ノピとモザ

2017年7月から2019年7月までモザンビークにて、青年海外協力隊 PCインストラクターとして活動していました。当時の思うことや記録など備忘録代わりに気ままに書いてました。 日本へ帰国しましたが、改めて思うことやカルチャーショックについても書いていきます。フィギュアスケート好きです⛸

青年海外協力隊の一年って!? 行くまでの半年、来てから半年の心の動きを大公開

みなさんola~~

いや、お前の心のあたり動きなんて、知らねえよ。とか思わずに。

2017年振り返りのために、ちょっと書いてみました。笑

 

いよいよ年末に差し迫り、同じ職場の先輩が本日活動ラストとなりました。
彼は26日に今いる任地を離れて首都へ、そして1月に日本へ帰るそうです。

僕も日本に帰りたいなあ。


別に大した理由はないのですが。
とりあえずのところ、日本食食べたい、とかはないですが。


友達に会いたいだの、日本できれいな服を着たいだの、寒いのを体験してコートを着たいだの
たぶんこのブログを読んでいる皆さんからすると、そんな理由で!?
っていう要素で日本に帰りたいなあ、なんておもいます笑

 

 

さて、いよいよ年末が迫ってきたということで、ここで一年の振り返り。

 

今年は初めてづくしの1年となりました。
晦日ということもあり、ここで超私事入って来ますが、青年海外協力隊に合格して、退職をすることになった今年の1月からどんな心境だったのか振り返りたいと思います。

本当は合格した8月から振り返りたかったのですが、膨大な量になってしまうので、また別の回にしたいと思います🤓

 

この新鮮な体験の連続で少しでも成長できていればよいのですが、、、

 

 


1月
ほぼ年内に仕事の引継ぎを終えて、ほとんど年始のあいさつ回りにくっついていったり、
ほかの営業の事務処理を手伝ったりしていました。


もうすでに自分の営業としてのお客さんは引き継いでしまった後だったので、やることがありません・・・。


ということで、勝手に新規をやっていたのですが、まさか上司たちも捕まえてくるとは思っていなかったお客さんを捕まえたりしていました(笑)

 

 

また1月下旬にようやく、協力隊へ来ることの一般公開をしました。
といっても、一般公開前にはほぼ全然周りにはいってませんでした。

 

いよいよ告白の時・・・
本当に仲いい人ほど言うのがつらかったことを覚えています。

 


「なんで早くいってくれなかったの」

 


多くの人に責められたのを覚えています。

 

けど、自分の中で抱え込んでいた期間(8月の合格~1月)の苦しみと比較すれば、
責められのはたいしたことではありません。笑

 

スノーボード旅行や温泉旅行など、かなり旅行もしました!思い出作り。
一緒に行った人たちは思い出作りとは知らせずに突き合わせてしまったのですが(笑)

 

 

 

2月
本格的に社内での業務もやることがなくなり、週に2~3回ほど出社する。


どこの名誉会長だよ、みたいな出勤の仕方をしていました。(すみません)


2月に入ると毎日飲み会やお別れ会をしていただき、ありがたいことに毎晩予定がありました。

 

 

体力お化けといわれる私ですが、さすがにこのころは体力と酒のキャパが追い付かなくなり、
お酒を控えめにしたりしていて100%楽しめなかったのが残念です(本音w)

 

そして、個人的にずっと簿記を勉強していたので、2月下旬は簿記の勉強のために、ということで一週間まるまる休ませてもらったり、だいぶ会社にはわがままを聞いてもらいました。

 


そして、、、書面上では3月末での退職だったのですが、3月からJICAの研修が始まるということで、2月末で実質通勤は最後ということになりました。

 

ここで人生初めての体験。「退職」です。

 


退職日最終日はデスクの片づけや人事部への書類手続きの対応、
税金の対応やPCの返却、あいさつまわりなどやること盛沢山でめちゃくちゃ忙しい日でした。


意外と最終日にならないとやれないことって多いんです。効率悪いってのは絶対あるけど。


しかも2月最終日だったこともあって、最後に自分が担当していたお客さんの事務処理などが残っていました。こればっかりは注文書もらってからじゃないとできないですしね、、、


退職するにもかかわらず、新規で発注していただいた高級マンションの某お客様。


本当にありがとうございます。
担当窓口の方がかわいらしい方だったから、もっと担当していたかった・・・

 

 


3月
いよいよ新生活の始まりです。初めての体験。「JICA研修」


まずは、技術補完研修といって、2週間ほど9時から17時まで、提携している社員教育などをしている施設がある、両国へ通っていました。


私はPCインストラクターで派遣されたので、
PCやインターネットについての基礎知識、PCの分解から、プレゼンの練習まで
最終的にはPCの授業を意識した模擬授業まで行いました。

くわしくはこちら

久しぶりの新入社員研修のように、知らないメンバーと研修。
仕事をしているときは新入社員研修をしていた時は楽だなーなんて思っていましたが、
いざ同じことをやってみるとこれはこれで大変でした。

と、いっても、新入社員研修の時はあるいみふわふわ、少しへらへらで受けていた部分もありましたが、
今回は任国へ行った際に全部その知識を生かさなければなりません。
そういった意味で真剣さや重要さは新入社員研修とは比較になりませんでした。


今考えるとたった2週間ほどの短い期間だったのですが、
中身が濃すぎたので毎日8時間ほどしか勉強していませんが、
毎日がとても長く、今考えると後述する派遣前訓練の70日より長かった感じがします(それは言い過ぎ?w)
3月はまだ東京にいたので、最後の追い込みで、合うべき人にあったり、
結婚式に参加したり、任国派遣に向けての買出し第一段をしたりしていました。


そして、三月後半は・・・
卒者旅行というなめた名の旅行・・・
こちらも以前に記事を書いていますが、技術補完研修後、2週間ほどかけて、
関西を巡って会いたい人にあってきました。
神戸、奈良、大阪、京都・・・いつもながら会ってくださった方ありがとうございました。

この関西の友達のうちの一人。
卒業旅行で知り合った人だから、からみとしてはかなーり薄いはずなのに、
そこらへんの大学の友達よりよっぽど仲いいって思ってます笑
年に2回くらい会いに行ってたし。なんか出会いって不思議ですね。

 

 

4月
4月はいよいよ、福島で派遣前訓練スタートです!
ドキドキしながらバスに乗り込んだら、イケメンだしなんかできそうなひとがいる、、、!
うわ、まぶしい。とか思ってたらその人とも同い年で最終的には仲良くなれたので良かったです笑

4月は福島はまだまだ冬。
訓練所に入ったばかりの時は雪がたくさんありました。
どきどきの自己紹介は恋ダンスインパクト爆弾投下しようとしたのに、
音楽がうまく流れないミスがあって、くそみたいな自己紹介で終わったのが結構くやしい笑
あと4月の思い出といえば、ぼくは何事も習得に時間がかかるタイプで
ポルトガル語が神的にできなかったのを思い出します。

習ったことをクラスメイトは要領よくすぐに授業で話したりして
生かしていきますが、僕は全く。
毎日2時間以上勉強しているのに、毎週の小テストでも全く結果が出ずに、
毎週半べそ状態という非常に苦しい一か月でした。

あと意外とこう見えて、コミュ障な性格なので、
生活班や語学が同じ以外の友達もなかなかできず、毎日わりとつらかったです笑

 

 

5月
中間テストも終えて、5月上旬にずっとたのしみにしていた、某福島のテーマパークに東京から友達が7人遊びに来てくれるイベントがありました。


テストの結果が悪くて外出禁止になる恐怖におびえていましたが、、、


何とかクリア。

 


無事に友達と会うことができました。
福島県内から向かっているのに、3時間以上かかったような。


かたや東京から来た、彼らのほうが早く着くっておかしい。笑
東京はすごいですね。

 

 

訓練所生活では、いよいよ楽しみにしていた、所外活動(訓練所の外でボランティア活動)
や野外訓練(キャンプのような野外での訓練)、座禅訓練などがあり、訓練もようやく楽しく過ごせるようになってきました。


最終週には二本松訓練所からも近い名山、安達太良山に上ってきました。
この山は温泉も登山道いくつかにあって、本当によかったなあ。

 

 

 

6月
いよいよ、訓練も終わりに近づき、語学の先生とクラスメイトで訓練所の外へ出かける遠足のようなイベントもありました。


ポルトガル語にずっと自信のなかった僕ですが、この遠足中ずっとポルトガル語を使用しなければなりません。

 

しかし、意外と何とかなるもので、わかる単語を適当につなげながらしゃべっていたらなんだかんだ会話できているのがとてもうれしく、
また出かけた先の施設がとても楽しかったのを覚えています。


東京からわざわざ出かける価値?があるかは疑問ですが、いつも訓練所に閉じ込められているので、自然たくさんのおいしいものが食べれるところに出かけられただけでもとてもリフレッシュになり、楽しかったです。


期末試験は非常にボロボロで、終わった瞬間

 

「あーもう落ちたわ、さいあく。死にたい」

 


な感じで騒ぎまくっていたのを今でも覚えています笑

 

緊張しすぎて、昼食にカレーが出たけど味全然覚えてない。
(プレッシャーによわめ)

 

期末試験後は無事に生活班全員合格できた、ということで、みんなで近くの温泉街の岳温泉に泊まりで出かけたりたくさん思い出を作ることができました。

 

 

訓練中は朝から晩まで予定が詰め込まれており、全くスキがないので忙しい&語学大変、というのが先行していましたが、

終わってみると70日間もあったのに、ぼーっと思考するタイミングがなかったので、
あっという間に終わってしまった夢のようでした。

 

そして6月下旬は最後の特別に会いたい人たちに限定して、
最後の追い込みの会をしていました。笑

 


7月
いよいよ・・・モザンビークへ出発です。
1月に青年海外協力隊モザンビークへいきます、といってから
「え?まだ日本にいるの!?」と、半分いくいく詐欺のような状態となっていましたが、
ようやく来ることができました。

 

モザンビークの最初の印象は、意外とちゃんとしてる。笑

 

 

そうです、アフリカといえども首都は意外とどこもシティーなのです。
まだアフリカはモザンビークの首都マプトとエジプトのカイロしか知りませんが、
ほかの国も発展しており、アフリカ感は感じられないそうです。

 

しかし、治安はアジアとは比較にならない悪さ。
何よりも人種が全く違うので目立ちます。


きっとそんな理由から強盗やスリなどに狙われるのでしょう。
私は今までアジアへの旅行が多かったので、こんなにも人種が違うことで、
差別?なのか、違いを受けることがとても印象的でした。


外国人が歩くだけで、ほぼ100%襲われるという恐ろしい道なんかもありますしね。

 

予想はしていましたが、現地人がしゃべっているポルトガル語は意味不明。
最初の一か月は首都で午前はポルトガル語の授業、午後は専門のチューターがついて、
マプト市内を巡って、現地の文化や一般常識を学ぶ授業がありました。

 

午前中の授業はクラスメイトと比較して、全然聞き取れないし、
午後の授業は広い市内をぐるぐるするので体力的にもきつい。


おまけにホームステイなので、いえでもポルトガル語、しかも食事がいまいち合わない。

 


ということでなかなか苦しい一か月を過ごしました。

今の状態で首都に行くと娯楽がたくさんあり、楽しい場所なのですが、
当時はつらいしかなく、はやく任地へいって一人暮らしをしたいなと考えていました。

 

 

 

8月
いよいよ任地へ配属です。
8月上旬に一か月間授業で学んだことをポルトガル語で発表する機会があるのですが、
訓練所で発表した時よりもスムーズに話せるようになっている気がして、少しうれしかったです。


ですが、配属先で何をさせられるか、ましてや自分の知識や経験に自信がないので
とても行く前は不安でした。おまけに任地はとても寒くて、何もないよ、超田舎だよ、
モザンビーク人10人が10人そのように言う。

しかし実際に来てみると、確かに何もないですが涼しくて、人々も温厚でのんびりしていて、首都より好きになれました。


物価が高いのだけ許せない。笑

 

 

 

9月

協力隊員は3か月ごとに支給の生活費があるのですが、さっそく底をつきました。


ということで非常に非常に毎日が長く感じました。
また任地は標高1,300メートル。

 

空気が薄いからか、毎日配属先へいってただ座っているだけなのにへろへろの毎日でした。

 


そして最後の一週間はとうとう日本円で60円ほどしかなくなってしまい、
毎日5円で買えるパンとスープで暮らすという
中世の貧乏ヨーロッパ人みたいな生活をしていました。

 

この国、国の補助が出る関係でパンだけ安いんです。
あとは日本と同等か、むしろ高い。

 

 

 

10月~12月
10月の半分は首都と観光地イニャンバネへ旅行に行ってたこともありますが、この三か月は非常にあっという間でした。


特に最近の12月。ぼけっとしてたらあっという間に一週間おわります笑

そんなかんじであっという間に2年も終わるんだろうなあ、とか軽く絶望にかられますが、
ポルトガル語。どうすれば上達するんでしょうね。
全然語学力上がってる感じがしません。

20歳の時に中国へ4か月ほど留学していたことがあるのですが、

 

その時はまるまる1か月がまるで何を言っているかわからない、
2か月後から徐々に何を言ってるかわかるようになる
そして4か月のころには日常生活には困らない語学力がありました。

 

 

やはり、毎日授業があって、中国語のシャワーだった、
毎日誰かと中国語で会話するようにしていた、わからない単語はその場ですぐに調べるなど
今にはない、若さと素直さがあったからでしょうか。笑

 

今はせっかくモザンビーク人に話しかけられても、意識しないうちにで、右から左に流してしまって聞いているようで
聴いていないことがあったり、わからないことがあっても、
まあいいや、というよくない癖がついてしまったりしました。

 

しかし、毎日何もないながらも、ポルトガル語アルプスの少女ハイジにはまったり、
日本の昔のドラマの続平成夫婦茶碗をみて、涙活するなど、
余暇を充実させられてきて?おり、暇すぎて死ぬってことはなくなってきました。

 

他の人より活動を充実させられないぶん、語学を頑張ることにしました。

語学という基本ができれば、きっと今は活動の方向が見えなくてもきっと開けてる来るはず、、、ということを信じて。

 

他の人が活動で忙しくて勉強できない時間を勉強して、目にものを見せてやる。🤓

 

 

家にいればお金もかからないですからね。

 

今後は勉強とは別に。

少年時代にあまり漫画やドラマを見なかった人間なので、帰国後一般常識いついていけるように一般の人が見てきた、
ドラゴンボールスラムダンク、ワンピースやナルトなんかを読んでみようかなって思っています。

 

帰国後に一般常識ついていけるようにしないと。

 

こんなこと暇な時にしかできないですからね。
人生の中での自分磨きタイムの二年間って思っています。

 

今年1番の収穫は何よりも。

素敵な新しい出会いと、今まで気づけなかった身近な深い愛です。

とてもそんな人たちに支えられた、濃厚な一年にできたことに感謝です。

 

周りの皆さんありがとうございます😊

元同期の皆さん、ナミビアのあなたもね🇳🇦

 

 

というわけで2018年はより実りのある、自己磨きの一年にしたいと思います。

みなさんからこんなことを勉強しておけばいいよ、などアドバイスありましたらどしどし募集しています!

 

 

それでは、日本は残り6時間を切りましたが、みなさま良いお年をお過ごしください^_^

 

ぼん ふぃん どぅ あの!

では、また来年〜!!!

もざぴ日記19 〜モザンビークはいつでも戦闘〜

ふぇりーずなたーる🎅

クリスマスでしたね!


街並みもきらきら輝きだし、カップルたちも輝き始めていたところでしょうか。

周りにいた友人がみんな恋人を作ってしまったのでうれしいような寂しいようなそんな気持ちで複雑です笑


きっと恋人と一緒に過ごすクリスマスは素敵なことでしょう(棒読み)

 

 

さて、以前の記事も書きましたが、私の住んでいる地域はイスラム教徒が大半を占めているため、クリスマスを祝っている雰囲気は全然感じられません。


しかし、ごく一部にキリスト教徒がいるため、
キリスト教徒のお店(首都近郊出身者やポルトガル人など)にはクリスマスの装いとなっています。


なぜか、キリスト教徒のほうがイスラム教徒よりも所得が高いんですよね・・・
なぜでしょう。。

 

 

と、いうわけで、ごく弱タウン、リシンガですが。

ほんの少しですがそういったごく一部の富裕層向けにクリスマスグッズがリシンガで一番大きいスーパーに並びます。
いうて、規模は小さいですが。 

 

そこでクリスマスグッズを少しですが購入し、我が家をデコレーションしてみました。

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ちなみに一人暮らしなので、誰かに見せる予定もパーティーする予定もありません。

 


これをリア充とみるか、寂しいとみるかはあなた次第ですが、
私はそこそこ満たされています。笑

 

 


さて、本日は先日我が家から水が盗まれた話をしたいと思います。


まず前提条件として、住んでいる田舎では停電が多発します。特に雨期に入ってきて、以前よりもかなり頻度は増えました。


以前が月に1~2回ほどだったのが、最近週に1回以上はある感じです。
乾季の時も計画停電(月に一度、日曜の朝~17:00まで)はありましたが、最近は夜間も停電して、夜は真っ暗になってしまってシャワーが浴びれなかったりします。


さて、ここで一番問題となるのが、水です。
まず基本として水道は2日に1回しか出ません。

 


そのため、水の出る日にばけつなどに水をためて置き、出ない日にはバケツからくんで使用します。そのため、途上国では(?)とにかくモザンビークではバケツは必須用品です。

我が家にもたらい含めて4つあります。
めんどくさいでしょう。


ですが、恵まれていることに我が家には水のタンクと電気ポンプがあり、たぶん100リットルくらい?ためることができるので、
水が使えない日も、何事もないように水道から水が出て使うことができます。
(そのおかげで電気の光熱費もほかの人より高いのですが・・・)

 

電気が使えない日は我が家はもちろん電気ポンプで水を汲んでいるので、水が使用できなくなります。
(裏庭にある水タンク直接つながている蛇口だけ出る)


そしてほかの家でも電気が切れている家は水道局からの水を送るポンプが動かなくなるのか、
同じく水が出なくなることが多いです。

 

 

ということでなのか、、、、!

 

先日、我が家に水のタンクがあるために隣人が水を盗みに来たのです。

 

まさに現行犯。

 

こんな白昼堂々壁を乗り越えて来ますか、という度胸には拍手喝さいしたいところ。

それどころではありません。怒り心頭💢


現行犯ということで、いつもは直接交渉しに行くのは怖くてビビっていましたが、
思い切ってぶちぎれてみました(笑)

 

 

 

その時の会話を再現。

 

私 :(なんか水がジョロジョロ出てる音がする、、、もしや。)

急いで庭を見ると人影が。

 

私:「何してるんだよ、これうちの水ですよ!?」

 

隣人:「しょうがないじゃん、今日停電だもん。」

 

この開き直り方にイラっとする。

 

私:「水料金に毎月高額払ってんだぞ、ふざけんなこらあ。」

(フザケンナコラア、は単語知らないから心の中)

 

隣人:「シャワー浴びたいし、仕方ないやん」

 

 

なんなんでしょう。このやりとり。

困った時は助けられる周りの人が助けることが普通の文化なのか、もはや自分の水と思っているのか、、、、

 

私:「ふざけんな。水とるの禁止。使いたいなら金払え!!!」

 

こういったやりとりをしていたところ、隣人の別の家族が登場しました。

おそらく今までやりとりしていた隣人(ばーさん)の娘の人。

 

隣人2:「ごめんなさい、いくら払えばいいの?」

 

 

こう素直に言われてしまうと。なんかこっちがすみませんとなってしまう日本人。。

 

 

私:(とりあえず普段の水道料金を請求しよう)

「300メティカイス(500円)はらって!」

 

隣人:「毎日とってるわけじゃないから、200(350円)!」

 

謎の値下げ交渉会。

 

まあけどお金がもらえるだけで満足なので、このお金で落ち着きました。

 

 

まったく。

日本人では、停電にシャワー浴びれない、、、

だったら不快でいやだけど、我慢して明日浴びよう、とか普通ですよね。

 

というわけで日々にちょこっとした小競り合いでした。モザンビークカルチャーショックを味わう1日となりました。

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もざぴ日記18 ~お手伝いさんを雇ってみた~

Olá ~~
もうすぐクリスマスというのに、モザンビークは雨期に突入して、
毎日どっとスコールのような雨が降ります。
日本のように一日中ふるわけではないので、天候でテンションが変動しやすい私にとっては今のところ日本ほどは影響がないです。

(いい歳なのにそれもどうなのか)

 


さて、今日はお手伝いさんの話をしたいと思います。
割と今日は短めなので、いつも長い話でうっとうしく思ってた人は安心してください(笑)

 

お手伝いさんをお願いするメリット

先日簡単にブログにも書いた通り、先月からお手伝いさんをお願いしています。

メリット・デメリットはありますが、これもモザンビークへ来たし、一つ試してみることかな、と思いお願いしてみました。

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〈解消されること〉

・洗濯機がなく、手洗いなので激しく体力を浪費する ←これが一番メイン
・一人暮らしが初めてで、すべての家事が慣れない
・掃除機他家電がなく、ほうき履きとモップ掛けも大変
・乾季のころは砂の量が異常

モザンビークの一般的なこと知っている
ポルトガル語を話す練習


結局は怠惰のためお願いすることにしました⚡


賛否両論あると思いますが、地元経済に貢献できてるし、活動に集中できるのであれば、とりあえずのところよいのかな、と思っています。

 

洗濯・掃除をしなきゃいけない・・・けど疲れて動けないっていう精神的圧迫がなくなったので、今はとても気持ちが楽です。

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※人の家のフルーツを勝手に食べまくってるシーン

 

気になる月々の給料は週に2回来てもらって、月に1,000円ほど払っています。

こちらの公務員の一般給料でも平均月給が5,000円?とか前に聞いたので、
週に2回、しかも一回2時間ほどで終わるということを考えるとまあ悪くない金額なのかなって思います。

 

私は毎月とてつもなく金欠で困窮しているので、月々1,000円でもなかなか痛いですが、、、、

(僻地すぎて、リシンガの物価が高すぎる。)


外食の回数を週に1回以下にすることでなんとか頑張っています。。。楽しみはこれでほぼなくなりましたが。

 

お手伝いさんをお願いするデメリット

さて、お手伝いさんを途上国で一番心配するべきことといえば、盗難です。
大体お手伝いさんをお願いするのは活動に行っている時間帯が多いので、
家のかぎをお手伝いさんに預けて、家に誰もいない状態のところを掃除してもらう人が多いです。

 

しかし、当然のことながら私たち日本人と現地モザンビーク人のお手伝いさんの間には大きな経済格差があるわけで。


先輩隊員でお手伝いさんをお願いしている人でも、お金を含む金目の物(携帯電話や腕時計など)を盗まれたという人はいるようです。


知り合いの先輩隊員も携帯と腕時計を盗まれて、「とったでしょ?」と問い詰めたら
返してくれた、なんてこともあるみたいです。

まだそれはいい人だったんだなアという感じです。

 

 

一番質が悪いのは外部の強盗と組んでいるときです。

 

これは割と首都などで多い犯行なのですが、
特にモザンビークでは、首都だと治安が悪いので、お手伝いさんと合わせてガードマンを雇うことなどが多いです。

 

そして最悪パターンは、ガードマンとお手伝いさんがグルになって、強盗と金目の物を根こそぎとっていくのです。

 


ガードマンやお手伝いさんであれば、住人の大体のタイムスケジュールや、旅行で不在にするタイミングなどを容易に知ることができます。

 

更に鍵もあずかっている場合が多く、家の内部構造も熟知していることが多いです。

 

 

そう、不在の時に外部の強盗と一緒になって、根こそぎ盗んでいく・・・
そんなこともあるようです。おそろしいですね。

 

ということで、特に家政婦さんを雇うときは
働きたい人はいくらでもその辺にいるのですが(むしろ私を家政婦として働かせてくれって見ず知らずの人に道で言われたりする)


信用のある人か、そのつてなどでお願いすることが必須となります。

 

僕の場合はたまたま近くに日本人の先輩隊員が住んでおり、その人がもうすぐで帰国するので、その先輩の家で働いている家政婦さんにお願いすることにしました。


先輩曰く、そのお手伝いさんは働き者でとてもきれいにするし、ものをとられたことはなく、おつかいを頼んでもぼったくるという私の職場の同僚のような卑劣なことはしないようです。笑

 


しかし・・・
先輩が帰国した後も大家がその家に帰ってくるとのことで、お手伝いさんをずっと我が家につきっきりというわけにはいかないようです。

 

そのため我が家を週2回(火・金)にしてもらい、もともとの先輩宅を週4(月・水・木・土)にしてもらっていたのですが、
最近雨期が始まり、大雨で出勤できないからなのか、来て欲しいお手伝いさんじゃない人が最近やってきます。

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もちろんその代わりに来る人は、全く知らない人ではなくて、いつもそのお手伝いさんのサブみたいな感じで働いている人なのですが。


まあこの人は一人だと働きがいまいちなのです。

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※この勝手にフルーツ食べてるやつがサブ。

 

メインの人と一緒にいるときはちょっとサボったりしてると「おまえちゃんとやれ」ってことでやらされてるのを何回か見たことあるのですが、
彼女一人で来ると、なんだか掃き掃除も雑だし、皿洗いはなんとなくぬるぬるするし、
トイレ磨きとバスタブ磨きはやってくれないし、、、といろいろ漏れが出てくるわけです。

 

 

そういうわけで、いつも8時にお手伝いさんが来るのですが、
サブの人が1人で来たら、9時までの1時間だけいつもおしゃべりがてら、ちゃんと働いているか見張っていますwww

 

けど、ダメだしとか注文をあまりにもしすぎるとすぐに忘れちゃうので、毎回3つずつと決めて忍耐強く教えています笑

 

洗濯物の干し方とか、ほうきのはきかたとか・・・
小うるさい姑かという。笑


なんでぬれたバスタオルの上にTシャツを重ねて干したりするのかマジで謎だwww
本人曰く、いつかは乾く・・・そら乾くでしょうよ。いつかは。

 


けど、このお手伝いさんおそらくモザンビーク人としてはちゃんとしている人だと思うのです。


ちゃんと言ったことはふてくされずに素直に聞くし(職場の同僚はプライドが高いからかすぐふてくされる)


今のところサボったりした日などもありません。お願いしている内容を一部サボることはよくあるけど。

 

と、いうわけで一つずつ気になるところを少しずつ教えて、うまくでいたらほめる、という。なんともいえない、

なんだか上司になったような親になったような。けどほめるってむずかしいですよね。


日本人からするとちょっとこっぱずかしい。けど、これも自分の教える力になるだろうし、
彼女が将来外国人の下で働くうえでもきっと、こういう気づかいって大事だと思うんです。


こういう気づかいから、より良い主人のところで働けて、将来的にお金を稼げるようになればいいなあなんて妄想と、小言をいう自分への慰めにしています。

現に今回のお手伝いさんも先輩の評判が良いってことで、お願いしたわけだし。

 

 

うるせえ日本人、って思われてないといいな♡

 

 

そういえば、お手伝いさんはいつもメインお手伝いさんの子供(赤ちゃんが二人いる)
をメインお手伝いさんとサブお手伝いさんで一人ずつ分けて、
家事をしながら子守をしているのですが、
今日はパンをよだれ垂らしながら食べたりちぎってたりしてて、
9時に今日家出るときは掃き掃除終わった後だったのに余計に汚れていたな。。。
これから帰宅しますが、ちゃんときれいになっていることを望みます。笑

 

子供は可愛いから良いんですけどね。

よだれまみれな床は、、、、。

では、あて あ ぷろっしま〜!

もざぴ日記17 ~モザンビーク田舎のナイトクラブに潜入してみた~

Olá!もうすぐでクリスマスですね。

ポルトガル語でメリークリスマスを ふぇりーず なたーる! といいます! Feliz natal!

 

こちらモザンビークは、まったく寒くないし、街中のデコレーションは皆無だし、クリスマスツリー飾っている家ほぼありません。(私の家の近くに一軒のみあった)

個人的にはコートとか、冬の装いが好きなので(デブ隠せるし)

コートが恋しいなあ、とおもう最近です。

 

先日、モザンビークのナイトクラブに潜入してきました。
ちなみにモザンビーク発展途上国といえども、ナイトクラブは存在します。

 

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ポルトガル語で ディスコテーカ といいます。

 

 

暮らしている街 二アサ州リシンガ

暮らしている場所といいますと、モザンビークの二アサ州リシンガ市です。
いくら州都とはいえ、モザンビーク内の州都で最弱です。

 

公共交通機関なし、外人が行けるような酒のあるおしゃレストランは3つだけ。
大規模なスーパーはなし、どこにでもある中華レストランはない。
肉は自分で骨と肉を分解して、皮と毛を自分ではいで、臭みをとるために塩水につけなきゃいけない(加工肉がない) 野蛮か


など弱小ポイントはいくらでもあります。

 

ただし州都なので、無駄に銀行とかはあります(便利だけど)
ほかの州都は港沿いやほかの大都市に近かったりするんですけど、
リシンガだけなぜか山の上にあって、他の都市にアクセスするのも、
電車で2日がかりだったりします。(一番近い同期隊員の都市まで)


日本でいうと、沖縄の那覇に首都があって、
リシンガは北海道の網走市根室市適な感じかなって思ってます。
外れてる感はまさにそんな感じです。(網走と根室の方すみません)
けどそんな場所なのにちゃんとクラブがあることにちょっと感動を覚えました(笑)

 

 

モザンビーク田舎のナイトクラブ

そもそもなんで今回クラブ行くことになったかといいますと、、、
職場の同僚とある大雨の日、家に帰れなくなって職場でおしゃべりをしていました。
こんな会話から行くこととなりました。


同僚:「おまえ、日本製のいいゴムは持ってきたのか?(急)」
私 :「もちろん」
同僚:「モザンビークに来て使用したのか」

(もちろん使用する機会も人もいない・・・)
私 :「・・・・・。」
同僚:「そのゴム使わないともったいないだろう」
私 :(もったいない、という意味がわからない)

同僚:「今度の土曜日、クラブのイベントがあるけどいかない?かわいい女の子いっぱいいるぞ♡」
私 :「(特に何も考えず)いくいくー!」

 

という謎の流れで今回のクラブに行くことが決定しました。
( ,,`・ω・´)ンンン? なんだかなあ 

私自身ナイトクラブは好きなわけではなく、(ダンスやロック音楽が苦手)
今回の記事として紹介するため、好奇心、同僚との交流という3つの目的のために行きました。

 

行く直前まで詳細が不明

しかーし。そこはモザンビーク人。
誘ってきたはいいけど、その後詳細な連絡がありません。

前日の会話もこんな感じ。

 

同僚:「明日ディスコテーカね!チャオ!あてあまにゃー(また明日)」
私 :「いやいやいや!明日何時にどこ??」←店の場所も知らない
同僚:「・・・・」
同僚:「お前の電話番号教えろ」

 

というわけで、電話番号だけ交換して終了。
マジ適当だなーとか思いつつ、私も適当なので、まあなんとかなるか、てきな
軽いノリでいました。

 

迎えが来ない

当日。

午前中は健康のためのランニングをしたり(そのためにわざわざランニングウォッチ購入)
家事をしたり、先輩にカレーを食べさせてもらったりと、

わりかし充実した半日を過ごし。

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ちょっと疲れたので、夕方過ぎ(17:30くらい)までお昼寝していました。

後から考えるとこれからの長い一日に備えるためにこの昼寝本当に良かったなあと。

 

 

リシンガというモザンビークいちの地方都市に住んでいるわけで、
21時過ぎると歩いている人ほとんどいません。

だから19時とかに行って、22時とかに終わるだろうと甘い考えでいました。
まあそもそも論、クラブのくせに22時とかで終わるわけないですよねwww

 


来るのかな、来ないのかな。とか思いながら、時間の約束は破りまくりのモザンビーク人ですが、ばっくれたりするなどの、ドタキャンはほぼありません。


そういうところは日本人よりまし・・・?

けど、唯一家のことをお世話してくれる事務の同僚が約束破りまくるから、
あいつだけは許せない。ほんとクソ。

 


ドタキャンはほぼないので、ちゃんと髪型を整えて、
服もそれなりのものを着て、準備を整えていました。

 

 

19時

20時・・・

21時・・・・・・

 

 

 

同僚からは何の音沙汰もありません。


元々、クラブが大好きでめっちゃ行きたい!というわけではなく、興味だけで行こうとしていたので、まあ来ないなら来ないでいいか、ということで(受け身スタイル)


連絡もせずに、21時過ぎた時点でもう来ないものと思い、あきらめていました。

 

酒のむ気でいたし、もう家で飲んでしまえ!と思って
ナミビアにいる同期隊員と電話しながら二人で赤ワインを飲んでました。

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お酒は好きだけど、めったに家で一人では飲まないのです。
やっぱ酒は好きな人と飲むから楽しい。

 

 


半分以上一人であけた、22:30頃・・・

 

同僚:「ぼあのいちー!」

 

 

家の外から声が聞こえるような・・・

一瞬動きを止める・・・・おびえ

(ひい、本当に来た・・・)

 

いやいや、ぼあのいちじゃねえよ、何時だと思ってんだよ、とか思いましたが

やっぱり一般的なクラブの時間を考えたら普通の時間ですよね。はい
慌てて支度を整えて出発。

 

いざ、ナイトクラブへ

クラブは家の本当そばにあり、車で5分です。


最初はバーで飲んでから行くとのことだったので、トタン屋根のとても開放的なテラス(笑)のバーで飲みました。

 

 

ワインを一人で半分以上開けてしまったし、ここは標高1,300メートル。
おまけにリシンガはイスラム教徒が多いので、お酒を売っている場所も非常に限られており、普段はほぼ全くお酒を飲みません。

 

そんなわけでなんかお酒回ってきてやばそうな気がしたので、

ちょっとセーブ気味に飲みました。ビールもったいない。

 


バーでは同僚の友達なのか、ただノリが良すぎてその場で友達になった人なのか知りませんが、謎の若者集団にあいさつして、おしゃべり。


けど昔の留学時代みたいに積極的に言葉を聞きとろうとしないで、気づいたら会話からぬけてぼーっとしてる。
よくないですよね。。。


なんか社会人時代で(?)、言葉を右から左に流す技を身に着けてしまったらしく、
自分でも知らない間に会話から脱落。

 

きづいたらぼけっとしてる。
僕は公園でぼけっとしてる、ぼけ老人か


12時過ぎになって、ようやくクラブへ移動しようってなりました。
だいぶバーにいたなあ。

 

クラブの見た目はそこそこいい感じで頑張っていて、サーチライト?で怪しくムーディーに照らしていたり、布とかでいい感じにデコレーションしてあったりしました。
入場料は400メティカイスでした。(約700円)

 

いつも野菜を買いに行くマーケットのすぐ隣にあるのですが、これがいつも通ってる昼間の道とは見違えるほどムーディーになっていて本当にびっくり。
人間やればできるんだなあ。

 

リシンガにはクラブの施設?が3つほどあるらしいのですが、
どこも常設クラブではないらしく、この日はリシンガいや二アサ州全体から人集まってきたんじゃないかくらい車と若者たちがいました。こんなに二アサに人いたんや。。

 

イラリハット

バーで飲んでいたビールを持ってクラブ入場しようとしたところ
警備の人に持ち込み禁止ととめられました。

まあ、当然ですよね。クラブの中でお酒を買うことは常識っちゃ常識。
けど、ちゃんと取り締まっていること感動しました。意外とちゃんとしてる!w


けど、同僚はなぞの警備員の抗議。
いやいやクラブってそういうものやろう。と思っていたら・・・


同僚「よし、服の下にしまいこめ!」

 

いやいや、警備の人目の前に、それやってもばれるでしょう笑
しかもあきらかもっこりしてるし。

もちろんのこと警備員に入場断られたので、ビールを飲み干してから入場することにしました。(当然)


ところが、同僚が目を付けたらしい女の子2人組がチケット売り場のところで
そわそわ?していました。

嫌な予感がするなとか思いながら同僚が話しかけていました。

 

 

予想的中。

 

 

チケット代がなくて入れないらしいのです。
いやいやいやそこまでしてクラブにくんなよ、と声を大にして言いたいですが、

そこからがいらっとポイントです。
予想してたけど。

 

同僚「よし、おまえ(私のこと)100メチ(200円)だせ」

 


いやいやいやいやいやいや。まじでおかしい。


おまえが目をつけてるんだからてめえが払えよとか思い、ちょっと不満そうにちょっと払うのをしぶってましたが、聞き取れなかったけどなんかいろいろ小言をいわれ。

 

仕方なく出しました。


あーあ、こういうのがよくないなあ。
金額どうこうではなく、なんかこういう日本人は金持ってるスタンスが腹立つ。

 

まあお迎えからバーの中でもいろいろ気を使って話しかけてくれたり、
職場でも、なかなかしゃべる機会がすくなくポルトガル語が上達しない僕に積極的に話しかけてくれる人だし・・・・・・・・・・・・(必死に正当化するw)


そもそもその前のバーでビール全おごりだったので、なんか反論しにくかったのです。

結構JICAボランティアで現地人におごってあげるのとか多いらしい。

じゃないと飲む機会あんまりなさそうだもんな。

 

いくら同僚にバーでビールおごってもらったといっても、
絶対あのおんぼろ掘っ建て小屋バーの値段、クソやすいだろ、とか思うけど

正当化した理由で何とか自分を丸め込めました。

 

ナイトクラブの中の様子

中に入ると意外と普通の雰囲気のクラブ。
クロークとかはありません。

 

天井に卵パックが張り付けてデコレーションしてあったり、クラブというよりはただの大きい部屋っていうのを除けば
ちゃんと小さいけどラッパー用?DJ用?のステージはあったし、ミラーボールやバーカウンターなんかもありました。

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服装もやっぱり今まで行ったことあるクラブとかに比べると、
みんな普段着感でした。もちろんパリピ系の服の人もいましたけど。
こんなのリシンガ人どこで買ってるんや。。。

 

雰囲気もすごいみんなで「もりあがってるか!?」「うえぇーーーい!」
みたいな感じではなく、踊りたい人は中央の舞台のそばで体を動かし、
部屋のわきや後方の入り口近くではしっぽりおしゃべりしながら立ち飲みしてるみたいな感じでした。
メイン立ち飲み?

 

すこーしだけ白人のおじさんおばさんたちもいて、踊っていました。
たのしいのかねえ、あの年で。あの人たち。(失礼)
リシンガによくいる金持ち層であるインド人たちはあんまり見かけませんでした。

 

意外とモザンビーク人の盛り上がりも2時3時とかになってくると落ち着いてきて、

まあなんとなく音楽に合わせて踊ってるけど、
白熱熱狂って感じではありませんでした。。。さすがに疲れたのかな、、、

(それかもともと白熱踊り狂う感じではない?)

 

 

とか思ってみてたら3時頃に、VIPみたく頭から布を被ったなんか謎の二人組が

SPみたいな人たちとステージのほうへ。


なんと首都から有名人がはるばる網走リシンガまで来たようです。

金かけてるなあ。


それからの熱狂は復活。

 

 

興奮しすぎて、一般のモザンビーク人がステージに3人ほど登って、有名人に抱き着くという
日本だと追放されそうな事態が起きてましたwww

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さすがに警備員に引き離されてたけど。
スターのモザンビーク人も嫌そうな顔してましたね。

 

そのあと、一般の人たちなのか、クラブの人たちなのかよくわかりませんが、
舞台下の中央部分で4~5人くらいがお得意の卑猥な動きをするダンスをしだして、

それもまわり含めてすごい盛り上がってました。

 

やはり、エロは世界を救う

 

私自身は全然踊りに興味ないので(笑)

(だるいなあ、何時に終わるのかなあ)
なんてそんなことばかり考えていました。


4時過ぎになって、「5時に終わる」とは言われてたけど、
本当に5時で終わるかも謎だし、なんか部屋のなかめっちゃあついし
あつくて一時間も待つのが耐えられなくなって、(なんかきれそうになってきた)

一人で先に帰ることにしました。(自己中)

 

同僚が心配してタクシーで家まで送ってくれる、と送迎してくれたのですが、
いやいやタクシーで5分の距離だぞえ
まじでいらないww

 

しかも同僚はクラブに戻るから戻る分含めた往復のタクシー料金請求されたし。

今月は今週末にマラウイ湖のコテージいったり、年末モザンビーク世界遺産の島に行ったり、マジで死ぬほど金欠なのに!!!!!

 

キーーーーーーーーーーー


そういえば早くも年末ですね。
まだ今年一年振り返るのは早い気もしますが、振り返るのを忘れそうなので、
次回あたりのブログで振り返ってみたいと思います。

 

小ネタ 男同士で手をつなぐ!?

そういえば、小ネタですが、モザンビーク人は男同士でも手をつなぎます。

日本じゃなかなか考えられないですよね。

よく見るのは、老人と介護する?若い男の人同士ですが、若い男の人同士でもそこそこいます。

 

上海にいた時に女性同士ならそういうのは見たことあったのですが、男性同士の手つなぎを最初に見た時に、びっくりしすぎて凝視してしまいました笑

けど、日本の時自分とこの人友達かな~とか思うことは多々あったので、親友とかの証に手をつなぐってのはありなのかなーとか思ったりしました。

実際に肩くんだりとかスキンシップとってたら、精神的にも友人関係が親密になるって感じもしますし。

 

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けどこの写真の二人は結構ガッツリつないでいるような・・・(^_-)-☆

 

では、あて あ ぷろっしま~

もざぴ日記16 〜ぱーそなるすぺーす〜

ぼんでぃーあ!

本日職場に来たら、日本人の先輩はほかの協力隊員の活動視察のため不在、職場がインターネット料金滞納しているからネット止められる、
おかげで今日やろうと思っていたネットの導通確認テストもできず。

 

仕事なーし!!!

 

 

家でグダグダしてればよかった。、。
暇だから隣の部屋にいる若手と話してこようと思い、ポルトガル語話すのめんどくさいなあとか思いながら。


がんばっておしゃべりしてみましたが、会話1分で終了して戻ってきました、のっぴです。

 

 

ここ最近は机と椅子を購入しました。

JICAの一員として、語学ができないことを理由に何も活動が出来ない、というのは甘えだからとりあえず語学を頑張ろう。

少なくとも毎日勉強する環境を癖つけていこう、とようやく思えたこの頃であります。

(とくにオチはない)

 

 本日は愚痴とひたすら小話をかいてみました。(すでに2つ小話)

 

さてさて、最近私にとってはなかなかいやーな、ストレスなことがあったので、そのこととその他小話を書いていきます。

 

 

 

 

 相変わらず人の家の敷地に座り込む

前に軽く記載したかもしれませんが、家の前に卸問屋兼工場みたいなお店があります。

大量にいろんなものを仕入れているので、安く日用品が近い場所で手に入るのはとてもありがたいです。

 

ですが・・・・

 

ココの施設、例によってインド人が経営しているのですが、

日雇い労働者を早いもの順で毎日あつめているっぽいのです。

 

 

そんなわけで以前の記事にも書いたように、若くても仕事がなくてボケーっとするしかないモザンビーク人は、年寄りのように朝が早いので、早い人は朝5:30くらいから工場の前にスタンバっているのです。

 

だがしかし、これがなかなか迷惑。

 

 

まず第一に声。

なんかばかなんじゃないかなってくらい、ばかでかい声で会話します。

いやいや隣の人とおしゃべりするだけだよね。というか朝からなぜそんなにテンション高い。

 

僕もわりかしテンション朝から高い、といわれるほうではありますが(笑)

あまりにも朝から爆音でしゃべるために、毎朝とってもイライラします。

 

 

そして第二に家に侵入してくる。

工場は目の前の道を挟んで、我が家はあります。

我が家は門がなく、外の道とつながっているので、庭に入ってきやすいです。

 

そしてすこーし外の道より高くなっているのです。

つまりいい感じで腰かけられる場所になっている。

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そんなわけで爆音でうるさい若者たちが、朝から我が家の敷地で居座ってるわけです。

そら、ストレスではげもできるわ。

 

毎日ポルトガル語で注意したり、水をかけて座れないようにしていますが、注意してもなんか馬鹿にして笑ってきたりまじでいらっとすることが多いです笑

(たぶん侵入されて嫌な意味が分からない)

 

 

子供が裏庭に侵入

我が家には裏庭があります。

ずっと裏庭まで手入れが行き届かなくて、荒れ放題、ゴミが大量にある状態でしたが、少しずつ手入れをして来てるのでほんの少しずつですが、綺麗になって来ています。

 

そしてつい最近まで気づいていなかったのですが、我が家には庭に果物がなっています笑

桃、マンゴー、パッションフルーツの木がなっていたのです🍑🍊🍋

 

 

今までフルーツはいちごしか購入したことがありませんでしたが、まさか市場に売ってるようなマンゴーまでもが我が家に生えてるなんて、、、!

 

 

けど食べ頃を知りませんでした。

 

 

さて話はずれますが、そもそもなぜ果物がなってることを発見したかというと、最近になってお願いするようになったお手伝いさんの影響です。

 

 

家がでかすぎる&庭荒れ放題&洗濯は手洗い、という三重苦に苦しまされ、ストレスの元でもありました笑

 

一人暮らししたことなかったし、、、

現地の収入向上になるし、、、

ポルトガル語の練習になるし、、、

現地の慣習や情報を手に入れやすいし、、、

 

 というわけで、いろいろな理由をつらつら並べたてましたが、

 

 

要は怠惰なので雇いました。

 

 

 

ボランティアのくせに生意気ながらお手伝いさんをお願いすることにしたのです。

これでよけいに怠け者ぐうたらものに拍車がかかりそうです・・・

 

まあ話はもどりまして。

そのお手伝いさんが来た時に、ものを盗まれないように監視を含めて眺めていたところ、、、なんの躊躇もなく食べてたのです、、、!笑(人に断りもなく笑)

 

しかも日本人なら遠慮して、許可しても5、6個?とかあんまり取らないじゃないですか。

 

家政婦さんはまさかの30個くらいつんでいたのを見て、驚きを隠せません笑

や、タダだからって取りすぎやろ、、まあ食べないからいいけど。

 

 

 

とても話の本筋からズレましたが、我が家には裏庭があるわけです。

表からの道見ると気づきにくいようなところに裏庭への扉が付いており、外からも家の中からも裏庭へはアクセスできるようになっています。

 

 

ある日(というか昨日)活動から帰ると、家の敷地に子供達が10人ほど。

 

子供たち「おまえんち、フルーツいっぱいなってるからちょうだいよ」

私内心 「う、、めんどくさい」

    「うん、いつかねー」

 

と、いうかんじで適当に流して家にはいろうとしたのですが・・・

 

我が家には外とを遮断する門などがないため、道から勝手に表の庭には入り放題なのですが、庭でまた遊んでるのかなーとか思って、挨拶したら別の子供たちが我が家と隣の家の間の壁の上に!!!

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※あまりよくわかりませんが、この塀の上にもガラスがちりばめられている

 

壁の上にはモザンビーク式泥棒防止のために、ガラスを割った破片が載せてあるんです。いやいやこのガラスクソ意味ないやん。

けど手とか切ったりしないんやなーって感動してたら、ふつーに我が家の裏庭への扉をも超えて裏庭へ侵入しているではありませんか。

 

しかも1億歩ゆずって(結構ゆずれないけど)、裏庭への侵入を許したとしても、窓から家の中をのぞいてきたり、中を見て奇声を上げてきたりするんです。。。

まったくなんてやつらだ・・・

 

と、いうわけで裏庭へ出て、子供の一人をとっつかまえて・・

 

ちょっともごもごしておきますが、お仕置きをしておきました。

 

まあ彼らにとってはフルーツ魅力的&外国人が珍しいってことなんでしょうけど、こっちからしたらたまったもんではありません。

しかも集団攻撃ですからね。くそぅ、こどもめ・・・

 

サザエさんとかで庭のミカン盗られて、怒ってるおじさんの場面とかありましたけど、そんな気分?

いや、もっとむなくそわるい。笑

 

やっぱり日本人にとって、家ってパーソナルスペースだと思うんです。

自分の中でたむろや子供侵入事件で一番何が嫌って、自分のテリトリーが侵されること。

 

今はモザンビークにいるので、ある程度は耐えるべきことなのかもしれません。

自分の課題の一つは自分自身で心の殻を開けられないこと。

モザンビーク人は私と違って、とてもオープンで明るい心なので、きっとパーソナルスペースとかいう考えが理解できないからきっと家に侵入してくるのでしょう。

 

けど、私としてはとてもいやなんだ、という気持ちをなんとか伝えて、理解してほしいなあ、国際交流って難しいなあ、なんて改めて思ったりします。(急に固くなった)

 

 

モザンビーク小話 

歩いていると・・・


モザンビークでは歩いていると、結構な確率で「にーはお」とか「China!(シナ!中国の意味)」といわれます。


職場まで往復で歩いて大体90分かかるので、1日必ず1回は言われます。

これが人によってはかなりのストレスになるそうです。


なぜか女性はめったに言われないらしい。

まあ、これはモザンビーク人から見たら見分けなかなかつかないし、仕方ないことかなあと思うんですが、たまにめちゃむかつくやつがいます。

 

それは中国語をまねて「ホァチュン」とか「ヒィーヒャーフン」とか
馬鹿にしていってくるやつらです。


はっきり言って、アジア人を馬鹿にしてる。
どっちかっていうと、お前らが馬鹿にされる方だからな、とか思うのですが、


まあそれはぐっと飲みこんで。

 

 

家の修理をお願いしてみたら・・・

 

先ほど家のこととを担当してくれる同僚にあって、今月末に給料が入るから、お前の家の壊れたところを直してあげられるよ
といわれたのだけど・・・

 


家のことについてのお金って、たぶん元から私を受け入れる時点でJICAからもらってますよね?

 

それを給料入ってからじゃないと何もできないって・・・
あきらかそれ私用に使ってますやん。横領やん。

本当相変わらずこの同僚クソだなと思うわけですが、もちろんモザンビーク人が全員こういうわけではありません。

 


昨日からJICAスタッフが来て、現状の活動や家の様子をチェックしに来ているのですが、
現地のモザンビーク人スタッフは優しいし英語も堪能だし、すごく安心感がありました。

 

同じ職場の他のスタッフも仕事としては付き合っていませんが、気さくでいい人が多いし、フレンドリーだし


なんでこんな家のことを担当してくれる事務担当スタッフがこんなにクソなのかな、
とか話したくも顔も見たくないくらい最近は嫌なのですが(笑)

モザンビーク人の働き方は日本ときっと全然違うのだろうから、
仕方ないといわれれば仕方ないのかな、、、。


ほかの人も仕事的な付き合いをしたらうざいのかも(笑)

イライラしないように自分の中で気を付けていますが、なかなか大変です。

 


会社で4年働いてきて、ようやく自分の中でイライラしないようにコントールするすべを
少しだけ身に着けた身でいましたが、新卒とかできた人は本当すごいなあと思います。

 

訓練所の時点でストレスたまりすぎて体に異常をきたしている人ももちろんいましたが。

 

 

職場で若手とおしゃべりしていたら・・・


昨日大雨が降ってしまって職場から帰れない、とりあえずおしゃべりしてようみたいな感じで
若手の方々2人とおしゃべりをしていました。
ふとした話から、12月2日にクラブのイベントがあるから一緒にいこう、とお誘いを受けました。


クラブは中国留学時代から行ってはいましたが、あーゆー踊りやじゃかじゃかうるさい環境は意外と好きではなくすぐに疲れてしまうので苦手です。


「うわー、めんどくせえな。けど交流もしたいしなあ」

 

というのが本音のところ。

そんな風に内心思っていたら、
「お前、コンドーム持ってきてる?」とのこと。

 

いやいや乱交パーティー!?とかおびえながら話を聞いているのでした。

実際に行くかはわかりません。気分。

 

けど訓練所時代にもコンドームは持って来いよ、といわれていたし、紳士のマナーとして(?)一応持参はしてきました。

 

隊次によっては、持ってきてない人もいるとか。


それはそれでどうなんでしょう、、、。まあ使わないことが一番?かもしれませんが、あって邪魔になるものでもないですしね。最悪水筒にもなるみたいですよ笑

 

 

めっちゃどうでもいい小話・・・

 

最後にめちゃくちゃどうでもいい話。

なんかこっちの男の人っていい大人の人でも(若めの人が多いけど)、

やたらと股間をさわるんですよねwwww

 

 

なんなんでしょう、小さい子とかは結構不安になったりしたときに、結構いじいじしながらしゃべったり・・・とかはありますけど、いい大人になって。笑

 

やっぱりおちつくんですかね。

 

男あるあるで、寝るときにパンツの中に手を突っ込んじゃうってあれの感じなのかな(小声)

 

 

さて、本日のポルトガル語講座

数字の言い方!スペイン語と似てるので、覚えやすい人は覚えやすいはず!

1  うむ

2  どいしゅ

3  とれしゅ

4  くわとろ

5  しんこ

6  せいしゅ

7  せてぃ

8  おいとぅ

9  のぁび

10 でずゅ

 

・・・こうやってかくとあかちゃんことばみたいですね。

では、あて あ ぷろっしま~

 

もざぴ日記15 ~Sim, eu sou PCインストラクター~

Olá!
最近モザンビークは夏に向けて、暑さ(特に日差し)が増してきて、
なかなか日中は外を歩きたくないような、今日この頃です。
本日はいつものような面白エピソード(?)ではなくて、普通の日常のことを書こうと思います。


本日のとぴっく

 


迷い込んだ教会の施設


ある日、水道料金を支払うために街をうろついていました。No more 徘徊
旅行の時とか留学の時は、その街を知り尽くそうと縦横無尽にひたすら歩きまくる私なのですが、なんか2年いるからなのか、暑いからなのか、純粋にあんまりおもしろくないからなのか。
わかりませんが、リシンガの町はまだいまいち把握できていません。笑

何もないわりになんか無駄に広いんです、この町。


バスみたいな公共交通機関もないし。すべて徒歩。
なんかモザンビークの州都で公共交通機関(バス)ないのリシンガだけみたいです。笑


で、話はそれましたが、リアルな話。
水道料金払いに行く水道局がどこにあるのかよくわからなくなってしまったのです笑


で、いつもと違う道を歩いてみると・・・
そこには「図書館」の文字。

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正しくはまた話それますが、ポルトガル語で図書館がbiblioteca、本屋さんがlivrariaといいます。
めっちゃわかりにくくないですか!?どうしても英語のliblaryとまざるでしょ・・・


で、この図書館に入ってみたところ、どうも本らしいものはほとんどない。(あったけど宗教系の本だけ)

 

じゃあなんなんだ、ここ!

と思ってうろついて、いろんな部屋をのぞいてみると・・・

英語の授業とかパソコンの授業をやっているところがあるではないじゃないですか。

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そこらへんプラプラしてた人に「ここはどういう施設なのか」ということを聞いてみたところ、どうも教会が運営している、カルチャースクール?のようなものみたいです。

英語の教室ではアルファベットの簡単な読み方を教えていました。

 

もちろん無料ではなくお金をとっているのですが、そこら辺のひとが月の収入6,000円?とかなのに、PC教室が1,600円でした。英語教室はもう少し高かったです。

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「高くね」とか思ったけど、90回もクラスがあるそうなので、お得なのか。そんなわけで一日1時間クラス6回くらいあるのに、見学した3回分は満員でした。


お金はかかるけど、そのあとすぐに就職につながる、と考えたらいい投資なのかな。モザンビーク人意外と賢いな、なんて。

 

 

 

一応モザンビークに来ている身分が「PCインストラクター」ということで、とてもパソコン教室が気になりました(笑)

 

と、いうわけで許可も何も取ってないけど、教室へ突撃見学!

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やってみながら意外とこういうの嫌いじゃないなーなんてちょっとびっくり。

 

「なにあの人!?」

みたいな顔で見られましたが

「いや、おまえらこそなんだよ!怒」

と、半ば逆切れ&どや顔してたらいつの間にか参加させてもらえました喜

 


しかも先生も教えている内容、わりかしちゃんとしていて、電子メールの書き方や
エクセル・パワポ・ワードの作り方など教えていました。
彼はキリマネという、(これまた地方都市だけどリシンガより都会)街で習ったそう。こんな人もいるんだな。

 


授業制作物をのぞいてみたらワードで割と難しいポスター作ってたり、パワポで簡単なプレゼン資料とかも作ってました。
けどなぜかエクセルに弱いのかな。エクセルだけあんまりやれてない感じでした。。。

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しかし授業に参加していたら、いきなりムチャ振り・・・。

なんか教えろときたもんだ。。。いやいやいやいやいや準備必要。

そもそも準備あったって授業なんかできない、とかいろいろ思いましたが。

 

 

ほかの隊員見てても、学校の先生ならよくあるらしいムチャ振りらしい。笑
とりあえず、技術補完研修でやったエクセルの簡単な足し算や、関数を使った他のマスからの変換の方法を教えたりしました。
確実に理解までは至ってなかったと思うけど、少なくとも「そんなことできるんだあ~」くらいに思ってもらえれば・・・

 


ムチャ振り授業が終わった後に、先生に呼ばれ、「これからおれの授業を手伝ってみないか?次は14時だから2時間後また来てくれ」とのこと。。。

 

結構めんどくさかったので(笑)、いくのかなり迷いました。。。


普段の職場はほぼ仕事がなく、モザンビークに来た理由が懐疑的だったこと、

ちょっとでも手伝いして、PCスキル、語学が伸びるならいいかなあ、なんて珍しく思って、雨結構降ってたけど、行くのめんどくさかったけど、頑張っていきました。笑

 

 

が案の定、生徒は来ているけど、先生は来ず。
しかも全然来ないから生徒が勝手に実習をやってまつことに。


隣の部屋にピアノがあったので、とりあえずピアノを弾いたり、ワードのポスター実習をやっていたので、生徒がわからないところを助けたり。
一人の生徒が結構全部やらせようとしてたけど、それじゃきみのためになりませんよ・・・


とか思ったけど、自分もPC嫌いで大学の情報の授業、学生アシスタントの人に全部実習やらせてたから何も言えない。

やっぱ自分モザンビーク人なのかな。笑

 


15時半ころになってようやく先生が来ましたが、来たら来たで実習してた人の授業切り上げて、次の授業で待っていた生徒を教室に入れていました。

この授業の人たちに何も教えてないやんwwwひどくないか。。。

 


本人曰く、「雨降ってたからこれなかった」
カメカメハ大王かよ。爆
なんかそんな歌ありましたよね。「風が吹いたら遅刻して、雨が降ったらおやすみで~♪」みたいな


晴耕雨読ということでそれはそれで、彼らが幸せならありなんじゃないかなって。
日本人みたくまじめにやりすぎて、自殺するよりはよっぽど幸せな世の中だなって思います。(私個人の意見)

 


誕生日会でぼったくられた

 

先日、同じ地域に住む先輩隊員の誕生日でした。
街からは少し遠いけど、リゾート感あふれるリシンガではないような非日常のレストランがあったので、そこで同じ地域に住む4人で誕生日会をすることになりました。

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近くの店でケーキ買って。
ものすごい砂ぼこりと、近くに高速道路並みのすさまじい勢いで車が走る道路があるので、強風に吹き飛ばされそうになりながら、頑張ってよたよた徒歩で運びました。

 


無事にプールとかもあるリゾートレストランでにたどり着き、

とけちゃうと困るので、レストランの人に「今日はフェスタ(祭り)だからそのためのケーキ!冷蔵庫に入れてくれる?」とお願いしました。

 

食事も終え、デザートってことで、サプライズでケーキにろうそくをたてて祝いました!誕生日の先輩も喜んでくれて記念撮影!

おいしくいただいて、よし会計の時になり。
ところがどっこい。なぞの日本円に直すと10,000円の記載。


「なにこれ?」と問いただすとケーキカット代とのこと。

いやいやケーキカットすらお前らやってねえやん。(自分たちで切った)
まあ要は持ち込み料と、言われたらそれまでですが、日本のレストランでも10,000円もする!?しかもこっちの物価考えてみて。笑

 

普通の人の月の給料6,000円なのに(笑)
頭おかしい。日本の感覚で言ったら、300,000円くらいとられてるとか頭おかしい。
私が下調べしていなかったのが仕方なかった&勉強代ということで払いましたが、常に金欠の私としては非常に非常に厳しい・・・・・・
週に1回だけ外食してたけど、月に1回にしようかな。あーいやになる。
またリシンガでの楽しみを一つ失いました♡

 


ネットワーク構築に向けて

 

そうなんです、今までほぼ活動のこと言ってなかったけど、一応PCインストラクターなんです。ただ不満は内容が全然PCインストラクターじゃないってこと。

前にも書きましたが主な要請が職場内のネットワーク環境構築とPCのトラブルシューティング(不具合確認)

 

 

 

・・・・・・。

 

 

 


とにかく自分のやりたいことは自分の力でどうにかするにして、
まずは自分のやるべきことをやる(ネットワーク構築)をしなくてはいけません。

 

というわけでSEでもないのでどこから手を付けていいのかわからなかったのですが、
とりあえずネットワーク図を作成して、どこがメインルーターで、

どこからインターネットに出るのか、どこにルーターがあるのか、
どのルーターが生きているのかなどの調査を歩き回って確認してみました。

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初めて超要請の活動っぽいことしたなあ、とか自分に酔いながらも、とりあえずなんとなく自分の足を使って今の環境が理解できました。
ただ「わかる」ことと「実践」することって別ですよね。。。。
次なにすればいいんやろ。

 

とりあえずメインのルーターは動いていて、今そのルーターさんの力で全環境のWifiを支えてるようなので、プランとしてその配下に設置されているルーターのルーティング(設定)をして、負担分散させればいいのかな。。。。
けどルーター結構高い位置にあって、それとPCつないで設定するの大変なんだけど・・・・

 


とりあえずやってみます。。。
なんかネットワーク構築で「こうやったほうがいいよ」とかあったらどしどし受け付けます。
いうて机上で勉強しただけなので、実践が全然わかりません・・・・

 


先輩の家のかぎが壊れた


おまけの話です。
ちょうど今日の朝の話なんですけど、同じ職場で活動している先輩の家のかぎが壊れたみたいなのです。


なんか家の外に出ようとしたところ、ドアの外側にある南京錠が固くて開かない。

仕方ないからペンチで無理やり回そうとしたみたいなんです。
そしたら、鍵が折れるという事故www

 


そんなこんなで家に閉じ込められた先輩。
私にも助けの電話来てましたが、通勤40分徒歩中だったので気づかない・・・
そんな先輩は仕方ないので、9時ころにやってくるお手伝いさんに頼んで、離れた町まで鍵をぶっ壊すヤツを買ってきてもらったみたいです笑


お手伝いさんにタクシー乗せて街で壊すやつ買って戻ってくる。
なかなか朝から大変だったようです。

在留邦人とかがトラブルとか犯罪に巻き込まれるのが帰国前2か月とかの油断したタイミングが多いそう。
まさに彼は1月に帰国なので、2か月前ですね。こわいこわい。犯罪とかではないけど。

 

 


さて、今回のポルトガル語講座は一通りの会話の流れについて!
ということで少し今までよりレベルアップです。

だいたいこんな感じで続いていきます。

 

私 :Bom dia        ぼんでぃーあ       (おはよう)
相手:Bom dia        ぼんでぃーあ       (おはよう)

私 :Como estas?      こめすたす        (調子はどう?)
相手:Estou bem, obrigado  えすとうべん おぶりがーど(元気だよ、ありがとう)
相手:E tu?         えとぅ?         (きみは?)

私 :Estou triste      えすとうとりすてぃ    (かなしい)

 

みたい感じですね。
この流れ覚えてしまえば、なんとなく雰囲気のポルトガル語会話はできてしまいます!w
というわけで あて あ ぷろっしま~

もざぴ日記14 ~モザンビークの観光地~

Olá!

先日旅行に行ってから、だいぶ更新が遅くなってしまいましたが、
前々々回(笑)の投稿に引き続き、旅行について記載していきたいと思います。

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イニャンバネへの行き方

 

今回はモザンビーク屈指のリゾート地イニャンバネについてです。
イニャンバネには首都マプトから飛行機とシャパというハイエースを改造した車で行くことができます。


モザンビークには高速道路なんて、そんなしゃれたものはありませんが、
首都マプトから一番北にある州のカーボ・デルガド州まで続く一号線があります。
この一号線が実質高速道路見たくなってますね。

なんかちょくちょくなぞの料金所もあるし。
とにかく高速道路並みに140キロとかおんぼろ車が平気で飛ばしていきます。
イニャンバネまでは飛行機だと1時間弱、シャパだと8時間です。

 

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ピンク点⇨任地 リシンガ

青い点⇨観光地 イニャンバネ(今回のトピック)

赤い点⇨首都 マプト(前回の話)

 


ご存知のように貧乏人の私ですので(笑)
シャパで8時間かけて、同期のいるイニャンバネまで遊びに行きました。
お金は700メティカイス、大体1,200円ほどです。

4泊5日でイニャンバネへ行ってきました。

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※写真は休憩で道端にとまるたびにシャパに物売り来る様子


イニャンバネでの目的

 


1、同期の家・職場・活動内容見学

同期宅について


4泊すべて同期隊員の家に泊まらせてもらいました。

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この同期隊員の家。
イニャンバネが観光地のため、長期滞在する欧米人や南アフリカ人が多いということで、同期隊員の家はそういった外国人のために貸し出す家のため、なんと協力隊にしては珍しく電子レンジや冷蔵庫、オーブン、エアコンなどの家具備え付けに加えて、
シャワーはお湯が出る!!!!!!

 

なんだよ、これ日本とかわらねえやん。怒

 

そう、とてもいい環境なのです。
貧乏人の私は家だけ渡されて家の中は何もない空っぽだったのにこの差・・・涙目
そういうところで格差は生まれていきます。。。

 

同期の職場・活動先見学


イニャンバネにきて3日目に同期の活動先と、活動のため地域の物産展をやるとのことで一緒に参加してきました。


活動先の職場を視察した後、州都のイニャンバネ市からマイクロバスに乗ること2時間。。。物産展をやる会場へ到着しました。

ここでは地域の特産の品(主に農作物や、ヨーグルト、お酒など)を販売して、
イニャンバネ州の各地域にどんな名産があるかを広めるための会のようでした。


9時か10時に始まるということで、7時ごろから行ったときには
すでに多くの女性が物産展に来るお偉いさんと来場者にふるう舞うための食事の支度をしていました。

僕らも準備のお手伝いなどをしようともらったのですが、料理の手伝いをいろいろしようと思ったけど、使い物にならず結局おしゃべりしてただけになりました。 。。

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その中に協力隊の先輩が混ざってから揚げをふるまうということで準備していました。
ほかのモザンビーク人に「あの子が日本食作ってるよ」と、教えてもらわなきゃわからないくらいになじんでいました笑

 


物産展にはウサギや、カモ、いろんな種類の鳥、ネズミなどがいたのですが、
まさかのこれらも食べるために売られてるとのことでした。ペットとして持って帰りたかった。
小学生の時によくウサギに草を上げたりして遊んでたことを思い出し、
モザンビーク人のちびっこと一緒に草を上げて遊んだりしてました。

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そんなこんなで12時・・・。全然会が始まりません。
もう帰ろうかなと思ったら、ようやくメインゲストのゴベルナドール(州知事)がきて視察をしていまいた。
ゴベルナドールが来たせいで、視察来る順番はあとにもかかわらず、店のヤツが野菜を売ってくれなくなったり。。。。売れよ怒

 

モザンビークは非常に縦社会が強いので、偉い人が絶対の権力となり、
みんな上の人の顔色しか窺っていないのです。嫌な世の中ですねえ。。。。。

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※背が高いのが州知事

 

そんなこんなで会場の料理提供や片付けなど会場運営をする隊員以外で、「もうあきた!」ってことでイニャンバネの隣町のマシシへ行ってきました。

 

2、イニャンバネ・マシシ市街散策


イニャンバネ州一の繁華街 マシシ市

sイニャンバネ市が昔ながらの落ち着いた伝統がある高級住宅街のある旧市街とすると、
マシシ市はお店や銀行などが集まる商業の中心地的な新市街です。


ケンタッキーも海沿いにあったり、海沿いの道にはヤシの木が生えてランニングにちょうどよさそうな舗装された道、お店もたくさんあり、ゴミや汚い感じもない。

 

僕はマシシがとても気に入りました笑

 

 

なんだこのリシンガとの差!!!!!!!

 

 

声を大にして言いたい。
マシシの海沿いの道とケンタッキーを見た時にハワイかと思いました。
(リシンガに住んでると小さいことにいろいろ感動を覚えられることがいいこと。笑)

 


こちらで名物の海鮮を食しながら、ケンタッキーも買って、生ビール!!!
それも平日の昼間からw そんな幸せなことある!?
と幸せな時間を過ごしました。

 

商業都市マシシから伝統都市イニャンバネへ戻るには海を隔てているため、船しかありません。

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なんか海を隔てて二つの町が栄えてるあたりもなんだかトルコのイスタンブール見たいですねえ。
イスタンブールみたく、同じ町として機能しているわけではないですが。

 

ちなみに以前にここに橋を架ける計画があったそうです。
しかし、マシシの貧民たちが伝統あるイニャンバネ市に入ってくるから、ということで
イニャンバネ市民の猛烈な反対があったそうです。
それでなくなったとか。

 

東急線某路線の埼玉と神奈川をつないだ時の論争をほうふつさせますね。笑

 


それはおいといて、船に30分ほど乗らなきゃいけないのですが、この日が激しく風の強い日で。どんぶらこどんぶらこ激しく船も揺れました揺れました笑

 

船では履いていたサンダルを船底に落とすという失態も起こすし、この船はもうあまり乗りたくありませんが、陸路だとだいぶ迂回しなきゃだし・・・

 

 


とりあえずマシシに住みたいことだけはわかりました。笑

 

 

 

 イニャンバネ州の州都 イニャンバネ市


イニャンバネ市街はほぼ高級住宅街の中にあるので、周りの家はおしゃれなかわいらしいカラフルで大きな立派な家ばかり。街並みもきれいで治安も安全でまさかの同期隊員の家にはドアに鉄格子がありません。(ふつうはドアの外に鉄格子がある)

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ゴミ捨て場も日本のようにゴミを捨てる専用のボックスみたいにが各地に設置してあります。任地リシンガや首都マプトのように道端にゴミが大量に捨てて合って、そこに野良犬がハイエナのように食べ物をあさってる・・・⚡なんてことはありません。

 


野良犬がうようよいる、ゴミをあさってることがモザンビーク来てから一番のカルチャーショックかな。

あと歩いてるだけでほぼ100%強盗に襲われる道があること。笑
(薄暗い汚らしいところじゃないのに。むしろ海が見渡せてきれいな道)

 


イニャンバネは海に囲まれた街なので、5分も歩けば海があります。
静かな波音を聞きながら夕陽を見る・・・そんなために、海沿いの道にはベンチも設置してあります。
なんやねん、このおしゃれさ怒怒

 

街の中心地へ行けば立派な教会と任地リシンガより物価が安く種類が豊富な市場があります。


ただ一つ言うのであれば、イニャンバネは蚊が多い。


なんでなんでしょう。海水から蚊は生まれないと思うんだけど・・・
任地リシンガは標高が高いためか、蚊はほとんどいないので、大量に家にいたのは少しビビりました。

 

 

3、イニャンバネ随一の観光地 トーフービーチ


トーフービーチへは、イニャンバネに着いた2日目と4日目に行ってきました。

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自称トーフーの観光親善大使と名乗る、先輩隊員と合流しシャパでイニャンバネ市街から1時間弱で着きます。

トーフーはとても有名な観光地だったので、もっと壮大な感じで観光地感出してくる大規模な街だと思っていましたが、規模はこじんまりとしていて、レストラン回ってハシゴするのも、海でわちゃわちゃするのも、宿泊するのも、買い物をするのも。

コンパクトでとても気に入りました!

 


一緒に行った同期隊員と親善大使はずっと海を見ながらビールを飲み続けていたようですが、僕は一人で海で波に足をつかりながら遊んだり、近くのレストランにあったピアノを弾いたりしていました。


海風の入ってくる白いバルコニーと海を見ながらピアノを弾く。


とても気持ちいい環境でした。

モザンビークにピアノ自体がほとんどないのですが、ここにあったのは電子ピアノではなく生ピアノ。
楽譜見ないで弾ける持ち曲はもうはや全然ありませんでしたが、気持ちよく弾けました。

 

 


もうその時点でトーフーにもはまりましたwww また来たい!

 

 


近くにあるお土産屋さんも、首都マプトやほかの都市にもないような独特のお土産なども売られており、とても魅力的だったのでついつい買いすぎてしまいました。。。


また、トーフービーチからは少しシャパに乗っていかなくてはいけませんが、伝統布のカプラナをつかったハンドメイドのカバンやポーチなどの雑貨を外国人向けに売っている珍しいお土産屋さんもあり、僕もカバンとポーチを買ってしまいました。

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首都マプトにもこの店の支店があるようなのですが、そこは値段が倍するし、観光客の白人がバカ買いしていくためあまり商品が残っていることもないようです。

万が一にもトーフービーチにくることがあればぜひぜひおすすめのスポットです!

 

 


午前は海と戯れながらの思い思いの時間を過ごし、午後はアクティビティということでオーシャンサファリをしてきました。
漁船のような船に乗って、クジラやイルカ、ジンベイザメを見るアクティビティなのですが、トーフーは基本波が荒い場所のようで、酔い止め薬を飲んだにもかかわらずとても酔いました。笑

 

しかも何かいると(主にジンベエザメ)、船から「みんなとびこめえ!」みたいな感じでうみにとびださなきゃいけないのでなかなかハードですwww


僕は体力どうこうより、船酔いがつらかったです。

船酔いしやすい方はとてもお勧めしません笑


動物も海も好きなのに、とても残念でした。しかも結構高買ったです。(2万円くらい?わすれた)


乗客は欧米人ばかりでやつらは寒さにも船酔いにも強い。w
海に潜って上がったりするので、体温奪われて寒いし、船酔いはするしもう大変でした。白人は強くてうらやましい。


キン〇マを売ってくれ


そういえばトーフーから帰ろうと帰りのシャパを待っているときに、急に隣にモザンビーク人が座ってきました。(そのあとシャパでも隣に座ってきた)
色々話しかけてきて、「何かなあ」とか思ってたら。

 

どうやらぼくの精巣を売ってくれと言っているのです。


ビビりました。

「2つあるんだし、いいジャン一つくらい。日本人の子供とのハーフ作れるから高く売れる!」的なこと言われました。


お前の遺伝子が欲しいとか言われたらまだいいけど(?)、日本の遺伝子が欲しいのかい!!!!!(そこ?)

他を頼め!、ということでスルーしました。

 

ちょっとびっくりした面白エピソードでした。


4、海鮮を食べる


これも結構楽しみにしていました。
イニャンバネ市内では、着いた最初の夜に海の見えるおしゃれなレストランに行って、
安定のエビやカニクリームグラタンなど堪能しました。

 


トーフービーチでは、生牡蠣が食べれるお店や、ロブスター、生パスタ、寿司、クリームブリュレなど、モザンビークでも珍しくおしゃれな、おいしいものが食べれるので、レストランをハシゴして回りました。

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トーフービーチの良いところはこじんまりしてて、レストランとかを廻りやすいことですが、同時に一つの店にまとまって上記のものが置いていないということがちょっと不満です笑

 

 

移動がめんどくさい!

 

寿司以外はすべておいしかったですが、(寿司は首都のほうがおいしいと思った)
特に生ガキが好きなので、堪能できたことはとてもうれしかったです。クリームブリュレも日本みたいでおいしかった。

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生ガキは過去に私が会社で働いてた時代、祝日に会社同期の友人と生ガキを食べて2人して当たって、ほぼ一週間2人して会社にいけなかったという
とても苦しかったけど今思い返せば笑える思い出のある品ですが、いまでも牡蠣は好きでついつい食べてしまいます。

もちろんのこと、こちらの牡蠣は当たりませんでしたよ笑

 


イニャンバネ名物としてカニみそグラタンのようなものもあります。
日本でも某24時間営業海鮮系居酒屋であるような品とほぼ同じ味です!
濃厚でくせになるし、お酒との相性抜群!けどコレステロールやばそう。

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※手前のやつがカニミソグラタン。ちなみにお


これ毎日食べてたら病気になりそうな病みつきの味です? こういうのが近くにある環境って本当にうらやましい!

 

というわけで、ついつい旅行の思い出のことを書いていたら長くなりすぎてしまいましたwww
リシンガに戻ってきて、10日ほど経ちましたが、いまだにぽっかり穴が開いたようです笑 ほんと旅行楽しかった・・・

 

 


と、いうわけで本日のポルトガル語教室は 悲しい(寂しい)のいいかたです

tristeといいます!
これは形容詞なので、その前に必ずbe動詞の状態を表すワードをつけなくてはいけません。

 

estarという動詞がbe動詞の状態を表すワードなので、estou triste えすとう とりすてぃ

で悲しい(寂しい)という意味となります!

 

ではでは até a próxima !