動物と自然の宝庫 マダガスカルへ行ってきた①
こんにちは〜
2週間ほど前までマダガスカルへ任国外旅行と言うことで旅行してきましたので、そのことについて書こうと思います〜!
今回は全体の総評とざっくりした話です!
マダガスカル行く前も1週間吐き気と下痢が止まらなくて家に閉じこもり状態、戻ってきてからも鼻水と咳頭痛が止まらずになかなか活動にも力が入れられず、落ち込んでる今日この頃ですが、記録として残すためにも書いて行きたいと思います〜!
マダガスカルとは
マダガスカルはモザンビークからモザンビーク海峡を挟んだ対岸側にある、世界で4番目に大きな島です。日本の1.6倍の面積があります。
旧フランス植民地で、現在でもフランス語と現地語であるマダガスカル語が共通語として使われています。
脱線しますが、みなさんモザンビークやマラウイなんて聞いたことのなかった国だと思いますが、マダガスカルってなんとなく知ってません??
ぼくも南部アフリカでまたまた知っていた国はマダガスカルと南アフリカだけでした。
南アフリカはアフリカ随一の裕福な国ですし、産業も豊富、ワールドカップもやったくらいなので有名なのはわかりますが、
対して目立たないはずのマダガスカル。
なぜ有名なんでしょう。ふしぎ
きっとマダガスカルという映画のおかげなのかな。ぼくはこの映画知りませんでしたけど。
小さい頃またしまじろうのビデオで、マダガスカルにしか生息しないサル、ワヲキツネザルとか横っ飛びで木と木の間を移動するサルが生息してるという情報を知りました。
小さい頃ながら、いつか行って見たいなあ、と思ってましたが、まさか現実のことになるとは、、、、
とは言っても実際は長年夢に描いてたような感じじゃなかったんですが。毒
話は戻って、マダガスカルはアフリカでも珍しく、その昔アジアから移ってきた人々で、顔つきも東南アジアの人たちに似ていたり、食事もアジアぽいチャーハンのようなものや、やきそば、おかゆのようなものを食べます。
フランスの影響から、フランス料理(特にパン)が普及しており、地方へ行ってもなかなか美味しいクロワッサンやパオデショコラ(チョコを挟んだクロワッサン)を食べることができます。
こんな食事を食べてました〜
モザンビークでは美味しくないクロワッサン🥐、しかも首都でしか食べることができないので、これは本当に偉大ですごいなーと思いました!
旅行者にとっては二重苦のマダガスカル
ことば
マダガスカルの人たちはアフリカでも珍しく、マダガスカル語が一応どこに行っても通じます。(アフリカ諸国は欧米列強が区切った国境で独立しているため、民族がバラバラで現地語が異なることが多い)
そんなことで独立直後はマダガスカル語だけを共通語にしてなんとかやっていこうと頑張ってたみたいですが、やはり法律を作ったり日常で使う言葉にはない言葉を国としてまとめて行く中では必要なようで。
うまく成り立たなかったためフランス語も共通語として制定したみたいですが、モザンビークと異なり超知識人じゃないとフランス語は話せないみたいです。
モザンビークは普通の人でも日常会話くらいのポルトガル語は話せる人が多いので、これは驚くとともにかなーり苦労しました。
なんせ、フランス語もぼんじゅーる、めるしー、あと簡単な数字や簡単なやりとりしか話せないですが、マダガスカル語なんて挨拶すら謎。
英語はまあ通じないですし、ほんと大変です!
ちなみにモザンビークも首都マプト、北部の中心地ナンプラら住んでいるリシンガでは全く違う現地語を話すのでポルトガル語が必須となります。
こうつう
おまけに交通の便も不便で、マダガスカルは島といえどとても大きいので主要な地方にいくために首都アンタナナリボからは飛行機が出ています。
が、国営企業の独占路線なので、めちゃくちゃ高い。
僕は北部の海が綺麗な都市へ行きましたが、そこまでは飛行機だと片道2時間、34,000円くらいかかります。
陸路移動だとだいぶ安く抑えられますが3日かかりました。しかも道がボコボコなのでかなーり移動が大変です。
ずっと陸路だと時間がかかりすぎます。
とはいえ、ずっと点と点を結ぶ飛行機だと観光地しか知らない、味気ないマダガスカル旅行となってしまいます。
陸路移動では現地の人たちが生活しているところを通っていくので、本当のマダガスカルの姿を見ながら旅行することができます。
地球の歩き方にも書いてますが、ここは間をとって、基本は飛行機移動、一部陸路にするのがオススメかなーと思います。
個人的にはその辺のマーケットとか安めの食堂とか、現地民の人の生活の様子は、顔つきが違うだけでモザンビーク人とやってることほぼ一緒だったので対して感動もなかったのですが笑
あ、けどモザンビークにはあんまりいない、牛車で移動する人とか水田とか、いましたわ!
アジアぽい感じ。
やけに牛がとにかくいました。道路うんこまみれ。ヨーロッパの馬車のように、牛にオムツさせないとダメですね。🙅♂️
マダガスカル旅行
さて、今回行った場所ですが、
首都アンタナナリボ、北部のディエゴスアレスの二箇所を拠点に、マダガスカル独特の奇岩のツィンギーや、ワヲキツネザルはじめカメレオンなどの珍しい動物がいる小さなサファリ、世界一小さなカメレオンがいる森や、エメラルドシーと言われるとても美しいビーチがある場所などに行ってきました!
モザンビークと比較してとてもとても物価が安い!外食が安い!そしてお土産がカラフルで可愛い!
首都に観光地もありますが、マダガスカルぽいバオバブやツィンギーや動物たちがいないので、比較的軽めにスルーしてしまう人が多いみたいですが、
首都には首都の楽しさがたくさんあるのでオススメです。
マダガスカルの文化
ちょっとおまけ程度に書きますが、マダガスカルにはとても独特の文化があって、先祖をかなり敬う文化があります。
生前にはお金がなくてボロボロの服を着ていたとしても、亡くなった後は生前につけることのなかったような綺麗な布に包んで、そのまま土葬します。
で、何がすごいかって。
この遺体たちを定期的に墓から先祖全員掘り起こす文化があります。
これは民族によって違うようで、3年に一度行なう民族もあれば、お金がなくて10年に一度しかやらない民族もあるようですが、必ずマダガスカル人が生前に行わなくてはならないイベントのようです。
亡くなった遺体を掘り起こしてどうするのかというと、遺体をつつんでる布をまた綺麗な布でくるみなおすのです。
これで歴代の先祖たちと対面、という意味があるそうですが、僕らが旅行してる際も遺体を布に包んで運んでいる光景を見ました。
土葬なので、中途半端に取り出すと、まあきっと腐ってるんでしょうね。これは僕個人の見解ですが、半年ほど前までマダガスカルではペスト(黒死病)が流行していました。
ヨーロッパで12世紀の中世とかに流行って、人口が4分の1とかになっちゃったっていう、あれです。
このペスト菌を媒介するのがネズミなのですが、この腐った遺体からネズミが湧いて、媒介して、、、って流行しちゃったんじゃないかなーって思いました。
マダガスカルは島なので、地理的に近いにもかかわらず、いろんな点でアフリカ大陸とは異なります。
アフリカで流行ってる文化や病気などはあまり影響しない代わりに、一度島の中で病気が流行ると大変なことになると、同期隊員の人が言っていました。
とはいえ。
これも素敵なマダガスカルの文化なので、もし布に包んだ怪しい物体をマダガスカル訪問時に見かけたら、これがあの文化かなーと思い出して見てください笑笑
言った場所についての内容詳しくは次回のブログで書こうと思います〜
では、あてあ ぷろっしま〜
自主哲学カフェ③ おもふこと
ごぶさたしてます~
実はここ一週間体調不良でした。
と、いうのも、七月は猛烈に寒かったリシンガも8月に入って急に暖かくなり、夜はまだまだ寒いのに、昼間はすさまじいアフリカの日差しということで、体が弱っていたところに、大量に作っておいた鍋を冷蔵庫にも入れず放置しておいて食べたこと
などもろもろが原因でしょうが。
この一週間ひたすら吐いて下痢をして、つらいようなつらくないような
何とも言えない一週間でした。
あんまり体力面でつらさはなかったものの。
最近活動を一生懸命やろうとPCの授業を企画したり、
遠くはるばるリシンガに遊びに来てくれるモザンビーク隊員の人を案内したりなど
やりたいことは盛沢山だったので、結局体調不良によってできずに終了したのはとても残念で、すこしがっくりきています。
全然どうでもいいと思いますけど、ここ一週間の症状は
腸内環境に悪玉菌?がたくさんいる状態だったんだと思います。
ひたすらゲップとおならがでてくるんでてきて、めっちゃ臭かったですw
それでおなかが張ってしまうこと、一人暮らしなので食欲もないのに自分で栄養のなるものを何か作らないといけないこと、が割と大変でした。
おならめっちゃでてくるから、おならしたいんですけど。
ウンチが緩すぎてパンツ4枚&ズボン2枚、ソファカバー1枚汚しましたwwwきたねえ
外出できない連日だったのですが、おまけに携帯電話のプリペイドも切れてしまって、「死んでる説」まで浮上して、少しご迷惑をおかけしました。
けどおかげで?2キロ痩せられたし、とりあえずはよかったのかな。
来週から過酷旅が予想されているマダガスカル旅なので、ここで耐えきれる体をつくりたいです、、、、イボ島再来はいやや・・・
さてー、今日は大したことないのですが、
ちょっとおもったことをサクッと書こうと思います。
最近の後輩隊員さんたちはすばらしいブログの記事を書いてるので、
すごいなーとおもいつつ、それによって書く気がかなり失せている感もありますが、
くだらなくてもどんどんかいてみようとおもいます!
外人にとっては当たり前?① 将来について
先日、住んでいるリシンガ市内にあるヨーグルト屋さんのオーナーの家へ遊びに行ってきました。
このヨーグルト屋さんのオーナー。
オランダ人とコロンビア人の夫婦なのですが、すごくおしゃれでよさげなところに住んでいます。
家に遊びに行った時も、リシンガで過ごしているとは思えないほどの
欧米の食事をごちそうしてくれたり、乗馬させてもらったりしました。
まあ、そのあたりは後輩隊員さんのブログを読んでもらえればよいんですけど、、、
問題はここからです。
午後になって急にゲームをしようってなりました。
TVはないので、なぞなカードゲームです。
この日すでに体調不良で、すでに午後ということもあってわりと死にそうな状態だったので、英語でひたすら話されてゲームの説明を聞くのは勘弁してよって感じだったのですが、その合間に問われました。
「帰国後、なにするの?」
おい、唐突すぎるだろ。
そもそも論、まずそんなに将来のこと考えられてないし、
第二に初対面の見ず知らずのあなたにあんまり話したくないし(後輩隊員さんもいたし)
第三にそんなこと説明できる英語力持ち合わせてないし・・・・
で、パニックでした。
けど、考えてみたら欧米人てこういうの好きな気もする。
意識高い系学生みたいな。
一応自分も大学生の時は意識高い系大学生だった気もしなくはないんだけど
すでに今は冷めすぎていて、どんなかんじだったか思い出せません。
オーナーの彼自身も牛を管理する場所や乳しぼりをする場所、ヨーグルトを作るところを見せてくれながら、
「ここは昔は〇〇だったけど、いまはこう。将来的には△△したいんだ!」
と、あつく、具体的に将来の夢を語っていました。
別に将来どうしたい、とかねえよ
素敵ですね、すごいなあっておもいます。
けど、日本人だから何も考えてないみたいに思われるのも嫌だったし、
後輩隊員さんにもそう思われそうで嫌だったので、
率直に今考えているベースの あさーい将来像をお話ししました。
やっぱポルトガルいきたいよなあ。何したいとかないけど。
なんか謎に最近化粧品関係に興味あります。
別に化粧したくなったとかではないけど、読書ですこし興味湧き出てきました。
ポルトガル支店で化粧品メーカー
完全なる妄想からの憧れ。
外人にとっては当たり前?② 名前について
これはオーナーの家へ向かうときの車の中で繰り広げられました。
「なまえなんていうの?」
「もざの のぴたろう」
「どういういみだ?」
★注:もちろん正式な名前をこたえました。
名前の意味・・・・・・・・・・・
日本でふつうきかれなくないですか。
僕の名前は母がなんか時間をかけてめちゃくちゃ悩んで決めたらしい、
ということはかなり昔に聞いたことがあって、その流れで意味も聞いたことがありました。けどわすれた。
本名ご存知の方だったら、よくわかると思いますが、
僕の名前かなりめずらしいんです。
とくに漢字の配列?
いままで最初からちゃんと読めた人に出会ったことがありません。
ただ、本人の雰囲気とは別に、名前自体はさわやかでいけめん風なかんじなので(笑)
気に入っています。
けど、意味はちゃんと分かっていませんでした。
結論意味は、広い心をもってスケールの大きい人間になってほしい
高い理想をもって大きく羽ばたいて活躍できる人間になってほしい
・・・・。
長い。
そしてこれを英語でもポルトガル語でも意味の説明むりだ・・・(笑)
まあ、名前通りのことを今実現できているかどうかは謎ですが、
改めて自分の名前をネットで調べてみると思いもよらないほど良い結果でした。
今こんなことも調べられるんですね。
名字だけなんか駄目だったけど。そしたら我が先祖みんなだめってことやんw
画数から将来と性格を占うものがあったのですが、
性格の部分ではおもしろいほど自分とあてはまっていました。
https://enamae.net/m/もざの__のぴ太郎#result
たかが名前なのに、それで左右されてしまう性格。すごいですね。
ぼくのばあい自分で見えている性格より他人からの性格のほうが
ちゃんと分析できていそうな気もするので、自己判断ではなんともいえませんが。
自分の名前は基本「吉」と「大吉」しかないのですげーとかおもっていたら、
友人の名前は「大吉」だらけでビビりました。
たしかに奴はもっているひとだとおもいます。
けど、これから海外に行く人&現在海外にいる人は。
将来の話、名前の話くらいはできていおいたほうが話のタネになるのでよいかもしれません。
っていう浅い内容でした~
体調不良だった、一週間ひたすら「花より男子」シリーズのドラマを見ていました。
とてもいいドラマですね。
こんな壮大な大恋愛、だれがしてんだよとかおもいますが、
こんな恋愛できたら幸せですよね~。
後輩隊員さんから
「のっぴ、恋愛してないでしょ。てかする気ないでしょ」
といわれて、割とショック?というか。
そう見えているんだな~そんなつもりはないのに。とおもっていたところだったので。
がんばりたいとおもいます。。。
(なにをだよ)
では、あて あ ぷろっしま~~~
意外な身近な癒しの場所 ~もざぴ日記41〜
こんにちは~~
リシンガは毎日ここ二週間本当に寒いです。
気温的には最低気温10度前後なんですけど、風は強いし、太陽はあまり当たらないで、体感的にとっても寒いんです。アフリカなのに。
しかもこれもアフリカだからかわかりませんが、暖房器具はあまり売ってないし、なかなかリシンガではいい家に住まわせてもらってるんですけど、
隙間風がすごくて、カーテンもゆらゆらしてるんですwww
毎日洗面器にお湯を張って足湯をしてるのに、すぐ冷めるし、あんまりあったりません・・・笑
けど、6月下旬から寒くてつらい日が続いてますが、熱くてつらいよりはまし。
日本の38度とかよりずっと過ごしやすいし、いい場所だなって思ってます。笑
お礼と最近
先日宣言のための記事を書いて、何人からかコメントをもらいました。
ありがとうございます。
おかげさまで、ネガティブだった気持ちはあの日から一切なくなって、不思議とやるしかないというポジティブな気持ちから、毎日を充実させて忙しく過ごしています。
趣味や引き出しを増やすために、リラックスタイムに今まで全然してこなかった漫画を読んだり、ドラマを見たり。
最近だと、風の谷のナウシカの漫画を読んだり、木更津キャッツアイや逃げるは恥だが役に立つのドラマを見たりしてます!
もちろん勉強や料理なんかもしてますよ。笑
恋ダンスにハマってたくせに、実はドラマ(特に恋愛ドラマ)が苦手で全然見たことなかったんですねーwww
けど、ドラマって大事ですね。
恋愛のイロハを教えてくれますね笑笑
なんか結婚したら、両家顔合わせとかあるのとかフツーに知りませんでした。笑
まあ考えてみればわかることだけど。
自分は「お嬢さんをください!」なんていう機会あるのかな〜
前なら確実にないとか思ってましたが。(逃げ恥の星野源てきな発想)
今はなんだか妄想ばかり膨らみます。笑
ひまな時間たくさんあるくせに、なんでこんなに忙しんだよ、とか若干思いますけどwww
さていよいよ今日の本題です。
今まで土日は家に引きこもっていることが多かったのですが、すごくアクティブな新隊員さんが来たこともきっかけになって、最近は土日に何かしらのイベントがあって外に出ていることが多いです。
残り一年をきった、ということもあって、もう一日家に引きこもるのは基本的にやめようと思っている今日この頃です。笑
リシンガでピクニック
昨日はずっとリベンジしたかったリシンガ近くにある湖とその奥にある丘に登って、ピクニックをしてきたので、そのことについて書きたいと思います。
もはや先日記事で書いたかどうかもあんまり覚えてないんですが(笑)
リシンガの町からバイクで30分ほど、徒歩だと1時間半ほどの距離にリシンガの水源となる湖があります。
この湖、リシンガにあるからかもしれませんが、周りは森に囲まれてるし、近くにはヨーグルト屋さんの牧場もあって、モザンビークやアフリカにいるってことを忘れさせてくれるのんびりとしたゆったりとした風景です。
気候も涼しいし、北海道や北欧(いったことないけど)をほうふつとさせてくれるような風景です。個人的に湖マニアなことにドイツの湖+城を見た時に感じてしまったから、こんなに感動したのかもしれないんですけど。
今回、ピクニックすることになったそもそものきっかけは。
先週の平日に新隊員さんからのラインがはじまり。
「湖の奥にある丘にピクニックできる場所あるの知ってる?」
どうやらピースコー(アメリカのボランティア)にきいたようで、そこから話が弾んで新隊員さんとともに丘にのぼって、自分たちで手作りの弁当の準備まですることにしました~笑
やっぱやる時はガッツリやることで楽しさも倍増ですからね。
意外と遠い
湖までは果てしなくバイクで30分くらいということは、以前に来た時にわかっていたので、いざ実際に歩いてみるとまあとおい。
しかも歩いてると涼しい気候とはいえ身体熱くなるし、リシンガは舗装されている部分がかなり少ないので、歩きにくい道が多い。
幸いにも、男二人だったこともあり、湖まではすいすいと進んでたどりつくことができました。問題はそこから。
湖の後の森と山を抜けていくのですが、どう行くかもわからないし手探り状態。
しかも途中で木がめっちゃなぎ倒されてて、道ふさがれてて通れなっており、手分けして道を探すことにしました。
なんでこんなことになってるねん
少しの間お互いの声が聞こえなくなるほど離れてしまって遭難する危機で少しひやひや。
どっちかが崖から落ちちゃったりしてもわからなくなっちゃうわけですし。笑
まあけどそんなこんなで、目指していた丘の教会までたどり着くことができました。
お待ちかねのお昼!!!
とても男2人がやってることとは思えませんwww
けど、空気は綺麗だし、景色は絶景だし、なかなかサイコーです。
お互いが持ってきた、ホットサンドウィッチとポテトサラダ、とりのてりやきを食べて、少しだけのんびりして。
本当にここは景色が絶景です!!
リシンガの町を一望できるし、モザンビークにいることを忘れさせるような森や畑、風を感じながら眺めることができました。
だがしかし、忘れてはいけない。
到着した時点ですでに13:40頃。
ここにたどり着くまでの3時間ほどかかってるわけです。
通ってきた道は人通りの少ない、道や森、湖沿い。
これ暗くなってきちゃうとかなーりまずいわけです。
いま冬だし。日没は17:00と少し早めに計算しておくとなると、
!!!!!
やばい。ようやく頂上にたどり着いたのに、全然ゆっくりしている時間ありません。w
まあ正確に言うと日が沈むのは18時なので大丈夫っちゃ大丈夫なんですけど、
最近ニアサ近くの州で強盗に殺される事件も起きてるわけで、
あんまり暗くなってから外にいるリスクは避けたいわけです。
意外と疲れる過酷な帰り道
名残惜しいのは多々ありましたが、暗くなる前にってことで、14:30頃に降り始めました。
結構な山登りを行きでしてきたし、頂上であまり休めなかったこともあって、二人とも足ががちがちになっていました。
しかも今度は足に負担のかかるくだり坂。
丘ゾーンを乗り越えて、森ゾーンをぬけて、湖を超えたあたりでもうスピードを出して歩けない状態に。
ここまで来ると気合ですね。
モザンビークに来てから、胸を張って頑張って成果を出せたことはあまりできていない状況でしたが、この丘へのピクニックは頑張ったことにカウントしてもいいんじゃないか、と思えるほど大変でした(笑)
けど本当に絶景できれいだし、普段の喧騒やストレスを忘れてただ一心不乱に体を動かすことができたし、僕としては楽しかったかな。
半年に一回?くらい行きたい感じです。(頻度微妙とか言わないで)
ただ遭難とか、クマとか山賊とか出たら嫌なのでひとりじゃいけないですけど。
是非リシンガに来た際は一緒にピクニックをしましょう♪
では、あて あ ぷろっしま~
自主哲学カフェ② 弱い自分を変えるために
こんにちは~
先日も記事を書きましたが、1年が経過しました。
ここ二週間ほど様々な心境の変化があり、毎日葛藤と苦しみを体験していますが、まだまだ悩み足りないと思います。
自分の考えをまとめるために書かせてください。
あまり第三者が読んで楽しい内容ではないと思うので、モザンビークのこと・楽しいことを知りたい方はほかの記事を読んでくださいね~
最近の心境
人生の中でなにかを変えたい、自分と見つめ合って考え直したい、との思いで飛び込んだ青年海外協力隊。
まだまだ至らないことばかりで、モザンビークへの貢献どころか自分が楽しい!と思えたことはまだほとんどないです。
1年もったいない。
けど、楽なほうに楽なほうにと、考えて進んできただけの人生だったのでそのことに気づけただけでも前進でしょうか。
人生楽しむ!!!!!
こちらに来てから、この言葉に合わない過ごし方をしていたので、本来の形に戻りたいと思います!笑
下記にこれから書くことは本当に本当普通の超たわいのないことで、目標なんて大それたものではありません。すみません。
けど、だれからも管理に置かれず、首都からも遠く離れたへき地で暮らしていると、本当に自分しか律する人がおらず、自分の甘さでどんどん堕落していきます。
その堕落具合が自分にもみられましたし、同じ隊員でも現れているなと思います。笑
つよくなる。
しかし、同時にこの2年間。自分を高められる時でもあります。
そのように高めて帰っていた先輩も大勢いて、
今感じていることは「このままではいけない。」というきもちです。
今年1年のテーマとして「つよくなる。」
弱い自分は活動からも、語学からも、任地からも逃げることが多く、自分から主体的に頑張ったことは何もない状況でした。
「孤独で戦ってみる必要がある」
すごく先輩に言われたこの言葉が心に残っており、孤独で戦って弱い自分がどこまで耐えられるか未知数ですが、できるところまでやってみようと思います。
どうすればつよくなれるのか
社会のせいにするつもりはないんですけど、日本人の多く共通する弱さとして「自分で考えて主体的に行動する力」じゃないかなって思います。
元々日本の教育現場でも「これをやりなさい」と提示されて、たんたんと課題を解決していく、よく言えばコツコツと与えられたことをクリアしていくことは得意だと思います。
教育現場より、さらに自分の主体性がなくなったと感じるのは社会人生活です。
私自身の働き方が悪かったのは大いにあるのですが、あまり自分で考えて主体的に動くことはしませんでした。
客が求めているからやる
今これをやらなければいけないから目の前のことを片付ける。
日々目の前のことにとらわれて、日々忙殺されて、深くさらに何をするべきか?何ができるか?ということを考えられずにいました。
結果が今。
この協力隊生活、言ってみれば何をしてもいいわけです。
輝かしく活動を終えて変える先輩たち、やりたいことに向かって輝かしく試行錯誤で苦労しながらもいろいろチャレンジしている同期隊員や周りの地域の隊員たち。
比較するわけではありませんが、自分は何もできていない。
まずは問題分析をする、そしてその課題が見つかればあとは対応していけばいいだけですね。なにが課題か。山ほどあるけど優先順位からつけていかないと。
何をどう頑張るのか
まず自分の気持ちをまとめるために下記4点を意識して考えてみたいと思います。
・活動先、モザンビークのために何ができるのか
・モザンビークに来た自分のために何ができるのか
・周りの日本人のために何ができるのか
・帰国後の自分のために何ができるのか
まず、これからの最低限の生活する上での大きなの目標として下記5点をあげます。
大前提目標
◆生きて元気な姿で日本へ帰る
◆毎日活動に行く
◆任期短縮はしない
◆任地変更はしない
◆後悔しないように全力でやりきる
ココから細かく超個人メモですが書いていきたいと思います~!
活動編
・同僚と会話を楽しむ
→必ず「おはよう」「元気?」以外の会話をする。
「朝ごはん何食べたの?」「今何しているの?」
・週報を作って、やりたいことのプランと一週間の報告
・共有フォルダを作る
・日本のことを伝える
→日本の話をしたり、写真で雰囲気・過ごし方を伝える
→日本の歌、踊りを教える
→日本語、日本の遊びを教える(子供たち対象)
・分科会を充実させる
→9月までに何か文科会らしいことを実施する
・本活動以外のやりたいことも積極的に
➡動画作成、動画編集クラス
➡お隣さんシスターの幼稚園へ音楽授業
➡ポルトガル語の授業
自分編
・自分が「今どうである」、ではなく「どうなりたいか」を大切にする
・パスポートと貴重品の管理
→特に金遣いが荒いので、お金の管理
・日本人に会わなくてもボニートにする
→毎日の身支度と太りすぎないように調整する
・今やれることは今やる
・整理整頓、いつだれが家に来ても平気なようにする
・毎日ポルトガル語の勉強
→単語、リスニング(シャドウィング)、文法
・平日は6時より前に起きて勉強
・アフリカ、モザンビークの知識を深める
・本を読む、引き出しをふやす
→漫画、ドラマ含
・携帯を1時間以上ダラダラといじらない
・帰国後を考える、帰国後への対策
・フィギュアスケートを30分以上見ないようにする(笑)
対人関係編
・モザンビーク人の良いところをみる、尊重する
・気を使いすぎない
・家族、日本の友人、先輩の存在・言葉を大切にする
・ストレスをためすぎない
・自分を負に引っ張る人とは付き合わない
モザンビークに来ないとわからなかったことの一つで、アフリカってどうしても日本人が少ないんですよね。
イコール。
狭い日本人コミュニティがどうしても出来上がってしまうわけです。
ある意味村社会。
噂は一瞬で広まるし、好き・嫌いの感情が誰かしらにあるととても面倒になります(笑)
今は葛藤ばかりで元気!と胸を張って言える状況でもないですが、
帰国後胸を張って帰れるように考えてることを整理して、やれることを着実に挑戦していきたいと思います。
モザンビーク人の食べ物への執着 〜もざぴ日記40〜
今日はモザンビーク人の食べ物への執着心がとてもすごい件について記載したいと思います。
昨日の出来事です。
13:30からニアサ州の州知事と会議がありました。
ゆうて会議という名の、州知事が一方的に演説するような、聴衆がたくさんいる演説会場だと思うのですが、そんなものがありました。
今日は州知事に会う!
今日は外にお出かけする!
と、いうことで同僚たち(特に普段外出できないおばちゃんたち)はうきうき。
いつもはあんまり化粧してないのに、ばっちりメイクして、素敵なワンピースまできて来ているかんじでした。
ぼくとしては内心、
「娯楽もないし、きっとこういうことを楽しみに毎日暮らしてるんだなあ」
と感じ、ぼく自身も普段の職場の感じとは違うし外出を楽しみにしていました。
職場は農業研究所なので、所員の特に研究したり収穫したりする人たちは大体10:00くらいまで畑で働いてあとはもうフリータイムです。笑笑
一応定時が15:30なので、そのあとおしゃべりタイムとかしながらゆっくりと過ごします。
最近ぼく自身がムービー編集にはまっており、以前マラウイ旅行に行った時に友人やマラウイ人を躍らせて編集した恋ダンスを同僚に見せたのです。
すると「わたしもとってー!」
と、ダンスを教えるようにせがまれました。
(もちろん勤務時間中)
それから謎にダンスタイム。
別に知りたくもないのに、モザンビークのダンスも教えられました。
モザンビークのダンスってなかなかえげつないんです。
男女で片足と片足をお互いの股に入れてスリスリし合いながら、お尻をフリフリ。
日本人には特に女性には恥ずかしくてできない芸当だと思います。
元気先日帰国した女性隊員の先輩もそれは恥ずかしくてできなかった、と言ってましたし。
いつも堂々としてて、恥ずかしいこととかなさそうな人なのになあ。
ってノリノリで踊っておきながらも、そこまで仲良くない同僚が来たら、恥ずかしいからって急に踊るのをやめる。
一応モザンビークにも恥ずかしいって概念あるのなwww
話は戻って、かなり。同僚がゼーハー苦しそうにするほど結構ダンスやってたんです。
(同僚がデブってのはあるけど)
で、13:30から会議だ!
とあんなに張り切ってたのに。
「お腹すいたからシマ(主食)つくる!」
というではありませんか。
まあ、ここはモザンビークだし、きっと開始時間遅れること見越してなのかな、とか思って黙って見つめることに。
同僚がご飯を作ってたら、会議に行こうとしていた他の同僚おばちゃんとか太っちょの人とか他の同僚たちも集まるわ、集まる。
会議いけよwww
みんなシマ食べたいから。会議行かないでご飯を待つって。
びびる。
13:00から作り出したので、できたのは14:00。
ようやくお腹も満たされて14:30に出発です。
会場に到着してみると、、、、、、
見事に終了後。
みんなそそくさと帰るときでした。
多分同僚でちゃんと行ってたの結局4〜5人くらい。
続々とシマ食ってたり、職場でお茶したりなにかしてたかで遅れて同僚たちも到着。
おそくねwww
そのときに割とえらいおばちゃん(この人は時間通りに行って、行くときもみんなに声かけてた)が会場から出てきました。
「なんでみんな来なかったのー!?」
まあ、そうなるよね。
挙げ句の果てに同僚が言い訳。
「歩いてたらおくれちゃったー、しかもちゃんと会議に出てたし」
とか二重の嘘を言う始末。
まあ、こういうのはかわいいから全然許すけど。同僚が言い訳を言いながらこっち見てウインクしてきました。おちゃめ。
そもそも全然会議に間に合ってないし、
「歩くのめんどくさいわ」ってなってタクシー捕まえて歩いてすらないじゃんwwwwwwwww
っていうね。
結局もう街の方に帰ってきちゃったし、もう14:30だからって謎にもう解散になりました。
ゆるい。
早く帰れたから青空マーケットで買い物して帰ろうと立ち寄ったら、
いるわいるわほかの同僚たち。
みんな会議に間に合わなかったのか、
そもそも職場に戻る気がなかったのか、
職場に人自体居ないから、もはやさっさと帰ってきたかは謎ですが、
路上で売ってる服とかフルーツを、買ったりしてました。
ぼくもいよいよ冬になって、マーケットに出てきたリシンガ特産!
日本にも負けない大きくて甘い無添加イチゴを買って帰りました!これはリシンガの良いところ🍓
モザンビーク人は自由だなあ。
と、改めて感じた1日でした。
そんな感じでぼくはそこそこ元気に生きています。
モザンビーク1年経過 ~もざぴ日記38〜
日本は梅雨明けしてかなーり暑いようですね
こちらは冬なのに、今日はなぜかとても暑いです。
今回の内容は少し暗い内容なので、お気をつけください笑
ワールドカップ
最近の熱いことといえば、、、!
サッカー!!(僕らしくないコメント)
昨日のワールドカップ。
オフサイドのルールすら知らずに、ほぼルールがわかっていない僕ですが、
新隊員の方に誘っていただいて、リシンガのバーでベルギーVS日本戦を観戦してきました。
ロシアに近いからか、だいだい試合の時差はないんですよね~。
それはモザンビークのよいところ。
これからどんどんモザンビークの良いところを書いていくようにしよう。うん
さて、サッカーは前半が0-0で何とかこらえたという形で休憩。
後半でも日本は2点先取してリードしていたという好戦。。。
いやー、さけびました。
モザンビーク1秘境の州都リシンガで。
周りからすると、このイエローモンキーたちなにを騒いでるんだ、てきなかんじだったでしょうが、モザンビーク人はサッカーの試合で基本国関係なく点数入れば盛り上がってるので、良しとしてもらいたいものです。
今回の試合は誰も興味なさげげだったけどwww
サッカー大好きなモザンビーク人はサッカーに寛容
バーは21時に閉店だったらしく。途中帰るように促されました。
けど「mais um pouco(あとすこしだけ)」といったら、あっさり許してくれました笑
さすがサッカー大好き国民。
なんて言ったて、仕事中でも見てるし、むしろ早く試合のために仕事を切り上げたりするくらいですからね。
昨日も観戦中に何人ものモザンビーク人から連絡が入りました。
「日本調子いいね~」
とか
「日本わーお」
とか。
けど結局www
「ごめんね」とか言われる次第。
今も同僚に昨日「サッカーみた!?」とかいわれました。
本当最後の最後で、けぺーな なおしょーら!
(かわいそう、なくな!)
とか言われる始末。
別にそこまではなってないし!!!笑
最後の最後でかよ――――。せめて延長に持っていってほしかった。
はい、本題に入ります。
本日でモザンビーク2年目
そうなんです。
本日でちょうど一年が経過しました。
何が変わったんでしょうね。、むしろマイナス方向に変わった気もします。笑
ただ一つ気づいたことは自分は強制されたり、忙しい環境のほうが実力を発揮できるな、と感じられたこと。笑 疲れますが。
隊員総会と苦しい最近
先週の水曜日と木曜日で隊員総会がありました。
自分は隊員総会を運営する立場で関わらせてもらいましたが、
運営していたメンバー全員が非常に有能で、頭の回転も速く、機転の利く仕事のできるメンバーだったので、
自分も何とかお手伝いしたい、と頑張って協力するようにしました。
事前の資料準備などは、旅行に行ってたこともあり、あまりお手伝いできませんでしたが。笑
微力ながらもなんとか運営陣の役に立てたことは感じることができ、充実感と最近失っていた自信を取り戻すことができました。
弱い自分と変わらなきゃいけない自分
お世辞にも1年経過して何かが進んだとは言えないこの状況をずっと苦しい、と思っていましたが、どうやらほかの隊員も同じようでした。
仲のいい同期隊員と電話をしたり、
2年経過して帰国直前隊員の隊員生活の様子を聞いて、
つよくなろう。ということを感じました。
どうやら今までの人生、あまり友達はいるほうではなかったと思っていたのですが、
ちゃんと考えてみるとそれなりにいたようです(笑)
帰国直前の先輩にいわれた一言がきっかけで気づきました。
「のっぴは孤独で戦ったことがない、
暖かく優しく迎えてくれる友人のところへすぐ逃げる」
たしかに。
まさにその通り。
当たりすぎてぐうの音も出ません。
孤独で戦う外から来た人間だからこそ、問題点がわかり、新しい視点から解決に繋げられる。
まさにその通り。
孤独って辛いだろうな。
リシンガに派遣されたのはある意味試練で、運命なのかもしれない。
今までは北部に住んでいるにもかかわらずビビるほどの首都の出没率。
往復で3万円ほどかかるし、飛行機で5時間も乗らなきゃいけないのに。
そして仲の良かった先輩たちも帰国したことでようやくどっしりと腰をすえて頑張ってみようかな、と思えた今日この頃です。
孤独で戦える力なんて自分にあるかな。。。
なんて、不安だらけで大変ですが、頑張って乗り切って2年後に強くなった姿を先輩たちに見せたいと思います。
強くなれれば必然的に後悔が残らないように活動やそれ以外のことを充実させていられるはず。
この調子で27年間生きてきたわけで、いきなり変えるって何からどう変えればいいかわからないから本当葛藤と不安だらけの毎日です。
一ついいことは先輩に言われたことで、ある意味吹っ切れて少し強い気持ちをモテていること。
これがいつまで続くのか・・・・動きながら考えていきたいです。
結局モザンビークも日本も変わらない
何が自分の長所なんだろうな。
何ができるんだろうな、、、、。
心が弱いのですぐ逃げてしまうし、軸がぶれぶれの僕ですが、
唯一誇れることとすれば、巻き込む力・・・ですかね。
あと素直さ?この時点で軸ぶれてるなーw
巻き込み力も日本人なら、根回ししたりとかでそこそこうまくできるんですけどね・・・
まあけど結局のところ、日本もモザンビークもそういうところは変わらないんだな、と思いました。
一番の課題
先輩隊員の発表を聞いて、自分に一番不足していた部分は「現状分析・問題発見力」。
けどこれって、結局日本でやっていたことですよね。
考えてみると、僕の営業時代は恵まれていて、あまり現状分析や問題発見をしなくてもそこそこ受注が取れていたんですよねwww
と、いうわけでこれが一番の課題だなと再発見することができました。
どうやればこの力身に着くかなあ。
よく見る日本の夢。これはお告げ?
そんなこんなであと一年。まだあと一年。もうあと一年。
分かりませんが、今日夢で日本に帰国してて、
「うわー、結局もう帰国か。いろいろやれなかったー」
って夢を見ました。
日本に帰れるのはうれしいですが、それ以上の後悔を一生背負っていきそうな。
後悔はしたくない。
もはや現地人が何を望んでいるのか謎ですが、手あたり次第やれること、やりたいことを実行にうつしながら残りの一年全力を出していきたいと思います。
先輩から言われて心に残ったことば、
「苦労するためにこっちにきているのだから、苦労しないのでは意味がない」
確かにその通り。
つよくなります。
では、また次回~
気が向けば最近の旅行についても書こうと思いましたが、まあ気が向かない。笑
世界の果てまで行ってP 〜マラウイ編Ⅳ〜
長かったマラウイ編もようやく終盤です〜
読んでるみなさんも大変だと思いますが、書いてるのもなかなか大変なんですよう〜笑
さて続き行きます!
◼︎7日目 同期宅 → ムズズ → リロングウェイ
弾丸陸路移動でも、朝から元気なマラウイさん
本日は弾丸で、行きは2日かけてきた道のりを1日で戻ります。
と、いうわけでまだ夜も明けきらない早朝からスタート。
ウォッチマンに車を呼んでおいてもらいました。僕とナミビアくんはだいぶギリギリまで寝ていたせいで、起きたときにナミビアくんはウォッチマンに「おせえ」って文句言われたみたいです。
僕は何も言われず。
マラウイさんはビビるような早起きをして、まさかの朝ごはんを準備してくれていました。笑
愛情たっぷりのアボカドと玉ねぎのサンドウィッチ。
朝ごはんもあるヨ!!
って車の中で言われた時はかなり衝撃を受けました。
朝強いってまだ朝でもない時間から、、、、
しかも四時前にお腹が空いて、彼女は自分のサンドウィッチを半分食べてしまったらしいです。笑笑 すごすぎる。
僕はふつうに7時ごろ車の中でお腹空いて食べましたが、ナミビアくんはリロングウェイ着くギリギリまでお腹空かなかったようで、10時ごろにサンドウィッチを食べていました。
アフリカで初めてのヒッチハイク
話は変わりますが、マラウイではヒッチハイクという移動手段があります。
もちろんJICAとしては規定違反なので乗ることはできません。。
ところで、、、
ヒッチハイクと聞くとビビりませんか?
僕はビビりました。
過去に一度だけ台湾でどうしても乗りたい船に間に合わなそうだったので、ヒッチハイクで捕まえた車に乗ったことはありましたが、、、
オーストラリアでヒッチハイクした女性が殺される、、、とかの事件があったような気も来たし内心結構やだなあ、とか思ってたんです。
ところがどっこい。
こちらのヒッチハイクスタイルは少し違うみたいです。
ヒッチハイクするってなった時に、街の中で決まったヒッチポイントと呼ばれる、多分仕事ない人が勝手に車を持ち寄ってる場所的な場所があって、
そこで適当に人数を集めて行き先へ向かうのです。
ゆってみるなら、シェアタクシーの許可なく勝手に営業しちゃってますバージョン?
いつか個人できたときに乗りたいと思います〜
マラウイの警察とモザンビークの警察
ヒッチハイクのスタイルにもなかなかびっくりしましたが、
モザンビークとの違いで1番驚いたことがこちらマラウイであります。
警察がちゃんと働いているのです。
警察がちゃんと機能している。
ポイントポイントで検問があり、車を止めて警察がチェックするのですが、
モザンビークだと検問はほぼいちゃもんをつけて賄賂をもらうためにあるのです。
話はだいぶ遡って、一人でミニバスに乗ってモザンビークからリロングウェイに向かってる時も、止められました。
内心「あー嫌だなあ、英語で警察と戦わなきゃいけないのかあ」とか思ってました、、
そしたら、マラウイの警察は車検のチェックや、公共交通機関としての届け出を出してるかチェックして僕には手を振って来て、「良い旅を」なんていうではありませんか。
もうこれには感動しました。
そしていかにモザンビークの警察が腐っているかも実感した場面でしたが。
リロングウェイ行くときに見かけましたが、ヒッチーの車が警察に止められてました。。
流石にこれは勝手に営業しちゃってるわけで、公共交通機関の証明がないから、出発するのにかなり時間を要しました。
結論、金で解決したみたいです。笑
早く賄賂渡して出発しろよって他の客たちがだいぶ騒いだ後でようやくお金を渡してたので、
この運転手、だいぶ金にがめつかったのでしょう。
マラウイさんのつき抜けた天然さ
リロングウェイについてからはお土産屋さんに行ったり、おいしく中華料理を頂いたりしました。
なんとリロングウェイには、出前一丁があったのです!!先進国すげえ
この日の宿はマディディというリロングウェイでもおしゃれな宿だったのですが、
少し街中から離れているので、一度チェックインして荷物を預けてからリロングウェイ散策をするか、そのまま散策しちゃうか・・・って迷うことになりました。
まあここまではよくあるやつで。
で、マラウイ隊員のドミトリーがすぐ近くにあるので、マラウイさんが荷物を置きに行くということで・・・
最初は昼食のあと一度荷物を置きに行こうとなったんです。
外部者はドミトリーには入れないので、外で待つことになるのですが。
けど、ドミトリーの近くまで来た時に天然マラウイ隊員さん。
「やっぱり盗まれたりとかしたら困るから、チェックインしにいっちゃお~」
まあ、それならそれでよいんです。
とりあえずマラウイのお金が底をつき始めていたので、お金を換金してからホテルへ向かうことに。
換金するところまで、ドミトリーから約10分。
換金も無事終わり。
さて、宿にチェックインして重たい荷物から解放されるのか~~と思っていたのもつかの間。
気分が変わったらしいマラウイさんからひと言。
マラウイさん:「やっぱドミトリーに荷物おこっか」
ナミビア君とぼく:「・・・・・・・・。」
この前のお土産屋さんをみるのとか、ランチのために中華料理屋さんに行くときもこのでかいリュックもってさんざん移動した後なのに・・・・
怒りは全くなかったです。笑
あったのはわらいだけ。
ナミビア君とぼくの無言で一瞬見つめ合って、何も言わずともお互いの思っていることを理解しました。
そして・・・
「よし、じゃあドミトリーへ行こう!」となったわけです。
ここで普通終わるでしょう。
終わりません。
ドミトリーへ向かう途中、、、
「やっぱりドミいかないで、チェックインしちゃおうか」
とかいいだすんです。笑
本人もそのほうがよかれと思って言っているし、それが彼女の良いところなので、
もはやまたそれが笑えてきますwww
最終的には
「あ、てかたくさん歩かせちゃったね。この来た道無駄だったね~~」
あなたがいっちゃだめでしょwwww
と三人で大爆笑。
それは僕らは内心思っていたけど、もうドミに荷物をおこう、と決めた時点で
もう二度手間になることはわかりきっていたことだったんです。
やーおもしろい。
ちなみにこの大荷物あとで空港ではかったとき、約20キロありました。
ぼくはいつも大荷物なので、重くさせてるのが悪いのですが。
これをもってぶらついていていたせいでだいぶ体力は消耗しました。
リロングウェイ市内観光
そんなこんなで荷物を置かせてもらって、
リロングウェイ市内めぐり。
同期のほかの男性隊員も合流です。
この人、僕自身がすこーしだけ苦手な人だったので、
内心「まじかよー」
とかおもいながらwww
ナミビア君と小声で「どうする!?」とかいいながら後ろを歩いてついて言ってましたwww
マラウイにもモザンビークと同じような伝統布(チテンジ)があるのですが、
彼の案内でチテンジのたくさんあるお店に連れて行ってもらったり。
けど、訓練所時代とは違った、彼の一面を見ることができました。
みんなで虫を食べたりまったり楽しく過ごしました〜(僕は食べず)
先日日本からマラウイに来た日本人を案内したときに、一番ショッキングな光景だった、ととてもインパクトがあったらしい貧民街にも行ってみました。
そこへ行くには、モザンビークでもあるような小汚いマーケットを抜けます。
マラウイ独特な一列にずらーっと人が立ってものを売っている光景もありました。
その先に衝撃的な橋があります。
本当にただそこらへんに捨てられている材木集めて橋を作りました、という感じで、
ちょっと底が見える・・・とかじゃないんです。
もう丸見えでした。
ボケっと前見て歩いてたら確実に落ちます。笑
別に橋はすごく高いところに立っているわけではないんですが、下を流れている川が強烈でした。
異様な異臭を放ってもはや下水。
ゴミは異常に流れてるし。
お金のない人が多摩川の河川敷のように木みたいなのでテントを立てていました。
まあそれが観光名所になっているからかか知らないんですが、このぼろ橋のために入場料をとるんです。
まじでいやらしいw
それならちゃんと修繕しろよという感じなのですが。
たしかにモザンビークにもない、なかなか衝撃の光景でした。
お金のない人は靴を売っている?のか、その汚い川で靴を洗っていました。
対岸側は旧市街地。
橋の対岸にも市場地帯は終ってもまだ服などが売っており、結構スーツなども売っていました。
だいたい「わーこれいいな!」って思う質やデザインのものは日本から来たものでした。
ばっちりスーツの裏のところに名前が刺繍されていますwww
きっとクリーニングで引き取りに来なかったりしたやつなんだろうなー。
中古なはずなのに、とてもとてもきれいな状態でした。
あまりにも暇でリロングウェイで一番広い中国商店にも行きましたwww
たしかにモザンビークより大きかったけど、品ぞろえはいまいち・・・
この日は欲しかったごま油や中華スープの素などもありませんでした。
夜ご飯はまたまた韓国料理。
今回はマラウイの中でもおいしいといわれるホテル近くの韓国料理屋さん。
確かにおいしかった!そしてお店のオンマ(おかあさん)が本当にかわいくて、
親切で。
料理以上にホスピタリティに感動しました。
これはアジア人独独のやつですね。
そしてこのレストランで会ってはいけないはずの人と会いましたwww
女の子を連れて・・・
彼、任期短縮したはずなんだけどなあ。。笑
その晩は少し市街地から離れたマディディロッジ。
たしかに初日に泊まったコリアンガーデンとは打って変わって内装もきれい。
すこーしなんか昭和感というか古臭かったけど。
途中でシャワーでなくなって、泡だらけの状態をタオルでふく羽目になったけど、
ナミビア君と二人で南ア製ワインを堪能して楽しい夜を過ごしました♪
■8日目 リロングウェイ
この日はマラウイ隊員さんはドミトリーに泊まるため、今まで3人で同じ部屋に宿泊していましたが、今日はいつもの「オハヨー」が聞けないから寂しいね。
と、朝7時頃に起きてそんな会話。
すると突然、外で何か物音が・・・
「まさかもうホテルに来てるわけないよな~」とか二人で笑いながら、
外を見てみると・・・・
「オハヨオハヨー!!!!!!!」
もう悲鳴上げましたねwww
朝なのにホラー。
昨日の夜にドミトリーに泊まるマラウイ隊員さんに洗濯をお願いして、
朝届けに来るよーということでしたが、まさかこんなに朝早く来るとは。
てか、よく部屋知ってたな、という感じで。www
ゆったりと三人で朝食をとってから、
(マラウイさんはもちろん朝食代を払っていました)
月に一回開かれるという、ファーマーズマーケットへ行ってきました。
これはマラウイに住む白人起業家さんたちが、マラウイの伝統布を使って作った小物や服などを持ち寄って開かれるマーケットなのですが。
これがすごかった!!!!
モザンビークでもやってほしい!!!
さすが白人さん。
購買意欲をそそるようなかわいらしいものがたくさんあります!しかもモザンビークより質が良くて、かわいくてやすい!!!!
もう言うことなし。
本当英語圏の白人さんたちはすごい!!w
ただもう予算オーバーだったのと、すでに持っているものが欲しいものだったので・・・
我慢しました。w
このモザンビーク生活で何が身についたかといわれれば・・・
少しだけ我慢することですかねww
そんなこんなでお昼すぎにビクトリアフォールズへ向かう飛行機があるので、
マラウイ隊員さんともお別れです。
写真を撮ってタクシーに乗り込んだ後、ぼくらはずっと見てたのに、
意外と彼女はすぐにすたすたと立ち去っていましたwww
やっぱこういう時名残惜しいのは男のほうなんでしょうね。
そんなこんなでマラウイ旅はおしまいです~
次回はザンビア旅について!!