もざぴ日記29 ~モザンビークの小学校~活動見学①
先日からマプト、イニャンバネへオリンピック観戦と、先輩隊員の活動見学のため訪問してきました。
下記、活動見学の内容について記載します。
活動内容について(青少年活動)
首都マプトにある小学校で、小学校6,7年生の音楽と体育の授業を担当している先輩隊員の活動を見学してきました。
6,7年生というと、日本でいう12歳ごろに当たりますが、こちらは進級にあたり、試験をクリアしなければならないため、体の小さい子もいれば、結構大きい子もいました。
一般的に、体の小さい子のほうが順調に試験をクリアしているので、
機転が利いて頭が良い子が多かったように感じます。
大きい子は・・・少しゆっくり目に物事を進める印象でした。
生徒の人数と点呼の取り方
授業内容についても驚きましたが(後述)
何よりも生徒の人数と出席の取り方にびっくりしました。
まず先生一人に対して、生徒が80人もいます。
そのため一つの机に対して3人がぎゅうぎゅう詰めで座っています。
そして中には座れない子もいて、床に座り込んでいる子たちもいました。
一番衝撃は出席の取り方です。
見た感じだと8割~9割の生徒はちゃんと出席しているように見えましたが、
先生が出席の点呼をとるときに名前を呼ばずに出席番号のみで呼びます。
なんか囚人みたいじゃないですか(笑)
おまけに呼ばれて1秒~2秒で答えないと、欠席扱いにされるのです。
本当にひどい。ww
なかには友達とおしゃべりに夢中になってすぐに返事ができない子や、
ぼけっとしていて返事が遅くなる子もいて、
4~5秒して遅れて返事すると先生が舌打ちをして、「もう遅い」ということで、
欠席にしてしまうのです。
なんなんでしょう。
このいい加減さというか、職権乱用で支配してる感というか。
今まで日本でもこんなクソな人間が学校で生徒を指導しているのか、と驚いた人はいましたが。
なかなかこの出欠の取り方ひとつでモザンビークの先生の権力を垣間見た気がします。
僕が小学生だったときはひたすら隣の席の友人としゃべっている子供で、先生の言うことなどほぼ聞いていなかったので。
僕がモザンビーク人であれば結構な回数で出欠をスルーされていたことでしょう。
欠席回数が多くて進級できなかったかも・・・・(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
音楽の授業
最初に見学させてもらったのは、音楽です。
約2時間ほどぶっ続けの授業です。
さて、最初に先輩ボランティアが担当の先生(一緒に活動してくれるモザンビーク人のことをカウンターパートという)
に「音楽の授業の導入をしてください」と、
頼んだところ、音楽の理論ということで淡々と話をしていました。
おそらくモザンビークの音楽の授業とはこうなのでしょう。
ひたすら理論を呼び上げて、生徒がノートにとり、暗記する。
日本以上の詰め込み教育です。
先輩ボランティアの活動
これでは音楽の楽しさを知ることができません。
もやもやしていたところに先輩ボランティアが授業をする番が回ってきて、
「幸せなら手を叩こう」のポルトガル語版と日本語版を歌う授業が始まりました。
机の縦1列1組として、4組に分かれて立ってポルトガル語と日本語で「幸せなら手を叩こう」を歌いながら、一緒に手拍子をとっていました。
日本語での歌詞が難しかったようで、ちゃんと歌うことができずに、ところどころモゴモゴしたりしていましたが、
日本の小学生のように楽しそうに歌を歌って、リズムに合わせて手を叩いている姿が印象的でした。
音楽はこうでないと。
僕が印象に残ったのは一番最後に歌った1組がたまたま女子が多かったのか、
しっかりした子が多かったからかはわかりませんが、
一番ちゃんと歌えている人が多かったです。
そのため先輩ボランティアがほめていたのですが、なかなか先生から褒められることが少ないのでしょう。
少し照れながらもうれしそうにしている姿がとてもかわいかったです。
やはり子供は素直でよいですね。
どこにでもいる悪ガキ
2組目の後ろに悪ガキが3人座っており、ずっと見ていてもしゃべってばかりで、
歌う順番になってもちっとも歌っていませんでした。
特に真ん中に座っていたたぶん一番悪ガキ(そしてクラスで一番小さい)は途中から立つように指示されたときに机に潜り込んで、
隠れて歌わないでサボる、ということをしていました。
けど大体こういう子供ってパワーがあるんだよなって思ったり。
こういうときのようによくない(サボる)方向へ引きずることもあるけど、
この子をうまく扱えばよいほうにほかの生徒も引きずられる。
僕は先生でも何でもありませんが、なんとなくこいつを抑えれば
うまくいくな的な動物の勘が出てきました(笑)
そこで、先輩隊員の活動だから自由に教室を動き回るのは悪いと思いつつ、
悪ガキのそばに行って、座ってみました。
やはり近くに行くとふざけられないと思って、ちゃんと歌いだします。
そしてこういうやつは大体声もでかいし、何事もうまくでうまくできるものですwww
日本も世界も同じですね。
彼も歌わせてみるとちゃんとできるし、他の生徒が詰まってしまうような日本語の難しい歌詞もちゃんと歌えていました。
そのあとすぐに授業が終了してしまったので、彼から派生させたいい効果を持って、みんなでちゃんと歌うことはできませんでしたが、
そのあとで「やればできるじゃん、うまいね!」といったらどや顔をしていました。
きっと小学校の先生はこういう子供のキャラクターをうまくとらえて、
うまーくコントロール取れる人が慕われるし、うまく授業ができるのだな、と実感しました。
体育の授業
そのあとは体育です。
僕が小学生の時は異常に教室が余っている学校だったこともあり、男子と女子で教室を分かれて着替えていました。
一番若くて12歳、ということは男子は成長が遅くてまだまだ子供ちゃんな感じですが、
女子は多感になりだす頃ですよね。
そんな年ごろにもかかわらず、まだぼくが教室にいるときからおもむろに着替え始めていました。
逆にこっちがはずかしいわ!w
男子は教室がないからかおもむろに外で着替えだす。
たくましすぎる。なかには外で着替えている女の子の強者もいました。
もはや公共わいせつやん。そんなことを考えるほうがエロなのか。。。(反省)
体育の授業は近くの空き地へ出かけます。
※右から二番目の子供のリュック。
外国あるあるのおかしな日本語。
先輩ボランティアによると、彼らは6年生になるまで体育を実践としてやったことがなかったそう。
進級のための学力テストに向けて、詰め込み授業をするのだとか。
体育の詰め込み授業とか、音楽と同じように本来の楽しさがわからないから、
子供にとっては本当にかわいそうです。
体育着はそんなに大事?
体育の授業に参加するためには、体育着に着替えなくてはならないようです。
単に忘れただけなのか、お金がなくて体育着を買えないのかは不明ですが、
制服のまま授業に参加しようとしたり、上半身は体育着だけど下半身は制服ズボンにもかかわらず、
丈をおって半ズボンのように見せて参加しようとしている生徒もいました。
学校のルールで制服での参加は禁止されているようで、先生や先輩ボランティアに放り出されていました。
ルールがルールなので、意見としてなんとも言えないところですが、ただ体育着を忘れただけだったことを願いたいです。
日本も体育着忘れたら参加できなかったっけ。
走るのが嫌いなモザンビーク人
体育の内容は日本のようにドッジボールをしたり、バスケットボールをしたりはせずに、
この日はひたすら走らされていました。
しかし、モザンビーク人の大人はめったに走らないことから象徴されますが、
モザンビーク人は走るのが嫌いです。おそらく。
最初先生先導で生徒が一列になって、走るコースはここだよ、ということで
グランドを一周ぐるっと歩いて回った後を走ります。
しかし、だんだんその円が小さくなってくる。笑
日本のようにカラーポーンを立てたりしないので、はっきりとこの外側を走りなさい、
という指標がないので、どんどん子供たちがショートカットをして、円を小さくしようとするのです。
おまけにこの日は天候がかなり良く、日差しがかなりかったです。
そのためぼくは日傘をさして、生徒がショートカットをしないように四隅に立って、外側を走るように指導していたのですが、
僕の傘の日陰に入ってすぐに休もうとするわ、先生や日本人二人が見てないと思ったらすぐに
歩こうとするわ。
「せんせい~。もう~つかれた~やすみたいいいい」
とかいいながらはしるわで。
なんか笑えましたwww
自分も小学生の時こんなだったったけ。笑
たしかかなりのヘタレではあったはず。
それを15分?ほどしたあとは4組ごとの列にならばせて、順番に走るリレーのようなことをしていました。
※分かりにくいですが、列の周りを走っているのがリレーの走者。列の周りを三周して、次の人へバトンタッチです。
こちらは走るのが嫌いなモザンビーク人でも競争がかかっているので、すごい盛り上がって楽しそうにやっていました。
やはり子供にはだらだらではなく、ゲーム性を取り入れないとだめですね。
先輩ボランティアのカウンターパートも専門は体育のようで、自信をもってしっかりと指導に取り組んでいるのを見て、
音楽の時の適当さでいつも接しているわけではないと知って、少し安心しました。
最初はぼくに警戒して全然話しかけてきてくれなかった子供たちも、リレーの途中では徐々に話しかけてきたり、近づいてきてくれたりしてくれて。
やっぱり子供はかわいいなあ。
自分も子供たちと一緒だったらたのしいのになあ、なんてかんがえてたりしました。笑
音楽の授業の時の例の悪ガキは、例にもれず運動神経抜群なようで、走るときは軽やかそうに余裕そうにしていたので、ちょっといじったらよろこんでいました。笑
自分はそんな悪ガキじゃなかったはずだけど、なんとなく本能的にこういうやつの扱い方がわかる。笑
そんなこんなで、8時に始まった授業は11:20ごろに終了し、
グランドで自由解散となりました。
日本のようにクラスに戻ってホームルームして、帰宅とかではないので少し驚きましたが、
そのほうがすぐに家に帰れるし、先生も生徒も自由な時間ができるからいいんですかね。
日本人のぼくからすると最後の締めがないのは少し物足りない気がしました。。。
と、モザンビークの小学校はこのような状況でした。
この内容だけで結構なボリューミーになってしまったので、残りの3つの活動についてはまた次回。。
ではあて あ ぷろっしま〜〜!
★一周年記念のお礼★ モザンビークの軽井沢へ行ってみた(もざぴ日記28)
題名の通り、本日で無事本ブログが一周年を迎えることができました。
考えてみれば一年前は会社の退職日で本当にバタバタした一日から始まり、そこからの一年はとてもバタバタ一年となりました。
まだ昨年はブログの書き方すら分からず、「ブログ 書き方」でググりながらも、
結局うまく書けず退職日に会社の方々や友人へブログ開設の告知をするために、ババっと書いたのを覚えています。
昨年は2/28に会社を退職し、3/3からPCインストラクターの技術補完研修が始まりました。
そう考えると、自分が青年海外協力隊として訓練が始まってから一年が経過したこととなります、、、!本当に月日が経つのは早いです。
一年前と比べて変化したことといえば、料理が少しだけ出来るようになったことと、
日本の中学生英語レベルの拙い、日常会話ポルトガル語が出来るようになったくらいですが、
少し協力隊としての任期の終わりが見え始めて来たことによって、
活動や語学学習の質を高めないと、どんどん後輩たちに追い抜かされる恐怖に悩まれています。
いつも長文になってしまう本ブログを、いつもご愛読頂きまして、有難うございます。
出来るだけ週に一度のペースでアップしていこうと思いますので、ぜひ通勤中の電車やお風呂など暇な時にこのぶっちゃけまくりの暴言ブログを読んでいただけますと幸いです。
他にも「こんなこと書いてよ」や、「こういう書き方の方がわかりやすい」、などご意見ありましたらどんどん募集します!
モザンビークの軽井沢 Namaachaへ行ってみた
さて。本日はモザンビークの軽井沢である、ナマーシャという場所へ行って来ました。
行き方について
行き方は首都マプトの中心地から、公共の乗り合いバスで長距離乗り合いバス場まで30〜45分ほど。
長距離乗り合いバス停から、乗り合いバスで1時間半ほどです。
ナマーシャという街
ナマーシャはマプトのお金持ちやポルトガル人を始めとする白人富裕層の避暑地となっており、日本でいう軽井沢のような街です。
そして、ポルトガル人が早くから入植していた数少ないモザンビークの土地の一つです。
涼しい気候だけでなく、自然や家並みも美しく、リトルヨーロッパとも呼ばれています。
元々、隣国のスワジランドの土地だったのをいい土地なことを目をつけたポルトガル人を土地を入植したようです。
現在は首都となっているマプトや港から二時間ほどのため、モノの入手や利便性はもとより、
涼しい気候を生かしたイチゴやブドウの果物の栽培や、手付かずの自然が残る美しい森林や滝が見所です。
ナマーシャの人々
マプトから二時間も離れていることもあり、人々は親しみやすく温厚で、マプトのように売り子の人が売りつけて来たり、騙して来たりする雰囲気は全くありません。
街を散策していると親しげにモザンビークひとたちが話しかけて来るので、のんびりお喋りしながらブラブラ散歩するのはオススメです。
観光スポット
教会
ナマーシャには、ポルトガルで聖母マリアが出現したことを記念する教会があります。
年に一度聖地巡礼ということで、モザンビーク内や外国からも多くの人が集まります。10月ごろのようです。
カトリックにしては内装はいたってシンプルで、イギリスの教会のように感じました。
毎日夜18:00からお祈りをしているので30分ほど参加することも可能です。
可愛い街並みの別荘群
主にナマーシャは中央市場がある下町地域と、教会・警察署・別荘群がある丘の地域があります。特に丘の地域が見どころです。
※写真は下町地域にあるポルトガル建築の中学校。
下町地域から続くメインストリートから外れて、教会側に入った奥の道を進むと上記写真のような可愛い別荘地帯が現れます。
モザンビーク大統領の別荘もあり、ポルトガル人が作ったプールも残されています。
ポルトガル時代に多く作られたため、一部廃墟となっている家もありますが、大半はお金持ちが庭師などを雇っている場合が多く、
観光地のイニャンバネや世界遺産のモザンビーク島よりも綺麗な状態で建っている家が多いです。
スワジランドとの国境
元々スワジランドの土地だったこともあり、街の中心部から30分ほど歩くと、スワジランドへの国境があります。
スワジランドは物価が安いこと、治安が良いことで知られ、モザンビーク人(特に富裕層)はよく買い物はスワジランド🇸🇿へ行くことが多いそうです。
上記門の中がイミグレーションの施設となっていますが、中の警備員に言えば中に入り、国境線の直前まで行くことができます。
別に何があるわけではありませんが、目の前に陸続きの外国があるという日本にはない体験は少し興奮を覚えます。
ショップライト
ショップライトと呼ばれる市場が水曜日と土曜日に開催されます。
南ア系スーパーのSHOPRITEとは別です。
主に衣類や靴、モザンビーク伝統布のカプラナや、新鮮な野菜などが売っており、メルカドセントラル(中央市場)より品揃えが良く、観光にはオススメです。
ちなみにこちらで販売されているカプラナはほとんどがマプトから持ってきているもので、一部スワジランドのものもありますが、デザインがなかなかです。笑
※上段がスワジランドの伝統布。
宿泊施設について
中規模のホテルがあり、宿泊が可能です。
警察署の付近にあり、場所は下町地区から上がったところで、ちょうど丘の地域の入り口です。観光に非常に便利な場所です。
マプトから2時間かかることもあり、ゆっくりと散策するのであれば、一泊二日がゆっくりリラックスができてオススメです。
早朝の森に響き渡る鳥の声と共に静かで心地よい気候の朝を迎えれば、アフリカのモザンビークにいることなんて忘れられるでしょう。
ナマーシャへ来た目的
さて、今回ナマーシャにきた目的は観光の他に、先輩隊員の活動(PCインストラクター)見学です。
活動見学については、次回記載したいと思います。
一年経ってもまだまだ未熟な点はありますが、
これからも一生懸命ブログを記載していきますので、本ブログを何卒、宜しくお願い致します!!
もざぴ日記27 〜モザンビークで冬季オリンピック観戦〜
ご無沙汰しています。
昨日まで平昌オリンピックが開催されており、日本勢も多くのメダルを取りましたね。
昨日無事に閉会式が行われ、無事に終了しました。できることなら日本にいたなら、直接観戦に行きたかったー!!!!!
以前のブログにも記載した通り、私はフィギュアスケートが大好きです。
四年に一度の非常に重要なイベントにもかかわらず、いつも住んでいる任地のリシンガでは、オリンピックの観戦がネットでの観戦しかできない&一緒に観戦する人がいない、ということで。
これは首都へ行くしかない!!!
かなーり思い切って、オリンピックを見るためだけに、首都マプトまで飛行機で4時間と25,000円程かけて行ってきました。
にしても、モザンビーク航空。
本当高いです。
モザンビーク航空は国内の市場を独占しているため、高くても乗らざるを得ないのです。
これは問題、ということで政府から呼びかけて、海外の格安航空会社が二社ほど参入するみたいなのですが、まだまだ値段は下がりません。
先輩隊員によると、1割ほど値段が下がったようですが。
もっというとぼくの任地がど田舎なこともあるかも知れないのですが、大体登り便も下り便もガラガラです。
空席が目立ちます。
許せないのは値段が高いだけでは足りません。
まず任地リシンガからの便は首都マプトへ直行便がありません。
必ず何処かを経由していかなければならず、かなーりめんどくさいです。
おまけに毎日運行してない。
しかも時間を守らないで1時間2時間ふつうに遅れたり、急に欠航になったりします。
もっというと、国内線なのに食事謎に出るのはよいのですが、クソまずいです。
それなら航空運賃安くして欲しいですね。
アフリカの航空会社は南ア航空やエチオピア航空、エジプト航空?のように大手でなければきっとどこもこんな感じだと思います。
日本の感覚だとびっくりなことばかりです。空港で賄賂せびられるのはよくあることだし。
こんな不快を感じながらも首都へ。
フィギュアスケートの男子ショート・フリー、女子ショート・フリーの日程に合わせて出てきました。
結果はご存知の通り、男子の羽生選手が金メダル、宇野選手が銀メダル、女子の宮原選手が4位、坂本選手が6位という素晴らしい。いや素晴らしすぎる結果でした。
もちろん男子の成績は本当に素晴らしかったです。女子もメダルが取れると期待していただけにあと一歩で本当に本当に悔しかったですが、非常に健闘したと思います。
オリンピックの大舞台であそこまでの演技ができるのは本当にすごい!!
そんなオリンピックどうこうよりも。
多分みなさんが気になるのは、アフリカでモザンビークのような雪が降らない国でオリンピック観戦できるの!?関心あるの?ってことですよね。
まず、モザンビーク人は冬季オリンピックの開催を知らないです笑 テレビの契約を友人がしに行った時に「は?ナニソレオイシイノ?」的な反応だったそうです。笑
ましてや、夏季オリンピックでさえほぼ無視する国です。どうやってオリンピックの観戦するの!?って感じですよね。
答えは少し上にも書きましたが、
実はそんなオリンピック興味なしなモザンビークもテレビの契約をすればオリンピックを観戦することができます。
南アフリカのスポーツ番組が南部アフリカの色んな国へ配信しているみたいです。
我が家にはテレビもアンテナもなかったので、JICA専門家の方のお宅と同期隊員のテレビのある家にお邪魔しました。
あの感動的な歴史的な瞬間に立ち会えて本当に良かった、、、号泣
これだけでもきた甲斐がありました。
ちなみにテレビの契約はなんとなんと。月に8,000円程もかかります。や、これだけあれば普通に一ヶ月暮らせる。
どんだけ高額のプラン契約させるんや💢
モザンビーク人も見るような番組であれば、1,200円程から契約することもできるのですが、なぜかオリンピックを見るためには大金を払わなければならず、なかなかの出費で痛手でした、、。
と、いうわけで!
これからの隊員の方で東京オリンピックが見たい方はモザンビークでも見れます!!
自分で高額支払うか、誰かの家にお邪魔することになりますが、、、、笑
東京オリンピックは日本人として見たいですもんね!
ちなみに、ネットのライブ配信に関してはうまく見れませんでした。
と、いうのも。必死でいろんな配信元を探しま、いくつか日本やアメリカなど欧米のテレビ局がやっているようでしたが、モザンビークは配信対象外、ということで観戦ができませんでした。まじでざこい。
またネットも遅いのでスポーツ観戦のような繊細な観戦にはまず向きません。
適当に見たい、くらいのスポーツならいいかもしれませんが。
四年に一度。
フィギュアスケートは選手の寿命が短いので、オリンピックは他のスポーツよりもめちゃくちゃ大切で重要な大会となるのです。
現にロシア女子は体の変化が激しいのと選手層が厚すぎて、最近四年ごとにまるっきり顔ぶれ変わっていますしね。
女子金メダルのザギトワさんは才能はもちろんありますが、選手として最高の時にオリンピックを迎えられた幸運が非常に大きかったですね。
オリンピックの演技に関しては気が向いたら今後記載しようかと思います。
今回はオリンピック観戦をメインに首都へ出てきたわけですが、せっかく首都へ来たということで、先輩隊員の活動を見学させてもらうことにしました。
活動見学したのは下記の活動。
・青少年活動(音楽と体育 12歳付近)
・環境教育(マプト最終ゴミ処理場)
・コミュニティ開発(ネリカ米、現地米育成)
・PCインストラクター(専門学校)
思いのほか短い期間で充実して活動見学できたことは非常に良かったです。
他の活動を見ることで自分に足りない部分や、逆に自分に出来るかもしれないことの発見や希望、喜び、初心を見つけることができました。
ですが、、、、
最近ブログが長いと不評なので(笑)、とりあえず今回はここまで!次回に詳しい活動内容と感想について記載していきます!
もざぴ日記26 〜人生初の逆ナンパ〜
モザンビーク生活もいよいよ8ヶ月目に突入しました。いや、もうそんなかよって僕は感じます。
けど同時に長かったな。新しいことをするって全てが新鮮で時間を長く感じます。
日本にいる人たちの方はきっとこの7ヶ月は短く感じられていることだと思います。
皆さんは7ヶ月前のことを思い出してみてどう感じますか。最近?結構前?
時の進み方
と。こう思うようになったのもきっかけがありました。
先日、僕らより半年後に来た後輩隊員の、2017-3の方達が首都マプトに到着しました。
僕は首都マプトから1番地理的に離れている隊員なので、歓迎会には参加できませんでしたが、1/16に彼らはやって来て、そこから1ヶ月首都で研修をし、
現在は研修の終盤で実施する、任地訪問調査という研修の真っ最中です。
僕自身はこの研修には体調不良で体験できませんでしたが、通常であれば1ヶ月の研修の3週目くらいに、実際に赴任する任地へ行き、
活動先や住む予定の家、また周りの環境(警察署や病院、スーパーなど)を確認してくる機会があります。
三次隊が任地訪問調査を現在しているところと聞き。
危機を感じました。
ダジャレではありません。
「もう半年後にくる後輩隊員たちが任地訪問調査なのか」
協力隊に来るまでは焦らしプレイ
青年海外協力隊の場合、任国にくるまでに合格通知が来て、ドキドキワクワクの焦らしながらの日本の生活を過ごします。僕の場合は8月から2月まで。6ヶ月間。
その後、、、
技術補完研修(僕は2週間ほど)、
派遣前訓練(70日)、
準備期間の2週間ほど
を挟んでからようやく任国へ来ます。
まず冒頭にも言いましたが、首都滞在期間は長かったなという印象でした。
全てが新しいことだらけです。
任国に赴任してからも。モザンビークどころかアフリカ自体もそんなに来たことがなかったので、目まぐるしく新しいことだらけ。
つまり毎日過ぎ去るのが異常に長かったです。
しかも当時はまだ1日の過ごし方のリズムも決まっていない。
ホームステイの毎日で慣れないポルトガル語で、慣れない文化に浸らなきゃいけない、ということもあって、忙しい日本から来た私たちは暇な時間を持て余すのも下手だし。ほんとに、ほーんとに長かったです。
それが恐ろしいことに。
今ではあっという間に1日が過ぎるんですね。日本の時と比べるとほぼ何もしてないに等しい毎日なのですが、一瞬で終わります。
長い、長いと感じていた首都研修の感覚に直すと今の一日の過ぎ方が首都滞在中の4時間分くらいに相当するとして。
気持ち的には、まだ赴任してから三ヶ月くらいかなという感じです。
協力隊の仕組みとして、三ヶ月おきに新しい隊次の人たちがどんどんやってきます。
つまり、もう2隊次分の後輩隊員がいます。2隊次分後輩隊員がいるということにショックを隠しきれません。
そして。もう4分の1が終わってしまった。
しかしまだ一年半もあると思うと少しウンザリもする。笑
今しかない、このたくさん考えることができる時間を使って、今後の自分についてさらに考えて、より充実させられる人生にしたいです。
将来自分は何をしたいのか。
うーん、やっぱり。スケートの解説者かな。⛸
しょっき だ くるぅーら
話はガラリと変わります。
すこーし 「しょっき だ くるとぅーら!」
ということで、カルチャーショックというかびっくりした小話があったので記載します。
本日活動していて、お昼休みに近所のガソリンスタンドへランチを食べに行きました。
その時のエピソードを記載します。
ここのガソリンスタンドはポルトガル人が経営しており、なんとなくよさげな雰囲気のお店で、食べるところもガラス張りだし、
売っている食べ物もピザやウインナーを挟んだ美味しいお惣菜パンなどが売っています。
活動先の近くにはここと現地人が行くようなシマ(アフリカ各地で食されている、トウモロコシの粉から作った主食。モチとマッシュポテトを足して二で割ったようなそうじゃないような。無味。)屋さんしかありません。
あまり食事の選択肢がないのです。
またまた話がずれてしまってすみません。
今日はこのおしゃれガソリンスタンドで、奮発してポルトガル風ステーキを頼みました。
ポルトガル風って言っても、ステーキの上に目玉焼きが乗ってるだけですが。🍳
肉の上にさらにタンパク質の卵を乗せることで栄養価を増していたとか。
じゃ日本にあるステーキは大体ポルトガルスタイルじゃん、とか思うのですが、どうなんでしょう。けどコンビネーションは抜群です。
小言ですが、肉が前より少なくなった気がします。しかもうすいし。
うすいのは元からですが、小さくなったのはランチ代奮発して日本円にして500円も払っているのだから許せない!
シマ屋さんが一食60円とかで食べられるのでほぼ10倍です。
こんな豪勢なランチ久しぶりだなーと思いながら、いつものランチの10倍の金額を噛み締めながら幸せを感じていました。
現在肉食男子と肉食系女子
ここから本題。
と、そこへ2人のモザンビカーナ(モザンビークの女の人)が。
隣の席へ着席。
そして。
ガン見。
:(;゙゚'ω゚'):
あ!何事とか思いましたが、きっとこのステーキが美味しそうだから、同じものを頼みたいのかなーとかそんな風に考えて1人で黙々とランチタイムを楽しんで食べていました。
とそこに。
モザンビカーナ:「ポルトガル語話せる?」
以下モ女。
急なことなので対応できず。
私:「うん、話せるよ」
モ女:「どこに住んでるの?結婚してる?誰と住んでるの?」
(あ、随分質問ぜめだな、、いつものモザンビークあるあるパターンきたよ。。何がしたいんや)
ここでモザンビークあるある
よく結婚してるの?って聞いてきます。
そうなんです。モザンビーク人は大体20代前半とかで結婚して子供も作ってしまうのです。
ここでモザンビークあるある②
結婚してないよ、というと。
子供はいるの?って聞いてきます。
日本人的な感覚では結婚してないんだから子供なんているわけねえだろ💢
って感じですが。こちらでは片親でも子供あるパターンがありますからね。
ここでモザンビークあるある③
「じゃあ恋人はいるの?」
まあこれは普通の流れです。
日本では見ず知らずの人に初対面では聞きませんがね、、、。
問題は「いないよ」、と答えたその後。
「じゃあモザンビークでの恋人はいるの?」
なんでだよ!
恋人いねえってんだろ💢
ちなみにこれ。日本に恋人がいるって答えても同じ流れです。
今回も同じくだりをやりました。
毎回これをめんどくさいと思うか、思わないかはあなた次第。
ちなみに女性は男性の10倍くらい聞かれます。それは盛ったかな。。
Fazer amor
話は戻り。
私:「街(リシンガ)に住んでるよ。結婚はしてないし、1人で住んでるよ」
モ女:!!!!!
モ女:「1人で住んでるの!?名前は??私と子供作ろうよ!」
私:「......。」
話早くね笑
てか逆にここまで来ると尊敬する。
快楽のためってよりも本当に僕との遺伝子を残したくて。いや、肌の白い子共が欲しくて言ってるんですね。
なんかこの感覚、日本とは異なりますよね。
20代だとどうしても子供のためってよりは、好きだからとか、快楽のためだったりすると思うのですが。
彼女は、というかモザンビーク人でそのように求婚して来る人たちは日本人とは違った感覚で求婚してきます。
その後年を聞かれ(何故かすごくびっくりされた。老けてるのかな、自分)、
彼女の年を聞き(ちなみに24歳)、
連絡先を教えろというので、連絡先を交換しました。
この凄まじい肉食。
日本男子として見習うべきですね🇯🇵
日本だとなかなか女子1人がレストランで、食事をしててたまたま隣の席に座れるってことは多くはないと思うのですが。
日本の女子達よ。
1人でレストランに行ってください、、、、笑
まあそれは置いておき。
日本だと隣の知らない人に話しかけるっていう事も、それなりの何か事情がないとほぼありませんよね。こんな風に自分の気になった人へ、自分の欲望をまっすぐに伝えられる彼女達は本当にすごいことだと思います。
やはりより良い人を見つけるため、捕まえるためには彼女のように積極的なアプローチを取ることも時には必要だと思います。
自分もこのように行動しよう、というわけではありませんが、こんな積極性を持って、今後の活動や自分の人生を切り開いていけたら楽しい人生を送っていける気がします。
積極的な行動と繋がるかはわかりませんが、昨日は同僚が隣の席で大人のビデオを鑑賞していました。
欲望に素直ってすごいですね。
そんなこんなで。積極性を忘れずに行動しよう、と感じた1日でした。めちゃくちゃどうでもいいですが、最近協力隊後の進路を考えており「ポルトガル ブラジル 働く」で調べていたら、こんな記事を見つけました。
上記の1番目に書いてある、
ブラジル日本交流協会(ANBI)という協会。
上記のブログにある分をそのまま引用する形となりますが、下記のような支援をしている団体のようです。
*******************
ブラジル日本交流協会(Associação Nipo-Brasileira de Intercâmbio)は毎年日本からブラジルに数名の研修生を送り込んでいます。研修生はブラジルの現地の企業で実際に1年間ポルトガル語を使って働き、将来的に両国の架け橋となれる人材を育成していくのが目的です。
移住や就職とはまた違った研修制度で、年間100万円ほどの費用がかかりますが、これをきっかけにブラジルで人脈やコネを作り、その後ブラジルに永住する人も少なくないです。多くの交流協会生は大学を休学して来るのが一般的ですが、中には社会人もいるようです。どちらかというと20代の若者向けのプログラムといった感じです。
*******************
こんなことを実施している団体があるのですね。僕ももう少し若かったら帰国後チャレンジしてみるのいいかな、と思いましたが。
とりあえず思ったのは久々にワクワクする感覚。そして楽しそう。
けど、もう良い歳になるのでもう少し身を固められる進路が良いですね。。。んー、そんな理由よくないかな。
やはりスケート靴メーカーのリスボン支店かな。いい就職先を募集しています。
希望はスケート関連の仕事、勤務地は日本かポルトガルかブラジル。
駐在か出張ベースで。一年の半分くらいは海外にいたいですね。贅沢か。
では、また!あて あ ぷろっしま〜!
もざぴ日記25 〜恐怖の体力強化合宿 IBO PART2〜
前回の引き続きの記事です。
17日からモザンビーク内でも随一の美しさを誇るビーチがある、カーボ・デルガド州のイボ島へ行ってきました。
旅行の着くまで工程ですでに。
すさまじい体験の連続だったので、記事を分けています。
もしよければ前回の記事からご覧ください。
では、本編のイボ島編とまだまだ続く苦悩の陸路移動(帰宅編)をどうぞ!!
- 1/20(3日目) イボ島
- 1/21(4日目) イボ島
- 1/22(5日目) 帰路 イボ島~ペンバ
- 1/23(6日目) 帰路 ペンバ~ナンプラ~クアンバ
- 1/24(7日目) 帰路 クアンバ~リシンガ
- モザンビーク人はいい奴だ
1/20(3日目) イボ島
ホテルに泊まる=朝食を楽しみにする
というのが僕の方程式です。
連日のなかなか過酷な旅で疲れて、かなりの睡眠不足ではあったのですが、同じ部屋の先輩隊員の目覚ましに起こされたこともあり、8:00頃には朝食を食べに行きました。
見事に北部はハリケーンが到来している、とのことで客は私たち9人だけ。
しかし、、、この朝食の時からなんか体調がおかしくなっていました。
そのあとイボ島を自由散策、という時間でしたが、なんとなく調子が悪くなりそうだったので大事をとって、寝ていることにしました。
昼食を終えて、みんなが戻ってきたときに看護師の先輩隊員に熱を測ろうといわれ、熱を測ったところ、38.2度。
マラリアの可能性もあったため、先輩隊員が持って来てくれていたマラリア検査キットで確認、、、
結果はねがていーぼ。
つまり陰性。
完全に昨日までの過酷な旅ととどめに海を渡った時の暴風雨とついてから浴びた水シャワーが原因でしょう。
てか絶対水シャワー。あれ余計に体調悪くした。
てか、リゾート地に来て、結構お高いホテルに泊まったにもかかわらず、水シャワーしか出ないとかびっくりしますよね。
せっかくめちゃくちゃつらい思いをしてようやくイボ島についたにもかかわらず、まさかの熱で寝込む。わけです。
寒気は止まらないし、頭は痛いし。
けど、こんなに喧騒から遠い場所でゆっくり寝られるのもリゾートの醍醐味ということでひたすらゆっくりしました。
2度昼寝して死ぬほど汗をかいたら、夜には37度台まで熱が下がりました。
とりあえずよかった。
一般的にみたらなかなかどんまい事項。
1/21(4日目) イボ島
ようやく熱も下がり、なんとかみんなと一緒に行動できそうだったので、本日は無人島に行く予定で明日には帰宅するので少し無理して同行することに。
昨日のおしゃれディナー食べたかったなあ。
無人島に行く、とのことだったので、油断していましたが、
まさかの着くまでの道中にイルカと泳ぐプランと、沈没船シュノーケリングプランが含まれていました。
きいてなーーーい、、
病み上がりなので、海に入る勇気は出ず。
体調悪くなったら明日からの怒涛の陸路での帰宅がさらにやばくなる。。。
イルカは信じられないくらいの至近距離まで近づき、ただ眺めるだけだと思っていたら。
まさかの
「よし、とびこめえ!」
いやいや。急すぎる。
悪夢のイニャンバネでのオーシャンサファリを思い出す。
モザンビーク観光地である、イニャンバネでも船酔いで大変な思いをしました。
詳しくは下記。
僕は泳ぐのは遠慮しましたが、とりあえずみんな次々と海を飛び込む。
しかし、結構な沖合で結構な波。
一人運動神経抜群で体力がめちゃくちゃある先輩隊員(女性)はイルカと泳ぐことができましたが(あそこまで到達できたのは驚き)
ほかのメンバーは普通に海に投げ出された、要救助の人見たくなっていましたwww
みんな救命胴衣はつけないで海に飛び込んでしまったので、大変なことに。
一人だけ泳ぎに自信のない女性隊員が救命胴衣を持って海に繰り出しましたが、ほかは結構みんな溺れている状態。
半分おぼれてしまっていた男性隊員が救命胴衣のもつ女性隊員に必死にしがみついている姿は猛烈に笑えましたwwww
そのあと申し訳ないと思ったのか、女性隊員から離れていきましたが、そのあとも半分沈んでいる状態ww めちゃ苦しそうでした。爆笑
写真撮ればよかった。。
彼は水中カメラを持っていたのですが、とてもじゃないけど写真を撮っている状態ではない。それにしても必死になっているときの顔はかなり笑えます(鬼)
この日一番の面白い事項だったような気がします。
結局3人ほど男性隊員がほぼおぼれており、2人がすぐに船へ避難してきて、
1人に救命胴衣を渡して救助する?というなかなかシュールな感じになりました。
しかもおぼれていたメンバーはイルカも大して見ることができなかったようで、近くに来たイルカとおぼれている隊員たちを見学できた船の上に残っていた私は正解でした。笑(性格わるい)
ですが、人のことを面白がっていたつけが回ってきました。
イルカウォッチングを終え、沈没船に向かっている際に波がとても荒くなってきました。もともと船酔いしやすい性質のくせに、酔い止めを飲んでこなかったためなかなか気持ち悪かったです。
いざ、沈没船についてみて、船の上に残るのも船酔いするので地獄、
と思ったので思い切って海へ飛び込んでシュノーケリングに参加してみることにしました。(もちろん体力を減らさないために救命胴衣は持ちました笑)
しかし、海が透明すぎるのもありシュノーケリングしているのも、波に揺られ気持ち悪くなり。
シュノーケリングを終えて船の近くまで戻った際に、ゲロを吐いてしまいました。🤮
吐いているのをばれないように、こっそり吐くつもりで一瞬海に潜って吐いたのですが、
何しろ吐くときの声?がうるさいほうなので(笑)漏れていたようで。
あとでさっきおぼれかかっていた隊員に
「のっぴげろ吐いてたよね?」
といわれました。
ばりばりみられてる――ー笑
しかしほかの人も2~3人ほど沖でこっそりゲロ吐いたりしている人達がいたようなので、みんなだいぶ気持ち悪かったようです。
なんでモザンビークの海はイニャンバネといい、こんなに荒いところが多いのか。
移動えぐい二日を経て、昨日は熱をだし、今日はゲロを吐く。
我ながらこの旅について、なかなか笑えてきました。
ゲロの沈没船ツアーを終えて、無人島へ行きました。
たどり着いた無人島は海が満ちてしまうと水没してしまう本当の無人島(?)でした笑
勝手に普通のただ人が住んでいない島だと思い込んでいたので、真っ白な砂浜しかない島にたどり着いたときは本当にびっくりしました。
しかし、船酔いでまだ気持ち悪いのと、体調も万全ではないので、
ホテルで借りた毛布にくるまりながら少しゆっくりしていました。
スタッフが簡易的日よけを立ててくれましたが、これなかったら全く何も日よけがなくてえげつないことになっていました、、、。
島にたどり着いて間もなく、その辺でイカを釣ったモザンビーク人が出張(?)で島へイカを売りに来ました。みんな生のイカを内蔵をとって、海の水で洗って
「おいしい、おいしい」
と食べていましたが、僕はそういう野蛮なことは昔からとても苦手です(笑)
僕は昔からその辺になっている木の実とかも食べることに大変な抵抗があり、
友人たちがバクバク食べているのをただ眺めているだけの子供でした。
そんな子供時代だったので、見ず知らずのモザンビーク人が持ってきた謎のイカを食べることに大変な抵抗がありました。笑 しかもイカを置いていた船も汚かったし。
そんなことでモザンビーク暮らしができるのでしょうか。僕も謎です。
結局足一本もらうだけにしました。
確かに新鮮で甘みがあっておいしかったのですが、吸盤が舌にくっついて気持ち悪い。
またこの島はウニが取れる、とのことで
生うにをたべようーーー!ってことになりました。
その辺にいるウニを先輩隊員がとってきたところ、日本のウニとは違い、針の先に変なとげがあるようで、手を負傷していました。
気を取り直して、ウニをとってきて割ってみたところ。。。
ウニの下の部分に肛門のような謎の穴があり、
ナイフで真っ二つに割ったところ。
ブシャー―――――――――――――ー
なぞのウニ汁が大量に出てきました。
なかなかきもかった。笑
しかも中身をのぞいてみたところ、日本のウニとは違い、オレンジ色の部分がかなーり少ないし、なんか汚い感じだったので、食べる気が失せました。笑
そのあともう2つくらい探してウニ汁ぶしゃーしましたが、
中身がすっかっすかでした。
なんのために存在してるんだよ・・・・。
そのあとは岩に張り付いていたシャコガイが必至な思いでとったり、
海に使ってバシャバシャ遊んだり。
イボ島旅行で初めて楽しいと思える時間を味合わせていただきました。
海はとてもあったまっており、浅いところに入るとまるで温泉のよう。
島に着いたときは干潮になりかけの時だったので、完全干潮の時や少し満ちてきたときも体験できたので、地球ってすごいなあ、とか思ったりと
なかなか素敵な体験ができました。
イボ島旅行で2人だけダイビングアクティビティを選択、他のメンバーは無人島ツアーに来たのですが、
ダイビング組も潜りを終えて、無人島へやってきました。
しかし、ダイビング組は二人しかいなかったこともあり、さらに船が小さく二人ともげろげろのようでした(笑)なんちゅう旅や・・・
おまけにそのあと潜ったそうなのですが、一人の隊員が5メートルほど潜ったのち、
潮の流れが速いことにパニックになってしまったそうで、先に海を脱出。
一人で船の上で1時間ほどダイビングが終わるまで待っていたそうです。
そのため、無人島で再会したときは死ぬほど酒を飲んだ時のように全身真っ赤に焼けており、すごい状態でした(笑)
彼にしてみれば、ダイビングもできないし、船酔いでかなり酔ってげろ吐くし。
なかなか僕以上にすさまじい一日だったでしょう。
ちなみに彼の悪夢はこの後も続きますが、それはこの後に。
ダイビング組が合流して、島でゆったりするのもつかの間、
向こうの雲を見ると嵐の雲が近づいてきます。
雲の下を見ると何も見えないほど雨が降っており、雷の音も。
これは早く避難しないとえげつないことになる、ということで、
当初の時間よりも早めに無人島を引き上げることとなりました。
これで嵐になったら今日も最悪すぎる一日ってことでかなりのネタになったのですが、
なんとか雲方向が違うほうへ流れていったので、無事に雨に降られることもなく、イボ島へ帰ることができました。
帰りは酔わないように船で横になって知らないうちに寝ていたので、帰りは船酔いもしなかったです。よかった。
さて、イボ島に戻ってから。
僕はお土産を買いに出かける&昨日島の探索ができなかったので、探索をしてきました。それからホテルへ戻ると。
先ほどダイビングができなかった隊員が昨日の僕のようにとても寒気がする、というのです。
試しに熱を測ってみると昨日の僕とほぼ同じ熱で38.4度。
これはうつしてしまったかな、、、と思い、申し訳ない思いになりましたが、とりあえず寝て様子を見ることとなりました。(僕は昨日はほかの人に移さないように、ほぼ引きこもっていたのに)
夜になり、夕飯を食べに行こうとなった際に再度熱を測ると39度超え。
これはマラリアの可能性があるとのことで、マラリア検査キットを試しました。
無事、陰性でマラリアではありませんでしたが、とても体温が高いのに汗をかくことができず、体温をため込んでしまっているようであり、とても苦しそうでした。
解熱剤を飲み、さらにこれは船の上にずっと日陰のない場所にいたことからの熱中症がかなり悪化した、ということを
看護師の隊員が分析し、体温を下げるために冷えピタと、訓練所で習った経口補水液を作成し、たくさん飲んでもらう、ということになりました。
明日は朝5時に起床し、また来た時と同様の激しくえげつない工程を戻らなければなりません。
彼が熱が下がらずとても船で帰れなくなった場合に備えて、飛行機で帰るプランも含んだ、帰るプランA、プランBなどを考え、彼の復活を願い、本日は寝ることとなりました。
それにしても、こんなにえげつない工程を経てようやくイボ島へ来たのに、
滞在時間は2日しかないなんて。
ほかのメンバーは再度チャレンジをしよう、と言っていましたが、僕はそうは思えません。。。。(笑)
1/22(5日目) 帰路 イボ島~ペンバ
予定通り朝5時に起床し、朝6時の出発に向けて、例の彼の体温を測ることとなりました。熱は下がらず38度台。
これはもう我々の手には負えないということで、看護師隊員の方がJICAの健康管理員へ連絡をし判断を仰ぎました。
そして健康管理員のジャッジはGO。
出発する前は僕としては彼には厳しすぎる工程だからホテルにとどまっていたほうがいいんじゃないか、とか思いましたが、
結果この判断は英断であったと思います。
できるだけ体調不良の彼に負担をかけないように、船では横になってもらい、できるだけ暖かくして船に乗り込みました。
※体調不良のかたではありません。
幸い前日からの天気予報はひどい嵐でしたが、波も落ち着いており曇り。
船はとくに問題もなく、来た時よりもスムーズに対岸へとたどり着くことができました。
対岸には州都ペンバへ向かうぼろ車ワゴンが待っててくれており、
大量不良の彼には助手席に乗ってもらい、できるだけ席を倒して楽になる形でペンバへ向かいました。
行きと同じようにほぼ6時間かかりペンバへ到着。
しかし帰りも何組の警官隊につかまったのかわからないほどつかまりました。
まじでもう少し効率的にならないのか。
昨日の夜は考えられないような顔色の悪さをしていた、彼ですが、
ペンバへ着いた時には幸い多少顔色もよくなっていました。
彼はマプトへ一度帰る予定になっていたので、健康管理員もマプトでスタンバイして、
すぐに病院へいくという手はずとなっていました。
健康管理員いわく、熱中症をこじらせて、39度を超えると死ぬ可能性もかなりあるとのことで、JICA事務所側としては緊急の準備を整えていたそうです。
ところが幸いなことに、首都マプトに着いた時には彼の熱も下がっていたようで、病院搬送の必要がなくなったそうです。
経口補水液のおかげか、体を最初に冷やした初動の対応がよかったのか。。。
看護師隊員の方は心配性で、いつも旅行の時にはマラリア検査キットや冷えピタ、体温計を持っていて、いつも馬鹿にされるのを覚悟しているようです。笑
ですが、今回の旅ではすべてのグッズが非常に役立ち、彼女の英断や初期対応があったために僕が彼が大事に至らなかったのでしょう。
ほかにもウニにとげをかなり刺されて負傷した先輩隊員もいたので、看護師隊員なのにいろんなことに引っ張りだこで大変そうでした。けど僕たちとしては非常に心強い存在となりました。
ペンバに宿泊組は任地リシンガでは購入できないような、ベーコンやフライパンや柔らかいトイレットペーパーなど。
都会にしかないスーパーで大量に買出しを行い、早めに宿へ行き体を休めることにしました。特にリシンガへ帰る組はかなりの苦痛がありますからね。さてさて。この度はまだまだ続くのでありました、、、、。
1/23(6日目) 帰路 ペンバ~ナンプラ~クアンバ
本日ようやくリシンガへ帰還、、、!
と、考えていたら、運転手から行きで通った道は通れるか分からないし、ナンプラ経由で2日かけて帰ったほうが良いとの提案。
今日自宅へ帰れると思ってたので。
もう着替えないよ、、、👕
というか体力まじで限界だよ、、、、、、、
とか思ったけど、行きの道が過酷すぎたので。
道が水没したり陥没が直っていない可能性が大いにありました。
それで引き返して。
ってなるよりはマシか。というかそれは最悪すぎる。
ということでナンプラ経由となりました。
これで自動的に旅行は一日延長。
昨日まではこの激闘旅面白いと思えてましたが、流石にだんだん体力にこたえはじめてきて、軽くイライラしてきた、、、、
とりあえずディズニー音楽を流して夢の世界で落ち着けます。🐭
ナンプラで大好きな中華を食し、ナンプラ組2人を降ろして出発です。
ニアサ州の入り口クアンバまで。到着予定時刻は19:00ごろですが、きっとクアンバまではそこそこの舗装された道が多いので大丈夫なことでしょう。
問題は明日です。
クアンバからリシンガの道はまじで穴ぼこだらけだし、舗装ほぼゼロだしほんときつい、、、
先のことは考えないようにしよう。
あと個人的にどうしても運転手の性格がムカついてしまいます。
モザンビーク人を好きにならなければならないけど、テンション上がると謎にうるさいのと、仕事中なのに自分の私用のために買い物したり、携帯いじるために車を止めるのです。
や、テメエ。
なんでこっちが客なのに、てめえの買い物付き合わなきゃならねえんだよ怒
(言い過ぎました)
とか相当腹立つ部分は多いのですが
(ずっとエアコン効かない車内だから余計イライラする)
それもモザンビーク人の特徴ということで、認めなければならないのでしょう。
これ2年もつかな。
クアンバへは予定時間通りの19時ごろに着きました。運転手はまだ先のマンディンバまで行く!!
とか行ってましたが。
この暗闇で行って23時とかまでにたどり着けるか微妙なところです。ホテル代安く済ませたいからって自分の都合だけで色々主張してくるのまじでやめてほしい。怒
その晩はこの旅色々ネタすぎて笑えるね
というところからリシンガメンバー3人でとても話が盛り上がり、疲れているにもかかわらずぶどう🍇を食べながら、夜遅くまで語り明かしました。
1/24(7日目) 帰路 クアンバ~リシンガ
昨日の夜、ドライバーと別れるときに確認。
私たち :「明日何時に出発?」
ドライバー:「3:30」
私たち :Σ(・□・;)!!!!
ドライバー:「出発が遅くなると、着くのも遅くなる。明日は午後くらいから雨も降りそうだし」
との回答。
いやいや。早すぎるだろ。自分がランチとディナーを家族と過ごしたいだけだろ、とか思ってまたいらいら。
確かに道が悪いのは知っているし、早く出たほうが早く着くのもわかるけど。
いくらなんでも早すぎる。しかも結論雨も降りそうな雰囲気はありませんでした。爆
結局4:30出発という名の、またドライバーが遅れたので5時出発となりました。
本日クアンバという二アサ州第二の都市で宿泊をしたのですが、12月から続く怒涛の旅行。
noppiano.hatenablog.com
この時も一泊目は移動の中継地点としてクアンバに宿泊したので、
クアンバから始まり、クアンバで終わるのだなあ。
と、なんだかしみじみ。
睡眠不足と極度の疲労により、もはやいろいろテンションがおかしくなっていました。
リシンガ組3人の持っている曲はすでにすべて聞き終えてしまっていたので、
僕のi phoneのyouubeでテンションの上がる曲を流し、踊りまくっていました。
youtube で曲を流していることを知った運転手が一言。
「うわー、お金持ち」
おまえがむかつくから曲流して紛らわせてるんだよ。笑
この運転手のことはとてもとても嫌いでしたが、腕は確か。
クアンバ~隣国マラウイとの国境の町 マンディンバまでは比較的道が整備されていて、通りやすかったのですが。
マンディンバ~リシンガ 間がひどい。
昔、コンクリートで整備した感はあるのだけど、昔すぎてもはやあなぼこ。
つまりオフロードを通るよりぼこぼこがひどいこととなるのです。
12月の旅行初めにクアンバまでこの道を乗り合いバスで通ったら相当酔ったことを思い出し、、、
酔うことを覚悟していたのですが、ひどい道にもかかわらず彼の運転テクニックは確かなので、そんなに酔わずに済みました。
そして、相変わらず彼の買うもののために、停止。レモン🍋だったり、鶏🐓だったり、ビスケット🍪だったり。
いちいち細々と止まっていてとてもイライラしましたが。
昨日の夜に早くクアンバ出て、リシンガ帰りたいいうたの、自分やん。
とかまたイライラします。
極めつけは生きている鶏を買って、後ろのトランクに詰め込んだのですが、
後ろのトランクには僕らがペンバで買ったものやクーラーボックスに入った僕らの食糧が。(クーラーボックスはペンバで購入)
家に帰ってみたらクーラーボックスは糞まみれになっていました。💩
なんで人のこと、先のことを考えられないのだろう。
そして結局リシンガへは昼過ぎにつき、3人で遠回りで帰ってきたこともあって、
予想を大幅に上回る費用(飛行機の半分ほど?)かかってしまいました。
けどこんなに過酷なら次は飛行機かな。お金ない。
家に帰ってからは次の日まで20時間近くひたすら寝続けました。
そんなこんなで恐怖の体力強化合宿は終了しました。
最近、活動先でもモザンビーク人のことをあまりよく思えなかったり、
自分のポルトガル語能力が上がらずに、話すのが億劫で余計にコミュニケーションを取らなくなったり。
少しマイナス方面に向きつつありました。
しかし、旅行中に先輩に注意されたように、モザンビーク人あってこその僕らの活動がある、と思います。
なんとか交流を深めて、語学力をUPさせて、仲良くなれればいいなあ、とか思うのですが、そんな日はまだまだとなりそうです。
新しい2017-3次隊の人たちも首都マプトへやってきて、すでに後輩隊員が2期分もいることにとても驚きを隠せません。何も活動進んでいない。語学力伸びていない。
きっと後輩の彼らのほうがだいぶ語学できるような気もしますが、なんとか地道に活動につなげていけるようにまずは語学力から。少しずつ伸ばしていきたいです。
モザンビーク人はいい奴だ
最後に一つ。
今回はモザンビーク人の愚痴がメインとなってしまうブログとなってしまいました。
本ブログを読む方たちに勘違いしないでほしいことは、これがモザンビーク人のすべてではありません。彼らには僕ら日本人にはないような、フレンドリーさや明るさや、ひたむきに前に進み続けられる力など尊敬するところもたくさんあります。
※写真は本文と関係ありません。笑
個人的にはモザンビーク人の対人関係のスキンシップや距離感の縮め方が一番学びたいポイントだと思っています。
今はそういうところも含めてうざく感じているのですが。笑
次回以降はできるだけ彼らの良いエピソードも含めて、もっと発信していきたいと思います。本ブログのモットーは正直なリアルなモザンビークを伝えることにあるので^^
書いてほしい記事のご要望あれば、まだまだ受け付けております!
次回記事は13日から冬季オリンピック(平昌オリンピック)のフィギュアスケート観戦のために首都マプトへ上京するので、そのことかな~。まだ未定だけど。
ではでは、また。あて あ ぷろっしま~~~
もざぴ日記24 〜恐怖の体力強化合宿 IBO PART1〜
お久しぶりです。
日本は先日大変な大雪だったそうですね。
こちらは季節は打って変わって夏なのですが、モザンビーク北部はハリケーンがやって来ているので、あまり快晴ではありません。
ちょうど一年前
話は急激に変わりますが、先日大雪だった1/23のちょうど一年前、2017年1/23はわたしが青年海外協力隊としてモザンビークへ行くことを公表した日でした。
Facebookで多くの人への公開をしたのですが、ありがたいことに行く前に会いたいというお言葉をいただき、関西や関東圏の友人たちと多くのことを話させていただきました。
きっとモザンビークに来る、というきっかけがなかったら話さなかったようなことも話しました。
それだけでこちらに来たことに意味があったかもしれません。
またありがたいことに、今まであまり友人の愛に受けたことがない人生でしたが、26年分の愛を一気に感じることができた機会でもありました。(友人は今までかなり少なかったので)
こんなに自分は愛してもらえていたのかと、初めて感じられた機会でした。
そんな方々のためにも必ず健康で、より素晴らしい人間となって帰ってきたいと思います。
モザンビーク秘境の観光地 イボ島
さて、今回はモザンビーク北部にある、リゾート地イボ島に行ってきました。
このイボ島はモザンビークの中でも発展が遅れている、と言われているカーボ・デルガド州にあり、首都のあるマプトから大きく離れているため、非常に綺麗な海と南部より温暖な南国風の雰囲気が特徴です。
さて、このイボ島へは青年海外協力隊員のメンバー総勢9名で向かいました。
内、わたしを含めた3名はまだ半年以下の来て間もない隊員ですが、他のメンバーは一年以上活動しているポルトガル語も堪能で、たくましい先輩方です。
わたしの住んでいるリシンガからは同じ北部とは言えども、中継地点カーボ・デルガド州の州都ペンバまでは飛行機だと途中一泊ありので飛行機乗車時間合計4時間で行くか、乾季時なら車で10時間の道のりの、2パターンしかありません。
近いように見えるんですけどね、、、、
飛行機で行く場合はペンバまで2万円程かかりますが、車の場合はわる人数にもよりますが、半額ほどでいけます。
そんなわけで協力隊のほんの僅かばかりの生活費しかいただいていない私たちには問答無用で陸路選択、となったわけです。
これが悪夢の始まりでした、、、、、、
1/18(1日目) 陸路移動 リシンガ~ペンバ
目的地 ペンバまでは乾季で10時間かかる場所なので、ゆとりをもって朝は5時半出発。
想定だと夕方前に着くかなという感じ。
ペンバまでの車はリシンガにあるレンタカー屋さん(ドライバー付き)に先輩がお願いしてくれていました!
ところがどっこい。
30分どころか、1時間、2時間。待ってもきませんではないですか。
朝早いので朝ごはんは抜いて出発しようと考えていたのですが、ずっと連絡がこないのでとりあえず1人で朝から親子丼を食べました。
(朝ガッツリ食べたい人)
8:30(3時間経過)になってもこないので、先輩隊員の家にリシンガから出る人5人全員集合して、トランプをして待つこととなりました。
....
.......
............。
気づいてみれば10:00
なのにまだ来ない。
先輩隊員は10分おきにキレの電話を会社に入れてるのに、最終的には着信拒否される始末。
けどなぜかメッセージで逐一車の様子について連絡は来る。
「あと10分で行く。」
いや、それ1時間前にも聞きましたから。
結局出発できたのは11:00。
その時は先輩隊員がとても怒っていたので、逆に僕自身はイライラも怒りもせずにのんびり待つことができたのですが、この記事を今書きながら、やっぱりおかしいよな。
ってイライラしてきました笑
先輩隊員達もこんなに遅れる事象は初めてのようです。まさかの5時間半遅れ。
一度9時ごろに家の前まで来たのですが、用意して来た車がなぜか運転手含めて5人乗りの乗用車。
いやいや、我々だけで5人いるっつーの。
まじでバカだなと思った瞬間でしたが、
10分で取り替えて来ると言って、なかなか帰って来ずにこのザマです。みなさま気をつけましょう。
さて悪運はこんなでは終わりません。
なぜなら恐怖の体力強化合宿ですからね。
雨季なので、乾季の時に普通あるはずの道が早速ありません。川で水没しています。
「え、これ無理でしょう、、、、」
という第一関門。
先輩隊員が裸足になって自ら入ってくれて深さを調べてくれました。
結果、そこそこ深い、水の流れの勢いもある。
もうこれは運に任せるしかない。
という結論になり、勢いをつけて車が水はドボン。や、まじで船かよこの乗り物。
って並みに水に沈みました。
途中やばい音したり、後部座席に浸水もあったようですがなんとか切り抜けられました。
その先にも道が水没している場所多発。
少なくとも10箇所はあったなあ、て感じです。
そんな水没の場所につくたびに先ほどの先輩隊員(女性)がドライバーに調べてこい、と言われて深さを調べにいかされます。
いやいや、お前が行けよ💢
という感じで、このモザンビーク人ドライバーにはイライラしっぱなしでした。
このドライバー。
遅刻して来た&道が悪いくせに彼は自分の都合のために度々車を止めるのです。
大体自分が食べるようなクッキーを買ったり、飲み物を買ったりなのですが、その回数がやたらと多い。一気に1箇所で買えばええやん。
というか、日本式でいうなら元から買っておけよ💢💢💢
ガソリンも散々待たせたのに、元から入れてなくて、出発してから入れる始末。
まあこれは計画性ない、モザンビークあるあるなのでもう今更とやかく言っても仕方ありません。
話は戻りまして、
道が水没するたびに先輩隊員が身を張って、深さを確かめに行くのですが、わざわざ先輩が深さを測って右側の方が浅いから、
「右側を進んだ方が良い!」
とアドバイスをドライバーにするのですが、結局ドライバーは無視。
謎に自分の勘を信じて突き進みます。
ここもムカつくポイント。
だが幸いにしてこのドライバーはかなりのベテランらしく、50歳。
30年は運転しているようで、なかなかの運転テクニックを見せてくれました。この人の性格やスタンスにはかなりムカつきましたが、ぶちぎれないですんだのは、彼の運転技術が割とちゃんとしていたからです。
多分この人はいい奴なんです。
いい奴エピソードをこの後に書きます。それもムカついたのですが。
話は戻りまして、水没だけなら妥協と運に任せて進めばまだなんとか進めました。
けど最初にあの川を渡ってしまった以上、水量が増えてもう渡れなくなっている可能性もあり、
進むも地獄戻るも地獄。
なわけです。
もうこうなれば進むしかない。あの川を渡れたのだから、大体なんでも渡れるだろうって感じです。
だがしかし、ここで大きな第二関門。
道が切れています。
雨のため道に大穴が空いてしまって、人だけなら乗り越えられても、とても車は乗り越えられそうにありません。
いや、もうこれ無理じゃん。けどだいぶペンバ側まで来ちゃったし最悪だよ、、、
とか、考えていたらドライバーとその辺の村人が協力して、そこら辺の木を集めただけの超簡易的橋を作ってました。
いやいや、こんなんで。
絶対渡れるわけないでしょう。とかおもってたら。とりあえずドライバーから説明。
人間は降りて、先に渡ってから車を渡らせる。とのこと。
今思い返してもこの旅1番の緊張感でした。
そして、、、
Conseguimos!!!!!
奇跡の通れちゃいました。
本当に感動。やつの運転テクニックすごいなと感動していました。
さて、暗くなる前にこの何もない村ゾーンを突破して、アスファルトの道までに行きたい!と思っていたら。
ここでまた悪夢が発生。
私たちの後ろにいた車がうまく渡ることができずに穴にはまってしまったのです。
こちらとしては放っておいて欲しいのですが
(電波も何もないところで暗くなると、自分たちの安全も危うくなる)
そこはモザンビーク人の謎の正義感登場。
とことん付き合ってあげちゃうのです。
これがドライバーにムカついたポイントその2。
聞くところによるとモザンビーク人のコミュニティは小さいみたいなので、すぐにこゆとき手伝わなかったりするとその噂が伝わって、村八分みたいなことになるとか。
ペンバでは一緒に夕食をとろう、と約束していた隊員もいるのに、隊員にも我々隊員の面倒を見てくれる調整員にも連絡が取れない。
どんどん日が暮れて真っ暗になって行く。。
けど出発する気配はなし。
2時間ほど奮闘したのち。
ようやく運転手が後ろの車を助けることを諦めてくれました(ほっ)
でももう辺りは真っ暗。
水没した道を避けるのにヘッドライトだけだと本当に心配です。その後大きな池を乗り越えるために、全員で窓から身を乗り出して、池に落ちないようにみんなで体重を傾けたり、
池が深すぎてヘッドライトまで水没して辺り真っ暗になったりとやばいシーンはありましたが、無事にペンバへたどり着くことができました。
オンロードへ出た時の安心感。
オンロードに出れたのは22:00とかですかね。
東京から8時間大阪まで車は疲れるう、とか思ってましたけど、もはや余裕に思えてきます。
車揺れないやん。
絶対いつかは着くやん。
道あるじゃん。
って言う。とにかくえらい目にあいました。
そしてようやくペンバについたのが午前2時。
もうどこでもいいからということで、高いホテルに入って、みんなで雑魚寝をしました。
(これまたいろいろあって人数通りのベッドがなかったのです)
けど、ペンバについた時のあの整備された綺麗な景観を見たときはなかなかの感動でした。
ペンバとても綺麗で整備された町です。あの感動はもしかしてこの旅で1番だったかも。
1/19(2日目) 陸路移動+船 ペンバ~イボ島
1日目の記述がかなーり長くなってしまいましたが。なんとこれから毎日さまざなことがありすぎて、全然終わりません。笑
ペンバには、任地リシンガにはないショップライト(大型ショッピンセンター)があります。
イボ島へ行くに向けて、ここで簡単にお酒などの買い出しをします。
南アに行ってからイボ島へ行くメンバーもいたので、ペンバ空港に全員集合です。
ちなみに他のメンバーによると、この時点でリシンガから陸路メンバーは疲労感めちゃくちゃ出ていたそう。
そらそうや、そもそも全然ねれてない。
15:00にペンバ空港を出発し、予定だと18:00に海沿いに到着、そこから船で渡ってイボ島へ向かいます。潮の関係で満潮じゃないと渡ることができないため、18:00に海へつくことは必須です。
ペンバ空港から実はセスナの小型機が出ているのですが、これまた予算の関係で陸路で。
みんなでわいわい修学旅行のような感じでしゅっぱーつ!
ってしたかったですが、リシンガ組は疲労感と睡眠不足で結構爆睡。
途中国立保護区間があったので、ゾウとかいるかなーってみんな探してましたが、モザンビークは内戦時にかなりの数の動物を殺してしまったので、見れませんでした。
さてさて、三時間でつくはずだったこの陸路。
近道の橋が流されたとかで遠回りしていくしかありません。
これまたひどいオフロードを結論6時間。
いやいや、予定狂いすぎだろ。リシンガからの道のように道が切れたりはしてませんでしたが。
そしてここで追い討ちのように。
悪質警官に捕まりました。
モザンビークでは非常に多いことなのですが、警官と空港職員は給与が低いため、職権濫用をして、お金をせびって来ます。
警官に不審者ということで止められることは、彼らの業務上致し方ないことなので拒否ができないのですが、
今回は全員車から降りろということで、カラシニコフ銃を持った警官隊に連行されて建物に監禁されます。
警官に関わるトラブルで初めて怖いって思いました。
そこでドキュメント(身分証明書)を出せとのこと。
まあここまでは普通なのですが、明らかに我々からお金を巻き上げようと捕まえたので、何かしらの穴を見つけたい警官たち。
実際、我々を捕まえた酒臭い親父警官が下記報告を上長にしているのを聞いてしまいました。
「やりましたよ、上司。私が怪しげな外国人(=カモだと思ってる)を捕まえました!喜」
けど、証明書も全員携帯し、何も悪いことはしていない。
おまけにポルトガル語べらべらの先輩たちがいてくれたおかげで、向こうが要求していることもすんなり受け入れ、対応することができました。
先輩たちすごいっ!!
こういう時は全面的な服従が必要です。
少しでも反抗しようものなら、難癖つけられて解放が遅くなるし、反抗によって新たな罪になってしまうこともあるからです。
それでも今回の人たちは特に悪質で、理由もないのに粗探しと時間のばしのために7〜8回は身分証明書を同じ顔写真のところを一人一人確認していました。
だいぶこれはイライラしましたね。
帰りの時もそうでしたが、カーボ・デルガド州は警官に捕まる頻度高すぎ。
日本的感覚でいうと、最初にチェックした警官が他の検問している警官に情報共有しろや、とか思いますがそこはモザンビーク。
全くないので、毎回チェックを受けます。
止められる回数がたった6時間の間に5〜6回とかなり多かったし、毎回車を止めて全員証明書を出さなきゃなので本当にイライラします。
さて、そんなこんなで21:00頃に島の対岸側に来たわけですが、、、、。
モザンビーク人:「今は引き潮だから0:00まで待つ必要がある」
え、なんだってー!!!!
またこれ昨日と同じパターンやん。怒怒怒
そして絶望。
ずっと狭い車内で揺られて6時間だったので、みんな新鮮な空気と手足を伸ばせる自由を味わいたい、とのことでみんな外に出て待っていました。
おかし食べて、楽しい会話をして。
待望の0:00を迎えました。
ようやく出発か!?となりましたが、
「0:00は1番の干潮の時間だからあともう少し待って暮れ」
いやいやいやいやいやいやいや。
はなしちがくね
これ朝まで渡れないやん💢💢
ということで、まだまだ待つこととなりました。
途中雨季なのでゲリラのような雨が降ったりしたので僕はずっと狭い車内でゲームをしながら待っていました。
暇つぶしグッズ神。
他のメンバーは車の中で寝たり、外で謎のアフリカしりとりをしたりなどして過ごしていました。
いや、これ車内で目をつぶっていたメンバー120%ねれないでしょ。狭いし、暑いし、かなり蚊がいるし、、、。
そんな中モザンビーク人の運転手たちは爆睡していたので、さすがと思いました。
自分もこれくらいの図太さを身につけないとな。
そして、待つこと6時間。
午前3時。
「よし、海を渡れるぞー!」
真っ暗な海を渡ることは転覆時にまず助からないので暗い中船で渡るのはとても嫌でしたが、これ以上車内にいるのも嫌なので、イボ島へ向かうこととなりました。
そして、船で渡ろうとした際にまたゲリラ。
僕はヘッドライトと登山用雨具を持参、ということであまり被害はありませんでしたが、女性隊員の中には雨具なしでノースリーブできていた方もいたので、おそらく相当な寒さをしいられることになったと思います。
雨で濡れるだけじゃなくて、かなり風もありましたので。
流石にいたたまれなくなり、雨具のおかげで濡れていなかったので、風にさらされる船の間は雨具をその先輩隊員に貸して、船を渡りました。
途中夜光虫が光ってなかなか綺麗だったのですが(曇っていたので星は見えない)
みんなもうそんな余裕はないようで、あまり夜光虫は見ていませんでした。
永遠に感じた、この船。
1時間ほどしてようやく無事にイボ島へ上陸。
ホテルの人もおそらく寝ていたのですが、なんとか鍵を開けてもらい、シャワーを浴びて。
ようやく就寝。4:30。
なかなか笑えるでしょう。
イボ島が始まる前なのに信じられないほどの疲労感です。
これから話は本番なのですが、あまりにも長くなりすぎたので、その先は次回。
楽しいイボ島での思い出と、楽しい楽しい帰り道での話が待っています。
もざぴ日記22 〜クルーガー国立公園にいってみた〜
みなさん、ぼあ たるでぃ🇵🇹
年末年始のモザンビーク島に引き続き、先日は任国外旅行を利用して、アフリカの中でも最大級といわれる、クルーガー国立公園に行ってきました〜!
なんと!!
南アの同期隊員によると。
私たち2人が全世界の同期隊員の中で南アフリカ🇿🇦に初突入らしいです!!
なぜかというと、、、、
まず、JICAといえども、海外にバンバン旅行行き放題ではありません。
■任国外旅行とは
本旅行は任国外旅行と呼ばれ、モザンビークからは以下の国へ旅行することができます。
(2018年1月現在)
南アフリカ(※1)、ケニア(※2)、タンザニア、マラウイ、マダガスカル、ジンバブエ、ザンビア
※1 南アフリカは治安の問題からか、ケープタウンとクルーガー国立公園にしか行くことができません。
※2 JICAの書面上では、ケニアは渡航可能ですが、現在治安面が悪化しており、渡航禁止となっています。
このように、自由に海外旅行できることができるわけではなく、JICAによって行くことのできる国が制限されています。
また、赴任後三ヶ月経たないと任国外旅行をすることもできません。
ちなみにマダガスカルとクルーガー国立公園はモザンビーク隊員しか行くことができないとか。
10月ごろから12月ごろまで、大統領選挙で治安悪化が懸念されていたため、ケープタウンへの渡航が禁止されていました。
つまり、モザンビーク隊員がクルーガー国立公園へ行くか、ケープタウンへの渡航解禁の1月以降にならないと渡航ができなかったわけです。
1番ウェーイ!
なんでも1番は良いですね^_^
マダガスカル隊員はモザンビークへ来ることができないらしいのに謎現象です。噂によるとモザンビークからマダガスカルへ行くためには、日本からかかる渡航費用とほぼ同じくらいするみたいなので、わざわざ今行かなくても良いのかなという気もしますが、、、
ちなみにナミビアは近いのにモザンビークからは行くことができませんが、ナミビア隊員はモザンビークへ来ることができます。
このようにお互いに謎な制限があるのですが、お互いの許可されている国で、恋人隊員同士や、友人の隊員同士であったりすることもできます。
タンザニアはアフリカの中部にあり、アフリカの派遣国からは許可されていることが多いです。
そのため観光名所のザンジバルがあるので、集合する人たちが多いです。
また、ガーナやマダガスカルなどは旧宗主国に任国外旅行として行くことができます。
残念ながら、モザンビークの旧宗主国ポルトガル🇵🇹へは行くことができませんが、ガーナの旧宗主国イギリス🇬🇧や、マダガスカルの旧宗主国フランス🇫🇷で日本の友人と会ったり、
本場で語学留学したり、先進国でゆっくりと羽を伸ばして休息したりもできます。
友人のいるサモア(大洋州)では、なんとニュージーランド🇳🇿やハワイ🌺に行けるとかなんとか。
もはやワーホリじゃん、とか突っ込みたくなりますが、島国は我々にはない、なかなかの苦労があるらしいです。
国内旅行あんまりできないですしね。
■任国外旅行をするには
さて、長くなりましたが、任国外旅行は1年の間に20日間あります。
繰越はなく、旅行にいる際には所属先上司の許可を取る必要があります。
私の職場は休暇に大変理解のある職場なのですが、同期隊員はいちいち休暇の理由を聞かれたら、文句を言われたりと。
なかなか大変な職場もあるようです。
しかし私個人の意見ですが、国内旅行や任国外旅行は自分自身をリフレッシュするとともに、語学学習や活動へのモチベーションを再度注入する大切な期間だと思うのです。
私自身持久力がない方なので、語学の勉強や活動を一時的に頑張ってみても、だらけてしまったりもしてしまうのですが、
今回の旅行があったのでそれまでに語学レベルを上げよう、とか
活動をここまでやっておきたいな、など目標となりました。
戻ってきてからも、頑張っている後輩隊員にとてつもなく劣等感を感じながらも頑張ろう、と思えてきている今現在です、、、、
(後輩隊員が人じゃないレベルに優秀な方たちなので、辛いです、、、笑)
■クルーガー国立公園って?
ここで、今回旅行したクルーガー国立公園について簡単に説明します。
クルーガー国立公園とは、南アフリカで最大規模の一大動物自然公園。南北約360km、東西約65kmと細長い土地ゆえ、変化に富んだ地形、植生が見られ、多種多様の動物が生息する世界的にも有名な公園の一つと言われている。その数は、哺乳類147種、鳥類507種、爬虫類114種、両生類34種、魚類49種、樹木336種にも及ぶ。国立公園に隣接していくつかの私営保護区があるが、その境界は柵などで区切られておらず、水や草を求めて動物達が自由に行き来している。クルーガー国立公園と隣接する私営保護区ではゲームドライブの楽しみ方が異なるため、目的に応じて選ぶことができる。
https://www.dososhin.com/know/park/00026_kruger/ より
■クルーガー国立公園への行き方
モザンビークの首都マプトから車で大体3時間ほど。
なので割りと東京から埼玉にいくような感覚でいくことができます。
南アは治安面で世界一悪名高いので全く油断することはできませんので、モザンビークからのツアーを申し込むか、調整員とともに車で行くしかありません。
南アまでの道のりはモザンビークの首都マプトとマプト州の州都であるマトラというモザンビークの中でも大きな街を通った、整った綺麗な道を通って行きます。
普段住んでいるリシンガと比較すると、マプトはもちろん、マトラも大きいなあと感じます。
マトラからは荒野が続くのですが、南アとの国境に来た時にいきなり変化します。
ずっと道の両側は茶色の荒野が続いていたモザンビーク側からいきなり、青々と緑が生い茂る畑へと変化します。
なんやねん、この格差。
ちょうど右側の茶色のところがモザンビーク
左側の緑のところが南アフリカ。
ちなみに初めての陸路での国境超えでした。
意外と大したことはなくて、国境の前で車を降ろされて、パスポートチェックを受けます。
だけど雰囲気は高速道路の料金所みたいな感じ。そこを徒歩で通る感じ。
最初にモザンビーク側のパスポートチェックを受けて、少し外を歩いて南ア側のパスポートチェックへ行くのですが、ここの建物でもはや格差。
モザンビーク側は変な木の小屋みたいな感じだったのに対し、南ア側はふつうに動物園の入り口みたいな感じで、コンクリートの建物でガラスがはまったカウンターがずらっと並んでいます。
南ア側パスポートチェックでは、パスポートとは別に荷物のチェックを受けるのですが、まあ英語が話せない。
しかもイギリス英語風の英語を話すので余計にわからない。なんとかわかったとしても、1番の課題は話すこと。
まあ英語が出て来ません。
ポルトガル語しか出て来ません。
ポルトガル語も大して話せないのに。
職員:「なんで南アに行くんだ?」
私 :「さいとしーんぐ(観光)」
職員:「どこへいくんだ」
私 :(どこでもよくね)
「クルーガーパーク!」
職員:「なんの動物が好きなんだ」
別になんでもよくね。
英語が出てこなさすぎて、適当に出て来た ジーブラ(シマウマ) と答えたら。
職員:「なんでジーブラが好きなんだ」
マジでどうでもいい。
しかもウエストポーチには何入ってるのかと聞かれ、お金。と答えたら
お金ちょーだい嵐。
あなたたちモザンビーク人よりだいぶお金あるでしょう。
とりあえず早速英語わからない南ア洗礼を少し受けました。笑
オンリーとか、マネーとかの簡単な単語すらポルトガル語になってしまうので、本当につらみ。
国境を乗り越えたら、もうクルーガー国立公園まではすぐ!!
あっという間につきます。
道の脇を車から見るだけで、フルーツ畑とか綺麗だしなんか癒される。。。
途中いくつか街も通りましたが、おそらく南アの中のとても田舎な地域なので、栄えてない方にもかかわらず。
日本でいうアウトレットモールみたいに綺麗にお店がいくつも連なっていて、大型スーパーや服屋さん、雑貨屋さんなどもなんでもありそうな感じでした。
モザンビークでは数えるほどしかないケンタッキーフライドチキンもあったり。🍗
あー、もうここに住みたい!!
■クルーガー国立公園のホテル
私たちが宿泊したホテルは目の前に動物を見ることができる、素晴らしいロケーションのホテルでした。
ほかのホテルがどうなっているかは分かりませんが、まず言えることはモザンビークのホテルとは比べものになりません。笑
ホテルはクルーガー国立公園の中にも、すぐ出たところの外にもあります。
ちょびっと出ただけのところのホテルでも、結構値段が安くなったりするので、自由にホテルを選べるみなさんはそんなところも選ぶといいかもしれません。
キャンプができる施設もあります⛺️
クルーガー初日はホテルでゆったりしました。
南アの同期とも合流し、南アのビールやチキンを食べながらお互いの近況を話しました。
本当にホテルからの眺めが絶景で、外を見ながらぼんやりと南ア製の赤ワインを飲むのはなんとも素晴らしい体験でした🍷
このためにアフリカへ来たんだーと言っても良いくらい。(良くないか)
■クルーガー国立公園へいざ!
4:45にツアーの車がお迎えに来るという事で、まだ真っ暗闇の中起床。
動物たちは暑い日中を避けて、涼しい朝や夕方に活動することが多いためです。
朝ごはんはツアー会社が用意してくれて、サンドウィッチやフルーツなどがありました。
けれど、車の中で朝ごはんを食べることはできません。。。
それら車の中で食べると、動物たちが臭いで引き寄せられて、危険なことになるかもしれないからです。と、いうわけで、朝8時をすぎるとお腹がぐーぐーしてくるのですが、我慢しなくてはなりません。
けど何よりも辛いのは、、、、
眠気。
10時ごろを過ぎると日もだいぶのぼってきて、気温も上がります。
おまけに程よい車の振動。
知らないうちに爆睡していました。
モザンビーク同期と南ア同期の3人で行ったのですが、彼ら曰く、ひたすらずっと私は寝ていたそう。
だけど、係りの人が来たぞーーーー!
というと、むくっと起きて2、3枚写真を撮って、また寝る。
そんな繰り返しをしてました。
我ながら動物が出た時に起きる力はすごい。笑
ツアー代無駄なのか無駄じゃないかはなんとも言えませんが、午前中はほぼ爆睡で過ごしました笑
お昼休憩で1番モザンビーク側入り口から遠いところにある、休憩所へ行きました。
■クルーガー国立公園の食事とお土産
まず、1つ言いたいのは、料理がまずい。
これは私の主観かも知れませんが、はじめてこれがイギリス🇬🇧か、、、
と感じました。
なんか見た目はゴテゴテに塩胡椒かけたり、ドレッシング?みたいなのかかるのですが、味が喧嘩しているのです。
食べれないほどではないですが、食べることが好きな私にとっては結構苦痛でした。
1番美味しいのがファストフードってどういうこと。
日本の様な味の深みがないので、表面的なしょっぱい、からい、で終了します。
というか味付け自体はどれも無駄に濃い。
けど味に深みはない。
みなさんも是非試してください笑
やっぱりそう考えるとモザンビークの料理はおいしい。笑
お土産に関してはさすが南ア。
欲しくなる様な可愛いものがそこそこあります。まずそもそもの選択肢がとても多い。
お土産やさんはお土産であふれています。
そんなの普通じゃん、と思うそこのあなた。
モザンビークにはほぼお土産やさんはありません。首都マプトに2、3件あるくらいです。
しかも大していらない様な、伝統布カプラナで作った人形だの、変なキーホルダーとか。
クルーガー国立公園のお土産は美味しいチョコレートやかわいいエプロン、可愛いポーチや、良さげなキーホルダーやマグネットなどたくさんあります!!
僕はちなみにサイの柄のエプロンを買いました。🦏
サイが可愛いというより、色の配色が可愛い。日本にはないかんじ。
けどエプロンだから料理の時に使って、汚れるの嫌だなあ。我ながら満足。
まあ、当たり前ですがお値段はそれなりにします。けど日本の観光地よりは少し安いのかな。
エプロンは2,000円くらい。
友人が買ったTシャツも2,500円くらい。
モザンビークから考えれば高いですが、これも思い出と思えば安い安い!
先輩隊員によると、イギリスから輸入しているチョコレートが激ウマらしいです。
名前はすみません、忘れました。笑
■午後のクルーガー
午後は暑いので、あまり動物がいません。
それでも木陰で休んでいる動物や、川で涼んでいる動物を見つけたりで、結構な数の動物は見れました。
BIG5と呼ばれる動物たちは下記ですが、その中の4種類と出会うことができました。
⚫︎BIG5の動物
ライオン🦁、サイ🦏、ヒョウ🐆、ゾウ🐘、バッファロー🐃です。
このうち、🦁、🦏、🐘、🐃には出会うことができました!!
なかでも🐆はクルーガー国立公園の中にも100頭ほどしかいない、スーパー珍しい動物の様でしたので、次に期待かなーと思っています。
初代ポケモンで言うとサファリパークでのラッキーな感じですね。ラッキーは1%の確率でしか出会えないし、捕まえるのもクソ難しい。。。
(私は一度もラッキーをゲットしたことはありません)
■クルーガー国立公園に行ってみて
そうです。
私個人の感想はもう一度行きたい!
と思えるほど、とても良かったです。
ただ何が良かったって、雄大な景色が見えるホテルで赤ワインを飲みながら、動物たちを眺めてぼーっとすること。
バーベキューできたのもとてもよかったです。
次回行く際は、もう少し日程にゆとりを持って、中日をホテルでゆっくりする日にしたいなと感じました。
せっかくくつろげる場なのに、朝は早くて忙しいので、夜はゆっくりお酒飲んで喋ったりできないし、なんだかもったいない!
また次回は調整員と来ることで、南アの他の都市で買い物したいなと感じました!
クルーガー近くにある都市は大きくてすごいらしい!!
おまけにマクドナルドあるらしい。
行きたいなあ、マクドナルド。
絶対行くことはできませんが、南アの首都プレトリアや最大の都市ヨハネスブルクにはアフリカで唯一のスターバックスもあるそう。
なんでも日本人にとっては、アフリカに行くのは金銭的にも時間的にもハードルが高いので、のタンブラーってかなりプレミアがあるそう。
たくさん買い込んで日本で売りたいなあ。笑
プレトリア行きたい!
プレトリアとヨハネスブルクは殺されるで悪名高いからなかなか行けないけど、、、、
と、言うわけで南ア クルーガー国立公園のお話はここまでー!
クルーガーの質問や、記載してほしいことあれば、どしどし募集しまーす!!
では、あて あ ぷろっしまー!