自己紹介 ver.2 〜協力隊に応募するまでの人生〜
実は下記の記事、ブログを初めたばかりの時にすでに書き終えていました。
けど公開するのをずっと迷って下書き保存をしていました。笑
前回の記事といい感じでつながりそうなので、ここで公開しようと思います。
協力隊についての流れを詳しく知りたい方は「なんとなく憧れがあった協力隊」からご覧ください。
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初めてのブログ
初めてブログを書くのでどうすればよいのやら・・・
とりあえず、「ブログ 初めて 記事」でググる。。。(現代っ子風)
あんまり参考にならず。笑
コツあれば教えてください!
さてさてこのたびブログを始めたわけですが・・・なぜかといいますと。
2013年に入社を果たして、4年間コツコツ・・・(というかめっちゃ楽しんで)仕事を続けてきましたが。
JICAの青年海外協力隊への合格が決まったからです!
というわけで、4月から新生活が始まるのですが、こんな刺激的な生活をみなさんに共有しないわけにはいかない!(本当はアフリカの過疎地で寂しいから)というわけで始めてみました♪
ここでここ一年の歩みを振り返りたいと思います。
社会人四年目
4月
5月8日がJICA春募集の締め切りだけど、会社同期と離れるの嫌だし、
特に理由もなしにとりあえず説明会に聞きに行く。
踏ん切りつかないけど、とりあえずエントリーシートと共に提出が必要な、健康診断が2週間が期間かかるので、自腹で受診。
5月
5月7日までがっつりドイツ旅行行って、5月8日になって。
「やばい、今日までじゃん、とりあえず健康診断たかったし、運命に身を任せるか」
とのことでエントリーシート?出しました。(なめてる)
7月
まさかの一次審査合格連絡。
がちで焦っておびえる。。。(同期と離れたくない・・・)
とりあえず会社休んで、二次面接へ。
圧迫面接とか言われてておびえてたけど、弱圧迫くらい?笑
人物面接は温厚、技術面接がちょっと圧迫。両方とも全然できなかったし、おわったーとかおもってたけど。
8月
北海道旅行に行ってるときに合格発表・・・
結果は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
モザンビークでPCインストラクター!!!
まあ、PCインストラクターって自分で希望出してたんだけど、
改めて要望見たらなんかむりだなーとか笑
この世で10番目くらいに機械苦手・・・・・・・
モザンビークがどうこうってより、やっぱり会社辞めなきゃいけないかもってのが一番何気ショックで。
どうすればよいのかわからずとても悩みました笑
9月
合格してるにもかかわらず、秋募集の説明会に3回ほど足を延ばして話を聞きに行きました笑 本当に自分に合ってるのか自信なくて。。。
そこで実際に行った人と話とかして、「悩むのはみんな一緒なんだなー」とか思いました。協力隊目指してる人ともう帰国した人3人で話してるときに、協力隊目指してる人から
「行きたくても行けない人もいるんですから、絶対辞退なんてしないでくださいね」
といわれました。
その一言を聞いて、踏ん切りつかないまでも前に進もうかと。
同時期に大好きな同期内でもちょっとした変化があったり。
自分の中での気持ちの変化だけだったかもしれないけど。それも踏ん切りにつながりました。。。
悩みぬいて悩んだ挙句に、人事と上司に打ち明けました。
合格発表が出てから、僕のように告白するのは、良かったのか悪かったのかはわかりません。しかし、そのあとの上司たちの対応を見て。
この時期は正解orむしろもっと後でもよかったとも思いました。
いつ打ち明けるにしても、そのあとの「もういなくなる人間」としての冷遇と噂話はどうしても広まるものなので覚悟が必要かもしれません。うちの会社だけかな。
とにかく上司と人事への告白、そして様々な交渉がまた大変だった。。。笑
上司へ伝えたところ。
内心応援してもらえるものと思っていたのに、上司が多分ショックだったらしく。
わりとそれから塩対応になりすぎてだいぶなえました笑
10月
もうやめる前提の人に仕事を割り振られてもらえるわけもなく、実質干されるてきポジションになりました。笑
そんなこんなもあって、9月くらいから酒癖が相当悪くなったようで
記憶をなくすまで飲むようになるわ、けんか腰になるわ、
周りにはご迷惑をおかけしました。。。
同期一人だけにこんな変化を見破られて、早々とやめる旨を話すこととなりましたが・・・・・゚・(つД`)・゚・
辞める立場にもかかわらず。四年働いてて初めて課の予算合宿に参加しました!
結局はこれが最初で最後の元会社の旅行となってしまいましたが。伊豆に行かせてもらい、美味しいものたくさん食べれて楽しかったです!
最後に良き思い出!
11月
周りには隠しながら個人的に思い出作りの毎日笑
グアムにもいきました~~~(おかげでびっくりするくらい金欠)
12月
仲いい人に順次言っていこうと思ってましたが、どうしても先に会社辞めることを話しておきたかった人5人にだけ話すことにしました。
一人は結局話せなかったけど。
1月
解禁月。
ということで、順次話していくことにしようと思いましたが。
好きな人ほどなかなか話すのが大変ですよw
で、結局自分の中でXデーと決めていた、1/23に大好きな同期に発表しましたが・・・・
なんで言ってくれなかったの、と文句言われたり、質問責めにあったり。笑
いつも会議室で同期入社のメンバーとお昼食べていましたが、23日にお昼いったら、
すごい質問攻めで疲れました。笑
一緒に食べていたメンバーも顔ひきつっててふつうの会話しようとしても楽しくなさそうな人が2~3人ほどいたので、ここ1週間ほどお昼を一緒に食べるために会議室にいけていません。。。
明日から会議室ランチ復活しようかな。でももう一人後輩に告白してあげたほうがいい人がいるんだよなあ。
ちなみに年内から自分のお客さんは すべて引き継いで、年内からそんなにやることがありませんでしたが、年明けてからは本格的に仕事でやることがなくなりました。笑
と、いうわけでひたすらほかの営業の事務を手助けしたり、自分で新規の客を捕まえてきて過ごしたりしていましたが、なかなか暇でした。笑
2月
2月は週に2~3回ほどしか出社もしなくなったので、ほぼあいさつ回りや事務処理でおわりました。事務処理って本当に意外と面倒でめちゃくちゃ大変です。笑
会社の事務処理も役所での手続きも。
これからやめるつもりの方は覚悟しておいて下さい。
なんとか一部やることが残ってしまいましたが、仲のいい後輩に委託して、2月末に多くの応援を頂いて退職することができました。
交渉も結構長引いて大変だったのに、最後は快く送っていただいた会社の方々。
本当にありがとうございます。
というわけでもやもやしながら、楽しい会社生活の思い出作りをしている毎日です。
これからも、簿記の勉強・JICAの事前学習・写真整理・退職手続き・EXCELの勉強。。。
しなきゃいけないことたくさんだし、なんだかいろいろと大変だな。。。
これからも頑張ります。
もし気が向いたら、一次試験・二次試験とかのことも振り返ってみようかな~とか思います。
とりあえずはここまでで。。
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びっくりしました。笑
ある程度修正をしたのですが、まあ文章のひどいこと。
今見ると非常に稚拙な文章だと思います。
しかし、本当に心のままの思ったことをつづっていたので、稚拙な分ですが、あえて公開することとしました。
以下、上記に書きそびれた情報を捕捉します。
なんとなく憧れがあった協力隊(社会人四年目)
なんとなく頭の片隅で考えていた、協力隊。
社会人2年目の時にも説明会を聞きに行き、そこで大学の先輩とばったり出くわしたり、OBの方から「3年は働いてから来た方が活動に活かせるし、その後の進路を考えたときにも絶対に良い」という助言がなんとなく頭の中に引っかかっていました。
とりあえずまた説明会へ行ってみることにしました。特にピンと来たわけでもなんでもなかったですが、応募にあたっては健康診断の結果が必要、とのこと。
健康診断は2週間以上の時間がかかるので、受けるつもりであれば早く受診してください!
という職員の言葉で「協力隊、受けるかわかんないけど、とりあえず健康診断だけ受けておこう」と、意味不明の思考に至りました。
当然、健康診断は実費。
しかも協力隊の健康診断って、通常より詳しく検査しなければならないこともありとても高額なんです。
僕の時は12,000円程かかりました。
※今は最初の応募用紙提出の際には健康診断書は必要ないはずです。詳しくはJICAの応募要項をご覧ください。
実施してくれる病院も見つけてくれるのも一苦労で、ようやく見つけた病院でとりあえず高額な健康診断費を払って。
これは選考を受けなければいけなくなりました。笑
社会人3年目の心境の記事にも記載しましたが、ここに来て会社の環境は僕にとってはとても心地よくなりました。同期含めた会社の人間関係は良好、仕事面もとりあえずのところ回っており、全てが順調なのにこの生活を投げ出すことにかなり悩みました。
けど最終的には、運命に任せよう、と思いました。
そもそも協力隊は健康面での査定が厳しく、行きたいと思ってても一回の応募ではなかなか受からない人もいる、と聞いていたからでした。
とりあえず途上国へ行って生活をしてみたかったぼくは、職種はずっとITで働いて来たことを生かしたい、ということで何も考えずにPCインストラクター。
その中で良さげな場所をピックアップして、応募しました。
春募集と秋募集
僕は春募集で受けたので、締め切りは5月の上旬でした。
青年海外協力隊の選考は春選考と秋選考の年2回あります。
協力隊の選考で春募集と秋募集どちらが受かりやすいのかな、とか当初は考えていましたが、結論ほぼ一緒だと思います。
春募集は通常だと。
8月に合格が出て、すぐに(10月から)訓練所が始まる3次隊、
1月から訓練所が始まる4次隊、
4月から訓練所が始まる1次隊の募集がメインとなります。
秋募集は受けていないので詳しくはわかりませんが、
2月ごろに合格が出て、すぐに(4月から)訓練所が始まる1次隊、
7月から訓練所が始まる2次、
10月から訓練所が始まる3次隊の募集がメインとなります。
モザンビーク隊を見ていると、1次隊と3次隊の人数が多く、
2次隊と4次隊は人数が少ないように感じるので、特に春に受けるから、秋に受けるからといって合格率に違いはないように感ます。
むしろ最近は昔より倍率が下がっているようなので、選考を受けるにはお勧めです笑
かの蓮舫さんが「2番じゃダメなんですか?」発言より以前に
協力隊の手当てや待遇について以前より減らした影響からなのか、倍率は下がっているようです。
出発隊次について
隊次の違いについてですが、個人的には訓練所の生活と出発時期を考えると1次隊はおすすめです!笑
雪の訓練所・桜の訓練所・初夏の訓練所を味わえます!冬、春、夏の時期が楽しめる!
訓練所内には自室と語学教室以外にもフリースペースなどがあるのですが、
そういった施設でのびのびするにも1次隊の気候がぴったりです。
2次隊はすごいあついそうで、訓練所の部屋に冷房がないから大変、と聞きました笑
夏祭りが岳温泉で開催されるのでそれがうらやましい。
3次隊は1次隊と共に、訓練所の時期としてはちょうどよいそうですが、
カメムシが大量発生するそうです。 めっちゃどうでもいい。www
4次隊は基本ずっと雪の毎日で、他の隊次は必須の朝のランニングを外でほぼ行えないそうです。
代わりに体育館で毎日走るみたいですが、走るのが嫌いな人は4次隊がいいかもしれません。
個人的には景色を同じところで走るのは全然楽しくないので、ちょっと嫌だなーとか思います。
雪の降る二本松訓練所はとても幻想的な景色となるそうで、それも非常に美しいそうです。
応募用紙を書くにあたって
話は壊滅的にずれましたが、応募用紙を書くにあたり、
自分の中で具体的にどういうことをしたいか、ということをしっかりとイメージを膨らませておくこと、そして活動で必要となりそうな資格や体験を十分にしておくことが、
応募用紙にも記載しやすくなりますし、アピールもしやすくなります。
一つ注意点は青年海外協力隊の要請は「自分のやりたいことをやる」
よりは「自分のできることをやる」のほうが合格はしやすいと思います。
自分がやりたいことを純粋に追い求めると、志望動機や今までの自分の経験に結び付けにくくなります。もちろんやりたいことと、やれることがマッチングしていればばっちりです!けど、できる能力がないのに、来てしまうとこちらに来てから苦労をすることになるかもしれません。。。
現地に来てしまえば、自分で切り開いて自分のやりたい活動をすることも可能です。
それにはただ要請をこなす以上に、相当な労力を必要としますが。。。
ちなみに僕は英語が壊滅的にできなかったので、中米や東南アジアなど、英語を使用しないところにピックアップして応募しました。
アフリカもこの機会じゃないと行かなそうだし、面白そうってことで興味本位で希望の中にはいれました。
もちろんモザンビークではなく、とりあえずビクトリアフォールズ見たいな、という安易な考えでザンビアに出しました。(ここは英語圏だけど。)
僕の場合応募用紙について、急いでバーっと応募用紙を記載した割には、意外と自分ができることで、やりたいことが明確に頭の中にイメージ出来ていたことがよかったのだと思っています。
応募用紙に記載したことと、要請は全く違ったのですが。
※写真は想像していた、活動イメージ。
後から見返してみると応募用紙はなかなか恥ずかしいしょうもない内容だったのですが、なんとか一次選考通過。
次は面接ということで、7月某日に市ヶ谷の面接会場へ来てくださいということで案内が来ていました。
親や身の回りの人への相談について
この頃になるとJICAから何度か自宅に手紙が届くようになり、親には協力隊受けることを話していませんでしたので、僕の行動やJICAからの手紙を怪しむようになりました。
ぼくの親は途上国、特にアフリカへ行くのは相当嫌だったようで、子供の時から協力隊や現地で活動する企業の人がテレビで映るたびに、「こういうところへ行かないでね」と言っていました。
ちなみに僕が中国留学を決意した時も嫌だったそうです。笑
JICAから一次試験合格通知や手紙が届くたびに親から「なにこれ?」と言われながらも、
なんとかごまかしながら結果を自分の部屋で恐る恐る見たりしていました。
親はこの時からJICAについて独自に調べ始め、おそらく青年海外協力隊に応募していることを薄々で感じ取り、協力隊についても調べていたので、合格して意思を伝えた時は思ったほどの反対はなかったです。
協力隊の選考を受けるにあたり、
親や会社に話した方がいいか、という疑問についてはぼく自身はわかりません。
人によっては親子の縁を切ると言われて、不仲になってしまった人や、大揉めする人もいるそうです。特に女性が多いのかな?
「アフリカに行かせるために、今まで育てて来たつもりはない!」
まあ、わからなくはないですけどね。我が子が見ず知らずの日本よりは危険なところへ行くわけですから。
JICAとしては合格後に周りの理解を持ってもらうためにも、理想は選考受ける前からか、遅くとも一次選考通過後には家族と所属先の上司に伝えておくことを推奨、としていますが、個人的には職場の雰囲気に合わせて考えるべきだと思います。
公務員のように協力隊のために休暇を取ることができるのであれば、手続きや話し合いに時間がかかるとおもうので、早めに伝えたほうがいいのかもしれません。
反対に僕の会社のような民間企業の場合は「退職するかもしれない」となった人員へは投資をしなかったり、仕事を割り振らないようにしたりするといった対応があると思います。
これは冷たい、冷たくない、とかではなく、公務員以上に、独立採算性である民間企業はどうしようもないことだと思うのです。
なかなか理性で分かっていながらも、感情としては納得いかないものがありましたが。
そのため、ぼく自身のアドバイスとしては
信頼できそうな上司がいたらアドバイスするのはいいかもしれないが、まだ選考中であれば慎重に考えるべき。
だと思います。
僕の場合は一次選考が通った時点で、社会人2年目のところで登場した外部から来た助っ人の先輩に相談をしました。後から聞くと、彼は冗談だと思っていたそうで、全然本気でとらえていなかったそうです笑
上記にも書きましたが、二次選考が通ってしまったときには本当におびえました。
驚きを通り越して「怯え」です。
PCインストラクターは1人を除いて全員受かっていたので、需要に対して供給が追い付いていないのだと思います。(実際そのような現実らしく、JICA側もPCインストラクターに力を入れて広報しています)
さて、合格をしてからが大変です。
2017年の振り返りでも少しふれましたが、ひたすら神経が磨り減るほど悩みつくしました(笑)最初の選考を受ける前からそういうことは考えておけよ、と思いますが、僕の性格は考えるよりもまず先に動く、人間なのです。
ちなみにこの判断は今でも正しいのかはわかりません。笑
そのあとの動きは上記の月ごとの動きを参考にしてもらえばわかりますが、合格後に家族と職場、友人たちに伝え、1月2月は思い出作りの飲み会や旅行のラッシュで3月から技術補完研修を迎えました。
技術補完研修については下記。
http://noppiano.hatenablog.com/entry/2017/03/23/134807
同期入社の友人と別れること、でとてもとても悩みつくしましたが、最終的には合格したのは運命なので素直に運命に従おうと思いました。
チャンスは自分でつかむものだけど、準備ができた時ではなく、いつでも準備をしておいてチャンスが来た時につかむことが大切だと思ったからです。
今まで小学校~大学、就職までなんとなく多くの日本人が歩むルートを、特に考えもせずに進んできた僕にとっては初めて自分で選択をした、一世一代の大きな決断でした。
この結果が今はまだよかったと思えるかはわかりません。
きっとよかったのでしょう。
そして心から良かった、と言えるようにしていくのも自分次第だと思います。
現在は活動も語学力もうまくいってないですが、なんとか自分なりのカラーを出して言って、充実した活動を過ごせるようにしていきたいです。
つたない文章となりますが、良くも悪くも協力隊の本来の姿を記載していこうと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。
記載してほしいテーマがあれば募集します!