレンジ色の部分がかなーり少ないし、なんか汚い感じだったので、食べる気が失せました。笑


そのあともう2つくらい探してウニ汁ぶしゃーしましたが、
中身がすっかっすかでした。

なんのために存在してるんだよ・・・・。


そのあとは岩に張り付いていたシャコガイが必至な思いでとったり、
海に使ってバシャバシャ遊んだり。
イボ島旅行で初めて楽しいと思える時間を味合わせていただきました。
海はとてもあったまっており、浅いところに入るとまるで温泉のよう。


島に着いたときは干潮になりかけの時だったので、完全干潮の時や少し満ちてきたときも体験できたので、地球ってすごいなあ、とか思ったりと
なかなか素敵な体験ができました。

イボ島旅行で2人だけダイビングアクティビティを選択、他のメンバーは無人島ツアーに来たのですが、
ダイビング組も潜りを終えて、無人島へやってきました。

しかし、ダイビング組は二人しかいなかったこともあり、さらに船が小さく二人ともげろげろのようでした(笑)なんちゅう旅や・・・

おまけにそのあと潜ったそうなのですが、一人の隊員が5メートルほど潜ったのち、
潮の流れが速いことにパニックになってしまったそうで、先に海を脱出。
一人で船の上で1時間ほどダイビングが終わるまで待っていたそうです。

そのため、無人島で再会したときは死ぬほど酒を飲んだ時のように全身真っ赤に焼けており、すごい状態でした(笑)
彼にしてみれば、ダイビングもできないし、船酔いでかなり酔ってげろ吐くし。
なかなか僕以上にすさまじい一日だったでしょう。
ちなみに彼の悪夢はこの後も続きますが、それはこの後に。


ダイビング組が合流して、島でゆったりするのもつかの間、
向こうの雲を見ると嵐の雲が近づいてきます。
雲の下を見ると何も見えないほど雨が降っており、雷の音も。

これは早く避難しないとえげつないことになる、ということで、
当初の時間よりも早めに無人島を引き上げることとなりました。

これで嵐になったら今日も最悪すぎる一日ってことでかなりのネタになったのですが、
なんとか雲方向が違うほうへ流れていったので、無事に雨に降られることもなく、イボ島へ帰ることができました。

帰りは酔わないように船で横になって知らないうちに寝ていたので、帰りは船酔いもしなかったです。よかった。


さて、イボ島に戻ってから。
僕はお土産を買いに出かける&昨日島の探索ができなかったので、探索をしてきました。それからホテルへ戻ると。


先ほどダイビングができなかった隊員が昨日の僕のようにとても寒気がする、というのです。

試しに熱を測ってみると昨日の僕とほぼ同じ熱で38.4度。
これはうつしてしまったかな、、、と思い、申し訳ない思いになりましたが、とりあえず寝て様子を見ることとなりました。(僕は昨日はほかの人に移さないように、ほぼ引きこもっていたのに)

夜になり、夕飯を食べに行こうとなった際に再度熱を測ると39度超え。
これはマラリアの可能性があるとのことで、マラリア検査キットを試しました。
無事、陰性でマラリアではありませんでしたが、とても体温が高いのに汗をかくことができず、体温をため込んでしまっているようであり、とても苦しそうでした。

解熱剤を飲み、さらにこれは船の上にずっと日陰のない場所にいたことからの熱中症がかなり悪化した、ということを
看護師の隊員が分析し、体温を下げるために冷えピタと、訓練所で習った経口補水液を作成し、たくさん飲んでもらう、ということになりました。

明日は朝5時に起床し、また来た時と同様の激しくえげつない工程を戻らなければなりません。
彼が熱が下がらずとても船で帰れなくなった場合に備えて、飛行機で帰るプランも含んだ、帰るプランA、プランBなどを考え、彼の復活を願い、本日は寝ることとなりました。

それにしても、こんなにえげつない工程を経てようやくイボ島へ来たのに、
滞在時間は2日しかないなんて。
ほかのメンバーは再度チャレンジをしよう、と言っていましたが、僕はそうは思えません。。。。(笑)



1/22(5日目) 帰路 イボ島~ペンバ

予定通り朝5時に起床し、朝6時の出発に向けて、例の彼の体温を測ることとなりました。熱は下がらず38度台。
これはもう我々の手には負えないということで、看護師隊員の方がJICAの健康管理員へ連絡をし判断を仰ぎました。

そして健康管理員のジャッジはGO。
出発する前は僕としては彼には厳しすぎる工程だからホテルにとどまっていたほうがいいんじゃないか、とか思いましたが、
結果この判断は英断であったと思います。

できるだけ体調不良の彼に負担をかけないように、船では横になってもらい、できるだけ暖かくして船に乗り込みました。

※体調不良のかたではありません。


幸い前日からの天気予報はひどい嵐でしたが、波も落ち着いており曇り。
船はとくに問題もなく、来た時よりもスムーズに対岸へとたどり着くことができました。

対岸には州都ペンバへ向かうぼろ車ワゴンが待っててくれており、
大量不良の彼には助手席に乗ってもらい、できるだけ席を倒して楽になる形でペンバへ向かいました。


行きと同じようにほぼ6時間かかりペンバへ到着。
しかし帰りも何組の警官隊につかまったのかわからないほどつかまりました。
まじでもう少し効率的にならないのか。

昨日の夜は考えられないような顔色の悪さをしていた、彼ですが、
ペンバへ着いた時には幸い多少顔色もよくなっていました。
彼はマプトへ一度帰る予定になっていたので、健康管理員もマプトでスタンバイして、
すぐに病院へいくという手はずとなっていました。

健康管理員いわく、熱中症をこじらせて、39度を超えると死ぬ可能性もかなりあるとのことで、JICA事務所側としては緊急の準備を整えていたそうです。
ところが幸いなことに、首都マプトに着いた時には彼の熱も下がっていたようで、病院搬送の必要がなくなったそうです。
経口補水液のおかげか、体を最初に冷やした初動の対応がよかったのか。。。

看護師隊員の方は心配性で、いつも旅行の時にはマラリア検査キットや冷えピタ、体温計を持っていて、いつも馬鹿にされるのを覚悟しているようです。笑
ですが、今回の旅ではすべてのグッズが非常に役立ち、彼女の英断や初期対応があったために僕が彼が大事に至らなかったのでしょう。
ほかにもウニにとげをかなり刺されて負傷した先輩隊員もいたので、看護師隊員なのにいろんなことに引っ張りだこで大変そうでした。けど僕たちとしては非常に心強い存在となりました。

ペンバに宿泊組は任地リシンガでは購入できないような、ベーコンやフライパンや柔らかいトイレットペーパーなど。
都会にしかないスーパーで大量に買出しを行い、早めに宿へ行き体を休めることにしました。特にリシンガへ帰る組はかなりの苦痛がありますからね。さてさて。この度はまだまだ続くのでありました、、、、。


1/23(6日目) 帰路 ペンバ~ナンプラ~クアンバ

本日ようやくリシンガへ帰還、、、!
と、考えていたら、運転手から行きで通った道は通れるか分からないし、ナンプラ経由で2日かけて帰ったほうが良いとの提案。

今日自宅へ帰れると思ってたので。

もう着替えないよ、、、👕
というか体力まじで限界だよ、、、、、、、

とか思ったけど、行きの道が過酷すぎたので。
道が水没したり陥没が直っていない可能性が大いにありました。
それで引き返して。
ってなるよりはマシか。というかそれは最悪すぎる。

ということでナンプラ経由となりました。
これで自動的に旅行は一日延長。

昨日まではこの激闘旅面白いと思えてましたが、流石にだんだん体力にこたえはじめてきて、軽くイライラしてきた、、、、

とりあえずディズニー音楽を流して夢の世界で落ち着けます。🐭
ナンプラで大好きな中華を食し、ナンプラ組2人を降ろして出発です。

ニアサ州の入り口クアンバまで。到着予定時刻は19:00ごろですが、きっとクアンバまではそこそこの舗装された道が多いので大丈夫なことでしょう。

問題は明日です。
クアンバからリシンガの道はまじで穴ぼこだらけだし、舗装ほぼゼロだしほんときつい、、、

先のことは考えないようにしよう。


あと個人的にどうしても運転手の性格がムカついてしまいます。
モザンビーク人を好きにならなければならないけど、テンション上がると謎にうるさいのと、仕事中なのに自分の私用のために買い物したり、携帯いじるために車を止めるのです。

や、テメエ。
なんでこっちが客なのに、てめえの買い物付き合わなきゃならねえんだよ怒
(言い過ぎました)

とか相当腹立つ部分は多いのですが
(ずっとエアコン効かない車内だから余計イライラする)
それもモザンビーク人の特徴ということで、認めなければならないのでしょう。
これ2年もつかな。

クアンバへは予定時間通りの19時ごろに着きました。運転手はまだ先のマンディンバまで行く!!
とか行ってましたが。

この暗闇で行って23時とかまでにたどり着けるか微妙なところです。ホテル代安く済ませたいからって自分の都合だけで色々主張してくるのまじでやめてほしい。怒


その晩はこの旅色々ネタすぎて笑えるね
というところからリシンガメンバー3人でとても話が盛り上がり、疲れているにもかかわらずぶどう🍇を食べながら、夜遅くまで語り明かしました。



1/24(7日目) 帰路 クアンバ~リシンガ

昨日の夜、ドライバーと別れるときに確認。

私たち :「明日何時に出発?」
ドライバー:「3:30」
私たち :Σ(・□・;)!!!!

ドライバー:「出発が遅くなると、着くのも遅くなる。明日は午後くらいから雨も降りそうだし」

との回答。
いやいや。早すぎるだろ。自分がランチとディナーを家族と過ごしたいだけだろ、とか思ってまたいらいら。
確かに道が悪いのは知っているし、早く出たほうが早く着くのもわかるけど。
いくらなんでも早すぎる。しかも結論雨も降りそうな雰囲気はありませんでした。爆

結局4:30出発という名の、またドライバーが遅れたので5時出発となりました。
本日クアンバという二アサ州第二の都市で宿泊をしたのですが、12月から続く怒涛の旅行。
noppiano.hatenablog.com

この時も一泊目は移動の中継地点としてクアンバに宿泊したので、
クアンバから始まり、クアンバで終わるのだなあ。

と、なんだかしみじみ。
睡眠不足と極度の疲労により、もはやいろいろテンションがおかしくなっていました。
リシンガ組3人の持っている曲はすでにすべて聞き終えてしまっていたので、
僕のi phoneのyouubeでテンションの上がる曲を流し、踊りまくっていました。

youtube で曲を流していることを知った運転手が一言。

「うわー、お金持ち」


おまえがむかつくから曲流して紛らわせてるんだよ。笑
この運転手のことはとてもとても嫌いでしたが、腕は確か。


クアンバ~隣国マラウイとの国境の町 マンディンバまでは比較的道が整備されていて、通りやすかったのですが。

マンディンバ~リシンガ 間がひどい。

昔、コンクリートで整備した感はあるのだけど、昔すぎてもはやあなぼこ。

つまりオフロードを通るよりぼこぼこがひどいこととなるのです。
12月の旅行初めにクアンバまでこの道を乗り合いバスで通ったら相当酔ったことを思い出し、、、

酔うことを覚悟していたのですが、ひどい道にもかかわらず彼の運転テクニックは確かなので、そんなに酔わずに済みました。
そして、相変わらず彼の買うもののために、停止。レモン🍋だったり、鶏🐓だったり、ビスケット🍪だったり。

いちいち細々と止まっていてとてもイライラしましたが。
昨日の夜に早くクアンバ出て、リシンガ帰りたいいうたの、自分やん。

とかまたイライラします。


極めつけは生きている鶏を買って、後ろのトランクに詰め込んだのですが、
後ろのトランクには僕らがペンバで買ったものやクーラーボックスに入った僕らの食糧が。(クーラーボックスはペンバで購入)

家に帰ってみたらクーラーボックスは糞まみれになっていました。💩

なんで人のこと、先のことを考えられないのだろう。


そして結局リシンガへは昼過ぎにつき、3人で遠回りで帰ってきたこともあって、
予想を大幅に上回る費用(飛行機の半分ほど?)かかってしまいました。
けどこんなに過酷なら次は飛行機かな。お金ない。

家に帰ってからは次の日まで20時間近くひたすら寝続けました。
そんなこんなで恐怖の体力強化合宿は終了しました。

最近、活動先でもモザンビーク人のことをあまりよく思えなかったり、
自分のポルトガル語能力が上がらずに、話すのが億劫で余計にコミュニケーションを取らなくなったり。
少しマイナス方面に向きつつありました。

しかし、旅行中に先輩に注意されたように、モザンビーク人あってこその僕らの活動がある、と思います。
なんとか交流を深めて、語学力をUPさせて、仲良くなれればいいなあ、とか思うのですが、そんな日はまだまだとなりそうです。

新しい2017-3次隊の人たちも首都マプトへやってきて、すでに後輩隊員が2期分もいることにとても驚きを隠せません。何も活動進んでいない。語学力伸びていない。

きっと後輩の彼らのほうがだいぶ語学できるような気もしますが、なんとか地道に活動につなげていけるようにまずは語学力から。少しずつ伸ばしていきたいです。

モザンビーク人はいい奴だ

最後に一つ。

今回はモザンビーク人の愚痴がメインとなってしまうブログとなってしまいました。

本ブログを読む方たちに勘違いしないでほしいことは、これがモザンビーク人のすべてではありません。彼らには僕ら日本人にはないような、フレンドリーさや明るさや、ひたむきに前に進み続けられる力など尊敬するところもたくさんあります。

※写真は本文と関係ありません。笑

個人的にはモザンビーク人の対人関係のスキンシップや距離感の縮め方が一番学びたいポイントだと思っています。
今はそういうところも含めてうざく感じているのですが。笑

次回以降はできるだけ彼らの良いエピソードも含めて、もっと発信していきたいと思います。本ブログのモットーは正直なリアルなモザンビークを伝えることにあるので^^


書いてほしい記事のご要望あれば、まだまだ受け付けております!
次回記事は13日から冬季オリンピック平昌オリンピック)のフィギュアスケート観戦のために首都マプトへ上京するので、そのことかな~。まだ未定だけど。

ではでは、また。あて あ ぷろっしま~~~

もざぴ日記24 〜恐怖の体力強化合宿 IBO PART1〜

 お久しぶりです。

日本は先日大変な大雪だったそうですね。
こちらは季節は打って変わって夏なのですが、モザンビーク北部はハリケーンがやって来ているので、あまり快晴ではありません。

 

ちょうど一年前

話は急激に変わりますが、先日大雪だった1/23のちょうど一年前、2017年1/23はわたしが青年海外協力隊としてモザンビークへ行くことを公表した日でした。

Facebookで多くの人への公開をしたのですが、ありがたいことに行く前に会いたいというお言葉をいただき、関西や関東圏の友人たちと多くのことを話させていただきました。

きっとモザンビークに来る、というきっかけがなかったら話さなかったようなことも話しました。

 

それだけでこちらに来たことに意味があったかもしれません。

 


またありがたいことに、今まであまり友人の愛に受けたことがない人生でしたが、26年分の愛を一気に感じることができた機会でもありました。(友人は今までかなり少なかったので)

こんなに自分は愛してもらえていたのかと、初めて感じられた機会でした。
そんな方々のためにも必ず健康で、より素晴らしい人間となって帰ってきたいと思います。

 

 

 

モザンビーク秘境の観光地 イボ島

さて、今回はモザンビーク北部にある、リゾート地イボ島に行ってきました。
このイボ島はモザンビークの中でも発展が遅れている、と言われているカーボ・デルガド州にあり、首都のあるマプトから大きく離れているため、非常に綺麗な海と南部より温暖な南国風の雰囲気が特徴です。

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さて、このイボ島へは青年海外協力隊員のメンバー総勢9名で向かいました。
内、わたしを含めた3名はまだ半年以下の来て間もない隊員ですが、他のメンバーは一年以上活動しているポルトガル語も堪能で、たくましい先輩方です。

 

わたしの住んでいるリシンガからは同じ北部とは言えども、中継地点カーボ・デルガド州の州都ペンバまでは飛行機だと途中一泊ありので飛行機乗車時間合計4時間で行くか、乾季時なら車で10時間の道のりの、2パターンしかありません。

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近いように見えるんですけどね、、、、

 

飛行機で行く場合はペンバまで2万円程かかりますが、車の場合はわる人数にもよりますが、半額ほどでいけます。

 

そんなわけで協力隊のほんの僅かばかりの生活費しかいただいていない私たちには問答無用で陸路選択、となったわけです。

これが悪夢の始まりでした、、、、、、

 

 

 

1/18(1日目) 陸路移動 リシンガ~ペンバ

目的地 ペンバまでは乾季で10時間かかる場所なので、ゆとりをもって朝は5時半出発。
想定だと夕方前に着くかなという感じ。

 

ペンバまでの車はリシンガにあるレンタカー屋さん(ドライバー付き)に先輩がお願いしてくれていました!

 


ところがどっこい。
30分どころか、1時間、2時間。待ってもきませんではないですか。
朝早いので朝ごはんは抜いて出発しようと考えていたのですが、ずっと連絡がこないのでとりあえず1人で朝から親子丼を食べました。
(朝ガッツリ食べたい人)

 

8:30(3時間経過)になってもこないので、先輩隊員の家にリシンガから出る人5人全員集合して、トランプをして待つこととなりました。


....

.......

............。

 

気づいてみれば10:00

なのにまだ来ない。
先輩隊員は10分おきにキレの電話を会社に入れてるのに、最終的には着信拒否される始末。
けどなぜかメッセージで逐一車の様子について連絡は来る。

 

「あと10分で行く。」
いや、それ1時間前にも聞きましたから。

 

 

 

結局出発できたのは11:00。

 

 

 

その時は先輩隊員がとても怒っていたので、逆に僕自身はイライラも怒りもせずにのんびり待つことができたのですが、この記事を今書きながら、やっぱりおかしいよな。
ってイライラしてきました笑

 

先輩隊員達もこんなに遅れる事象は初めてのようです。まさかの5時間半遅れ。


一度9時ごろに家の前まで来たのですが、用意して来た車がなぜか運転手含めて5人乗りの乗用車。
いやいや、我々だけで5人いるっつーの。

 

まじでバカだなと思った瞬間でしたが、
10分で取り替えて来ると言って、なかなか帰って来ずにこのザマです。みなさま気をつけましょう。

 


さて悪運はこんなでは終わりません。
なぜなら恐怖の体力強化合宿ですからね。

 

 

雨季なので、乾季の時に普通あるはずの道が早速ありません。川で水没しています。

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「え、これ無理でしょう、、、、」

 

という第一関門。

先輩隊員が裸足になって自ら入ってくれて深さを調べてくれました。

 

結果、そこそこ深い、水の流れの勢いもある。

 

 

もうこれは運に任せるしかない。

 

 

 

という結論になり、勢いをつけて車が水はドボン。や、まじで船かよこの乗り物。

って並みに水に沈みました。

 

途中やばい音したり、後部座席に浸水もあったようですがなんとか切り抜けられました。

 

 

その先にも道が水没している場所多発。

少なくとも10箇所はあったなあ、て感じです。

そんな水没の場所につくたびに先ほどの先輩隊員(女性)がドライバーに調べてこい、と言われて深さを調べにいかされます。

 

 

いやいや、お前が行けよ💢

 

 

という感じで、このモザンビーク人ドライバーにはイライラしっぱなしでした。

このドライバー。

遅刻して来た&道が悪いくせに彼は自分の都合のために度々車を止めるのです。

 

大体自分が食べるようなクッキーを買ったり、飲み物を買ったりなのですが、その回数がやたらと多い。一気に1箇所で買えばええやん。

というか、日本式でいうなら元から買っておけよ💢💢💢

 

 

ガソリンも散々待たせたのに、元から入れてなくて、出発してから入れる始末。

まあこれは計画性ない、モザンビークあるあるなのでもう今更とやかく言っても仕方ありません。

 

話は戻りまして、

道が水没するたびに先輩隊員が身を張って、深さを確かめに行くのですが、わざわざ先輩が深さを測って右側の方が浅いから、

「右側を進んだ方が良い!」

 

とアドバイスをドライバーにするのですが、結局ドライバーは無視。

謎に自分の勘を信じて突き進みます。

 

 

ここもムカつくポイント。

 

だが幸いにしてこのドライバーはかなりのベテランらしく、50歳。

30年は運転しているようで、なかなかの運転テクニックを見せてくれました。この人の性格やスタンスにはかなりムカつきましたが、ぶちぎれないですんだのは、彼の運転技術が割とちゃんとしていたからです。

 

多分この人はいい奴なんです。

いい奴エピソードをこの後に書きます。それもムカついたのですが。

 

 

話は戻りまして、水没だけなら妥協と運に任せて進めばまだなんとか進めました。
けど最初にあの川を渡ってしまった以上、水量が増えてもう渡れなくなっている可能性もあり、

 

進むも地獄戻るも地獄。

 

なわけです。
もうこうなれば進むしかない。あの川を渡れたのだから、大体なんでも渡れるだろうって感じです。

 

 

だがしかし、ここで大きな第二関門。

道が切れています。

 

雨のため道に大穴が空いてしまって、人だけなら乗り越えられても、とても車は乗り越えられそうにありません。

いや、もうこれ無理じゃん。けどだいぶペンバ側まで来ちゃったし最悪だよ、、、

 

 

とか、考えていたらドライバーとその辺の村人が協力して、そこら辺の木を集めただけの超簡易的橋を作ってました。

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いやいや、こんなんで。

絶対渡れるわけないでしょう。とかおもってたら。とりあえずドライバーから説明。

人間は降りて、先に渡ってから車を渡らせる。とのこと。

 

 

今思い返してもこの旅1番の緊張感でした。

 

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そして、、、

Conseguimos!!!!!

 

 

奇跡の通れちゃいました。

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本当に感動。やつの運転テクニックすごいなと感動していました。

さて、暗くなる前にこの何もない村ゾーンを突破して、アスファルトの道までに行きたい!と思っていたら。

 

 

ここでまた悪夢が発生。

 

私たちの後ろにいた車がうまく渡ることができずに穴にはまってしまったのです。

 

こちらとしては放っておいて欲しいのですが

(電波も何もないところで暗くなると、自分たちの安全も危うくなる)

 

そこはモザンビーク人の謎の正義感登場。

とことん付き合ってあげちゃうのです。

これがドライバーにムカついたポイントその2。

 

 

聞くところによるとモザンビーク人のコミュニティは小さいみたいなので、すぐにこゆとき手伝わなかったりするとその噂が伝わって、村八分みたいなことになるとか。

 

 

ペンバでは一緒に夕食をとろう、と約束していた隊員もいるのに、隊員にも我々隊員の面倒を見てくれる調整員にも連絡が取れない。

 

どんどん日が暮れて真っ暗になって行く。。

けど出発する気配はなし。

 

 

2時間ほど奮闘したのち。

 

ようやく運転手が後ろの車を助けることを諦めてくれました(ほっ)

でももう辺りは真っ暗。

 

水没した道を避けるのにヘッドライトだけだと本当に心配です。その後大きな池を乗り越えるために、全員で窓から身を乗り出して、池に落ちないようにみんなで体重を傾けたり、

池が深すぎてヘッドライトまで水没して辺り真っ暗になったりとやばいシーンはありましたが、無事にペンバへたどり着くことができました。

 

 

オンロードへ出た時の安心感。

オンロードに出れたのは22:00とかですかね。

 

東京から8時間大阪まで車は疲れるう、とか思ってましたけど、もはや余裕に思えてきます。

 

 

車揺れないやん。

絶対いつかは着くやん。

道あるじゃん。

 

 

って言う。とにかくえらい目にあいました。

そしてようやくペンバについたのが午前2時。

もうどこでもいいからということで、高いホテルに入って、みんなで雑魚寝をしました。

(これまたいろいろあって人数通りのベッドがなかったのです)

 

けど、ペンバについた時のあの整備された綺麗な景観を見たときはなかなかの感動でした。

ペンバとても綺麗で整備された町です。あの感動はもしかしてこの旅で1番だったかも。

 

 

1/19(2日目) 陸路移動+船 ペンバ~イボ島

1日目の記述がかなーり長くなってしまいましたが。なんとこれから毎日さまざなことがありすぎて、全然終わりません。笑

 

ペンバには、任地リシンガにはないショップライト(大型ショッピンセンター)があります。

イボ島へ行くに向けて、ここで簡単にお酒などの買い出しをします。

 

南アに行ってからイボ島へ行くメンバーもいたので、ペンバ空港に全員集合です。

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ちなみに他のメンバーによると、この時点でリシンガから陸路メンバーは疲労感めちゃくちゃ出ていたそう。

 

そらそうや、そもそも全然ねれてない。

15:00にペンバ空港を出発し、予定だと18:00に海沿いに到着、そこから船で渡ってイボ島へ向かいます。潮の関係で満潮じゃないと渡ることができないため、18:00に海へつくことは必須です。

 

ペンバ空港から実はセスナの小型機が出ているのですが、これまた予算の関係で陸路で。

 

みんなでわいわい修学旅行のような感じでしゅっぱーつ!

 

 

ってしたかったですが、リシンガ組は疲労感と睡眠不足で結構爆睡。

途中国立保護区間があったので、ゾウとかいるかなーってみんな探してましたが、モザンビークは内戦時にかなりの数の動物を殺してしまったので、見れませんでした。

 

 

さてさて、三時間でつくはずだったこの陸路。

近道の橋が流されたとかで遠回りしていくしかありません。

 

これまたひどいオフロードを結論6時間。

いやいや、予定狂いすぎだろ。リシンガからの道のように道が切れたりはしてませんでしたが。

 

そしてここで追い討ちのように。

悪質警官に捕まりました。

 

 

モザンビークでは非常に多いことなのですが、警官と空港職員は給与が低いため、職権濫用をして、お金をせびって来ます。

 

警官に不審者ということで止められることは、彼らの業務上致し方ないことなので拒否ができないのですが、

今回は全員車から降りろということで、カラシニコフ銃を持った警官隊に連行されて建物に監禁されます。

 

警官に関わるトラブルで初めて怖いって思いました。

 

そこでドキュメント(身分証明書)を出せとのこと。

まあここまでは普通なのですが、明らかに我々からお金を巻き上げようと捕まえたので、何かしらの穴を見つけたい警官たち。

 

実際、我々を捕まえた酒臭い親父警官が下記報告を上長にしているのを聞いてしまいました。

 

「やりましたよ、上司。私が怪しげな外国人(=カモだと思ってる)を捕まえました!喜」

 

 

 

けど、証明書も全員携帯し、何も悪いことはしていない。

おまけにポルトガル語べらべらの先輩たちがいてくれたおかげで、向こうが要求していることもすんなり受け入れ、対応することができました。

 

先輩たちすごいっ!!

こういう時は全面的な服従が必要です。

少しでも反抗しようものなら、難癖つけられて解放が遅くなるし、反抗によって新たな罪になってしまうこともあるからです。

 

それでも今回の人たちは特に悪質で、理由もないのに粗探しと時間のばしのために7〜8回は身分証明書を同じ顔写真のところを一人一人確認していました。

だいぶこれはイライラしましたね。

 

 

帰りの時もそうでしたが、カーボ・デルガド州は警官に捕まる頻度高すぎ。

日本的感覚でいうと、最初にチェックした警官が他の検問している警官に情報共有しろや、とか思いますがそこはモザンビーク

 

全くないので、毎回チェックを受けます。

止められる回数がたった6時間の間に5〜6回とかなり多かったし、毎回車を止めて全員証明書を出さなきゃなので本当にイライラします。

 

 

さて、そんなこんなで21:00頃に島の対岸側に来たわけですが、、、、。

 

モザンビーク人:「今は引き潮だから0:00まで待つ必要がある」

 

 

え、なんだってー!!!!

またこれ昨日と同じパターンやん。怒怒怒

そして絶望。

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 ずっと狭い車内で揺られて6時間だったので、みんな新鮮な空気と手足を伸ばせる自由を味わいたい、とのことでみんな外に出て待っていました。

 

おかし食べて、楽しい会話をして。

 

待望の0:00を迎えました。

 

ようやく出発か!?となりましたが、

 

 

「0:00は1番の干潮の時間だからあともう少し待って暮れ」

 

いやいやいやいやいやいやいや。

はなしちがくね

これ朝まで渡れないやん💢💢

 

 

 

ということで、まだまだ待つこととなりました。

途中雨季なのでゲリラのような雨が降ったりしたので僕はずっと狭い車内でゲームをしながら待っていました。

暇つぶしグッズ神。

 

 

他のメンバーは車の中で寝たり、外で謎のアフリカしりとりをしたりなどして過ごしていました。

いや、これ車内で目をつぶっていたメンバー120%ねれないでしょ。狭いし、暑いし、かなり蚊がいるし、、、。

 

そんな中モザンビーク人の運転手たちは爆睡していたので、さすがと思いました。

自分もこれくらいの図太さを身につけないとな。

 

そして、待つこと6時間。

午前3時。

 

 

「よし、海を渡れるぞー!」

 

 

真っ暗な海を渡ることは転覆時にまず助からないので暗い中船で渡るのはとても嫌でしたが、これ以上車内にいるのも嫌なので、イボ島へ向かうこととなりました。

 

 

そして、船で渡ろうとした際にまたゲリラ。

 

僕はヘッドライトと登山用雨具を持参、ということであまり被害はありませんでしたが、女性隊員の中には雨具なしでノースリーブできていた方もいたので、おそらく相当な寒さをしいられることになったと思います。

雨で濡れるだけじゃなくて、かなり風もありましたので。

 

流石にいたたまれなくなり、雨具のおかげで濡れていなかったので、風にさらされる船の間は雨具をその先輩隊員に貸して、船を渡りました。

 

 

途中夜光虫が光ってなかなか綺麗だったのですが(曇っていたので星は見えない)

みんなもうそんな余裕はないようで、あまり夜光虫は見ていませんでした。

 

 

永遠に感じた、この船。

 

1時間ほどしてようやく無事にイボ島へ上陸。

ホテルの人もおそらく寝ていたのですが、なんとか鍵を開けてもらい、シャワーを浴びて。

ようやく就寝。4:30。

 

なかなか笑えるでしょう。

イボ島が始まる前なのに信じられないほどの疲労感です。

これから話は本番なのですが、あまりにも長くなりすぎたので、その先は次回。

 

 

楽しいイボ島での思い出と、楽しい楽しい帰り道での話が待っています。

もざぴ日記22 〜クルーガー国立公園にいってみた〜

みなさん、ぼあ たるでぃ🇵🇹

 

年末年始のモザンビーク島に引き続き、先日は任国外旅行を利用して、アフリカの中でも最大級といわれる、クルーガー国立公園に行ってきました〜!

 

なんと!!
南アの同期隊員によると。
私たち2人が全世界の同期隊員の中で南アフリカ🇿🇦に初突入らしいです!!
なぜかというと、、、、
まず、JICAといえども、海外にバンバン旅行行き放題ではありません。

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■任国外旅行とは

本旅行は任国外旅行と呼ばれ、モザンビークからは以下の国へ旅行することができます。

 

(2018年1月現在)

南アフリカ(※1)、ケニア(※2)、タンザニアマラウイマダガスカルジンバブエザンビア

 

※1 南アフリカは治安の問題からか、ケープタウンとクルーガー国立公園にしか行くことができません。

※2 JICAの書面上では、ケニア渡航可能ですが、現在治安面が悪化しており、渡航禁止となっています。

 

 

このように、自由に海外旅行できることができるわけではなく、JICAによって行くことのできる国が制限されています。

また、赴任後三ヶ月経たないと任国外旅行をすることもできません。

 

ちなみにマダガスカルとクルーガー国立公園はモザンビーク隊員しか行くことができないとか。

 10月ごろから12月ごろまで、大統領選挙で治安悪化が懸念されていたため、ケープタウンへの渡航が禁止されていました。

つまり、モザンビーク隊員がクルーガー国立公園へ行くか、ケープタウンへの渡航解禁の1月以降にならないと渡航ができなかったわけです。

 

1番ウェーイ!

なんでも1番は良いですね^_^

 

マダガスカル隊員はモザンビークへ来ることができないらしいのに謎現象です。噂によるとモザンビークからマダガスカルへ行くためには、日本からかかる渡航費用とほぼ同じくらいするみたいなので、わざわざ今行かなくても良いのかなという気もしますが、、、

 

 

ちなみにナミビアは近いのにモザンビークからは行くことができませんが、ナミビア隊員はモザンビークへ来ることができます。

 

このようにお互いに謎な制限があるのですが、お互いの許可されている国で、恋人隊員同士や、友人の隊員同士であったりすることもできます。

 

タンザニアはアフリカの中部にあり、アフリカの派遣国からは許可されていることが多いです。

そのため観光名所のザンジバルがあるので、集合する人たちが多いです。

 

 

また、ガーナやマダガスカルなどは旧宗主国に任国外旅行として行くことができます。

残念ながら、モザンビーク旧宗主国ポルトガル🇵🇹へは行くことができませんが、ガーナの旧宗主国イギリス🇬🇧や、マダガスカル旧宗主国フランス🇫🇷で日本の友人と会ったり、

本場で語学留学したり、先進国でゆっくりと羽を伸ばして休息したりもできます。

 

 

友人のいるサモア(大洋州)では、なんとニュージーランド🇳🇿やハワイ🌺に行けるとかなんとか。

もはやワーホリじゃん、とか突っ込みたくなりますが、島国は我々にはない、なかなかの苦労があるらしいです。

国内旅行あんまりできないですしね。

 

 ■任国外旅行をするには

さて、長くなりましたが、任国外旅行は1年の間に20日間あります。

繰越はなく、旅行にいる際には所属先上司の許可を取る必要があります。

 

私の職場は休暇に大変理解のある職場なのですが、同期隊員はいちいち休暇の理由を聞かれたら、文句を言われたりと。

なかなか大変な職場もあるようです。

 

 

しかし私個人の意見ですが、国内旅行や任国外旅行は自分自身をリフレッシュするとともに、語学学習や活動へのモチベーションを再度注入する大切な期間だと思うのです。

 

私自身持久力がない方なので、語学の勉強や活動を一時的に頑張ってみても、だらけてしまったりもしてしまうのですが、

今回の旅行があったのでそれまでに語学レベルを上げよう、とか

活動をここまでやっておきたいな、など目標となりました。

 

戻ってきてからも、頑張っている後輩隊員にとてつもなく劣等感を感じながらも頑張ろう、と思えてきている今現在です、、、、

(後輩隊員が人じゃないレベルに優秀な方たちなので、辛いです、、、笑)

 

 ■クルーガー国立公園って?

ここで、今回旅行したクルーガー国立公園について簡単に説明します。

 

クルーガー国立公園とは、南アフリカで最大規模の一大動物自然公園。南北約360km、東西約65kmと細長い土地ゆえ、変化に富んだ地形、植生が見られ、多種多様の動物が生息する世界的にも有名な公園の一つと言われている。その数は、哺乳類147種、鳥類507種、爬虫類114種、両生類34種、魚類49種、樹木336種にも及ぶ。国立公園に隣接していくつかの私営保護区があるが、その境界は柵などで区切られておらず、水や草を求めて動物達が自由に行き来している。クルーガー国立公園と隣接する私営保護区ではゲームドライブの楽しみ方が異なるため、目的に応じて選ぶことができる。

 

https://www.dososhin.com/know/park/00026_kruger/ より

 

 

■クルーガー国立公園への行き方

モザンビークの首都マプトから車で大体3時間ほど。
なので割りと東京から埼玉にいくような感覚でいくことができます。


南アは治安面で世界一悪名高いので全く油断することはできませんので、モザンビークからのツアーを申し込むか、調整員とともに車で行くしかありません。

 

南アまでの道のりはモザンビークの首都マプトとマプト州の州都であるマトラというモザンビークの中でも大きな街を通った、整った綺麗な道を通って行きます。

 

普段住んでいるリシンガと比較すると、マプトはもちろん、マトラも大きいなあと感じます。

マトラからは荒野が続くのですが、南アとの国境に来た時にいきなり変化します。

 

ずっと道の両側は茶色の荒野が続いていたモザンビーク側からいきなり、青々と緑が生い茂る畑へと変化します。

なんやねん、この格差。

 

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ちょうど右側の茶色のところがモザンビーク

左側の緑のところが南アフリカ

 

 

ちなみに初めての陸路での国境超えでした。

意外と大したことはなくて、国境の前で車を降ろされて、パスポートチェックを受けます。

だけど雰囲気は高速道路の料金所みたいな感じ。そこを徒歩で通る感じ。

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最初にモザンビーク側のパスポートチェックを受けて、少し外を歩いて南ア側のパスポートチェックへ行くのですが、ここの建物でもはや格差。

モザンビーク側は変な木の小屋みたいな感じだったのに対し、南ア側はふつうに動物園の入り口みたいな感じで、コンクリートの建物でガラスがはまったカウンターがずらっと並んでいます。

 

 

南ア側パスポートチェックでは、パスポートとは別に荷物のチェックを受けるのですが、まあ英語が話せない。

 

しかもイギリス英語風の英語を話すので余計にわからない。なんとかわかったとしても、1番の課題は話すこと。

まあ英語が出て来ません。

 

ポルトガル語しか出て来ません。

ポルトガル語も大して話せないのに。

 

職員:「なんで南アに行くんだ?」

私   :「さいとしーんぐ(観光)」

職員:「どこへいくんだ」

私    :(どこでもよくね)

         「クルーガーパーク!」

職員:「なんの動物が好きなんだ」

 

別になんでもよくね。

英語が出てこなさすぎて、適当に出て来た ジーブラ(シマウマ) と答えたら。

 

職員:「なんでジーブラが好きなんだ」

 

マジでどうでもいい。

しかもウエストポーチには何入ってるのかと聞かれ、お金。と答えたら

お金ちょーだい嵐。

 

あなたたちモザンビーク人よりだいぶお金あるでしょう。

とりあえず早速英語わからない南ア洗礼を少し受けました。笑

 

オンリーとか、マネーとかの簡単な単語すらポルトガル語になってしまうので、本当につらみ。

 

 

国境を乗り越えたら、もうクルーガー国立公園まではすぐ!!

あっという間につきます。

 

道の脇を車から見るだけで、フルーツ畑とか綺麗だしなんか癒される。。。

 

途中いくつか街も通りましたが、おそらく南アの中のとても田舎な地域なので、栄えてない方にもかかわらず。

日本でいうアウトレットモールみたいに綺麗にお店がいくつも連なっていて、大型スーパーや服屋さん、雑貨屋さんなどもなんでもありそうな感じでした。

 

モザンビークでは数えるほどしかないケンタッキーフライドチキンもあったり。🍗

あー、もうここに住みたい!!

 

■クルーガー国立公園のホテル

私たちが宿泊したホテルは目の前に動物を見ることができる、素晴らしいロケーションのホテルでした。

ほかのホテルがどうなっているかは分かりませんが、まず言えることはモザンビークのホテルとは比べものになりません。笑

 

ホテルはクルーガー国立公園の中にも、すぐ出たところの外にもあります。

ちょびっと出ただけのところのホテルでも、結構値段が安くなったりするので、自由にホテルを選べるみなさんはそんなところも選ぶといいかもしれません。

 

キャンプができる施設もあります⛺️

 

クルーガー初日はホテルでゆったりしました。

南アの同期とも合流し、南アのビールやチキンを食べながらお互いの近況を話しました。

 

本当にホテルからの眺めが絶景で、外を見ながらぼんやりと南ア製の赤ワインを飲むのはなんとも素晴らしい体験でした🍷

このためにアフリカへ来たんだーと言っても良いくらい。(良くないか)

 

■クルーガー国立公園へいざ!

4:45にツアーの車がお迎えに来るという事で、まだ真っ暗闇の中起床。

動物たちは暑い日中を避けて、涼しい朝や夕方に活動することが多いためです。

 

朝ごはんはツアー会社が用意してくれて、サンドウィッチやフルーツなどがありました。

けれど、車の中で朝ごはんを食べることはできません。。。

 

それら車の中で食べると、動物たちが臭いで引き寄せられて、危険なことになるかもしれないからです。と、いうわけで、朝8時をすぎるとお腹がぐーぐーしてくるのですが、我慢しなくてはなりません。

 

けど何よりも辛いのは、、、、

 

 

 

 

眠気。

 

 

 

 

10時ごろを過ぎると日もだいぶのぼってきて、気温も上がります。

おまけに程よい車の振動。

知らないうちに爆睡していました。

 

モザンビーク同期と南ア同期の3人で行ったのですが、彼ら曰く、ひたすらずっと私は寝ていたそう。

 

だけど、係りの人が来たぞーーーー!

というと、むくっと起きて2、3枚写真を撮って、また寝る。

 

そんな繰り返しをしてました。

我ながら動物が出た時に起きる力はすごい。笑

ツアー代無駄なのか無駄じゃないかはなんとも言えませんが、午前中はほぼ爆睡で過ごしました笑

 

お昼休憩で1番モザンビーク側入り口から遠いところにある、休憩所へ行きました。

 

■クルーガー国立公園の食事とお土産

まず、1つ言いたいのは、料理がまずい。

これは私の主観かも知れませんが、はじめてこれがイギリス🇬🇧か、、、

と感じました。

 

なんか見た目はゴテゴテに塩胡椒かけたり、ドレッシング?みたいなのかかるのですが、味が喧嘩しているのです。

食べれないほどではないですが、食べることが好きな私にとっては結構苦痛でした。

 

1番美味しいのがファストフードってどういうこと。

日本の様な味の深みがないので、表面的なしょっぱい、からい、で終了します。

というか味付け自体はどれも無駄に濃い。

 

けど味に深みはない。

みなさんも是非試してください笑

やっぱりそう考えるとモザンビークの料理はおいしい。笑

 

 

お土産に関してはさすが南ア。

欲しくなる様な可愛いものがそこそこあります。まずそもそもの選択肢がとても多い。

お土産やさんはお土産であふれています。

 

そんなの普通じゃん、と思うそこのあなた。

モザンビークにはほぼお土産やさんはありません。首都マプトに2、3件あるくらいです。

しかも大していらない様な、伝統布カプラナで作った人形だの、変なキーホルダーとか。

 

 

クルーガー国立公園のお土産は美味しいチョコレートやかわいいエプロン、可愛いポーチや、良さげなキーホルダーやマグネットなどたくさんあります!!

 

僕はちなみにサイの柄のエプロンを買いました。🦏

サイが可愛いというより、色の配色が可愛い。日本にはないかんじ。

 

けどエプロンだから料理の時に使って、汚れるの嫌だなあ。我ながら満足。

 

まあ、当たり前ですがお値段はそれなりにします。けど日本の観光地よりは少し安いのかな。

エプロンは2,000円くらい。

友人が買ったTシャツも2,500円くらい。

 

モザンビークから考えれば高いですが、これも思い出と思えば安い安い!

先輩隊員によると、イギリスから輸入しているチョコレートが激ウマらしいです。

名前はすみません、忘れました。笑

 

 

■午後のクルーガー

午後は暑いので、あまり動物がいません。

それでも木陰で休んでいる動物や、川で涼んでいる動物を見つけたりで、結構な数の動物は見れました。

 

 

BIG5と呼ばれる動物たちは下記ですが、その中の4種類と出会うことができました。

 

⚫︎BIG5の動物

ライオン🦁、サイ🦏、ヒョウ🐆、ゾウ🐘、バッファロー🐃です。

このうち、🦁、🦏、🐘、🐃には出会うことができました!!

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なかでも🐆はクルーガー国立公園の中にも100頭ほどしかいない、スーパー珍しい動物の様でしたので、次に期待かなーと思っています。

 

初代ポケモンで言うとサファリパークでのラッキーな感じですね。ラッキーは1%の確率でしか出会えないし、捕まえるのもクソ難しい。。。

(私は一度もラッキーをゲットしたことはありません)

 

 

■クルーガー国立公園に行ってみて

そうです。

私個人の感想はもう一度行きたい!

と思えるほど、とても良かったです。

 

ただ何が良かったって、雄大な景色が見えるホテルで赤ワインを飲みながら、動物たちを眺めてぼーっとすること。

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バーベキューできたのもとてもよかったです。

次回行く際は、もう少し日程にゆとりを持って、中日をホテルでゆっくりする日にしたいなと感じました。

 

せっかくくつろげる場なのに、朝は早くて忙しいので、夜はゆっくりお酒飲んで喋ったりできないし、なんだかもったいない!

 

また次回は調整員と来ることで、南アの他の都市で買い物したいなと感じました!

クルーガー近くにある都市は大きくてすごいらしい!!

おまけにマクドナルドあるらしい。

行きたいなあ、マクドナルド。

 

絶対行くことはできませんが、南アの首都プレトリアや最大の都市ヨハネスブルクにはアフリカで唯一のスターバックスもあるそう。

 

なんでも日本人にとっては、アフリカに行くのは金銭的にも時間的にもハードルが高いので、のタンブラーってかなりプレミアがあるそう。

 

たくさん買い込んで日本で売りたいなあ。笑

プレトリア行きたい!

プレトリアヨハネスブルクは殺されるで悪名高いからなかなか行けないけど、、、、

 

 

と、言うわけで南ア クルーガー国立公園のお話はここまでー!

クルーガーの質問や、記載してほしいことあれば、どしどし募集しまーす!!

 

では、あて あ ぷろっしまー!

 

 

もざぴ日記20 〜唯一の世界遺産、モザンビーク島に行ってみた〜

明けましておめでとうございます🎍⛩
昨年2月から始まった本ブログですが、一部のコアなファンがついてくださっているようで、今後もできるだけ頻繁に更新をしていきたいと思います。

さて、12/26から職場はもう年末モードとなり、訓練所で仲よかったメンバーで旅行へ行って来ました✈️

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■スケジュール
12/26 1日目
任地リシンガから陸路でクアンバへ
道が未舗装でなかなか大変。8時間。
マラウイ隊員と合流。

12/27 2日目
クアンバから陸路でナンプラへ
ナミビア隊員、タクシーボッタクられるが、私の到着が遅れてしまって、お助けできず。
ナミビア隊員と合流。

12/28 3日目
4人でナンプラからモザンビーク島へ
モザンビーク島で、モザンビーク島隊員と食事。夜は嵐になる。

12/29-30 4日目、5日目
4人で無人島ツアー🌴
天候悪化で、無人島リゾート堪能のはずが、難破船で漂流サバイバル旅となりました。

12/31 6日目
モザンビーク島観光。
博物館、要塞、たくさんのレストランなどをめぐる。
夜はたくさんの爆竹とともに年越し。

1/1 7日目
モザンビーク島からナンプラへ
レストランなど観光スポットはほとんどやっておらず。

1/2 8日目
ナンプラからマプトへ
コスタ デ ソル観光と伝統布カプラナ製品爆買い。プロテイン購入。

1/3 9日目
マプトで下町観光。
マプト中央駅、マプト中央市場、マプトショッピングセンター

1/4 10日目
マラウイ隊員、ナミビア隊員帰国。


そうです、今回モザンビーク唯一の世界遺産モザンビーク島に行って来ました!

おすすめスポットとともに、実施したアクティビティをメインに本記事ではお伝えしていきます。

 

 

■行き方について
モザンビーク島には空港はありません。
そのため、最寄りの都市であるモザンビーク第2の都市ナンプラで降りて、タクシーか乗合バスで移動する必要があります。

 

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赤い印 ➡︎ 任地 リシンガ
星印 ➡︎ 世界遺産 モザンビーク
青印 ➡︎ 首都 マプト


日本からだと、下記のようなパターンでいくことが考えられます。
①成田-香港-ヨハネスブルク(南ア)-ナンプラ
②成田-ドバイ-ヨハネスブルク-ナンプラ
③成田-アディスアベバ(エチオピア)-ヨハネスブルク-ナンプラ

ナンプラからは乗合バスに乗ると4〜5時間ほど、タクシーだと2時間半〜3時間ほどです。

今回はタクシーで行きましたが、約6,500円(4,000メティカイス)ほどかかりました。
乗合バスだと1人500くらいだと思います。

 

 

モザンビーク島の紹介
島はあまり大きくなく、長さ3km、幅200 - 500mです。ほとんどの史跡は島の北端に集中していて、葦で作られた住居で暮らす島民たちのほとんどは、島の南端の住居地域に住んでいます。

島は都市化が進んでおり、キリスト教以外に、モスクやヒンドゥー教寺院なども建てられています。1960年には、本土と島を結ぶ長さ3kmにわたる橋が架けられました。

しかし、この橋!
片側の車線分しか通る道がありませんw
計画性ないな、とか思いますがそのおかげでモザンビーク島の治安が良いそうです。
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それは、悪いことをして大陸側に逃げたとしても、片側車線しかないから逃げるのに時間がかかるため。 良いのか悪いのか。。。


■簡単なモザンビーク島の歴史
16世紀にサン・セバスティアン要塞が建造され、次いで建てられたポルトガルの植民都市モザンビーク島は、ポルトガル領東アフリカの首都となりました。同時に、この島はキリスト教の重要な伝道拠点にもなりました。

1586年末に天正遣欧少年使節一行が日本への帰途天候待ちのため滞在したこともあります。1607年と1608年にはオランダの侵攻にも耐え、インド航路におけるポルトガルの重要な拠点としての地位を保持し続け、黒人奴隷、香辛料、金などの交易が行われていました。

スエズ運河の開通によって、島は衰退に向かった。1898年には首都はモザンビーク本土のロウレンソ・マルケス(現マプト)に移転され、首都ではなくなりました。
(一部wiki参照)

そのため、ポルトガル情緒がかなり残っており、ポルトガル風の町並みや要塞、レストランなどたくさん楽しむことができます。

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おすすめの観光スポットは次のブログに書くとして、ここではどんな日々を過ごしたのかを書いて行きます!

 


▪️アクティビティ
アクティビティに関して、マリンアクティビティや無人島旅行、要塞見学、博物館見学など、多岐にわたって楽しむことができます。

まずはこれ!おすすめアクティビティ
なんと言っても、マリンアクティビティがおすすめです。

桟橋から飛び込み!

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上記にも記述のように、モザンビーク島は住民が北部が観光地、南部が住宅地となっています。
ぱっと見海はとても綺麗なのですが、よく見ると生活用水やトイレを海にだだ流しなので、汚かったりすることもあります。

ですが、博物館近くにある、桟橋はそのような生活用水が流れ込んでおらず、インド洋の透き通ったブルー、真っ白な砂浜を眺めることができます。

かなり高さがあるのですが、桟橋から海へ飛び込むことができます。
私は気候と時間の関係で今回チャレンジできませんでしたが、次回来た時に是非桟橋から飛び込んでみたいと思います。

たくさんのモザンビーク人が飛び込んでいて、とても気持ち良さそうでした。
またこの周りは観光地が密集しているので、桟橋入口付近にはお土産やさんも充実しています。

 


⚫︎無人島旅行
コアな旅が好きな方には是非これ!
値段は一泊で1人7,000円(4,000メティカイス)ほどと安くはありませんが、普段なかなか無人島でサバイバル生活、なんてすることはないと思います。

テントや食事、水やビールなど必要なものは全てスタッフが用意してくれるので、面倒なことは一切ありません。

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ここモザンビーク島では、周りが日本と異なるインド洋の透き通ったブルー。
そんな絶景を眺めながら、焚き火を炊き、美味しい料理を作ってもらい、満天の星空の下テントで寝る、、、、。
なんだか素敵ですよね。そんな体験ができます。


街中を歩いていると至る所で、「今日ボート乗っていかないかい??」と聞いて来ます。
(わりと鬱陶しい)

モザンビーク島から3つほど?無人島に行くことができるのですが、1番メジャーなのがゴア島という、モザンビーク島から40分ほどでいける島です。


私たちもこのゴア島へ一泊二日の旅行をして来ました。
ちなみにこの無人島旅、日帰りも可能なようです。

 


⚫︎無人島旅行に参加してみた
今回旅行へ来ていたメンバー4人で無人島旅行参加してみました。

ちなみにコンディションはわりとわる目。
モザンビーク島に来る前のナンプラで、universo という、ビジネスホテルに宿泊したのですが、ここがなんと。

日本のアパホテルのような感じで、部屋はそこまで広くないながらも、清潔なシーツやエアコン、浴室も付いており、蚊帳はありません!!!

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おまけに朝食バイキングも付いている。
普段途上国生活をしている身としてはこの日本だと普通なこんな環境が、めちゃくちゃ、身に沁みました。
本当に最高でした。

 


そんなわけで調子に乗ってしまったわけです。
1人で久々のお風呂に浸かり、そのままエアコンのついた部屋で裸で寝るという、贅沢なことをしてしまったのです。

慣れないことはするべきではないですね。
見事に風邪をひきました。喉が痛く、鼻水が止まらない。、、

他のメンバーもuniversoで慣れないエアコンを使ったため、部屋が乾燥し風邪をひいてしまったようです。

元気だったのはナミビアわんぱく隊員1人のみ。(彼のみ別のバックパッカーホテルに宿泊)


モザンビークへついた当日が朝からわりとどんよりな曇り空で、夕方から激しいスコールで夜までやまなかったので、なんとなく嫌な感じはしていたのですが、
この無人島旅行へ出かけた日もなんとなくどんよりな曇り空でした。


無人島旅行へ行く場合の集合場所は上記にも記載した、桟橋となります。
そこからボートに乗って無人島を目指します。

いくら天気が悪くてもさすがインド洋。
日本海とは違って黒く荒れ狂う海ではなく、波は意外と穏やかで海も透き通り、海底を見ることができました。
わりと遠浅の海なので、海底がよく見えました。


⚫︎いざ島に上陸!
いざ島へ上陸!!という段階になりましたが、そこに来て天候がやや悪化。

波が高くなり、岩に船を乗り付けたのですが、運動神経が悪いためか1人だけうまく岩に乗れず、手のひらを大きく岩で切ってしまい、海にドボン。

お約束ですね。
昼食ができるまでの間、綺麗なビーチで遊んで来なよ!ということでビーチへ行って来ました。

しかし、4人中3人が体調不良。
ということでわんぱく隊員と私が軽く泳いだだけで、他のメンバーは泳ぐことはありませんでした笑
ビーチで爆睡していましたね。笑

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ちなみにシュノーケリング用のマスクも、スタッフが持って来ているので、ゴーグルなどなくても楽しむことができます。
しかし、シュノーケリングマスクを受け取ることを忘れて遊びに出てしまったので、綺麗な海を見ながら泳ぐこともできず、、、

できれば浮き輪のレンタルもしてくれると楽しいのになあ、なんて思いながら遊んでいました。

わんぱく隊員は自分でゴーグルを持って来ていましたが、早速海の藻屑としてしまったようです。


着いてすぐ、昼食を頼んでいたので、スタッフの方々がトマトカレーを作ってくれました。
担当してくれたのはツアリズムを地元の大学で勉強している男子学生四人組。
非常に気の良い人たちで、我々日本人にも興味を持ち、たくさん話しかけてくれました。

昼食ができるまでの間、ビーチへ行ってそのあとは唯一の無人島内での建物である、灯台に登って来ました。
この灯台
意外と高くて、階段登るのは大変でしたが、近くにある無人島やインド洋の透き通った海、モザンビーク島、モザンビーク本土を見渡すことができてとても綺麗でおすすめです。

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昼食はトマトカレーとココナッツミルクで炊いたご飯、モザンビーク島で取れた魚でした。
このトマトカレー。私の下にはめちゃくちゃ合い、そのあと様々なおしゃれレストランに行きましたがここのカレーが1番大好きでした。笑
魚は白身魚で非常に弾力があり、もちもちしていて美味しかったです。
ただ鱗を取っていなかったので、食べる時少し大変でしたが、、、、笑

問題はこの後からです。

昼食後、泳いで疲れたので、灯台内にスタッフがござを敷いてくれ、その上で夕方くらいまで簡単な仮眠を取っていたのですが、起きたらもう夕暮れ間近。

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せっかく無人島に来たのに、寝ててもったいなかったなあとか思いながら、砂浜でキャンプファイヤーしながら、海をぼーっと眺め、おしゃべりをして夕食を待っていたのですが、、、、、、、

 

ここで急激に天候が悪化。

雨が突然強くなり、風も出て来ました。
とりあえず灯台の中へ避難をし、テントの中に入れていた荷物もほとんど灯台の中へ避難させ、夕食をとりながら早く止むことを祈って待っていました。

夕食も雨が結構降っていたので、なぜかビールなど出してもらえず、また昼食時に何食べたい?と聞かれてシマ(トウモロコシの粉を練った伝統食)が食べたいと行ったのにもかかわらず、希望がなぜか無視され、
ロブスターの丸焼きと、フルーツ盛り合わせだけでて来ました。笑


いやいやビールもないんかい。

しかもこのスタッフたち、水足りなくなったら困ると思って、自分たちでもミネラルウォーターを買っておいたのですが、そのミネラルウォーターも船の上などでゴクゴク飲んでしまって、結構飲み水も少なくなってしまったんです。

なんで自分のもののように、ゴグコグ飲めるんや、、、


夕食を終えた頃からさらに風が強くなり、雷もゴロゴロ⚡️
これはもしかしたら明日帰れないんではないか、という恐怖と食べ物・水がいよいよ足りるかなという不安に苛ませられながら、
みんなでトランプをして遊んでいました🃏


7並べや、いちごさんをしながら島に上陸して以来1番盛り上がりながら、翌日も

「もうこれは無理だ」

ということで帰れなくなる恐怖に怯えながら、固い床の間に着きました。

蚊もいるし、アリもいるし。
ネズミまで目撃したし、いまにもおばけでそうだし。
ほんと不気味だし、4人で寝るようなところではないところに寝てたので、窮屈でした。

 

もちろん無人島なので、当然トイレやシャワーなどの施設があるわけでもなく、この嵐の中わざわざ草むらまでオシッコをするために傘をさして行かなくてはなりません。
おまけにもちろん真っ暗。


おしっこするのも一苦労です。

おまけに夜が更けるにつれて、嵐がひどくなり、雨や風がどんどん灯台内に入ってくる始末。
とても寒くて頭まで雨具をすっぽり被ってなんとか夜を乗り切りましたが、何度もなんどもおきました。

一睡もできないと思っていたので、意外と眠ることができたのですが。
相変わらずわんぱく隊員だけ、すやすやぐーぐー熟睡して来ました。(うらやましい)

 

ちなみにこのわんぱく隊員も夜中寒くなったのか、横を向いて膝を曲げて私が寝ていたらその後ろにぴったりくっついて、夜寝ていたのが面白かったです笑
彼も寒かったんですね。

 

ようやく長かった夜が明けて、朝になりました。
(汝は人狼なりや?)

 

 


朝5時におきても予想通りの大荒れ。

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今日も帰れないんではないかという不安を抱えながら、再度トランプ🃏

 


これが予想以上に盛り上がり。

 

スタッフ:「今波治ってるし、今のうちに帰るぞ」

私:「今トランプで盛り上がってるから、後にして!」

スタッフ:「いやいや、今帰らないとまた荒れることになるぞ」

 

まったく。
このイエローモンキー何言ってんだよ、って感じですね笑


というわけで、朝食を船の上で食べることになり、急遽帰ることとなりました。

 

帰りの船員のお助け要員として、本土からなぜか水が怖く、泳げないらしい謎の1人だけ救助ベスト着けた役立たずの人を連れてきましたが、
無事に帰れることとなりました。

一安心。


ですが、この泳げないらしい船員。

なぜかこの人が船をビーチに引き寄せたり、水が苦手らしいのになぜかそんな水にどっぷり浸かる役割をさせられて。

波がどんどん来るからいつまでも船を引き寄せられないし。なんでこいつにやらせてるんや。

おまけにこの人モザンビーク人の中でもかなり真面目な人と見えて、船の上で「なんで泳げないのに、1人だけライフジャケット着て、来たんだよー」
とかいじったら、少しいじける始末。

まじである意味ツボでした。

 

また波がまだまだかなり高かったので、携帯だけは救おう、ということでジップロック二重にして、さらにスーパーの袋で包むという三重構成にして、海峡横断に臨みました。


結果、何事もなく無事につけて、本当に何よりも良かったです笑
ぜひ、仲間との絆を深めたい方々にはオススメのツアーです!!!笑

 

年始ということで、早速おきてしまったエピソードを今回のブログでご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。


全然話違いますが、私自身の2018年の目標としては、過去に興味ない&時間がなくてできなかった一般常識や趣味の勉強、自己研鑽に励むということを目標に掲げることとしました。

私自身営業をやっており、普通の人が知っているような、ゲームのドラクエや漫画のスラムダンク、ドラマのオレンジデイズなど。

一般常識を知らず苦労したことがたくさんありました。
今後、いろんな方々と会話の幅を広げられるように、教養の増大に励んでいきたいと考えています。


もしみなさんの中で、この勉強をしたほうがいい、このドラマ、漫画を見たほうが良いなど。
オススメありましたら、ぜひ教えて頂きたいと思います。

協力隊には時間は死ぬほどたっぷりあります。
この時間を有意義に過ごしたと言えるような、素晴らしい1年に今年もしていきたいと思います。

今年も何卒、よろしくお願いします。